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オカルティック・アンダーワールド:ベート  作者: アキラカ
7.犬神怪異譚

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第2話 狗

 

 犬神憑きの家に生まれ育った中山(なかやま)達也(たつや)の取材のあと、何と中山から犬神の骨が入った箱を預かって欲しいと言われ、(ふひと)はそれは出来ないと断ったのだが、ライターの朝霧(あさぎり)は中山の話に異常な興味を示すと、


「じゃあ私がお預かりしますよ!こんな機会めったにあるもんじゃないですから!」


 と何故か意気揚々とその忌まわしい箱をあっさりと受け取ってしまったのだった。


 勿論史は朝霧に断るよう説得したのだが、その箱の呪力の強さを理解できない朝霧に何を言ってもまともに取り合ってはもらえなかった。


「朝霧さん悪い事は言いませんから、それを今日受け取るのは止めましょう。後日お祓いの手筈が済んだ時に改めて中山さんに持参して頂くのが絶対にいいです」


 怪異、オカルトに異常な執着を持ち、呪物でも何でも手を出して来たあの(はだ)(ふひと)がまさかこんな事をライターに言い出すなんて。きっとアガルタの編集部全員がひっくり返って驚くレベルの事態だ。


 しかし当然史は冗談でこんな事を言っているわけでなはい。

 それだけこの中山の持ち出した箱が危険なものだとはっきりと確信しているからそう言っているのだ。


 向かいで黙ってその様子を見ていた中山は、朝霧ではなく史をじぃっと気持ちの悪い目で見続けていた。

 もしかしたら、この箱を本当は朝霧にではなく史に受け取ってもらいたかったのかもしれない。

 中山自身にその意思があるのか、はたまた中山の中に潜む犬神の血がそうさせようとしているのか。

 いずれにせよ中山は自分と似た境遇の家系にある史との出会いをある意味運命だと直感的に悟り、何かあれば史に全部擦り付けようとそう画策しているような雰囲気すらあった。



「大丈夫大丈夫!俺、ひろせさんや中田さんみたな呪物コレクターではないけれど、それでも家にはそれなりに呪物を保管している部屋があるのよ。でも今までも特に大事になった事もないし」


 そう言ってケセラセラと笑い飛ばし、全く取り合う様子もない朝霧に史は既に不安しかない。


『朝霧さんはすでに憑き物に遭っているのか、それとも本当にただ呪物として喜んで笑っているのか・・・全然わからないな』




 その後中山は時間なので、と言ってそそくさと店を出て行ってしまったが、朝霧は終始ご満悦な表情でニコニコと笑い中山から受け取った箱を大事そうに抱えると、


「いやぁ~史君、俺もう初回からめちゃくちゃいい記事が書ける自信しかないよ!これは絶対に面白い!!当初〝現代妖怪百鬼夜行〟1回目の目玉は将門公だと考えていたけれど、こっちの方がいいかもしれないね~。じゃ、原稿の進捗は随時連絡するんで、とりあえず帰ってすぐにでも進めるよ」


 そう言うと朝霧は、最後までニタニタと嬉しそうな表情をしたまま店を後にしていった。


『・・・・やっぱり最初に寿々さんに連絡しておくべきだったかもしれない。でも何も無ければ特に不安にさせる必要も無いわけだし・・・』


 史はふとスマホを取り出し時間を見た。

 18時50分

 メッセージアプリに寿々からの通知があった。


 〖急だけど、今日これから幸田先生の家に行って、そのまま原稿待ちになると思うから多分遅くなる。夕飯も大丈夫だし、もし更に遅くなるようだったらまた連絡するけど先に休んでていいから〗


 寿々は今、雑誌の連載とは別に以前から取り組んでいたT大の社会人類学者であり歴史学者でもある幸田(こうだ)と、禁忌とされた蝦夷の謎についての本の出版に向けて熱心に動いていた。

 本の出版予定はまだ先になるが、少しずつその準備に取り掛かっている。


「はぁ、仕方ない。とりあえず俺も編集部に戻るか」


 史は何もない事を祈りながら荷物をまとめ、会計で領収書を受け取り店を出ると新宿三丁目駅へと歩き出した。


 しかし。


 その後ろ姿を道の奥、闇の中から先に出て行ったはずの中山がじぃぃっと尋常ではない目つきで見つめていた。


「・・・まぁいいか。どうせあのライターはもう駄目だろうから、そうすれば自ずとあんたの元へとアレは向かう・・・どうか頼むよ。我が家の呪いを・・忌まわしき怨念を・・全てあんたが受け取ってくれ」





 その日の夜10時過ぎ、誰もいなくなった編集部で仕事を終えた(ふひと)は、今夜はいつも一緒の寿々もいないので一人帰宅の準備を終えると鞄を背負いエレベーターへと向かった。

 するとポケットに入れたスマホから通知音がしたので、『寿々(すず)さんからかな?』と思い画面を確認すると、そこには朝霧(あさぎり)からのメッセージが表示されていた。



 〖史君、こんな時間に悪いんだけど、電話できそうだったら連絡くれないか?〗



 内容はそれだけだったが、史はすぐに嫌な予感がして急いで朝霧に電話を掛けた。


「・・もしもし、(はだ)です。どうしました?何かありましたか?」


 史はエレベーターのボタンを押しながら険しい顔で質問をする。


「ああ、史君悪いね。いやさ・・・やっぱりあの箱・・本当にマズかったかもしれない」


 そう言うのと同時に朝霧の背後で何かガラス製品が激しく割れるような亀裂音がした。

 ガシャーン!!という音と共に罵声が続く。

「お前のせいだ!!お前の!お前の!お前の!!お前のせいだーー!!全部お前のぉお!!あぁあああああああ!!!」

 女性の声のようだが尋常ではない発狂ぶりだ。


「あの後家に戻って暫くしたらさ、俺の母親が突然暴れ始めて。何でそんなものを持って来た!だとか言ったあとからずっとおかしくなっちまってさ・・・」


「それは本当にあの犬神の箱が原因なんですか?」


「どうだろう、俺もよく分からないんだけど。今俺、箱と一緒に玄関から外に逃げたんだけど1時間経ってもずっとあんな感じなんだよ」


「え?朝霧さん今箱と一緒に外に出てるんですか?」


「そうだけど、何かまずかったのかな?」


「いやぁ・・・・」


 史からすれば、箱を受け取った事自体がまずかったとしか思えなかったが、まさかこんなにも早くに何か起こるとも思っておらず、どうしていいのか検討もつかなかった。


「とりあえず俺は相談できそうな人を探して今からそっちに行きますので、朝霧さんはお母さんの様子に変化がないようでしたら迷わず警察を呼んでください。今はそれくらいしかできる事がありません」


「わ、わかった。史君にこんな事言って本当に申し訳ないけれど、君が担当で本当に良かったよ」


 そう言って朝霧の通話が切れると、史は到着したエレベーターに乗り込み、すぐにスマホの連絡一覧に目を通した。


『くそ・・・こんな状況だけど出来るだけ寿々さんには連絡したくないし・・。するとやっぱり相談できるのは1人だけか・・・』


 史は1階に上がってエレベーターから下りると、スマホをタップし耳へとあてた。



「・・もしもし、父さん?悪いんだけどちょっと相談したい事があって」






 (ふひと)が父、(はだ)総司(そうじ)に連絡してから30分ほどで、いいとよ出版前に一台のタクシーが停まった。

 後ろの扉が開くと中には総司が座っている。


「待たせたね、乗りなさい」


 いつになく真剣な表情の総司は、そう言って史を隣に乗せると朝霧の自宅へとタクシーを走らせた。


「それで?その、朝霧さんって方が持って帰った箱は本当に犬神の骨が入った箱になのか?」


「わからない。渡してきた取材相手がそう言ってただけで信憑性は不明。透視では反応は無かったけれど、俺は本能的にそれに触れたくなくてとにかく受け取りを拒んだんだ。だけどライターの朝霧さんはそんな事全くわからないから喜んで受け取ってしまって・・」


 史は疲れた様子で額に手を当てたまま窓際に頭を寄せた。


「ふむ・・それは賢明だったな。確かに史は迂闊にそれに触れない方がいい。多分私も触れられないと思う」


「!?・・じゃあどうするつもりなの?」


 史は総司の反応に驚いて顔を総司に向けた。


「とりあえず呪力を吸い取って鎮めることは出来る。だからと言って私達だけではどうにもできない。そこは犬神を専門的に扱える人に頼む」


「え、父さんの知り合いにそんな人がいるの?」


 普段は大学で宗教学の助教授を勤め、傍ら実家の白菱稲荷神社の宮司をする父総司(そうじ)の裏の顔について史は殆ど知らされておらず、その発言に素直に驚いていた。

 総司もそちら側の活動に対して史は勿論、妻のハンナにも詳しく話した事がないので少し気まずそうな表情をした。


「・・・まあ仕事で色んな宗教家や民俗信仰関係者の知り合いは沢山いるからなぁ」


 とまるで何を濁すように反対側へと顔を背けてしまった。

 かつての史だったらそれ以上総司と踏み込んで話すような事は絶対になかっただろう。

 しかし史は寿々と出会って一緒に過ごすうちに本当に文字通り人生そのものが変わってしまったのだ。

 今はもう半年前の捻くれた自分はどこにも存在していない。

 父総司に対しては特にそうだ。


「・・・父さんは本当は何をしているの?」


「・・・・」


 総司は史の質問にどう答えるべきか悩んだ。

 正直自分の裏稼業を伝えて、息子に何かあるのだけは絶対に避けたかった。

 それでも代々狐憑きによる呪力の呪縛に囚われている(はだ)の家を背負っている以上、いつかそれを話さなければいけない時が来るのも承知している。


「父さんが秦の家の中でもずば抜けた呪力を持つ存在だという事は分かっている。俺はどう頑張っても呪力で父さんに敵う事はこの先も無いと思う。・・・それでも俺も独自で力を学んである程度色んな事に対処してきた。でも・・やっぱり限界はある」


 史はそう言って自分の膝の上で組んだ両手に目を落とした。


「・・・・史が守りたいものは何なんだ?・・・三枝(さえぐさ)君じゃないのか?だったら三枝君を守るだけの力さえあれば十分じゃないか。私だって守りたいもの、守るべきもの為だけの力しかない。それは史、お前とハンナだけだよ」


 総司は史の目を見る事なく答えた。

 しかし史はやるせない表情をすると握った両手を更に力を込めた。


「・・・足りないんだよ。寿々さんを守る為の力、今の俺には全然足りないんだ。犬神の事だけじゃない。俺はまだ子供過ぎる。世間の事もまだよく分かってないし、一人じゃ何もできない・・」


 19歳の史にとって大学に通いながら編集の仕事をするだけでも相当な事なのに、寿々といる事によって加速度的に引き寄せられるあらゆる怪異、更には徐々に接近してくる裏政府、常天(とこのたか)統合府との因縁。全てに対して不安は日々増すばかりだ。

 総司は史を少しだけ驚いた顔で見てから、ゆっくりと車内の天井を眺めた。


「・・・・三枝君は・・・一体何者なんだい?」


「・・・・・・・・・・」


 史はその質問に答えられなかった。

 質問されて初めて改めて自分に聞いてみた。


『寿々さんが何者かだって・・・?それってどういう意味だ?・・・恋人・・大切な人・・・。いやそういう意味じゃないな。前世の飼い主・・天使・・・黄泉還り・・。違う・・・もっと根本的な意味だ・・・』


「・・・根本的な・・・」


 史はそう思わず考えていた事が口から洩れてしまった。

 するとその思いつめたような表情の息子を心配した総司は史の肩にそっと手を置いた。


「悪かった。史、あまり深く考えなくてもいい。お前にとって三枝君が何よりも大切な人なのは分かっている。けれど、彼を守るためにお前だけがそんなに無理をしてまで()に縋る必要はないと私は思っているんだ。一人で何もかも背負う必要はない。彼がどんな存在であって彼をどんな事をしても守りたいと思うならば、迷わずもっと人を頼りなさい。勿論私でもいい、迦音(かなん)とも今は関係は良好なわけだし、最上(もがみ)編集長もそうだ。お前の事を助けたい、力になりたいと思っている存在はきっとお前が考えている以上に周りにいるはずだ。いいな、そのことだけは忘れないで欲しい」



「・・・・・・」





 二人が話しているうちに、首都高から下りたタクシーは住宅街へと進んでいった。

 北区王子駅からほど近い場所で二人はタクシーから降りた。


 (ふひと)朝霧(あさぎり)に教えられていた住所へ地図アプリを見ながら向かい、狭い路地を入った奥にある古びた一軒家へと辿りいた。


『おかしいな・・。確か朝霧さんは箱を持って外に出たって言っていたけれど』


 家の前のポストにはちゃんと〝朝霧〟のネームプレートが書かれている。住所は間違ってはいないはずなのだが、何故か目の前の家は予想していた状況とは異なりシーンと静まり返っていた。


「ここが話していたライターさんの家なのか?」


 総司は近隣に配慮してやや小声で質問をした。


「ああ・・間違いないと思う。でもどうも様子がおかしい・・」


 そう言うと史は迷わずスッと左手を上げて家の中を透視し始めた。


「・・・・・」


 総司(そうじ)(ふひと)の力について聞いてはいたが、それを目の当りにするのは初めてだった。


 意識を目の前の家の中へと集中させると、脳内にすぅっと建物がホログラムの様なヴィジョンが浮かび上がり中が透けて見えてきた。


『・・・一人は、リビングらしき部屋・・・もう一人は・・・!?』


 史は透視を止めると急いで門を開け、狭い家と塀の間を抜け敷地の裏へと走った。


「史!?」


 総司も急いでその後を追う。


 大きな身体を狭い敷地の隙間を抜ける為に横にさせながら進むと朝霧の自宅の裏手へと抜けた。

 するとそこにいたのは・・。



「朝霧さん!!」


 史は思わず大きな声でその名前を呼んだ。

 しかし呼ばれた朝霧はその声に全く反応する事なく、四つん這いになった状態でひたすら狭い敷地の湿った土を両手で掘り起こしていた。


「・・・・・・・」


「朝霧さん!何をしているんですか?」


 史は一心不乱に素手で穴を掘る朝霧の横にしゃがみ込み顔を覗き込む。


「!!」


 しかし覗き込んだその顔はとても正気とは思えない表情をしていた。

 穴の中心にずっと視点を向け、瞬き一つもしない。

 歯を食いしばり、「ふぅううう・・ふぅうううう・・・」と苦しそうに生臭い息を吐きながら口の端からは泡が漏れている。


 史は穴を掘る手を止めようと朝霧の左手をガシっと力いっぱい掴んだ。


「!」


 しかし史の馬鹿力を持ってしても朝霧の穴を掘る動きは止める事ができないほど強力だった。


「あさ・・ぎり・さん!!」


 史は呪力を持つ左手も伸ばそうとした。が、それを父の総司が途中で止めた。


「史やめなさい。それ以上力を込めると朝霧さんの腕が折れてしまう!」


「!?」


 総司にそう言われて史も我に返ったようにハッとして朝霧の手を離した。


「ふぅぅうう・・・・ふぅうううう・・・」


 すると再び朝霧はボロボロになった両手で気が狂ったように穴を掘り続けた。


「これはもう完全に憑りつかれている。我々ではどうにもならない」


 総司は朝霧の顔を見ながら予想以上に最悪な状況に眉間を寄せた。


「じゃあどうすれば・・」


「確か朝霧さんは犬神の骨が入った箱を持って外に出たって言っていたんだな?」


「・・ああ。電話ではそう言ってた」


「だが今その箱はここには見当たらない。だとするとその箱を先に探した方がいいかもしれない」


「わかった。もう一回透視をしてみる」


 そう言うと史は目を瞑り左手を掲げ、意識を家と敷地全てに集中させた。


『・・・家の中にいるのは朝霧さんの母親だろうか・・。こちらも四つん這いになって部屋の中を這いずり回っているようだ・・。するとどこに箱・・が・・・?』


 部屋の中を見渡し、リビングの隣の奥間にある仏壇にそれらしき箱があるのが見えてきた。


「どうも仏壇に上げられているみたいだ」


 史は振り返りながら総司に伝えた。

 総司はその言葉を聞きながら懐から桐箱に入った和紙を取り出す。


「史、家に入る前にこの敷地内に結界を張らないといけない。お前は結界を張った事はあるか?」


「・・・いや、ない」


「そうか。でも今のお前の力ならば結界を張る事は可能だろう。特にこのくらいの敷地ならば試すのにちょうどいい」


 総司はそう言って持っていた和紙を史に差し出した。


「やり方を教える。しかし今教えるのはとても簡単な防呪詛符だ。だから外から来る何某かに対してはほぼ効果はない。だが朝霧さんに憑りついているくらいのものならば中に封じる事は可能だろう」


 史は総司から和紙を受け取ると真剣な眼でゆっくりと頷いた。


「・・・わかった」


「よし。じゃあまずはこの和紙に四方を司る方位神に向けた呪文を書写する。今回は簡単なものを教えるが、書き順や文字の形は厳密でないと効力がない事をよく覚えておきなさい。詳しい事についてはまたいずれしっかりと学ぶといい」


 総司に習い、史は言われた通りに東西南北を司る四方神に向けた呪符を書写すると、それを正確な方位の土の上に置き、その上から庭に植えられた木の枝を折りそれをグイっと差し込んだ。


「本当はこれに神咒(しんじゅ)を加えるが、とりあえずそれは私が施したのでこれで簡易的だが結界は張れただろう」


 そう言われ史は妙な感じがしていた。

 自分で結界を張ったのも初めてだったが、最後の一枚を刺し終えたと同時に今まで聴こえていた虫の音がピタリと止んだのだ。

 明らかにこの敷地内の空気が変異した事をはっきりと知る事が出来た。


「さ、問題はここからだ。中に入って箱の様子を確かめなくては・・」


 総司はそう言うと玄関へと向かい、そっと古い引き戸に手を翳した。

 が、


 バンッ!!


 と、手を触れるより前に急に玄関の戸が壊れる勢いで開かれた。

 それはまるで二人を招き入れているかのようだった。


「・・・・・・」


 総司の目が急に黄金色に光り、見た事もないくらい厳しい眼つきに変わった。


 そして無言のままゆっくりと玄関の中を覗き込む。


 玄関をくぐると家の中はより一層奇怪な空気が漂っていた。

 外の湿り気のある空気とは全く違う、チリチリとした、まるで乾燥し静電気が空気中に帯電しているような刺激が肌の上を這う。


 昭和の佇まいを残した下駄箱上で、ガラス製のアーチ型の置時計だけがまるで止まった世界の中で不気味な音を響かせコチコチと音を出して時を刻んでいた。

 と急に家の中から鼻の奥を刺激するような悪臭が漂ってきた。


「・・・」


 思わず総司は手で鼻と口を覆ったが、それでも家の中の悪臭は絶えず鼻孔を刺激する。

 どう考えてもそれは獣の臭いだった。


「う・・・」


 史も思わず玄関先で口を覆う。しかしそれと同時に中山から聞いた納屋の話が脳裏に蘇った。



(・・父は部屋の真ん中で四つん這いになり、私に気づくと低い唸り声をあげ睨んできたのです・・・)



 総司は靴のまま家に上がり、右側のすりガラスのドアを開け、史もそれに続く。

 中はリビングだったが、灯りは弱になっており薄暗い。

 二人が中に入って辺りを見渡したが、そこに朝霧の母親の姿はなかった。


『おかしいな、さっきまでここで四つん這いで這いまわっていたはずなのに・・・』


 そう思い、ふと奥の仏壇がある部屋へと目線を移した。


「!!!」


 人一人分ほど空いた襖の奥・・・。その先の暗闇にいたのは、2m以上ある歪に細長い管状の黒いナナフシの様な異形の化け物だった。


「・・ぐるぅぅううううう、ぐるぅううううううう」


 喉の奥から漏れ出るそのくぐごもった獣の唸り声。

 その唸り声と共にあの悪臭が部屋中に充満した。


 史と獣がバチっと目が合った瞬間!

「ぐぉおあああああああっ!!」


 というけたたましい叫び声と共に襖を蹴破って獣がリビングへと飛び出してきた。


「!!」


 総司は咄嗟に印を切ると左手を振りかざし、そのまま一気に床へと叩きつける。


「ぎゃあんんっっ!!」


 総司の重力を操る呪術によって、襲いかかってきた獣の攻撃を何とか間一髪で抑え込む事に成功した。

 しかし問題はここからだ。


「史!私がこいつを抑え込んでいる間に仏壇の箱を敷地の外に持ち出すんだ!しかし絶対に左手を使うんじゃないぞ、右手を浄化の力で満たし体内へ侵入されないように抵抗し、一気に外の道路へと置くんだ!急げ!」


 総司に見た事もない剣幕で言われ、史は一瞬戸惑った様子を見せたがすぐに気を引き締める。


「わかった!」


 と言うと史は走って仏壇へと近づき、すっと息を飲み込むとバシンと両手を合わせ、右手にぐうっと浄化の力を込めた。

 暗闇の中で史の目が銀色に光り輝く。


 そこでようやく箱の本当の姿が視えてきた。


「!!」


 犬神の骨が入っていると言われた小さな桐箱。

 力を最大限まで上げた事でその箱から夥しい真っ赤な血がドクドクと溢れ返って漏れ出している様子がようやく視る事ができたのだ。

 しかも僅かにだが、中から「ああぁぁぁぁ・・ああああぁぁぁ・・・」という呼吸音とも呻きともとれる低い声まで聴こえてくる。

 まるでその箱自体が生きているようにも視えた。


 だがそんな事を恐れている場合ではない。

 意を決し、史は浄化を込めた右手でその箱をガシっ!と鷲掴みにすると廊下側の襖を開け、一直線に玄関を出て外へと持ち出し、朝霧の家の門を出た。


 そして門を出てすぐにその箱を路地へと置こうとしたその時、



「・・・駄目だ」



 背後から声が聴こえて来たかと思うと、離そうとしていた右手を上からぐっと抑えつけられた。

 振り返ると、そこにいたのは、


「!?・・中山・・さん」


 史は何とか箱から手を離そうと力いっぱい抵抗をするが、中山の犬神の力なのか、188㎝のガタイのいい大男の本気の力をもってしてもとにかくビクともしない。


「離せ・・!」


 史は浄化の力が弱まる前に何とかして箱から手を離そうするが、そうしている間にも触れている箱から溢れ出る赤い血が菌糸のようにウネウネと蠢き史の手に何とかして纏わりつこうと縋りついてきた。

 特に爪の間を執拗に狙ってまるで寄生虫のように体内へと入り込もうとしてくる。


 そこで史は初めてこの犬神の本質的な形を視た気がした。

 それはつまり目には見えない蟲のように寄生するものの集合体、それこそが【(いぬ)神】の本来の姿なのだと。


 史は堪らず抑えつける中山に対して左手に呪力を込めた。

 しかしそれと同時に右手の浄化が一気に弱まる。


 背後から父の総司が慌てて外に出て来たかと思うと、目の前の光景を見て叫んだ。


「やめろ史!!お前にそれは扱えない!!」


 するとその瞬間を待ち望んでいたかのように中山は史の呪力をすぅっと吸い込むと頭が5倍以上に膨れ上がり、上下90度に裂けた口を大きく開口させそのまま頭から史にかぶりついた。





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