第2話 流転
「颯太!ちょっと待てよ!!」
寿々はシンディの店にいたホストの天使、瑠華を迎えにきた義理の弟颯太を追って花道通りまでやってきていた。
「颯太く~ん、ほら寿々ちゃんが呼んでるよ?いいの?そんな態度で」
颯太の斜め後ろを少しばかり楽しそうな顔をしながら歩く瑠華が、先ほどから黙り込んだまま先を行く颯太に向かって話かけた。
「・・・・・」
颯太はとにかく今は何も話したくないといった様子で、寿々とは一切目を合わせずだんまりを決め込んでいる。
「颯太!」
寿々は群馬の市役所で働いていたはずの義弟が、一体どうして今歌舞伎町のホストクラブで下働きなどしているのか、わけが分からなくて頭の中が真っ白になっていた。
「・・・」
その二人の様子を見ていた瑠華は、少しだけ真面目な目をすると何かを察したのかため息をつきながら颯太の肩に腕を回した。
「僕、基本女の子のお悩み専門だから気の利いた事は言えないけれど。颯太くんさぁ、このままそういう感じだと、きっとこの先寿々ちゃんとの関係を滅茶苦茶後悔すると思うよ~?もし万が一明日にでも寿々ちゃんがいなくなちゃったらどうするの君?生きていけないんじゃない?」
もしかしたら瑠華には寿々がこの世に戻って来る前の世界線が視えていたのかもしれない。
とにかく、いつものチャラい瑠華のノリとは全く違ったその真剣な言い方に颯太は内心ハッとさせられた。
しかし、
「・・・・うっさいんじゃ、チャラホストが」
と小声で悪態をつくと、瑠華の腕を嫌そうに払いのけた。
「ふ~ん・・・。ま、別にいいけど」
瑠華はその態度に怒るわけでもなく、しらけた顔をして気を取り戻すと寿々へと向き直り、
「じゃあ寿々ちゃん!僕これからお仕事だからまた今度ゆっくりと話そうね!颯太くんまだうちに来て3日しか経ってないド新人だからさ。色々と家庭の事情はあるだろうけれど、仕事内容についてはあまり怒らないであげて欲しいな~。じゃまたね」
そう言うと目の前の『Club EDEN』と書かれたホストクラブの裏口へと入っていってしまった。
寿々は瑠華への挨拶もろくに出来なかったが、とにかく今は目の前にいる颯太にしか気が回らない状況だった。
「颯太。お前まさか本当に市役所を辞めて東京に来たのか?あっちで親しくしていた子とも別れて?」
「・・・ああそうや」
「何で・・・。って言うか、もしかして彰さんや母さんにも何も言わずに来たのか??」
「そうや!何か問題でもあるんか!俺の人生や、誰の許可も必要あらへんやろ・・」
颯太はそう言う間も一度も寿々と目を合わせようとしない。
寿々はグッと口をへの字にすると、目を合わせようとしない颯太の前に入り込み両腕を掴んだ。
「・・・俺が原因なのか?」
「・・・・・・・」
それでも颯太は寿々の顔を見ようとせず、眉間を寄せ今にも泣き出しそうな顔を逸らした。
「決まっとるやろ。・・・この前だって、友達から都内で店を開くから一緒にやらんかって誘われたのを相談しに行っただけやのに。まさかそこでいきなり寿々が10も下のクソガキと同棲までしとるなんて夢にも思わんやろ。今まで一度だって男になんか目もくれなかったのに。本当俺が何年間寿々の事を想い続けていると思っとるんや。あまりにも惨めすぎるわ」
「だから・・・それは何度も言ってるだろ?」
「ああ、そうやな!寿々と俺は義理とはいえ家族やもんな!・・・・んとに忌々しいんじゃ」
颯太の傷ついた心をどうする事もできない寿々は、掴んだ腕を力なく降ろした。
「何で、仲の良い義理の兄弟じゃだめなんだよ・・・。俺は颯太の希望を受け入れられなかったらそうやって避けられて当たり前で、酷い奴だと思われなきゃならないのかよ。俺は・・颯太の気持ちを分かった上で、それでもお前と兄弟として仲良くやっていきたいとずっと願っているのに。俺のその気持ちはお前には少しも届いていないなんて・・・」
寿々は力なく項垂れた。
颯太は時計を見ると、
「時間や。店に戻る」
そう言って背後の従業員出入口の扉へと手をかけた。
「・・・・寿々。俺には時間が必要や。それにこっちでちゃんと店開くまで、こうやって都合つけて働かんといかんのや。せやから暫く俺の事は放っておいて欲しい」
そう言って中へと入っていってしまった。
「・・・・颯太」
午後8時少し前
土曜の勤務を終えた史は、寿々のバイトが気になって急いで渋谷のいいとよ出版から新宿ゴールデン街にあるシンディの店へと駆け付けていた。
「あれ?寿々さんは?」
ドアを開け、席数の少ない店内にはカウンター席に奇抜な格好をした2人、そしてカウンター内に店主のシンディと従兄弟の迦音以外は見当たらなかった。
「あ~史、お疲れサマ!寿々ならちょ~っと出掛けているわよ」
「出掛けてって?何処にですか?」
史はそう言うと背負っていた鞄を下しながらL字カウンターの一番端の席へと荷物を置いた。
「え~っと・・・そうねぇ。もう少ししたら戻ってくると思うから、詳しい話は本人に聞いた方がいいかも?」
とシンディの反応がまるで何かを隠しているように見え、史は不審そうに顔をしかめた。
するとちょうど背後のドアが開き、30分ほど前に出て行った寿々が俯きながら戻ってきた。
「寿々さん?何処に行ってたんですか?心配したじゃないですか」
史はどうやらこんな時間にこの辺りを、寿々みたいな華奢で気弱そうな男が1人で歩いていれば、変な奴に絡まれるのではないかと本気で心配していたのだ。
それに寿々はどんよりとして俯いたまま返答もしてくれない。
史は何やら嫌な予感がして俯いた寿々の顔を覗き込んだ。
すると何があったのか、うっすらと涙を浮かべ目を逸らすではないか。
「え?ちょ、何で泣いているんですか!?」
そう言うと史は何故か店主のシンディの方を睨みつけるように振り向いた。
シンディもその史の呪力を宿した金色に光る目を察知してすぐに、
「やだ!違うわよ!!私達じゃないって!ほら!寿々もちゃんと説明しなさいよ!」
と焦るように促す。
「・・・颯太が・・・」
そう言った寿々に、史もびっくりしてその名前を繰り返した。
「颯太さん!?颯太さんってあの?」
「颯太が・・俺のせいで・・闇落ちホスト勤めに!」
そう言って目の前のカウンター席に崩れ落ちた。
「はぁ?颯太さんが闇落ちでホストに??何で!?」
それを見ていたシンディも呆れ顔で、
「いや、言い方・・・」
と小さく突っ込みを入れた。
その後シンディからのフォローも入りつつ、寿々は史にさっきあった一部始終を詳しく話した。
「はぁ・・・。つまり颯太さんは家族に黙って東京に出て来て、今は知り合いと店を開く準備の傍らホストクラブのボーイをしているってわけなんですね?」
「・・・・そう」
寿々はやっと落ち着いたようで、今日のバイト分として迦音が初めて作ってくれたモスコミュールをぐびっと飲み干した。
「・・・・何も・・何も問題ないですね・・」
隣で本気で心配になって話を聞いていた史だったが、正直それの何が闇落ちなのかさっぱり理解ができなかった。
勿論目の前で腕を組みながらそれを聞いていたシンディも同意するように大きく頷く。
しかし寿々はその反応に納得がいかないらしく、再び顔を歪ませると、
「分からないだろうけれど、俺はあんなどうしようもない義理の弟でも、本当の弟のように可愛がってきたんだよ!てか実際俺は颯太に本当の弟であって欲しいと、この14年間ずっと願っていたし今もそう思ってる。だからあいつにが地元に帰って公務員になったのも、それで義理の父も母さんも喜んでいたのも本当に嬉しかったんだ。それに・・・あっちにいればいつかは俺への気持ちも薄れて、ずっと親しくしている子ともなんだかんだで結婚して、そうやって少しずつ幸せになれるかもしれないって、勝手だけどそう思っていたし・・・」
寿々の気持ちは分からなくもないが、史は自分が寿々への気持ちを諦めきれずにいた頃の事を思えば、颯太だって相当な年月をかけて想い続けているのだろうから、それは到底無理な話だろうと考えていた。
「それはちょーっと勝手すぎるわね、寿々?」
先に苦言を呈したのはシンディだった。
「寿々の願望はいいのよ、それはそれだから。でも義弟くんだって自分の幸せを選択する自由はあるでしょ?寿々とは絶対に結ばれないんだって、ようやく飲み込もうと努力しているんだから。そのステップアップの一つとして家族に頼らずに何とか自力でお店を開こうとしているさ中、たまたま今日寿々と会っちゃっただけで。別に寿々のせいでやけくそになってホストクラブで働いているわけじゃないんだから、そこは素直に引き下がって今は黙って応援してあげるべきでしょ?」
シンディの話はもっともなのだ。それは寿々にもよく分かっている。
「それでも・・・金に困っているなら頼って欲しいし、そのくらい兄として助けてあげたい」
そう言って両手で目を覆い天井を見上げた。
シンディと史は互いに顔を見合わせると、再びシンディが寿々に話かけた。
「本当に寿々は義弟くんが大好きなのね。普通、恋愛対象でもない上に義理とはいえ同性の兄弟から本気で恋心を寄せられていたら、それなりに拒否反応があってもおかしくないものなのに。不思議なものね?」
そう言われ、寿々も何か自分の中にある妙な感情に触れたような気がしてゆっくりと覆っていた両手を下した。
「・・・・・・・・もしかして俺、滅茶苦茶性格悪いのかもしれない・・・」
そう言って寿々はゆっくりと絶望した顔で史を見た。
「どういう事です?」
「・・・俺、出会ってすぐに颯太が俺の事を必死なくらい好きなのを分かっていて、それを気持ち悪いとか思った事が一度も無かった。むしろ拒否反応が無いのは兄弟なんだから当たり前だと本気で思っていた。でももしかしたらそうやって必死になって俺を好いていてくれる颯太を可愛いと思っていたところがあったのかもしれない・・」
寿々のその告白を聞いて史は反射的に顔が引きつった。
「・・・・じゃあ、・・まさか寿々さんの中にも颯太さんへの・・」
そこまで言いかけたところでシンディが矢を放つが如く会話を引きとめた。
「ばっかねぇ!そういう事じゃないわよ!逆よ逆!!寿々は義弟くんの事を恋愛対象としては全く見ていないけれど、義弟くんには嫌われたくない、恋愛対象でもいいからとにかく自分の事を好きでいて欲しかったって事なの!確かにそういう意味では性格悪いわよあんた!」
シンディにずばり言われた寿々はその場で頭を抱えた。
「・・・・・・」
寿々のその感情を史は全く理解が出来なかったが、ひとつだけ分かったことがあった。
「そ・・れはまた、ブラコン拗らせすぎでしょ・・・」
家族とは言え人間の感情は人それぞれだ。
愛の形もまた然り。
寿々も28歳にして自分の欲深さにほとほと呆れた。
「はぁ・・・恥ずかしすぎる。俺、自分がこんなにも気持ち悪い自分勝手な奴だとは思っていなかった」
寿々は顔を真っ赤にさせ、心から颯太に対して申し訳なかったと深く反省をした。
しかし思い起こせば寿々は史に対しても同じ事をしていた事を思い出した。
たまたまそれが史で、互いに惹かれ合ったから良かったものの、そうで無かった場合ただのウザイ激重感情の押し付けになっていなかったとも言い切れない。
ちらりと見た史はそんな事を微塵も考えてはいなそうだったが、寿々は今回の颯太の事で今一度自分自身と向き合わなければとそう思い直した。
「まったく・・・」
シンディはその様子を見て、いつものように困ったような笑顔を見せた。
「やってきた事が結果的に性格悪く感じたとしても、別に嫌われたくない愛されていたいと望むのは、人間として当然の事なんだから恥じる必要なんて全然ないわ。けれど、それを理解したのならば、これからは少しだけ正しく人を愛してあげる事もできるでしょ?」
寿々もその言葉を聞いて大きく息を吐き出した。
「・・・・はい」
史はようやく寿々が落ち着きを取り戻してくれた事に安堵しながら、ふと目の前に向けると、ド派手な見た目の客2人がずっとニコニコしながらこちらを見ていた事に気づいた。
「あの・・・・ところで目の前の方は、寿々さんの知り合いですか?」
と遠慮せずずばりと質問をする。
「え?ああ・・さっきシンディさんに紹介してもらったんだ。手前の方が佐々木さん、奥がノマさん」
そう言うと二人は息を合わせたようににっこりと首を傾げながら微笑み返してくれた。
「初めまして」
「やほ~!」
「・・・・・」
史は何だか珍妙なこの二人を見てからふとシンディを見上げた。
『・・・なんだ?似てるな・・・』
すると寿々がそっと耳打ちしながら、
「帰ったらまた話すけど、二人共先輩天使なんだ」
と教えてくれた。
「!?」
そう言われてから再び顔を見返したが、その奇抜な見た目と妙に人馴れした独特な雰囲気は確かにシンディと同じオーラを放っている。
史は納得しながらも、今この店の中に自分を含めまともな人間が1人もいない事に驚きを隠せなかった。
『凄い・・まるで異界のような店内じゃないか』
そんな事を考えていたところ、再び店のドアが開かれ設置されたウィンドチャイムが小さな音を立てた。
「シンディ~!やっと報告に来たわよ!」
と嬉しそうな声を上げて入ってきたのは先日入籍したばかりの丸早智子、そして松下啓太の二人だった。
「あ!丸さん!?」
振り返った寿々は思わず声を上げて驚いた。
「え?三枝?史?何で?」
寿々の後ろから松下を見た史は、
「うわ・・」
とあからさまに嫌そうな態度を示した。
それを見た松下も、ムッとした顔をすると襟足を掻きながら、
「俺やっぱ先に一人で帰るわ・・」
とドアノブに手をかけた。
が、即座に丸がそれを阻止した。
「駄目に決まってるでしょ。ちょうどチャンスなんだから四の五の言わずにちゃんと二人に謝罪しないさよ!」
と本気の怒りモードで松下を下から睨みつける。
松下は丸のその気迫に押され、嫌そうに顔を逸らしたが、数秒で観念したようで寿々と史に向き直り、
「・・・・この前は、悪かったな」
と目を閉じたままだが、一言だけ松下は初めて二人に対して謝罪をした。
史は本音を言えば松下を許すつもりはなかったが、寿々の方が先に口を開き、
「松下さん。謝ってくれてありがとうございます」
そう言って椅子から立ち上がると、
「丸さん松下さん。改めましてご結婚おめでとうございます」
と頭を下げた。
「・・・・・」
その寿々の態度に松下もやや恥ずかしそうに視線を逸らし、
「・・・ありがとうございます」
と頭を下げた。
するとパシン!と後ろで両手を叩く音が聴こえて全員が振り返る。
「いやぁ~良かった!!丸、アタシからもお祝いさせてね!本当におめでとう!絶対に幸せになるのよ」
カウンター内に立つシンディもとても嬉しそうに笑顔で応えた。
「ありがとうシンディ!」
「ほらほら、奥のリザーブ席に座って~!」
そう言って本当に嬉しそうな笑顔の丸をいつも座る一番奥の席へと案内すると、
「今日は丸が来るって思っていたから、特別にあんたの為にお花を用意しておいたの」
と目の前に活けられた花束を差し出した。
「え?マジで?えぇ~超嬉しい~!!黄色のダリアあたし大好きなの!まさかこれもシンディの能力?」
丸は嬉しそうに花瓶に入れられた大きな花束を眺める。
「ふふ、これは今日特別にお手伝いしてもらってる迦音に選んで来てもらったのよ?あ、ちなにみ迦音は史の従兄弟なの!」
そう言いながらシンディは隣で肩を縮こめて立つ迦音を紹介した。
「え?何々その面白い繋がり??興味あるぅ~!」
店の奥でワイワイと賑わっている様子を眺めながら寿々は隣の史に話しかけた。
「なんかいいよなぁこういうの」
寿々は丸の嬉しそうな姿と、何だかんだでいつもより柔和な松下の横顔を見ながら楽しそうに頬づえをついた。
颯太との問題はまだこれから色々とありそうではあるが、それでもこうやって寿々が居心地の良い場所を見つけられた事を史は素直に嬉しく思った。
「そうですね」
と自ずと笑顔が零れる。
寿々はそれを見て思わずポツリと呟いた。
「何だか、まるでドラマの最終回みたいな雰囲気だよな?」
「そうなんですか?俺、ドラマとか全く見ないのでわからないんですけど」
「うわぁ~ジェネレーションギャップ!はは」
二人も楽しそうに話しをしていると、再びシンディがこちらに戻って来て、
「史、今日はここで好きな物食べて行きなさい?松下がお詫びに奢ってくれるって!」
そう言って二人に店のメニューを渡した。
「マジですか?じゃあ一番高いのから出してください」
と史はろくにメニューに見ずに即答する。
「おい史!お前流石に値段くらい見てから頼めよな!」
店の奥から松下がいつものテンションで史に怒鳴りつけた。
「何々、一番高いのは神戸牛A5ランクのサーロインステーキ2万円ですか?じゃあそれで」
「ざけんなよお前!」
「ちょっと!店の端と端で叫ばないで!静かにしなさい!」
シンディはまるで小学校の教師のように二人を怒鳴りつけた。
と同時に、目の前で静かに飲んでいた佐々木とノマは更にニコニコと笑顔になりながら、互いにアイコンタクトをすると椅子から立ち上がった。
「じゃあシンディ、私達はそろそろ行くよ。また何かあったら連絡するからよろしく」
そう言う佐々木に続いて、ノマは寿々に向かって、
「んじゃ、寿々っちもこれからよろしくね~!」
とさらりと挨拶をするとっ颯爽と店を出て行ってしまった。
「わかったわ~!じゃあまた!」
シンディもさらりと返答する中、あまりに急に出て行ったものだから、寿々はろくに挨拶も返せず扉が閉まる頃にようやく「あ、」と一言声を出しただけで、振り返った時に二人はもうその場からはいなくなってしまっていた。
「史、ちょっと俺二人に挨拶してくるから!」
「あ、はい。わかりました」
寿々は何となくちゃんとお礼を言わなくては、と思い立ち上がると史に声をかけつつも急いで外へと飛び出した。
しかしドアのウィンドチャイムが慌てて鳴って聞こえなくなる頃にはもう、二人の姿は外の通りには見当たらず、寿々は賑わうゴールデン街の喧騒をキョロキョロと見渡しながら、右にも左にも行ってみたが、すでに二人の姿はそこには存在しなかった。
『考えてみたら、さっき二人が出て行った時、店のあのウィンドチャイムすら鳴ってなかったよな・・・。やっぱり本物の天使ってああいう不思議な感じなのかな・・』
寿々は仕方ないと思い肩を落としたが、その瞬間狭い通りを行き交う外国人集団の一人と思いっきり肩がぶつかり、想像以上に吹っ飛ばされしまった。
「うわっ!!」
バランスを崩し転びそうになった時、目の前にふわりと暖かく柔らかい羽のような手が差し伸べられた。
「あ、どうもすみません!」
慌ててズレた眼鏡を直しながら寿々は助けてくれたその人物を見上げる。
「大丈夫?」
そう声を掛けられたのは、髪も肌も透き通るほど真っ白な不思議な少年だった。
「あ・・・ありがとう・・ござい・ます」
寿々はその少年の神々しさに見とれてしまい、思わずぼうっとしてしまった。
歳は10代後半にも見えるし、しかしその異常に落ち着いた雰囲気は不思議なほど貫禄を感じた。
身長は寿々より少し高く、170㎝くらいだろうか。
細身ではあるが、先ほど支えてもらった感覚からはとても華奢とは思えないしっかりとした力強さを感じた。
ふわふわとした綿あめのような髪、そして肌は所謂アルビノなのだろう。とにかく絵画や彫刻でしか見る事がなさそうなくらい白く彫りの深い顔立ちと伏目がちだと一本一本全てが輝く睫毛がとても印象的で美しかった。
服装も合わせたかのように真っ白で、テック系のダボッとしたスタイルはモデルのような格好良さがある。
おそらく誰が見ても瞬時にこう思うだろう。
『うわぁ・・・。本物の天使みたいだ・・・』
お互いに見つめ合い沈黙の後、少年の方が先に口を開いた。
「こうやってまた会えることをずっと待っていたよ、寿々・・・」
その言葉に寿々はドキっとした。
「・・・え?何で俺の名前を・・」
寿々が少年の言葉の意味に詰まっていると、
「はは、そうだね。いきなりこんな事言われてもびっくりするよね」
少年は首を傾げながら屈託のない笑みを見せると、両手を後ろに回しビシっと立ち直した。
「寿々はまだこの世に還ってきたばかりだからよく分からないだろうけれど、僕は君たち守護天使とはまたちょっと違ったタイプなんだ。それでも時々こうやって街に出ていろんな人間を見るのが大好きでね」
そう言うと少年は本当に愛おしそうに周囲で楽しそうに歩く人々へと視線を向けた。
寿々はその視線を追い、先ほどからこんなに混雑したゴールデン街の道の真ん中で突っ立って話しているというのに、周囲全ての人が目の前の少年と自分がまるで見えていないかのように自然と避けて通り過ぎている事に気がついた。
『一体、誰なんだろう・・・。ていうかこの人もやはり天使なんだろうか?だから俺の事を?って言うか俺達と違うって事は何の天使なんだろう?』
そう思っていると、
「寿々・・・君はね、とても美しい言語能力に長け、また動物に好かれる因果を背負っているんだ。君を深く愛すのは3階層の動物達、そしてその一つ上4階層の美しく本能に忠実な人間たちばかり。普通の天使は6階層や7階層の高位の魂ばかりの救済を優先するのに対して、君は一番下の魂を救う使命を持っている。・・・実に素晴らしい事だと思うよ」
不思議な少年はそう言いながら寿々の周りをぐるりと一周した。
「あ、あの・・・あなたは・・」
寿々がふわふわとした感覚のまま聞いてみると、少年は寿々の耳元でこう囁いた。
「僕の名前は〖聖人〗・・・。だけど今はまだ覚えなくていいからね?恐らく近いうちに僕は君を正式に迎えに来ると思うから。それまでは・・・まだ記憶の遥か奥にしまっておいて」
その言葉を聞いた次の瞬間、背後からアカーシャの扉が開くウィンドチャイムの音が鳴り響いた。
チリンチリィン・・・
「はっ!!」
寿々はその音に気が付いて後ろを振り返った。
「寿々さんどうしましたか?挨拶はできました?」
「・・・・・史?」
寿々は我に返り辺りを見渡した。
確か今しがた佐々木とノマにお礼を言おうと店の扉を開け外に出たはずだったのだが。
何故か今ハッとして我に返るまでの記憶が曖昧だ。
『おかしいな・・・外に出た時点で佐々木さんもノマさんももういなかったと思うけれど。でもその後の記憶が何だかはっきりとしない。・・・でも確かに今、誰かとここで話をしていたような気が・・・・』
「?」
再び見た史が不思議そうな顔をしている。
寿々は釈然としない気持ちを払拭するように首を左右に振ると、
「あぁ、すぐに出たはずなんだけど、外に出た時点でもう姿が見えなくなっちゃって」
と史に返した。
史はちょっとだけ上機嫌な様子で、
「そうですか。あ、それより、松下さんの財布を空にさせるつもりで沢山頼んだので早く中へ戻って一緒に食べましょう。ちゃんと寿々さんも食べられそうなものを頼みましたから」
と笑顔で招いた。
寿々は一瞬だけその場に立ち止まり、もう一度思い出そうとしてみたが、やはり何も思い出せず仕方なく飽きらめる事にした。
「ああ、・・じゃあ遠慮せずにそうしよう」
といつもの笑顔で寿々も答え二人して再び店の中へと戻る。
するとその締まりかけた扉の前に、どこからともなくフワリと一枚の黒い羽が舞い落ちて来ていた。




