第3話 狐
呪力を吸い取られ、頭部を5倍以上に膨らませた中山達也にかぶりつかれた史は、咄嗟に左手で頭を庇ったが一瞬にして目の前が真っ暗になった。
「・・・・・・・」
自分はすっかり中山に潜んでいた犬神に飲み込まれ、身体を乗っ取られたとばかり思っていた。
しかし数秒後。全身の力が抜けるどころか全く変化がない事に気づくと、史は再び顔をバッと上げた。
「・・!?父さん??」
目の前の中山の左腕をガッシリと掴み、締め上げる父総司の姿がそこにあった。総司は歯をギリギリと噛みしめ、夜闇の路地で目を呪力を灯した金色に煌々と光らせている。
そして中山を掴んだ手からは、まるで総司の呪力が蒸発してゆくように真っ黒な煙となって辺り一面を暗闇へと変えていた。
「犬神・・・。私の息子に勝手な事はさせないぞ・・・」
総司は必死に中山から呪力を吸い取ろうと、とにかく自分の持てるだけの力をぶつけた。
しかし相手の力も相当なもので、お互いに思うように呪力を吸い取れないまま睨み合いがジリジリと1分以上続いた。
ただし。
必死な様子の総司に対して中山の顔は全くもって余裕そうな表情だ。
その間膨れ上がった顔は次第に小さく萎んでいったが、戻る頃にはさっきまで中山達也だった顔は全くの別の老人へと豹変していた。
「・・く・・そ・・はな・・せ!!」
ようやく中山に抑えつけられた手を振りほどき、何とか犬神の骨が入った箱から手を離した史は、急いで掴み合っている総司の腕を離そうと手を伸ばした。
「父さん!」
しかし、
「触るんじゃない!!」
「!?」
額に冷や汗をかきながら総司は史が手を出してくるのを強く拒んだ。
「・・・ふぅ・・。私は大丈夫だ。どうも犬神も力が消耗している。今の所お互いに相殺し合っているだけでこのままでは共に何も起こす事はできないだろう・・」
総司は足元で禍々しい力を発する犬神の箱の骨をちらりと見て、そしてそのまま互いに腕を力いっぱい掴み合いながら、中山の顔を見た。
「・・・・史。この男が今日会った人物なのか?」
総司は目を一切話さない状態で史に聞く。
「いや・・この顔は知らない・・。さっきまでは確かにそうだったけれど、今は違う」
その言葉を聞いて総司は鋭い目を更にギュッと吊り上げると、眼で邪気を飛ばした。
「!」
中山は少しだけ動揺したように見えた。
「・・・お前は何者だ・・・」
その声はいつもの総司の声ではなかった。
黒い煙が辺り一帯に淀み、暑い夜だというのにまるで冷蔵室にいるかのように冷えた空気が満ちる。
総司から溢れ出た黒い煙はそのまま結界の役目を担っていた。
その黒い煙に巻かれ、気づくと総司の顔がみるみるうちに真っ黒な狐へと姿を変えていった。
『・・・そんな。あれが父さんの本当の姿だって言うのか!?・・・』
史もそれを見るのは初めてだった。
2ヵ月前、元実家の白菱稲荷神社で祖母の吉乃が九尾の狐だったのは記憶に新しい。
しかしそれは吉乃の中に潜んでいた古の瑞獣、九尾の狐が表に出て来たからだ。
確かに秦家は狐憑きの家系ではある。だが、それは当主である吉乃だけに与えられた特別な呪いだと思っていた。
『違う・・。そうか父さんにもあるのか。・・・じゃあ・・俺の中にも?』
そう思い史は自分の左手を見たが、さきほど中山に呪力を吸い取られてしまったおかげで左手の力は全く機能しそうになかった。
「くそ・・・こんな時に!」
史はぐっと左手を握り締めると右手に残った浄化の力を引き出すために再び両手をパシン!と合わせ、右手から銀色の光を発すると拮抗し合う総司と犬神の腕目掛けて一気に放り投げた。
パリィィン!!!
波動がぶつかると同時に薄いガラスが割れるような音が鳴り響き、二人の腕は急に力を失った勢いで弾かれるようにして離れた。
「!!」
総司も史の浄化の力を直接食らい、その力が想像以上に強力である事に驚きを隠せないようだ。
そして解放された左手の痺れを振り払おうとする頃には、黒狐からようやくいつもの顔へと戻っていた。
「助かった史・・・」
「ああ・・・。でももう呪力も浄化もどちらも尽きてしまった・・。もう俺はあいつとは戦えない」
「そうだな・・・。私もまいったよ。やはり同種系統と戦うのは本当に骨が折れる。力が全く通用しないだけでなく、持久戦で負ければ全て持って行かれる。そして最悪身体ごと乗っ取られる・・・」
総司と史は犬神の骨の箱を挟んで犬神と対峙する形で睨み合った。
相変わらず向こうは殆どダメージも無さそうな余裕の表情をしている。
犬神はそのままゆっくりと前屈みの姿勢になると、急に背中からハリネズミの如く黒い邪気を逆立たせ、先ほどの朝霧の母親のように細長い管状の化け物へとみるみるうちに姿を変えていった。
更にナナフシのような細い右脚をクイっと上げ、足元にあった犬神の骨の箱の上へと脚を突き刺す。
「何!」
史はその光景に更に身構えた。
それもそうだ、あの箱からは目に視えない赤い血が溢れ出し、その血はまるで寄生虫かのように何某かの目的を持つ蟲として蠢いているのだから。
バリン!!という音と共に箱は破壊され、中に入っていた骨と灰が空中に舞った。
すると赤黒い灰は空気中に一気に吹き上がり、明らかな意思を持って総司と史へと襲い掛かってきた。
「史!アレを絶対に吸い込むな!」
総司は史を庇うように立ちはだかると右手の袖で口と鼻を覆った。
再び辺り一帯に強烈な獣臭が漂う。
「う・・・」
史は思わず吐き気を催しその場で吐瀉しそうになるのをぐっと堪えた。
今口を開ければ命取りになる・・・。
勿論目に触れるのも危険だ。耳からだって入り込まれれば一溜りもないだろう。
犬神はその光景を見て満足そうに口を裂けさせニヤリと笑うと、すぅ~っと息を吸い込み地響きを伴う咆哮をぶつけて来た。
「ギェォォォオンンッッ!!」
「!!」
地震かと思う程の振動が二人を襲った。
と同時に吹かれた骨の灰が総司、そして史の中へと侵入しようと真正面から向かってくる。
総司は再び自身の身体から黒い煙を放出させると、「はぁぁあっっ!!」という威嚇の咆哮と共に赤黒い灰を吹き飛ばす勢いで煙をぶつけた!
両者の邪気がぶつかり合い、再び呪力が相殺されると犬神は黒い煙を破って一気に総司に噛みついてきた。
「ゥウウォオオオオ!!!」
犬神が体をしならせながら大きく開いた口を総司の頭へと向けたが、寸で総司も犬神の牙を両手で握り締め抑えつける。
「ぐ・・ぐぐ・・・・」
力そのものも相当なものだが、何よりもその腐った肉ヘドロのような悪臭で気がどうにかなりなのだ。総司も次第に身体に力が入らず思わずガクリと膝を落としてしまった。
史はその光景を目の当りにしてかつてない程の無力さを感じた。
それまでだって自分の力が足りず危うい事なんて沢山あった。だが、ここまで何かもすっからかんになって手も足も出せないだなんて事は一度もなかった。
「くそ・・何か・・」
そう思い周囲を見渡し、史ははたと何かを思い出したかと思うと再び朝霧の家の敷地へと戻って行った。
そして家の四方を守るようにして張った結界の札全てを急いでかき集めると、何を思ったのか自分の左の手のひらを玄関先に落ちていた石で抉るように切り裂いた。
「っ・・・!」
流石にその痛みに顔を歪ませたが、すかさず流れ出た自分の血で札を握り締め丸めるとその丸まった札を路地の四方へと投げつけた。
「ぐ・・・何を・・している、史!?」
犬神を押さえながらも完全に上に乗り掛かられ、総司はそこまで何とか耐えていたもう片方の脚も次第に地面へと落としかけたその時。
パシィン!!
史は再び両手を合わせた。
そしてそのまま浄化の力を使うときの様にぐいっと手を横にスライドさせ、邪を切る。
すると左手から溢れた史の血が炎状にゴウッと燃え上がったかと思うと、一気にその光は白く輝き史の全身を白い炎で包みこんだ。
その炎を見て犬神は震えあがるように一鳴きすると、即座に後ろへ飛び退いた。
「ウォォンッッ!!」
本能でそれを察知したのか、はたまたその炎に見覚えがあるのか。先ほどの勢いが嘘のように一気に怯えた表情になった。
「史!!」
やっと自由になれた総司はよろけながら目の前の白い炎ごしの史に駆け寄った。
「なんて事だ・・自分の血まで浄化の力に換えてしまうなんて・・・!史!もういい!やめなさい!」
総司がそう言って炎の中に手を伸ばした。が、
キィィィイイン!!!
という高音と共に弾かれてしまった。
「!!」
その炎は紛れもない浄化の狐火。
呪力のみしか使う事のできない総司にとってはその炎にすら触れる事は不可能だった。
そして炎の隙間から姿を見せた史の顔は、白銀の狐へと姿を変えていた。
「・・・俺は大丈夫。まだそこまで血を消費していない。だけど、結界が効いている今の内に犬神をどうにかしないと」
そう言うと先ほど投げた札の結界間際で怯えるようにこちらを睨む犬神へと目を向けた。
「はぁああっっ!!」
合わせていた両手に力を籠めぐいっと広げ大きく円を描くと、付いてきた白い炎は縦の位置で急速にビシっと固定され、一本の厳めしい白銀に光る槍となった。
と同時にその槍に史の可能な限りの浄化の力が集約されたのか、狐から元の姿へと戻ると、史はその大きな身体をしなやかに捻り上げ、犬神めがけ一息で投槍した。
「!!」
その動作を見て、犬神は後ろに下がれない事を悟り、勢いをつけ上空へと飛び上がった。
犬神はそれで完璧に史の投げた白銀の槍を避けられたとそう思っていた・・・のだが。
槍はなんと、犬神が飛び上がるのと同時にその軌道を変え、まるでホーミングミサイルのように上空へと向かったかと思うとそのまま凄い速さで犬神の胸を貫いた。
「ギャンッッ!!」
甲高い断末魔と共に、胸を貫かれた犬神はその浄化の力によって落下し、落ちて来るころには真っ黒な骨と皮だけの小柄な老人となって地面へと倒れ込んだ。
史は警戒をしながらもゆっくりとその老人へと近づく。
見下ろすとそこにいたのはあの中山達也にどことなく似たみすぼらしい顔の男だった。
老人は喉からヒューヒューと空気を漏らし、くすんだ白目を剥きだしたまま史を見つめた。
「・・・こぞ・・う・・。まっこと・・忌々しい・・のぅ。何でわしんの・・おもうとおりに・・ならんのじゃ・・・。狐ごときが犬に勝るとでもおもうてか・・?忌々しい・・・まっこと・・・忌々しい・・・」
そう言うと老人はふっと力尽き、目から光が消えると身体はグズリと崩れ、サラサラと灰となって消えていってしまった。
史はその姿を見てふと中山達也の話を思い出した。
「まさかあの骨・・・中山達也の父親の・・?」
そう思い振り返ろうとした瞬間、
「史!」
背後から満身創痍の総司に肩をガシっと掴まれた。
「父さん・・大丈夫?」
史は総司の腕を掴んで支えようとしたが、総司はそれを拒否するように先に史の手をガッシリと掴む。
「まったく・・・なんて無茶な事をしているんだ!こんなやり方をしていたらいくつ命があっても足らないだろう!」
そう言うと、総司はジャケットの内ポケットからハンカチを取り出し、史の出血している左手を力いっぱい締めるようにきつめに結んだ。
「・・・・・・」
「いいか?とりあえず帰ったらちゃんと傷口を綺麗にしてだな・・・・。?・・どうしたんだ?」
総司は本気で心配しているのに、史はその顔を見ながら目を丸くさせきょとんとしている。
「・・・・あ・・・いや。・・・初めて父さんに怒られたな・・・と」
子供のころから史は父の総司が何を考えているのか全く分からず、他人から注意されればへらへら取り繕ったり、こっちが本気でキレようものならオロオロと狼狽えるだけで、本当にこれっぽっちも頼りにならない事が心底コンプレックスだった。
でも・・・。
『・・そうか。こういう異常が日常になっていれば、人間同士のいざこざなど、自分一人が黙って受け流しておけば無駄な妬みや怒りを生み出さずに済む・・・。この人ならそう思っても仕方ないのかもしれない・・・』
総司は史にそんな事を言われるとは思っていなかったので、どっと疲れが出たのか急に肩を落とした。
「別に私も怒りたかったわけじゃないよ・・・。ただ心配だっただけで」
「いいよ、わかってる」
史は結んでくれた右手を満足そうに見ながら少しだけ笑った。
だが、
「グルゥゥウウウウ・・・・」
総司の背後、家の門から四つん這いになった朝霧が目を剥きだしにして頭をぐるぐると振り回しながらその姿を現した。
「!!まずい・・・俺が結界を解いたから・・・」
史はすでに出せる力全て使い果たしている。
正直それは総司も同じだった。
「仕方ない・・・式神はあまり得意じゃないのだが・・・」
そう言いながら総司は札の桐箱をスライドさせ、中から一枚の人形を取り出した。
そして印を切る時のように右手の人差し指と中指を合わせて立てると、ふっと息を吐き口元へと運び神咒を唱えようとしたその時・・・。
ボッ・・ボッ・・ボッ・・ボッ・・・・。
という炎が燃える音と共に朝霧の家の前の路地に急に灯りが燈った。
「これは・・・・まさか狐火?」
総司が驚きながらそう言うと、路地の入口からギュギュギュギュ!!とアスファルトを削る勢いで竹串に挟まれた御幣が十数柱、回転しながら駒のように勢いよく流れてきたかと思うと総司と史を通り越し四つん這いの朝霧を取り囲んだ。
「!?」
朝霧はその異様な光景にギョッとした顔をする。
しかし、
「おすわり・・・」
背後の闇の中から不気味な声がそう言ったかと思うと、朝霧はまるで何者かに押しつぶされたように路地へと這いつくばった。
「ギャッ!!」
押しつぶされたの同時に取り囲んでいた御幣がピタリと直立したまま静止した。
「・・・・遅くなってすみませんでした。教授」
そう言ってヒールをコツコツと鳴らして夜闇から現れたのはダボッとした黒のセットアップを着た小柄な女性だった。
『・・あれは・・・?』
史が目を凝らし、その人物を注視していると、
「わざわざ呼び出してしまってすまなかったね、中尾君」
総司は唱えかけていた神咒を中断し、持っていた人形を懐へとしまった。
「中尾・・・・確か有明さんと同じ部署の?」
「え?・・・あ~~~・・・・・」
中尾はそこでようやく史が総司の息子である事を察した。
「あれ?もしかして中尾君、すでに史の事を知っていたのかい?」
総司もまさか史と中尾が知り合いだったとは思わずびっくりしている。
「やっば・・・どっかで見た顔やなぁ・・って思っていたけど。まさか秦教授の息子さんだったとは・・・。これは失礼しました。あ、でも息子さんとはほんの数日前にちょっと顔を見たくらいでして。すみませんが、あとは仕事に関わるので何も言えないんです」
中尾がやや苦し紛れにそう言うと、総司は不審そうな顔をして中尾と史を交互に見た。
「仕事・・?・・まさか史が警察に関わるような事でも?」
「は?俺は何もしてない!あったのは俺じゃなく・・・」
「あ~~あ~~、それは口外禁止なんだよね~えーと、史君?だっけ?」
中尾はどうにもばつが悪そうに取り繕いながらなんとかごまかそうと焦った。
「それより!ほら!今はアレね!あの犬神の残党をどうにかしないとだから!」
そう言うと中尾はそそくさと二人の前を通り過ぎ、捕らえた朝霧の前に立ちはだかった。
「全く・・犬神どももアホやなぁ・・ここをどこだと思っているんだか。ここは王子、狐の聖地なんだからそもそも土地からの護られ方が違うんよ?」
中尾はポケットから長い数珠をじゃらりと取りだし、手でジャリ!と強めに擦り合わせると、直立した御幣が狐の姿へと変わり、その本体を現した。
「グゥゥウウウウウウ・・・グゥゥウウウウウウ・・・」
朝霧は苦しそうに息を吐き、口元を泡一杯にして白目を剥く。
「・・東方よりも、古き不浄、古きけがらい、新しき不浄に、新しきけがらい、七里のけがらい、村七軒のけがらい、夜なる悪事に日なる災難、悪霊、死霊、もう霊、悪まの身入れ是有り候とも・・・」
中尾が数珠を鳴らし祭文を唱え始めると、朝霧はそれはもうぎゃあぎゃあともがき苦しんだ。
「汝よう祓いで祓い落いて、ゆうがの祓いで祓い集めて・・・」
そこまで唱えると朝霧の身体から黒い灰がブワっと舞い上がり、その灰が一つの御幣の中へと吸い取られるように入ってゆく。
次第に朝霧の呼吸が落ち着いてゆくのがわかった。
「白幣、みてぐら、だいばが人形、これのりくらへ集まり影向なり給え!」
じゃらり。
最後に大きく数珠を擦り合わせると、中尾はゆっくりと息を吐いた。
それと同時に先ほどまで直立していた御幣が1本だけ残して全てパタリと倒れた。
中尾はそれを順番に拾い集め、最後に直立したままの犬神を取り込んだ御幣を回収するとそれらを大事そうに顔の前で揃え、そして丈の長いジャケットの中へとしまい込んだ。
「ふぅ。もう大丈夫だと思いますよ?まだ他にもいましたか?」
中尾は振り返って総司に向かって話しかけると、史が先に朝霧に駆け寄った。
「朝霧さん!!朝霧さん!!」
史は朝霧の肩を揺らして声を掛けた。
「・・・・ん、あ?・・・あれ?史君!?・・てかあれ??俺なんで家の前でぶっ倒れて?確か箱をこう抱えて玄関先で蹲って・・・!あれ!箱は!?」
朝霧はそう言うと、辺りを見回し、自分の背後でそれが粉砕されているのを見て驚愕した。
「ヤバいヤバいヤバい・・・!!そんな、犬神の骨が・・!?」
その無残な状態を見て急いで這いながら近寄ったが、その前に中尾がその残骸と撒かれた骨を見て朝霧を静止させた。
「待って!」
「え?・・・・えっと。どちら様で?」
朝霧はそう言いながら隣にいた史に質問をする。
「あぁ・・・まぁ、つまり警察の方です」
「え・・警察!?」
朝霧はそう聞いて一気に顔を真っ青にさせた。
しかし中尾は全くその様子に気づいていないのか、真剣に骨を見つめ、そしてハンカチを取り出すと直接触らないようにして持ち上げた。
『顎の骨?・・・これは人間の骨じゃないか』
そう気付くと中尾はすぐに朝霧と史に向き直り、
「これ、こっちでちゃんと捜査しないといけないから、うちの方で回収させてもらうよ」
と言うとポケットから手袋を取り出し、慎重に箱の残骸を回収し始めた。
その様子にあっけに取られていた朝霧だったが、
「朝霧さん、とりあえずもうこれ以上はあの箱の事も含め全て警察に任せましょう。それより、お母さんは大丈夫ですか?」
史がそう言うと、ようやくそれにも気づいたようで、
「そうだった!母ちゃん!!」
朝霧は、バッと身を起こし急いで家の中へと駆け込んでいった。
そこへ総司が史へと近づき、
「朝霧さんのお母さんの呪力は全部私が吸い取ったから、今はもう元の姿に戻っていると思う。まぁ、あとは二人共体調に変化がなければいいのだけど」
と告げた。
「ありがとう父さん。今回は本当に俺だけじゃ何も出来なかった。助かったよ」
史は素直に総司に感謝を伝えると、総司もようやく笑顔でそれに応えてくれた。
「とりあえずこれでいいかな・・・」
中尾も犬神の箱の残骸を一通り片付けるとそれも満足そうにポケットへと入れた。
史はそれを見て疑問に思い中尾に聞く。
「今回は鑑識とかは要らないんですか?」
「ん?う~ん、はっきり言うと本当は必要。でも今回は業務としてここに来たわけじゃないから、うちにそれをする権利がない。というかできない。でもあの骨はこっちでちゃんと調べないとだから。まぁあとはこっちに任せていいよ」
と言うと中尾は色々と禍々しいものを突っ込んだポケットから丸い棒付きキャンディを取り出し、徐にその包みを剥くと口へと放り込んだ。
「はは、相変わらず甘党なんだね中尾君は」
その様子を見て総司も何か懐かしそうに笑うと、中尾は少しだけ恥ずかしそうに頭を掻き、
「あ~、甘党っていうかうち、力を使うとすぐに低血糖になっちゃうんでまぁパワーチャージってやつです」
そのやりとりを史が不思議そうに見つめていると、何かに気づいた総司は、
「ああ、中尾君は元々大学の教え子なんだよ。それと、さっき見た彼女の能力は・・」
と説明した瞬間史はハッとして、
「いざなぎ流!?」
そう言った途端に目をキラキラと輝かせた。
「え?あ~~ま~そうだけど、急に目を輝かせてどうしたのかなぁ~?」
その急変ぷりに中尾はややドン引きしている様子だ。
「俺、いざなぎ流を独自で色々調べているんです。そのうちゼミに入って専門的に高知でフィールドワークもしたいと考えていて。あの、できれば是非今度いざなぎ流の取材・・あ、いや、話を聞かせてもらいたいのですが!」
「へ~~・・そりゃ凄いねぇ・・。うん、頑張れ~。でもそれはうちよりもっと詳しい人まだ沢山いるからさ~」
更にドン引きしていると、総司も突然何か閃いたのかポンと手を打った。
「そうか・・いいねそれ!中尾君、どうやら君と史は既に知り合いのようだし、これも何かの縁だと思って、是非とも君のいざなぎ流を息子に教えてあげてはくれないだろうか?」
「ええええ!!!教授まで!?」
中尾はこの天然狐親子を交互に見ながら後ずさりをすると、急に態度を変え、
「あ~、じゃあ!うちはこれで失礼します!息子さんの事に関してはまた後日って事で~!」
と言いながら急いでその場を立ち去っていってしまった。
「・・・・・」
「・・・・・」
その後朝霧の家に日常が戻ってくると、史もようやく安心した様子で総司と共にタクシーに乗り込み、深夜の首都高を走らせようやく深夜2時に自宅マンションへと帰宅した。
そしてマンションを上がりながらスマホを確認したが、そこには寿々からのメッセージで、
〖ごめん!やっぱり今夜家帰れるの3時近くになりそう。先に休んでいて〗
とだけ入っていた。
勿論寂しさを感じたが、それでも史は手の傷をこのままの状態で寿々に見られなくて済んだ事に少しだけ安堵していた。
ポケットから家の鍵を取り出す。
そこには寿々から貰った朝顔狗子図のキーホルダーが付いており、間の抜けた愛らしい子犬が小首を傾げて意味ありげにこちらを見つめている。
「・・・・」
史はスマホをもう一度見ると、
〖俺も今日は色々と忙しくてさっき家に帰りました。まだ夕飯もこれからなのでもう少し起きて待ってます〗
とだけ打って送信した。




