モチ太と覚悟と王の印
世界にただひとつの太陽、そしてただひとつの月。
それぞれは女神の慈愛と慈悲を映すものであり、世界はその二つの光によって守られている。
そして、夜空に瞬く無数の小さな光ーー星々は世界に暮らす人々。
強い光を放つ星は民を導くことを許された者たち、すなわち「王族」と「貴族」を象徴する。
その中でも、月の近くでひときわ強く輝く星は“王の証”とされていた。
愛し子の描いた絵の頭上に掲げられた、月の横の大きな星。
それは”王の印”である。これはこの世界における常識であった。
フェルガント公爵が口を開く。
「……あの庶子は愛し子様のお言葉に触れてすべてを語ったのだったな。
ご降臨の折は愛し子様もお疲れであられた。
ならば今一度、庶子を前にご説明を頂くことはできぬか。
絵が本当に庶子を指しているのか、確かめねばならぬ。
……もちろん、神託に準ずるお言葉を再確認するなど、不遜であることは承知しておる。
しかし、事は一国の王家の継承にも関わる。
我らの思い込みで動くわけにはいかぬのだ。
愛し子様を傷つける恐れがあるなら、遠目からでも構わぬ。
また愛し子様のご体調がすぐれぬのなら、回復されてからでも構わぬ」
神託やそれに準ずる事柄を「再確認」する事など、本来ならあり得ない。
なぜなら、神に向かって「もう一度言え」と言うことは、極めて不敬だからだ。
ただし、国家の存亡や王位継承などの重大事に限り、三名以上の上位神官の同意によって、
“祈り”という形で確認を願うことは認められている。
今回は神ではなく、目の前にいる愛し子への問いかけである。
ゆえに、祈りではなく “ 言葉による確認 ” という形を取ることになるだろう。
「あの庶子が、愛し子様に対し害意を抱くことはなかろう。
むしろその御言葉に触れ、自らすべてを明かしたのだ。庶子を見たラインセンの加護にも偽りはない。
だが一応、クレイアスの傍を離さぬようにする。
そして、愛し子様は我らの言葉を解されぬ。
ゆえに慎重に、そのお心を補なわねばならぬ。
ただし、この件に関しての再確認は一度きりだ。
……それ以上は不敬に過ぎる」
そうして、ヴァルディア王の庶子アーフィンを前に、改めて愛し子の言葉を確かめることとなった
◇◇ 美春 ◇◇
美春は、昼食後の美味しいフルーツティとおやつを楽しみつつも、ミューラのことがどうしても気になっていた。
( ……もしかして、あまりにも下手すぎる私の絵を、なんとか修復するために出ていった……? )
いや、何ともできないことは、美春が一番よく知っている。
だって幼稚園のとき…… 犬を描いたのに「上手に青虫さんを書けましたね」と褒められたし。
中学生のときには
「遠藤さんの絵は独創的ですね」
と先生に言われた。
( 独創的…… 便利な言葉だよね。つまり「下手」ってことだよね!? )
頭の中ではちゃんと形があるのに、紙の上に置いた瞬間別物になる。
ほんと謎すぎる。
それでも唯一の救いは、おばあちゃん直伝のコツ。
“ とりあえず〇の中に点を三つ描けば顔に見える ”
……うん、今まで何度この裏ワザに助けられたことか。
ーーコツコツコツ。
控えめなノックの音に、部屋の侍女が出ていく。 戻ってきたのはミューラと女性神官。
……そして、その後ろにクレイアス。
ミューラが侍女たちに何やら告げると、こちらへどうぞとクレイアスに視線を向ける。
するとクレイアスが笑顔で手を差し出してきた。
( あ、エスコート……! )
美春はおずおずと自分の手を重ねると、クレイアスは優雅に歩き出した。 別の部屋の扉の前に着くと、同行していた女性神官がノックし、中の者が扉を開ける。
室内にいたのは、以前、お城で見かけた王子様のような人物、神官のアルセルドさん、そして威厳を湛えた老齢の男性。
その傍らにはそれぞれ従者らしき人物が控えている。
扉を開けてくれたのはクレイアスの傍にいつも仕えているノアリスという人だった。
黒い触手が町を襲った時、洗濯機の映像にも映りこんでいた人だ。
そしてさらに、奥には青年と壮年の男性の姿があった。
( あ、モチ太と色が似てる…… )
『 愛し子様をお連れしました 』
クレイアスの声とともに美春が室内に入ると、全員が胸に手を当て深々と頭を垂れた。
空気が一瞬にして重厚さを増し、美春は思わず背筋を正す。
だが、その中で視線を奪われたのは奥にいた青年だった。
髪の色があの子と同じなのだ。
おばあちゃんの家にいた老犬、モチ太と。
白から茶に変わっていった、あの淡い茶色。
ふわふわとした髪質も、モチ太のもふもふを思い起こさせる。
さらに彼は、モチ太と同じ片目だけ色の薄い、微妙なオッドアイをしていた。
「 ……モチ太 」
思わずつぶやいてしまった声に、青年は目を見開いている。
( あ、やっちゃったかも……? まずい……変な意味の言葉だったのかな? )
たしか、ある日本の飲み物の名前が、海外では動物の”おしっこ”を意味するって話、ネットで見たことがある。
もしかしたら”モチタ”も、この世界では言っちゃいけない単語なのかも……!
と、その時、ミューラがそっとお絵描き帳を差し出した。
開いてるページは美春の渾身の作である「モチ太の絵」のページだった。
『 モチタ? 』
アルセルドさんがその絵を指さし、問いかけてきた。
( え……?アルセルドさん、モチ太を知ってるの……? )
ーーいや、そんなはずはない。
モチ太は私が高校生の時に亡くなった犬だ。
しかも元の世界のこと。
きっと、私の言葉をミューラがそのまま伝えただけ……。
でも、確かにこの絵はモチ太の姿を描いたものだ。
それと、
( モチタって、言っちゃいけない言葉じゃなかったんだ。よかった…… )
安心した美春は頷いた。
すると再び絵を指差され、今度はこう問われた。
『 モチタ・イィコ? 』
「 ……え?なんで知ってるの? 」
美春の胸に、懐かしい思い出がよみがえる。モチ太は少しいたずら好きだったけれど、呼べばすぐに駆けてきた。
小学生の時、美春が大きな犬に吠えられて泣いてた時も、自分より大きな犬の前に立ちはだかって、美春を守ってくれた。
お座りも、お手も、待ても出来た。
おばあちゃんが仕込んだ謎の芸「猫のふり」も完璧に覚えていた。
……猫が顔を洗うようなしぐさをするだけだったけれど、それがまた可愛かった。
( そう。モチ太は良い子だった )
思い出すほどに胸が温かくなり、美春の表情は自然と笑みに変わっていった。
彼女は絵を指差し、頷きながら答えた。
「 モチ太、良い子 」
* * *
愛し子は部屋の奥にいたヴァルディア王国の庶子ーー アーフィンを見て、ぽつりと一言。
「 ……モチタ 」
そして彼を描いた絵を指さし、微笑みながら、さらに言葉を重ねる。
「 モチタ・イィコ 」
絵に描かれた頭上の星ーーそれは「 王の印 」。
その意味するところはただ一つ。
王として立て、という意味に他ならない。
「 この意味は……、わかるな? 」
アーフィンに視線を向けたフェルガント公爵が問う。
「 し、しかし……、まさか私が…… 」
アーフィンは戸惑い、声を震わせた。
フェルガント公爵は腕を組み、低く頷いた。
「 いや、考えてみれば道理にかなうことだ。
ヴァルディア王国の裏切りは、もはや看過できぬもの。
しかもただの裏切りではない。
同盟国の王妃殺害という大罪だ。
証拠もすでに揃っている。
さらに王位簒奪を企んでいたとなれば、なおさらのこと。もはや言い逃れはできまい 」
その声には怒りよりも、深い哀しみがにじんでいた。
「 どちらか一つであっても、カシェリオスが宣戦布告するには十分な理由となる。
しかしそれを前面に掲げれば、我が国は戦い、かの国を滅ぼさねばならぬ。
王族を弑され、ただの ” お仕置き ” で済ませるわけにはいかぬのだ。
国家の威信に関わる。
ましてや私は……
娘の命を奪われているのだ。かの国を滅ぼしても気が収まらぬ 」
フェルガント公爵は、一度言葉を切ってさらにつづけた。
「 ……だが、一国を滅ぼすとなれば、それはあまりにも残酷だ。罪なき民までもが犠牲となる。
戦となれば、逃げられぬ者たちが真っ先に命を落とすだろう。
だからこそ、そなたなのだ。
国を消し去るのではなく、無辜の民を犠牲にせず、正しく治めよーー女神はそう仰せなのだろう 」
公爵の断言に、場の空気が張り詰めた。
「 私も、そのように思います 」
ヴェルトラム殿下も静かに口を開いた。
「 アーフィン殿。 貴殿の存在はこれまで我らは知らぬものだった。
隠し通すことも、逃れることもできたであろう。
だが愛し子様のお言葉を受け、女神のお心に触れた貴殿はすべてを明らかにした。
我欲に支配されている者ならば、たとえお言葉を賜っても心には届かぬはず。
正しく受け止めたからこそ、女神は使命を授けられたのではあるまいか。
その使命こそーー国を導け、というものに違いない。
我が国とヴァルディアは長きにわたり兄弟のように歩んできた。
それが戦となれば、たとえ勝ったとしても傷は深い。血を分けた者同士が剣を交える事になるのだから。
だからこそ女神は、国同士が戦うのではなく、別の解決を望まれたのだと、私は信じる 」
続いて、クレイアスも口を開いた。
「 ヴァルディア王にも理はあろう。 だが、そのやりようはあまりにも悪辣だ。
政治にきれいごとは通じぬが、越えてはならぬ一線はある。 同盟国の王族殺害など、その最たるものだ。理由を並べ立てたところで許されるはずがない。
……だからこそ、そなたが立て。
民を犠牲にせず、国を導け。
女神様はそう仰せなのだろう 」
アーフィンは拳を強く握りしめ、静かに呟いた。
「 ……自分に、それができるのでしょうか 」
迷いを含んだ言葉。
だが、その瞳には確かな決意の光が揺らめき始めていた。
「 そなたは、帝王学を学んだことがあるか? 」
アルセルドが口を開く。
「 いえ。私は庶子でございますので……。
一般的な貴族としての教育は受けましたが、世継ぎに施されるような教えは一切ございません 」
「 ならば、わしが教えよう 」
アルセルドは深く頷いた。
「 父が、かつてわしを世継ぎに据えようと画策していた時期があってな。
その折に、無理やり帝王学を叩き込まれたものよ。
ヴァリネスは何度教えてもまるで覚えなかったが……ふむ、そなたは物覚えもよさそうじゃ 」
そう言って、アルセルドは小さく笑った。
重い空気の中、青年アーフィンの瞳に覚悟が宿る。
そしてその覚悟こそ、新しい国の胎動であった。
* * *
美春は、当然ながら、言っている内容を一切理解していない。
だが、ただならぬ空気は、嫌でも伝わる。
( なんか、すっごい重大な話になってる……?
……あ、あれ?これって、もしかしなくても……
私が 「 モチタ 」 って言ったせい?)
心臓がぎゅっと縮む気がした。
( やっぱり ” モチタ ” って、この世界では安易に言っちゃいけない言葉なんだ……!
この世界では、もう二度と口にしないでおこう……!
モチ太、ごめんね。
心の中ではちゃんと覚えてるからね! )
美春は密かに心に誓っていた。
あの美味しい乳酸菌飲料カルピスは、英語圏では別の意味に聞こえるそうです。
なので英語圏ではカルピコというという名称で販売されているとかなんとか。




