第十六回 魔法のおまじないとお花畑の客
お花畑スタジオのテラスには、今日も今日とて穏やかな陽光が注ぎ込んでいた。
新発売されたばかりの『ミモザ印のハッピー・チル・ティー』の湯気が、ガラスのカップから立ち上る。浮遊する魔導カメラの前で、ルピナス社長とミモザCHOは、テーブルを挟んでのんびりとお茶会を繰り広げていた。
「ねえミモ、このお茶でも十分ハッピーなんだけどね。僕、もっともっと美味しくなる最高の方法を思いついちゃったんだ!」
ルピナスが身を乗り出すと、ミモザは両手を頬に当て、目をきらきらと輝かせた。
「まぁ! 本当ですかぁ、ルピ!? 一体どんなすごい方法なんですかぁ!?」
「ふふん、よく見ていてね。……こうやって、カップに向かって両手を添えて……『おいしくなーれ、お花畑!』って心を込めて唱えるんだ!」
ルピナスは無邪気な笑顔で、カップに向かって手で小さな花が咲くような身振りをした。それを見たミモザも「わぁ、素敵ですぅ!」と大はしゃぎで真似をする。
「ミモもやりますぅ! おいしくなーれ、お花畑ぇ〜!」
二人の周囲に、目に見えるようなピンク色のハッピーオーラがふんわりと広がる。当然、魔導スクロールは一瞬でツッコミと癒やしのコメントで埋め尽くされた。
『おいおいおい、ただのおまじないかよwww』
『でも王子がやるとマジで美味しくなりそうだから困る』
『可愛すぎて脳みそ溶けるわ。俺も家で「おいしくなーれお花畑」やってから飲むわwww』
『バカバカしいのに何でこんなに多幸感あるんだよwww』
SNSや魔導ネット上では、瞬く間に「#おいしくなーれお花畑」のハッシュタグがトレンド入りを果たし、全国の平民たちがこぞっておまじないを真似し始める大バズりが巻き起こった。
ところが、その多幸感溢れるコメント欄のスクロールが、突如として眩しい黄金の輝きに包まれた。
『システム通知:アカウント【G・ガルシア】が【神々の祝福】を送信しました』 『システム通知:100,000ペル が投げ銭されました』
一般平民が投げるスパチャ(数百〜数千ペル)の中で、ひと際異彩を放つ「十万ペル」という破格の大金。一般平民のコメント欄は一瞬でざわざわと騒がしくなった。
『おいおいおい!? 十万ペルって何事だよ!?』
『平均月収三十万の国で一気に十万投げるとかマジかよ!?』
『G・ガルシアって誰だよwww富豪かよwww』
『急に生々しい金持ち現れて草wwwww』
その直後、魔導インカムを通じて親会社COOのフランチェスカの焦り気味の声が、ルピナスとミモザの耳元へ直接叩きつけられた。
「ルピナス、ミモザ! 動きを止めないで! 今、隣国の『ガルシア帝国』の専用回線から、皇太子個人の秘密口座を経由して高額スパチャがチャージされたわ! 偽名だけど間違いない、相手はガルシア帝国のギルバート皇太子よ!」
当のギルバート皇太子(G・ガルシア)は、帝国の自室で高級ワインを片手に、スマホ型の魔導端末へ熱いコメントを打ち込んでいた。
『素晴らしい……。我が帝国の宮廷は陰謀と暗殺ばかりで脳が休まらん。だが、お前たちを見ていると、乾いた心が洗われるようだ。これは私のお小遣い(※国家予算の余剰金)だ。受け取るがいい、ハッピー・ピクニック最高』
コメント欄に固定表示された隣国皇太子の生々しすぎる本音と高額スパチャ。一歩間違えれば他国の介入と受け取られ、チルな配信空間が崩壊しかねない場面である。
しかし、当のルピナスは画面に躍る「100,000ペル」の数字とメッセージをきょとんと見つめると、いつも通りの柔らかい笑顔を浮かべ、カメラに向かって優しく語りかけた。
「ガルシアさん、たくさんのお小遣いをありがとう! でもね、陰謀とか暗殺だなんて、とっても大変な毎日を送っているんだね。……そんなに疲れているなら、たまには難しいお仕事を少しお休みして、このお茶を飲んでみてほしいな。僕たちの『おいしくなーれ、お花畑!』のおまじないは、遠くの国にいるガルシアさんの心にも、きっと届くはずだから!」
「そうですぅ! ガルシアさんも、一緒にお花畑になりましょうねぇ! おいしくなーれ、お花畑ぇ〜!」
純度一〇〇%の邪気のない善意。高額スパチャの圧迫感すらも、ルピナスとミモザの温かな言葉が一瞬で包み込み、毒気を完全に抜いてしまった。
コメント欄の空気は一瞬で和らぎ、再び爆笑と温かな歓声へと戻っていく。
『皇太子に向かって「大変な毎日送ってるんだね」は強すぎるwww』
『十万ペル投げて王子に「お仕事休んで」って心配される皇太子www』
『でも皇太子マジで癒やされてそうで草』
『お花畑の前では十万ペルもただの癒やされ料かよ』
――その頃。仮テントの指令室では、フランチェスカが手元のバインダーの数値を食い入るように見つめ、深く考察を巡らせていた。
(……信じられないわ)
フランチェスカは静かに息を吐く。
(隣国の皇太子による極秘の高額課金なんて、一歩間違えれば『不審な資本注入』として騒がれるか、平民たちが引いて離脱するリスクになり得た。……それを、ルピナスは一切の計算なしに、完璧なトーンで『疲れ果てた一人の視聴者への気遣い』へと変換し、リスナーの共感をさらに集めてしまった……)
フランチェスカのロジカルな思考では、それはあまりにも異常な強運にしか見えない。だが、数々のトラブルを乗り越えてきた二人の姿を見て、彼女は一つの仮説にたどり着きつつあった。
(もしかして、あの男の持つ『無自覚な純粋さ』こそが、あらゆる外乱や不確定要素をポジティブな利益へと変換する、最強のアンチフレジャイル(耐脆性)システムなのかしら……?)
指令室のモニターの向こうでは、ルピナスとミモザが再び「おいしくなーれ、お花畑ぇ〜!」と笑顔でカメラに手を振っている。
計算し尽くされた戦略すらも軽々と越えていくお花畑の真意を測りかねながら、フランチェスカはバインダーに新たな考察データを静かに書き込むのだった。




