王女と神器
ここは、カシェリオスとダルカニアの国境にある、緩衝地帯となっている平野。
カシェリオスに近いこの場所は、ダルカニアよりも雪が少なく開けていた。
この開けた場所に、ダルカニア軍は陣を構えている。
「 愚かなこと…… 」
最も大きなテントの中。
戦場に似つかわぬ、豪奢なドレスに身を包んだ若い女が、吐息まじりに呟いた。
宣告官からヴァンドル辺境伯の拒絶を聞いた、ダルカニア第一王女リゼルティナ・ダルカニアンである。
目前で傅き報告をしている三人の女性騎士を、王女は氷のような眼差しで見下ろす。
その隣には、二人の夫が静かに控えていた。
「 本当に、愚かですこと…… 」
なおも繰り返す声には、侮蔑と退屈が滲んでいた。
「 確かにーーヴァンドル辺境伯は強い。
それは間違いないでしょう。
ですが、神器を手にしたこのわたくしに、敵うはずがありませんわ」
リゼルティナは、クレイアスの絵姿を思い出す。
初めて見た時、その美しい姿に驚いた。
しかし、そういった物は華美に描かれる物でもある。
とはいえ、集めた情報でもその容姿が整っている事は、疑いようがないだろう。
( 絵姿を見た限りでは、間違いなく美しい男だった。
命までは奪わず、上手に仕えれば慈悲をもって可愛がってやろうと、わざわざ婚姻を提案してやったというのに。
まさか、断るとはーー )
そこまで思い、ふと、唇をわずかに歪めた。
「 ……あの時は、少し読み違えましたわね 」
王家の宝物庫から密かに持ち出した 〈 姿隠しの魔道具 〉 を刺客に持たせ辺境伯の命を狙った。
しかし、まさか捕らえられるとは思ってもいなかった。
その宝物の持ち出しが発覚し、王女を非難する声が上がっている。
( でも……、ここで功績を上げれば、そのような声は封殺できるでしょう )
だがヴァンドル辺境伯は、いままで一度もダルカニア相手に後れを取ったことは無い。
歴代のダルカニア王が何度仕掛けても、国境を守り続けている。
「 運が良いのは……、やはり加護があるから、かしら? 」
父王が侵攻を仕掛けた折、辺境伯はまだ十代の若者だった。
それでも国境と自領を守り抜いた。
前回も、前々回も、弟たちがヴァンドル領に手を出し、いずれも敗北している。
( ……つまり、あの一族には “ 加護 ” がある。
それも、戦勝にかかわる類の強力な加護だろう )
( 強力な加護をもつのならば、正面から叩くのは愚か者のすること。
わたくしは違う。
婚姻を結び、その加護ごと取り込めばよい )
「 ヴァンドル卿とは、まだ顔を合わせたことがありませんわ。
でも、わたくしと会えば、考えも変わるでしょう 」
リゼルティナはゆるく笑んだ。
その笑みは自信に満ち、まるで自らの美貌に世界が屈することを疑っていないようだった。
くすくすと笑いながら、銀の杯に満たされた赤黒い液体を口に運ぶ。
甘く、鉄の香りのする液が喉を流れ落ちていく。
「 ……あの愚弟が、妹の命を助ける代償に差し出した二つの神器。
まさか、あの子がこのようなものを持っていようとはね 」
年の離れた腹違いの弟妹の顔を思い浮かべる。
弟は、妹を神殿まで送り届けるのを見逃す代償として、母方の実家が密かに保管していたという神器を差し出した。
弟妹など、王位継承の前では邪魔でしかなかった。
「 いずれ、両方とも排除するつもりだったのだけれど…… 」
なかなか面白い物を差し出した褒美として、妹の神殿行きを見逃してやった。
その弟は、
ーー別の弟の手にかかり、既にこの世にはいないと聞く。
リゼルティナは再び杯を傾けた。
赤黒い液体がゆっくりと杯を満たし、それを飲み干す。
その横で、夫の一人が静かに崩れ落ちた。
顔色を変える三人の宣告官と、残されたもう一人の夫。
「 ……お前、わたくしの傍に侍りなさい 」
三人の女性騎士のうち、一人が指名された。
「 ……あ、あ。 お許しを…… 」
そう言いながらも、ふらふらと倒れた男のいた場所に移動していく。
そして、残る二人の宣告官を見る。
「 ああ、お前たち二人は、明日もう一度砦へ行きなさい。
わたくしとの顔合わせをヴァンドル卿へ伝えるのです。
必ず、わたくしと顔を合わせる様にと。 良いですね? 」
残る二人の宣告官は、顔を真っ青にしながらも礼をとり、静かにテントを出た。
残された夫は、震える手で胸を押さえながら妻を仰ぎ見る。
( ……いったい、何を飲んでいるのだ )
あれを飲むようになってから、王女は異様なほど若返った。
四十近かったはずの彼女は、今や十代後半にも見える。
そして、あれを飲むたびに、傍に侍る者が倒れていくのだ。
倒れた者は例外なく、生気の失せた顔で、まるで老人のように変わり果てていた。
逃げようと思っても、その瞳に見つめられると逆らえなくなる。
その繰り返しで、次に倒れるのは自分かもしれぬ、
残された夫は恐怖に固まっていた。
* * *
最も大きく、設備の整ったテントから、二人の女性騎士が外へ出てきた。
すでに日は落ち、辺りは暗闇に包まれている。 冬の国境の夜は冷え込みが厳しく、底冷えする寒気が肌を刺す。
二人の顔色は悪く、肩は小刻みに震えている。
日の落ちた冬の国境。
火に当たらなければ、すぐに身体の芯まで冷え切ってしまう。
足元のぬかるみも、朝には凍り付いていることだろう。
だが、二人の震えは、寒さによるものではなかった。
つい先ほどまで二人がいたのは、防寒の施された暖かなテントだった。
それでも二人は、そこから一刻も早く離れたかった。
肌を刺す外の寒気よりも、
ーーあのテントの中の方が、恐ろしかった。
「 ……リーナが 」
亜麻色の髪の女性騎士が、震える唇から小さく言葉を漏らす。
もう一人は、歯を食いしばったまま何も答えない。
しばらくして、亜麻色の髪の騎士が再び口を開いた。
「 ……明日も、ヴァンドル卿へ宣告しに行かなければ…… 」
声が震える。
「 顔合わせをしていただかなければ……
次は……私たちが…… 」
最後まで言葉にすることはできなかった。
二人は重い足取りで、自分たちに与えられたテントへと戻っていった。




