真冬の侵攻
カシェリオス王国の北に位置する、ヴァンドル辺境伯領は、いま厳戒態勢にあった。
現在ここには、フェルガント公爵領での戦いを終えて帰還した者達、そして領を守る兵士たち、
さらに、フェルガント公爵領軍の応援部隊も共に駐留している。
ーーさかのぼる事、五日前。
凱旋パレードの手順を文官から聞き、王都帰還の打ち合わせをしていた最中のことだった。
「 ヴァンドル辺境伯閣下! ご領地から緊急の連絡です! 」
町の代官マルティス男爵が、息を切らしながら談話室へ飛び込んできた。
通信魔道具を通じて自領と連絡を取ると、装置の向こうから緊張に満ちた声が響いた。
『 閣下! ダルカニア軍が国境付近に集結しております。規模は三年前と同程度。
おそらく数日のうちに侵犯し、進軍してくるかと! 』
「 この時期にか?! 」
クレイアスは思わず声を荒げた。
この時期、ダルカニアは雪に閉ざされる。
大陸を中央で分ける高い山脈が雪雲をせき止めるため、
カシェリオス側ーーヴァンドル領ではほとんど雪が降らない。
だが、ダルカニア側は例年大雪に覆われ、道も閉ざされる。
その為、彼らは、兵を疲弊させぬよう春を待って進軍するのが常であった。
『 魔術師がおります。雪を溶かし、行軍を助けているようです 』
「 雪を溶かしているだと? 火術使いか? 」
「 貴重な魔術師を戦闘ではなく、雪かきに使うのか…… 」
側近の一人が低く呟く。
『 攻撃魔術の扱えぬ魔術師かもしれませぬ。詳細は不明です 』
「 今、ダルカニアで王位を争っているのは二人だったな? 」
『 はい。 今回の旗印は第一王女のものでございます。
第一王女が国境侵攻に乗り出すのは初めてでございますので、動きが読めません 』
「 凱旋パレードまでは……、あと五日か 」
クレイアスは小さく息を吐いた。
足の速い軍馬でシアロッサから国境へ到着するのが四日後、奴らを蹴散らしてから王都に戻っても――
どう考えても間に合わない。
「 継承権争いなど、勝手にやって勝手に潰し合えばよい。
だが、こちらを巻き込むな! 」
吐き捨てるように言葉を放つ。
事あるごとに自領へ手を伸ばそうとするダルカニアの浅ましさに、もううんざりしていた。
クレイアスは短く命を下す。
「 直ちに帰還の支度を整えよ 」
そして、愛し子ミハルへの挨拶を済ませると、
ヴァンドル辺境伯家の家臣たちを引き連れ、急ぎ自領へと戻っていった。
* * *
「 奴ら、ろくなことをしませんね 」
ノアリスが、苛立ちを隠さず吐き捨てた。
魔物たちとの戦いを終えた者たちは、王都での凱旋パレードに参加する予定だった。
それは一生に一度あるかどうかという晴れ舞台。
だが、国境侵犯を黙って見過ごすわけにはいかない。
三年前の侵攻は第一王子の旗印であった。
兵力も三千人程度。
本当に侵攻する気があるのか疑わしいほど、やる気なさげなもので、すぐに引いたことからも、国内向けのアピールの意味が強かったと思われる。
しかし、ヴァンドル辺境伯として、この地を守るのはクレイアスの義務。
事が起これば、真っ先に領土へ戻らねばならぬ。
当然、その配下たちも同行するしかない。
《 ……すまん。 応援に行きたいが、さすがに、わしが辺境へ行っては、パレードの構成上、難しかろう。 せめて物資を使ってくれ 》
フェルガント公爵はそう言って、シアロッサ用に準備していた物資と、戦える人員、軍馬を惜しみなく提供してくれた。
国軍からも、同様に援軍と物資が来る予定になっている。
クレイアスは、静かに窓の外を見上げる。
( 今頃、王都では凱旋パレードの真っ最中か…… )
穏やかな陽光の下、笑顔で手を振る彼女。
神殿の最高位の衣をまとい、民の声援を受けて微笑むミハルの姿を想像すると、胸の奥が締めつけられる。
ーーどんなにか、愛らしく、美しいことだろう。
しかし、現実は厳しかった。
クレイアスは、その至高の瞬間に立ち会えない。
そもそもが、この時期の戦いは兵の疲労が激しく、本来避けるべきもの。
勝ったとしても、双方の負担は大きい。
それでも、相手は愚かにも仕掛けてきた。
クレイアスは無意識に胸元へと手を当てた。
そこには肌見放さず持ち歩く、赤い布がある。
自分を守ってくれた守り布。
それは、当初は空から落ちてきた物だった。
なので、彼女自身から手渡された物ではない。
その為、彼女の意図せぬ形で、自分の元へ来たものではないのか。
もしそうならば、彼女の私物を自分が持っていることで、彼女を悲しませるのではないかと考え、ここに来る前に一度は返そうとした。
だが、ミハルはその手を制し、彼のポケットへ押し込んだのだ。
女性が最も身に近い衣を、戦う者へと託す。
それは「無事に自分の元へ帰ってきてほしい」という祈りの証。
今度は空から舞い降りたのではない。
彼女の意志で、自分の元へと渡された守り布なのだ。
( ……奴らを蹴散らし、必ずミハルのもとへ帰る )
クレイアスは静かに息を整え、決意を胸に会議室へと歩を進めた。
* * *
翌朝
「 相手の宣告官が参りました 」
見張りの者が報告を上げてきた。
戦の作法の一つ。
着飾った騎士が数名で、戦う相手に主の言葉を伝えるものがある。
その言葉を伝える騎士が宣告官と呼ばれている。
「 ほう……
今までいきなり仕掛けてきたダルカニアが、珍しく筋を通すとはな 」
これまでのダルカニアは、何の前触れもなく国境侵犯を繰り返してきた。
クレイアスが領を継いで以来、宣告官が現れたのは初めてだ。
「 罠かもしれませぬ 」
「 そうだな。しかし、正式な宣告官を受け入れるのが戦の作法だ。通せ 」
そして、ダルカニア陣営から三人の使者が砦に現れた。
いずれも女性騎士。
凛とした態度で一礼し、宣告官が声を張る。
「 カシェリオス王国、ヴァンドル辺境伯に告ぐ――
我は、ダルカニア王国リゼルティナ・ダルカニアン第一王女陛下の剣、セリュナ・ロウディア。
女神の御名と王女陛下の御威光をもって、ここに告げる。
貴国は、女神の愛し子を幽閉し、その御恩寵を独り占めせんとした。
これは神律への背信、女神の加護を汚す大罪なり。 ゆえに、我らは剣を掲げた。
これは侵略にあらず――聖戦である。
女神の慈悲を取り戻すための、正しき戦いである。 されど、王女陛下はなお慈悲を捨て給わぬ。
もしヴァンドル卿が愛し子を幽閉から解き放ち、女神の光のもと、ダルカニアへ解放すれば、陛下は剣を納められるだろう。
さらに、陛下は国と国を結ぶ証として、自らの御身をヴァンドル卿との婚姻に捧げると宣した。
婚儀ののち、ヴァンドル領はダルカニアの庇護のもと、永き繁栄を得るであろう。
だが、応じぬならば――三日の後、女神の審判が下る。
その時、我らは天を裂いてでも進む。
以上をもって、王女陛下の宣告とす」
場が凍りついた。
沈黙ののち、側近の一人がぽつりと漏らす。
「 ……つまり、愛し子様を渡せ、領地も差し出せ、しかも閣下と婚姻したい。 ……そう仰ってるわけですか 」
「 奴らの頭はどうなっておるのだ 」
誰もが呆れを隠せない。
側近たちが口々に言う中で、クレイアスが口を開いた。
低く響く声で宣告官へ言い放つ。
「 三日も待つ必要はない。 断る。
まずもって前提が間違っている。
愛し子様は神殿にて健やかに、快適にお過ごしだ。
もしそのお心が穏やかでないのならば、女神様が保護されよう。
保護されていないということは、愛し子様が心安らかに在られる証拠だ。 世迷言は口に出されぬ方がいい。
頭の健康を疑われるぞ? 」
使者たちの顔が引きつる。
だがクレイアスは続けた。
「 それともう一つ。
そちらの王女殿下には、すでにご夫君が幾人もおられたはずだ。
私は情夫の一人になる趣味はない。お断りだ。
……寝ぼけておられるのだろう。
あるいは何らかのご病気かもしれぬな。
王女で有られるのに、 ” 陛下 ” と自称されているのがその証拠だ。 そなたらも看病が大変だろう?
早くお戻りになられよ 」
静まり返る謁見の間。
使者に対して辛辣を通り越した言葉に、誰もが息を呑む。
だが、そこにいた全員がーー心の中ではそれ以上の罵りを叫んでいた。
それほどまでに、ふざけた宣告であった。
使者を追い返した後、側近たちの憤りは収まらなかった。
冬場に進軍をかけてくるーーその発想自体が愚かだ。
その上、凱旋パレードへの参加を阻まれただけでなく、主と愛し子のかけがえのない時間を踏みにじられた怒りが熱を帯びる。
「 ……今までは、逃げれば追うまではしませんでしたが、それではおさまりませぬな 」
側近の目が座る。
「 二度と侵攻など考えられぬよう、徹底的に痛めつけてやるべきです 」
「 己の愚かさを、骨の髄まで叩き込んでやらねばな 」
口々に厳しい意見が湧いてくる。
それを一通り聞いていたノアリスが穏やかな声で言う。
「 まあまあ、皆さん落ち着いて 」
穏やかな声音。だが、その目の奥は氷のように冷たい。
「 色々な意見が出るのは、当然だと思います。 ですがどれを採用かで迷う必要はありません。 要するに侵攻できる力を、根こそぎ失わせればよいのです 」
さらに、にっこりと笑いながら言葉を綴った。
「 全滅させましょう。 一人も漏らすことなく。 それが最も確実です 」
声は穏やかだ。
だがヴァンドル辺境伯家の家臣ならば、誰もが知っていた。
ノアリスは昔から、笑顔で怒るタイプなのである。




