第十回 お花畑の川遊びと湖のヌシ(前編)
河原の木陰でお腹いっぱいサンドイッチを頬張り、謎の草摘みを終えたルピナス社長とミモザCHOの二人は、すっかりテンションが上がっていた。きらきらと太陽の光を反射して流れる小川を前にして、そのまま大人しくレジャーシートの上に座っているような二人ではない。
「ルピ、見てください! 川のお水がとっても澄んでいて気持ちよさそうですぅ!」
「本当だね、ミモ! ちょっと足を浸してみようか!」
二人は靴と靴下を脱ぎ捨てると、水際の浅瀬へとパシャパシャと飛び込んでいった。
ひんやりとした川水の心地よさに声を上げ、すぐにお互いに水を掛け合う無邪気な川遊びが始まる。フィニックの遠隔魔導カメラが、飛び散る水飛沫と二人の満面の笑みをベストアングルで捉え続けていた。
「それっ、ルピ、お水のアタックですぅ!」
「わわっ、冷たい! よーし、僕もお返ししちゃうぞ、それっ!」
「ひゃあ! ルピったら本気出しましたねぇ!」
お互いに水を掛け合い、服の裾が少し濡れるのもお構いなしではしゃぐ姿が、リアルタイムで全国へと発信される。平民たちのコメント欄も、その平和すぎる光景に和みきっていた。
『午後は川遊びかよ、本当に自由だなこいつらwww』
『水の掛け合いとか、青春の1ページか何かを見てる気分だわ』
『仕事の休憩中に見てるけど、実質タダでマイナスイオン浴びてる気分になる』
だが、そんな楽しい時間の中に、突如としてハプニングが訪れる。
ミモザがルピナスから逃げようと一歩下がったその場所は、川底の苔がびっしりと生え、ひどく滑りやすくなっていた。
「あ、ルピ、捕まえてみなさ――ひゃああっ!?」
ミモザの足元がツルリと滑り、その小さな体が大きく後ろへと傾いた。完全にバランスを崩し、そのまま川の中へとひっくり返るかと思われたその瞬間、
「危ない、ミモ!」
ルピナスの驚異的な運動神経が炸裂した。
バシャッと激しく水を蹴立てて踏み込むと、倒れ込みそうになっていたミモザの細い腰を、その逞しい両腕でガシッと抱きとめたのだ。
ルピナスの胸の中に、ミモザの体がすっぽりと収まるような格好になる。間一髪で、川へ激しく転倒するという大惨事は回避された。
「ふぅ……。大丈夫かい、ミモ? 怪我はなかった?」
「は、はいですぅ……。びっくりしましたぁ。……でも、ルピの胸の中に飛び込んじゃいましたぁ、えへへ」
ルピナスの腕の中で、ミモザはすぐに安心したように、いつものあざとい笑顔を浮かべて見上げる。ルピナスもホッとしたように「お転婆さんだね」と優しく微笑み、二人は濡れたまま、小川のど真ん中で見つめ合って甘い空気を作り出し始めた。
だが、そのピンク色のオーラを切り裂くように、河原の向こうから激しい足音が響いてくる。
「あああああっ!!! 大変です、お二人ともおおお!!!」
地響きでも立てそうな勢いで、バタバタと全力疾走してきたのは、生活管理指導役のヴァルデマールだった。その手には、どこから持ってきたのか、大きなバスタオルがしっかりと広げられている。
ヴァルデマールは川の中にまでバシャバシャと躊躇なく踏み込んでくると、見つめ合っていた二人を引き離すようにして、ミモザの体に一瞬でバスタオルを巻き付けた。
「ミモザ様! お怪我はございませんか!? お洋服が濡れてしまっているではありませんか! これではお風邪を引いてしまいます! 早くこちらへ!」
「わわっ、ヴァルデマールさん、ミモは平気ですぅ」
「平気なわけがありません! ルピナス様もです! 川辺は滑りやすいから気をつけるようにと、あれほど注意した私の言葉をもうお忘れですか! もしものことがあったらどうするのですか!」
必死な形相でミモザをタオルで包み込み、ルピナスに向かって仁王立ちで小言を言いまくるヴァルデマールの姿が、魔導カメラにバッチリと映し出される。そのあまりにも必死で、どこかズレている過保護な様子に、視聴者たちは大爆笑となった。
『お母さんキターーーー!!wwwww』
『ヴァルデマールおじいちゃん、完全にお母さんポジションで草』
『過保護なオカンが河原に降臨したぞwww説教がリアルすぎる』
『「風邪引くから早く上がりなさい!」って言われてる子供の構図だなこれwww』
ヴァルデマールの剣幕に押され、ひとまず河原へと上がった一同。テレーゼが静かに歩み寄ってきて、濡れたミモザの様子を確認する。
「……ミモザ様。お着替えの準備ができております。母屋へ戻りましょう」
「はぁい、テレーゼさん。それじゃあルピ、ミモはちょっとお着替えに行ってきますねぇ」
「うん、いってらっしゃい、ミモ。暖かくするんだよ」
ミモザはテレーゼに連れられ、一旦画面の向こうへと退場していった。
残されたのは、シートの上にぽつんと取り残されたルピナスと、未だにハラハラとした様子でミモザの後ろ姿を見送っているヴァルデマールの男二人である。
「……さて。ミモザが着替えている間、何もすることがなくなっちゃったな」
ルピナスは顎に手を当てて考え込む。二十四時間年中無休のリアルタイム配信中であるため、ただぼーっと座っているわけにもいかない。
「よし、ヴァルデマール。ミモザを待つ間、この上流にある湖に行って釣りをしよう!」
「……は? 釣り、ですか?」
突拍子もない提案に、ヴァルデマールはきょとんとした顔でルピナスを見た。
「確かに、この小川を上った先には綺麗な湖がありますが……ルピナス様、私は釣りの道具など持ち合わせておりませんぞ。本日のスケジュールにも、釣りの予定などは記載されておりません」
「大丈夫だよ! フィニックが『いつかアウトドア企画で使うかもしれないから』って、あそこの木箱の中に釣竿を何本か用意してくれてあったんだ。ほら、これを持って行こう!」
ルピナスは近くの木箱から手際よく二本の釣竿を取り出すと、そのうちの一本をヴァルデマールの手に無理やり握らせた。
「お、お待ちくださいルピナス様! マニュアルにない勝手な行動は、本部のフランチェスカ様からの指示に背くことに――」
「固いことは言いっこなしだよ! さあ、出発だ!」
釣竿を肩に担ぎ、のん気な足取りで上流へと歩き出すルピナス。ヴァルデマールは「ああ、もう!」と天を仰ぎながらも、その背中を追いかけざるを得なかった。
男二人の、なし崩し的な釣行のスタート。カメラがその後ろ姿を追いかける中、歩きながら繰り広げられる二人の会話は、噛み合っているようで一ミリも噛み合っていない、妙なテンポを生み出していた。
「ヴァルデマール、今日の晩御飯は何かなぁ? さっきテレーゼにお礼を言ったら耳を赤くしてたから、きっと照れて美味しいスープを作ってくれると思うんだよね」
「ルピナス様、メニューの心配をする前に、まずはご自身の体調を心配してください。それから、テレーゼは職務に忠実なだけです。彼女が照れるなどという不経済な感情を抱くはずがありません」
「えー? でも、僕たちのハッピーなオーラはみんなを笑顔にするからね。ヴァルデマールだって、本当は僕と釣りができて嬉しいんだろ?」
「私は現場の安全と進行を管理するために付いていっているだけです! どうして私が、元王太子殿下と川辺で遊べて喜ぶなどという、お花畑な思考にならねばならないのですか!」
大真面目に正論を返すヴァルデマールと、それを一切気にせずポジティブに受け流すルピナス。この二人のやり取りに対し、コメント欄は別の意味で大盛り上がりを始め、光の速さでスクロールしていく。
『何この会話wwwww』
『噛み合ってないのに会話が成立してるの奇跡だろ』
『王子と老執事の漫才コンビ結成www息がピッタリすぎる』
『ミモザちゃんがいない間は、この男二人の掛け合いを楽しむ時間か。これはこれでアリだな』
『ヴァルデマールさんのツッコミがキレキレで、仕事の疲れが吹き飛ぶわwww』
そんな視聴者たちの総ツッコミの嵐を背に受けながら、二人の足は上流の静かな湖へと近づいていくのだった。




