シアロッサの朝と帰還の準備
窓から差し込む朝の光で、美春は目を覚ました。
窓の外、目に映る空は青く澄み渡り、あの魔物騒動がまるで夢のようだ。
そんな爽やかな朝の悩み……
今、美春は真剣に悩んでいた。
この思いを伝えたい。
どうしても伝えたい。
だけど、美春はこちらの言葉が話せない。
( ほんと、どう言えばいいんだろう…… )
心から伝えたい、切実なひと言。
「 静かに……、トイレに行きたい…… 」
今、この町には領主、大神官、第一王子、辺境伯、そして “ 愛し子 ” が滞在している。
一生のうちに一度も目にすることがないような雲の上の人々がいる為、
連日、神殿の周りには人だかりができ、祈りと歓声が絶えない。
しかも “ 愛し子 ” は、神殿と国の発表によれば、シアロッサの民を救うために降臨されたという。
我らを救うために来られた!
この思いは、人々の信仰心を高め、そして一目だけでもお姿を見たい、との思いを募らせるのに十分すぎる理由だった。
魔物も討伐され、人々は感謝の祈りを捧げている。
神殿の外はまさにお祭り騒ぎ。人員整理に下位神官と警備兵たちが駆け回っていた。
神殿脇の道には小さな屋台まで出始めている。
商人は、どの国でもたくましいのだ。
美春が滞在している部屋は、この神殿で最も良い部屋。
その部屋は奥に位置しており、お手洗いに行くには、外から丸見えの大きな窓がある廊下を通る必要がある。
そこを、美春が通るたびに……
『 おおっ! 』 『 お姿を! 』 『 愛し子様だ!!』
大歓声が上がる。
つまり、
大歓声=お手洗い
である。
( これじゃあ、私のトイレタイムを全力で周りに知らせてるのと同じじゃん…… )
本気で 「 水分を取らない様にしよう 」 と考え始めるほどだった。
姿勢を低くして外から見えないように歩けば、なぜか付き添いの侍女たちまで同じように腰を低くして進む。
( みんな……、疲れるよそれ……。 もう、床を掘って移動したい )
昨日一日、そんな感じだった。
だが、どんなに現実逃避しても、行きたいものは行きたい。
尿意は、努力や思い込みでは消えてくれない。
また歓声が沸き起こる覚悟を決めて廊下へ出ると、ミューラが笑顔で大きく “ マル ” のハンドサインをした。
「 あっ……、カーテン! 」
昨日の大歓声を気にした侍女たちが、夜のうちに簡易カーテンをすべての廊下に取り付けてくれていたのだ。
細やかな気遣いに胸が温かくなる。
( ありがと……、ほんと、助かる……! )
美春は感謝しながらトイレへと駆け込んだ。
* * *
食堂での朝食は、この町にいる重鎮全員が参加している。
化け物騒ぎの後始末があるのだろう。
食事中も何らから話し合いがされているのだが、当然、美春には全く分からない。
朝食が終わり、各自がそれぞれの仕事に戻っていったあと、ミューラとセミルから “ 明後日出発する ” ことを絵で教えてもらった。
「 寝る 」 「 起きる 」 そして 「 寝る 」 「 起きる 」 「 馬車に乗る 」 ーーそんな順番の絵を見せてくれる。
去年の王都での顔見せの前日も、同じように絵で説明してくれたっけ。
二人は説明がとても上手で、毎回本当に助かっている。
部屋の片隅にはトルソーが運び込まれていた。
そこに掛けられているのは
“ THE・清楚 ”
という言葉がぴったりな服。
どうやら、明日はこれを着るらしい。
( これ、絶対シンプルだけど高いやつだ…… )
お茶を一口飲みながら、美春は小さくため息をついた。
どうやらまた、いろんな人の前に出ることになるようだ。
* * *
「 今日は静かですね 」
王都への帰還を前に、重鎮たちが集まり最終の打ち合わせを行っていた部屋で、ノアリスがそう呟いた。
「 ミハルの姿を一目見たい者たちが、神殿の周りに集まっている。 早く落ち着ける環境に戻してやりたいのだが…… 」
クレイアスが心配そうにつぶやく。
つい昨日まで、神殿の周りは絶えず大歓声が起こっていた。
廊下を歩く “ 愛し子 ” を一目見ようと、町の人々が押し寄せていたのだ。
そして、その姿が見える度に上がる歓声。
あまりの騒がしさに、侍女たちが窓という窓に簡易カーテンを取り付けたところ、ようやく外の喧騒は落ち着いた。
それでも、神殿の外には祈りを捧げる民の列が絶えない
魔物が討伐された翌々日から、避難していた住民が町へ戻り始めた。
入れ替わるように、応援に来ていた他町の神官や兵士たちは任を終えて一度は帰還の途につく。
彼らの中でも戦闘に参加した者たちには、後日、凱旋パレードへの参加が通達されていた。
命を懸けて戦った者たちへの褒章
ーーそれは国として当然の責務だからである。
* * *
今、この神殿には “ 愛し子 ” を中心とする帰還の催しを整えるため、王宮と神殿双方から担当官が詰めていた。
「 では、出発の段取りについてご説明いたします 」
神事・式典を統括する神事管理官コンオルム副神殿枢機が立ち上がり、厳かな声で口を開いた。
「 明後日の朝、我らはシアロッサを出発いたします。
まず、神殿前に馬車をつけ、愛し子様にご乗車いただきます。
その際、町の皆にお姿をお見せし、窓越しにお手を振っていただく予定です。
出発後は、王都直前の町までの道中に三度宿泊地を挟みます。
最後の町にて二泊し、式典のお衣装に着替えていただき朝、町を出発、昼前に王都入り口に到着いたします。
王都手前の広場にて一度整列を行い、凱旋パレードとして王都入り。
その後、神殿にて終結宣言を行い、愛し子様には神殿でゆっくりお休みいただきます 」
続いて、王宮典礼総監室の副官、デモセル王宮典礼副総監の説明へと移る。
「 次に、王都凱旋時の隊列順をご説明いたします。
まず、国旗の旗手と楽団、衛生兵が先頭を進みます。
それに続き、ヴェルトラム殿下、そしてフェルガント公爵閣下とヴァンドル辺境伯閣下、そして、聖騎士の護衛に囲まれた愛し子様と大神官様が中央に。
その後方に王宮兵が続きます 」
王都到着後の整列や道順、警備の詳細が読み上げられていく。
軍馬であれば二日もかからぬ距離ではあるが、大所帯での行軍となれば三日は必要だ。
特に今回は、荷馬車や護衛も多い。
なにより、最も尊い存在 ” 愛し子 ” を守りながらの移動である。
無理をせず、慎重に、ゆるやかに進むことが決められていた。
式典官たちが退室し、部屋に残った重鎮たちだけが静かに息をつく。
その中で、大神官アルセルドが口を開いた。
「 今年の新年祝賀には、八十年ぶりに小国群から使者が来ておる。
その者たちが、愛し子様へ直接ご挨拶をと何度も要請しておってな。
今までは断ってきたが……
わしが一度会って、話をしてみようかと思っておる 」
大神官の声には慎重さと、わずかに探るような響きがあった。
「 かの国々は、かつてケルメナと近しい間柄であった。
ケルメナの “ 呪物 ” に関しては神殿の資料にも残っておるが……。
その滅亡の記録、詳しい部分はおそらく、かの国々に保管されておろう。
もし他の呪物に関する記述があるなら、今のうちに調べておきたい 」
「 確かに…… 」
ヴェルトラム殿下が頷く。
「 祝賀の場で彼らの使節団とも挨拶を交わしました。
八十年ぶりの交流です。 互いに隔たりがあるのは確かですが、これを機に関係を修復できればと考えています 」
部屋の空気が一瞬だけ和らぎ、しかしすぐにまた静けさが戻った。
外ではまだ、人々の祈りの声が微かに続いている。
重鎮たちの打ち合わせが終わり、解散しようと席を立ったその時、
「 ヴァンドル辺境伯閣下! ご領土から緊急の連絡です! 」
町の代官であるマルディン男爵が、叫びながら部屋へ転がり込んできた。




