第三十七回 デスマーチの開幕と、微調整の連鎖
アイナール・ホールディングス本社、副社長室。
「……ん?」
深夜、レインハルトはホログラム上に展開された貿易輸入関連の帳簿を見つめ、ピタリと指を止めた。
「ガルシア帝国からの小麦の関税率が……0.8%下がっているな」
一瞬、眼鏡の奥の瞳が怪しく光る。しかし、レインハルトはすぐに静かに息を吐き、書類に視線を戻した。
「……まあ、こんな事もあるだろう」
ペンを滑らせ、確認印を押してそのままスルーした。
――だが、この時悲劇の引き金はすでに引かれていた。
ギルバートと同じ結論に辿り着いた『王皇太子チル連盟』の面々。
「フッ……我が国の砂糖の関税を0.9%下げよう。少しならバレまい」
「我が国も卵と牛乳の輸出関税を0.7%微調整だ。このくらいならな……」
「ククク……我が国はハチミツの関税を0.85%下げるぞ!」
ロイヤルたちは一人、また一人と、自国の権限で「少しなら……」とほくそ笑んだ。
かくして、毎日1%未満の関税微調整が大陸全土で繰り返されることとなる。
そして、直撃を受けたのが現場の職員たちだった。
「報告! 帝国の小麦関税が本日さらに0.3%改定されました!」
「何!? 昨日も下がったばかりだぞ!?」
「大変です! 東方連邦から砂糖の関税率0.4%減の緊急差し替え書類が届きました!」
「北欧の酪農関税も昨日から0.6%変動しています! 再計算が間に合いません!!」
各国の関税局および貿易部のオフィス。
毎日毎日、1%未満の狂気的な微調整書類が山のように積み上がり、魔導計算機が煙を吹き上げる。
「改定が多すぎる……!」「昨日作った税率表がもう使えないんだが!?」「誰だ! 毎日数ミリ単位で税率いじってる奴はぁぁぁ!!」
職員たちの悲鳴と絶叫が響き渡り、関税局は未曾有のデスマーチへと突入していった。
そんな現場の阿鼻叫喚など知る由もなく。
「ミモ〜、今日のハーブティー、なんだかほんのり甘くて美味しいねぁ」
「はいですぅ〜! お日様もポカポカで、ハッピーですぁ〜」
今日も平和なお花畑で、ルピナスとミモザは顔を寄せ合って、のほほんと微笑み合っているのだった。




