【小国群③】穢れの気配
カシェリオス滞在、五日目の深夜、それは前触れもなく起きた
ーーズンッーー
「……!?」
深夜、宿にて就寝中に東の方向に邪悪な気配に一気に覚醒した。
「なんだ……これは」
巫女の血を色濃く継ぐ黒い瞳が、夜の闇を射抜くように東を見据える。
窓の外には、なお祭に湧く王都の光景が広がっている。だがその向こう、目には見えぬ場所で、尋常ではない穢れた魔力が爆ぜたのだ。
魔力や神力を持たぬ者ですら一瞬肌で感じるほどの、禍々しい気配。
外の喧騒に、ざわめきが不気味に混じり始めていた。
やがてレンジェロの部屋には、随行していた部下たちが次々に駆け込んでくる。
小国群には巫女の血を引く者が多い。少なからず全員が先祖に巫女の系譜を持ち、穢れには人一倍敏感だった。だからこそ、皆が顔を青ざめさせていた。
「今のが……何なのか、わかる者はいるか?」
「いえ……しかし、邪悪なものに違いありません」
護衛の一人が答える。
「予定を繰り上げ、帰国の準備をいたしましょう」
恐怖を抑えきれず、誰かがそう口にした。
だがレンジェロは、静かに首を振る。
「すぐに立てるように準備はしておけ。だが、できる限り予定の日数はここに留まる」
「……しかし!」
「神殿には愛し子がいる」
レンジェロは言葉を重ねる。
「もしこの国や神殿が、愛し子を守りきれぬ時は……我らが助けねばならぬ」
邪悪な気配のする東の方角を睨みながら、彼はそう断じた。
魔力の爆発から間もなく、聖騎士たちが馬を駆けて王都を飛び出していった。
装備と立ち振る舞いから、精鋭であることは明らかだ。さらに荷馬車の列も続き、夜の闇の中へと消えていく。
祭りの喧騒とは異なるざわめきが王都を包み、人々の不安を煽っていた。
* * *
夜明けと同時に神殿から告知が出された。
曰く、東に魔物が出没し、聖騎士が対処している。すぐに沈静化するだろうが、念のため東と北東への道を封鎖する――と。
しかし最初の爆発的な魔力は幾分落ち着いたものの、消え去ることはなかった。
「……何なのだ? 普通の魔物とは明らかに違う」
王都に滞在していた者たちは皆、怯えとも焦燥ともつかぬ感情に胸を掴まれ、落ち着きを失っていた。
翌朝、側近が告げる。
「手の者が参りました」
「通せ」
入ってきたのは探索者風の男だった。
探索者とは護衛や運搬を請け負う“何でも屋”であり、どの国にも存在する。間者はしばしば彼らに扮し、各地を渡り歩く。
男は恭しく頭を下げ、報告を始めた。
「御身がカシェリオスへ来られると聞き、近隣の町で得た情報を携えて王都に向かっておりました。
道中、サエカトラの町で仲間と合流しこちらへそのままこちらに参る予定でしたが……深夜、東の町シアロッサにて禍々しい魔力の爆発が起こりました。
直後、街の神官と癒し手がシアロッサに救援へ呼ばれ、護衛に探索者を募っておりましたので、仲間がそれに加わりました」
「……シアロッサの町で何かが起こったのだな?」
「はい。説明によれば――『城よりも大きな邪悪な魔物が現れた』と。
そして『神より下賜された神物が、それを抑え込んでいる』と」
「城よりも大きな魔物? 神物だと……?」
男は続ける。
「自分はサエカトラにて情報を集め、昼過ぎに王都へ向かいました。避難してきた民の話では、町中からも見えるほどの巨体の魔物が現れたそうです。だがその後、光る布が魔物の元へ飛び、その動きを封じたとのこと。人々はそれを“女神の慈悲の布”ではないかと噂しておりました」
「女神が身に纏う、慈悲と慈愛の布……。だが、その魔物の詳細は?」
「黒い蛇のようなものが次々と空に伸び、町を襲ったと」
「黒い……蛇……?」
護衛の一人が震える声で呟いた。
「……ケルメナの悲劇の呪物……」
皆の胸に同じ言葉が浮かぶ。
小国群は、大陸の誰よりもケルメナの悲劇について多くを知っている。
なぜ、どのように滅びたかーーその記録も残っていた。
ケルメナは島国であり、魔物は海を渡らなかった。そのため他の島や小国は滅亡を免れた。
だが今、それが大陸に現れたというなら
「……カシェリオスは滅びるかもしれぬ。カシェリオスだけではない。陸続きのヴァルディア王国もエルラント王国も危うい」
側近の一人が、蒼白な顔で呟いた。
「だ、だが、神の布が魔物を封じているのだろう?」
「はい。避難民たちはそう口々に申しておりました」
探索者風の男が答える。
「……ケルメナの穢れの腕ならば、当時、多くの巫女や巫女姫すら動きを抑えられず、浄化も叶わなかったはずだ。
その動きを抑えているというのなら……まごうことなき神物であろう」
ーーしかし、本当にそんなものが存在するのか。
レンジェロは思案の末に言った。
「情報を集めよ。もしケルメナの呪物であるならば……カシェリオスは滅びかねぬ。危険と判断した時は、愛し子様を救い出し、小国群へお連れする」
その言葉に、集まった者たちは誰も声を発せぬまま、静かにうなずいた。




