第三十二回 なんでもない日常と、最高のチルタイム
「〜〜♪ 今日の大根さんは、とっても大きくてすべすべだねぇ、ミモ」
「ふふ、本当ですぅ〜。ルピちゃんが毎日お話ししながらお水あげてたからですぁ」
ザシュッ、ポンッ。
立派に育った大根が土から抜け跳ねると、二人の頬に小さな泥の玉が跳ねた。ルピナスは指先でミモザの頬を優しく撫で、ミモザもルピナスの鼻先を袖口でそっと擦る。
『平和だ……』
『嵐の株主総会が嘘みたいwww』
『手取り50万ペルになっても変わらん二人助かる』
『画面からマイナスイオン出とる』
『収穫おめwwww』
「ささ、ルピナス様、ミモザ様。農作業の後はしっかり水分を補給してくださいませ」
背後に控えていたヴァルデマールが手際よく腰をかがめ、手拭いで二人の泥を優しく拭い取ると、盆に載せた木製カップを差し出した。
「あ、ヴァルデマールありがとう! 今日はミモが監修した『ミモザ印のハッピー・チル・ティー』だね!」
「はいですぅ〜。ヴァルデマールさん、ありがとうございますぁ。甘いカモミールとミントをブレンドして、心も身体もぽかぽかになるように作りましたぁ」
ヴァルデマールは二人を見守りながら、自らも小さなカップを手に取り、一口そっと含んだ。どこまでも素朴で、なんてことのない普通のハーブティーの味が口中に広がる。長年の執事生活で強張っていた目元が、ふっと柔らかく弛んだ。
「……飾らない素朴な味わいです、ミモザ様。不思議と胃の奥まで温まり、日頃の心労が洗われていくようです」
『ヴァルデマールさん付き添い助かるwww』
『出た!! ミモザ印のハッピーチルティー!!』
『執事長も一緒にチルタイム入ってて草』
『俺も画面の前で淹れて待機中www』
『乾杯ーーー!!』
『なんてことない普通の味なのに、なぜか落ち着くんだよなww』
一方、仮テントの特等席。
クッションに深く沈み込んだフランチェスカは、フィニックから差し出されたハッピー・チル・ティーの湯気を顔に浴び、力なく首を垂らした。一口含んだ瞬間、抱えていたバインダーが膝の上から滑り落ちる。
「……ただのハーブティーなのに……身体の力が抜けていく……。結局、あの耳打ちでなんて言ったのよ……」
本社副社長室。
カチリ。
レインハルトは手元の万年筆を静かにペン立てへと戻した。漆黒のカップに注がれたハーブティーを一口含み、眼鏡の奥の瞼を軽く閉じる。決して高級な茶葉ではない平坦な味わい。だが、デスクの端末から漏れる泥洗いの水音と二人の笑い声に、微かに口元を緩めた。
「……至って普通の味だが、喉を通る感覚は悪くない。市場の動揺が収まるならば安すぎる投資だ」
四公爵執務室。
ズズッ……。
カネイチ公爵は高級な座布団の上で猫背になり、ハッピー・チル・ティーのカップを両手で抱え込んだ。ツメヨレ公爵もまた、カップを口元に運んだまま緩みきった目元で巨大スクロールを見上げる。
「……特別うまいわけでもないのに……胃の激痛が……消えていく……」
「……この素朴さが身に染みて……資産価値の暴落などどうでもよくなってきましたな……」
「みんな、今日も一緒に過ごしてくれてありがとう! 今日の夜はこの大根さんを、ミモが美味しいお出汁で煮込んでくれるんだよ〜」
「はいですぅ〜。じっくりコトコト煮込んで、あつあつを一緒に食べますぁ」
「ルピナス様、ミモザ様。お出汁の準備はお任せください。最高のお鍋をご用意いたしましょう」
傍らのヴァルデマールが深々と一礼し、温かな眼差しで二人を見つめる。
ルピナスがそっと差し出した手を、ミモザが両手で包み込んだ。ハーブティーの湯気越しにすりすりと頬を寄せ合い、ふんわりと眉を下げた。
『大根の煮物絶対うまいやつ!!』
『チルティー飲みながらチルご飯待機ww』
『執事長のお出汁はガチwww』
『明日も仕事頑張るわww』
『てぇてぇ……尊死wwww』
「特別な事件なんてなくても、こうやってみんなでチルティーを飲んで笑って過ごせる『なんでもない普通の日々』が、ずっと続くといいね、ミモ」
「はいですぅ、ルピちゃん。ルピちゃんと一緒なら、ミモは毎日が一番幸せですぁ〜」
お互いの額をこつんと突き合わせ、二人は「えへへ」と肩を揺らした。
湯気とともに広がるピンク色のオーラと素朴な香りを浴びながら、疲れ果てた重臣も、冷徹な副社長も、画面前のリスナーたちも、ただ静かに深いため息を吐き出し、穏やかな眠気へと落ちていった。




