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第九話 人身売買

「皆様、お待たせいたしました。本日最後の商品でございます」

 誇らしげなほどに高らかな女の声が室内に響く。

 十数人の人間達が集う前に置かれた一脚の椅子に、雷韋(らい)は丁重に降ろされ、座らされた。だが身体に力は入らず、両腕はだらりとたらされて、その手首に填められた銀の腕輪も抜け落ちそうだった。足は投げ出されるままで、顔など上げられずにいる。

 そこで再び女の声が響き渡る。

「皆様、どうぞ近くでお確かめ下さいませ。この商品はとても珍しいものでございますれば、きっと皆様のお眼鏡に適いましょう」

 その声の主は、栗毛の髪が巻かれている、紺色のドレスを着た女だった。年の頃はよく分からないが、それほど若くもない。目元にはそれなりの陰が潜んでいる。だが、まだその肉体は衰えを感じさせるものではなかった。肌は艶を湛え、絹独特のしっとりとした光とその肌触りのために表された身体の線は豊満で、しなやかな色香を漂わせている。

 その女こそが央華(おうか)だった。

 央華に、彼女よりも随分と若い女の声がかかった。

「央華、今日は獣人はいないの?」

「あぁ、申し訳ございません。本日は獣人に入荷はありませんので」

 恭しく頭を下げてみせる。そんな央華を見遣って、女は言った。

「冬用のストールのためにいい毛皮が欲しかったのだけれど……残念だわね」

 歯噛みをするように言う女の肩には珍しい模様の美しい毛皮で出来た襟巻きが引っかけられている。それは決して防寒のためではなく、装飾のためだけのものだった。

「また改めてお越し下さいませ」

 央華はその女に丁重に再び頭を下げると、既に客達に取り囲まれている雷韋の側へと目を遣った。ざわめきながら珍しい商品を品定めをする彼らを見る目に、思わずほくそ笑みも浮かぼうものだ。

 見目も珍しい雷韋に、客達は一様にそれまでみせたこともないほどの興味を示している。

 絹糸のような優しい肌触りの髪。

 麻薬に浸って虚ろに開かれた深い琥珀色の瞳。その瞳も、子猫のように瞳孔が丸く開いている。

 雷韋は猫目なのだ。昼間は細く絞られる瞳孔だが、興奮したり夜になると瞳孔が大きく丸く開く。

 白い肌と細くしなやかな手足。それを引き立てるように飾り付けられた銀細工の装飾品。

 時折、痙攣したようにひくつく尖った耳。

 うっすらと開けられた唇の内側から覗く小さな牙。

 雷韋の身体的な異種族の特徴を一つ一つ確かめながら、男も女もそれぞれに魅せられ、興味を示していた。

 央華はその様子を眺めながら、この商品にどれほどの値がつくものかと、酷く楽しみでしょうがなかった。

「お前、言葉は話せるのか?」

 品定めをしながら、三十半ばの男が雷韋に声をかけた。

「共……通語?」

 声変わりも済んでいない、高い雷韋の声が場に響いた。

「そうだ」

「話せる……。でも……時々、分からない、言葉もある」

 譫言めいた声と言葉。そして自分に向けられる虚ろな瞳が、男の興味を更にそそったようだった。

「名前は?」

「な、まえ……俺の名前、は」

 言いかけて、苦痛を感じたように雷韋は不意に眉を顰めた。入らないはずの力が身体に戻り、全身が急激に強張っていく。

「どうした? 何故、言わない」

 それに答えようとしながら、しかし雷韋には声を出すことが出来なかった。

 雷韋の頭に直接届くざわめきが止まない。だが今の雷韋には火の精霊の声はあまりに小さくて聞こえにくいのだ。それ以上に、頭の中に響き渡るざわめきが煩い。

 知らず、眉根がよって苦悶の表情を示していた。

 客達はその様子に怪訝な表情(かお)を面に表す。

「どうした?」

 さっき声をかけた男とは別の男が雷韋に声をかける。怪訝な様子を隠そうともしない。

 雷韋の様子がおかしいことに気付き、客達がざわめき始めた。商品を取り囲む客達は心なしか後退(あとじさ)りし始めた。

 それに気付いた央華が、雷韋に素早く近付く。

 雷韋は、この部屋に連れてこられた時とは明らかに様子が違っていた。

 少年は苦悶の表情を呈している。微かに身体も震えているようだった。

 央華も客達も雷韋に何が起こったのか知る由もなかったが、雷韋の中で酷いざわめきが渦巻いていた。それが苦しい。それに守護精霊である火の精霊ではない、もっとほかのどろどろとした感情までもが胸の内に流れ込んできている。

 意志の力は酷く弱かったが、あまりにも苦しく耐えられないと思った。これまで、ここまで酷い感情を感じたことはなない。

 このままではおかしくなる。

 頭の中で自分の悲鳴を聞いた。

 瞬間、瞳の色が深い琥珀色から警戒色の毒々しい黄色へと変色した。同時に、額の中心には淡い光も浮かんだ。瞳孔も興奮のためか、一気に広がる。

 と、同時に激しい爆発音が部屋中に響き渡った。

 壁に設えられていたランプが連鎖反応を起こしたように、次々と破裂していったのだ。

 客達が驚きの声や悲鳴を上げ、狼狽える。一体どうしたらいいものかと、彼らは逃げ出すことも出来ずにただその場に立ち竦んでいた。

 だが激しい音と共に、火は炎となって雷韋の身体に吸い込まれた。

 それを目にした客の数人が雷韋から離れる。その面には恐怖の色がありありと張り付いていた。

 そんな客の様子には一向に構わなかった雷韋だが、精霊達が飛び込んできた途端、胸の内に流れ込んでいた感情の流れが止まる。

 守護精霊である火の精霊が、何者かから雷韋を護ったのだろう。鈍い意識を廻らせる前に、守護精霊である火の『精霊障壁』が張り巡らされるのを無意識のうちに悟った。

 精霊障壁は通常、常に存在しているものだが、術者の状態に応じて変動する。術者が弱れば障壁もまた薄くなるのだ。障壁が張り巡らされたということは、精霊の意思で強まったということだ。その事によって胸の内に潜り込もうとする何かが止まったということは、ほかの精霊が取り憑こうとしていたことになる。

 しかし、今の状態の雷韋の頭でははっきりと把握することが出来ない。

 ランプの幾つかを残して、ほかの全てのランプは炎の爆発によって壊されてしまった。

 部屋が薄暗い。

 最早こうなっては客達は逃げ出すよりほかなかった。我先にと部屋から飛び出していく。

 央華もその状態にはっと正気を取り戻して、邸にいる男共を悲鳴のような声を上げながら呼び鈴で必死に呼び出していた。今の雷韋は、封珠縛(ふうじゅばく)を解かれているのだ。ここで下手に魔法など発動されれば、邸や自分達がどうなるか分からない。早くこの生き物を殺さなければと思ったのだ。

「早く、早くあれを殺しなさい!」

 だが、呼び続けた挙げ句、それに返ったのは数人の悲鳴だった。

 それは逃げ出した客の声だ。

 その声が終わるか終わらないかのうちに、逃げ出した者達が再び部屋に舞い戻ってきた。

 いや、部屋に戻ってきたと言うより、逃げ込んできたという方が正確だった。

 部屋の一角に縮こまる客達に続いて、一人の男が現れた。

 見たこともない男の姿に、央華は無意識のうちに低い呻き声を上げていた。

「お前は一体……」

「手前ぇが央華って女か」

 恐怖に支配された人間達の間から、たった一人自分を凝視する央華を見遣り、言う。

 陸王(りくおう)だった。紫雲(しうん)はいない。

 その面にはあからさまな蔑みの色がある。

「本当に女ってぇのはえげつねぇな。もっと限度ってもんを(わきま)えろ」

 言葉を吐き捨てると同時に、血糊のついた刀を乱暴に振り下ろした。その途端、音を立てて床や壁に血の飛沫が飛び散る。

 客の中の女達がそれを見て甲高い悲鳴を上げたが、陸王はそれに構いもしなかった。

「悪ぃが、下にいた男共はあんまりうるせぇんで、殺っちゃまったぞ。一人には逃げられちまったがな」

 言う割に、その声音には全く反省の色はない。それどころか、面白半分の気配さえ窺えた。

「私の商館でこんなことをして、ただで済むと……」

「そりゃこっちの台詞だ。人身売買なんぞして、首が飛ぶのは手前ぇの方だろうが」

 それを受け、不意に央華の顔にある色が浮かんだ。

「そう、金……?」

 自然と口をついて出た言葉に、女は卑しい笑みを浮かべた。

「そう、お金が欲しくて来たのね? 一体いくら欲しいの? 言ってご覧なさい。これ以上、私の商売の邪魔をしないと約束すれば、いくらでも……そう、いくらだって欲しいだけあげるわ」

 その央華の卑しい言葉に、

「あぁ、なるほどな。そういう手があったか」

 思わず陸王は感心したような声を上げた。

 そして続ける。

「今回は出費がかさんだんでなぁ…そうだな、金貨五千枚ってところでどうだ?」

 しれっと言いのける。

「五千枚ですって!?」

「何も全部金貨でってわけじゃねぇ。んなもん寄こされたって、重くて歩けやしねぇだろうが。相当額の宝石で手を打つか。それだって大量になるがな」

 出せねぇってわけじゃあるまい?

 言って、脅しかけるように片眉を上げてみせる。

 その陸王の様子を引き攣ったような顔で暫し見遣っていた央華だったが、一度喉を鳴らして唾を飲み込むと、承諾を示すように首を縦に振った。

「分かったわ。でも、今すぐってわけにはいかない。明日まで待ってちょうだい」

「駄目だ。今すぐに、だ」

 その声音には譲歩する響きなど微塵もなかった。

「でも、それじゃあ……」

 央華が更に言い募ろうとした時、椅子の倒れ込む鈍い音が場に響き渡った。全員の目が一斉にその音のした方へ集まる。

「り、く」

 虚ろに、しかし苦痛に満ちた表情(かお)と、何かに抵抗するように身体を折り曲げた雷韋が床に倒れ伏していた。だがその左腕だけは、助けを求めるように必死に陸王へと伸ばされている。陸王を見て安心したためか、瞳はもとの深い琥珀色に戻っていたし、額の光もいつの間にか消え去っていた。

 雷韋の伸ばす手に気付き、思わず「やれやれ」と小さな溜息が漏れた。

 陸王が雷韋に近付くと、辺りにいた者は恐怖に気圧されて無言の悲鳴と共に更に身を引く。

「勝手にうろうろしてっからこんな目に……」

 雷韋を助け起こそうとした瞬間、その身体から漂う匂いに陸王は気付いた。

 甘い独特なそれが、彼にはすぐに阿片だと知れたのだ。

 陸王の目が雷韋から央華に移る。そこには睨み据える色があった。

「随分と手広い商売だな」

 だが央華は、それに悪びれる風もなく言い遣った。

「そうでもしないと、人外種は魔法を使うでしょう? そんなものを使われたら、商品にならないのよ」

「ガキ相手に、夜のお勤めにもゆっくり励めねぇってか?」

「毛皮を欲しがるお客様もいらっしゃるのよ。屠殺も出来ないんじゃ、どうしようもないじゃない」

 当然のように言い切った女に、陸王はどうしようもないほどの苛立ちと憤りを覚えた。

「変態趣味だけじゃ飽きたらず、獣人捕まえて毛皮まで剥ぎ取っていやがるんだったな、ここの連中は」

 陸王の脳裏に、獣人の毛皮を売りつけようとした行商人の姿が甦る。改めて怖気が走った。

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