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第十話 雷韋の願い

 陸王(りくおう)が獣人の毛皮のことを口にした途端、一人の女が脅えたようにびくりと身体を震わせる。

 その女の姿を人の群れの中から、陸王は目敏く見つけ出していた。そしてその肩に引っかかっている毛皮の襟巻きも。

 女は自分が見られていると知るや否や逃げ出そうとしたが、しかしそうする前に捕まっていた。

 陸王は女の肩口に刃を寝かせるように、ひたりと当てた。そのまま横に移動させれば、女の首が落ちるという寸法だ。

(なめ)しゃ水袋くらいにはなるだろ。そうすりゃ人様の役にも立てるってもんだ」

「や、やめてぇ!」

 金切り声を上げて抵抗した拍子に、肩から襟巻きが力なく落ちた。

 ふとそれに目を落とし、陸王は言う。

「こいつも、そう言ったんじゃねぇのか?」

 見るからに柔らかそうな毛皮だった。毛足も長く、艶もいい。例えこれが動物の毛皮だったとしても、仔供のものだというのは容易に分かるものだった。

「人間が欲深だってのは知ってたが、ここまでくそみてぇな連中には、そうお目にかかれるもんじゃねぇな」

 襟巻きから目を上げ、陸王は脅えきった辺りの客の一人ひとりを眺め回した。それから彼は、やけにゆっくりとした口調と、やけに穏やかな表情で言葉を綴り始めた。

「俺は今までさんざ人を斬ってきた。どれぐらいなんて、そんな数ぁ覚えてもねぇ。雇われ侍なんだ。戦場(いくさば)じゃ殺らなきゃ殺られるし、大体そうしなけりゃ、こっちはおまんまの食い上げだ。だから生きることにしがみついて殺しまくった。相手の気持ちなんざ俺は知らねぇし、今だって知りたくもねぇ。どのみち殺し合いなんだ。手前ぇが死にたくねぇから相手を殺すってだけの話よ」

 時折、懐かしげな溜息までつく。

「だが、今はちょいとばかり事情が違う。奪われたものを返して貰いに来ただけだ」

 このガキをな、と付け加え、更に言った。

「まぁ、こんなガキでも俺より知ってることもある。こんな(あそ)()みてぇなガキにも、一つ二つの特技があるんでな」

 お前らには関係ねぇことだがな。

 言葉尻にそれを言って、陸王は襟巻きの女を乱暴に突き飛ばし、雷韋(らい)を担ぎ上げようと近付いた。邪魔する者はどこにもいない。いや、いたとしても陸王には到底敵う相手ではなかった。

 雷韋を担ぎ上げようとして、ふとその手が止まる。

 意識が混濁したように、ぼうっとしたままの雷韋が何か言おうとしているのだ。

 それは救いの言葉ではない。

 もっと別の何かだった。

「なんだ?」と目で問う。

「やっと、分かった。……闇が、この街に歪んで、ある」

「何言ってる」

 朦朧とした意識のもとで、雷韋はそれでも言い募る。

「『流れ』は強い……。触発、されたから」

 雷韋の言うそれが、陸王にはなんのことなのかよく分からなかった。『流れ』と言うからには、光竜(こうりゅう)や精霊に関係があることなのだろうとは思ったが。彼らが世界の流れというものを司っていることを、陸王は辛うじて知っていたからだ。雷韋に言わせれば、それは運命とのことらしい。陸王は、ただ流されるままの運命など信じていないが。

 雷韋の言葉は譫言のように続く。

「逆ら、っちゃ、駄目だ。で、も、飲み、込まれでも駄目だ。開放するには……魔の法則、と技の、法則が……いる。俺と、あんたの」

「なんのことだ?」

 流石にここまで来ると、陸王にはさっぱり言っていることの意味が分からなかった。

 雷韋にも、自分の言っていることが陸王に届いていないような気がしていた。それでも分かったのだ。守護精霊である火の力をその身に受けて、(ようや)く街に入って来てから雷韋の中に響いてきたざわめきの正体がなんであるのかを。

 それは人間達の放つ欲望で膨れあがった闇の精霊が、人の欲望に干渉して思念を大きくしていたのだ。

 闇の精霊はこの邸にある恐怖や怒りに飲み込まれ、ほかの精霊の声を掻き消すほどに大きくなっていた。干渉した人々の欲望を更に大きく響かせて、陸王を捜すことが容易には出来なかったのもそのせいだ。

 今、この街全体が闇に飲み込まれようとしていた。陽も暮れて、すっかり辺りは闇で塗り潰されている。闇の精霊にとっては、これ以上もないほどの活動時間だった。

 雷韋はそれをなんとかしたいと思う。

 それを為すには、陸王の力が必要だった。

 なのに、頭の中の甘い毒は晴れない。上手く説明が出来ないもどかしさが募る。

「人の欲と、苦痛、が……力を押しつけて……だから怒って、る。違うものに、変わっ……ちまったから」

 尚も言い募ろうとする雷韋を、陸王は腕の中に抱えて言った。

「どういうことだ。何が始まるってんだ?」

「闇が、暴走、する。闇は、混乱と恐怖を、ばらまく。この街は危ない。狂戦、士も……」

「だったら、こんな卑しい街なんざ放って出ていけばいい。行くぞ」

 言って雷韋を抱え上げようとする腕を、しかし雷韋は拒んだ。そして上手く動かせない首を必死に振る。

「闇が、人間達の欲望に、触発されて暴れ出す。俺の力だけじゃ……無理だ。あんたの力が、必要なんだ」

「知るか。手前ぇのケツくらい手前ぇに拭かせとけ」

 ゆらゆらと揺れ動く雷韋の左手が、陸王の頬に触れる。

「人間を、殺しちゃ駄目だ。どんな……理由があっても。俺とあんたには、助けてやることが、出来るんだから」

「こんな目にあってもまだそんなことぬかしやがるのか」

 苦々しい声だ。

「そこ、ここにあるものには、どんなものにでさえ、意味があるんだ」

 正直、陸王には雷韋の博愛主義には呆れて反吐が出そうだった。少なくともこの街に住む人間は、助ける価値もない連中だ。性根がねじ曲がって、腐りきっている者達ばかりなのだから。百害あって一利なしだ。

 いっそのこと、闇の精霊に狂戦士を産ませて、こんな街はなくしてしまった方がいいとさえ思う。

 それなのに、まだ雷韋は言い募る。

「俺、達が来たのは、きっとこのため……だったんだ。偶然、じゃない。精霊が……助けを、求めたんだ」

 言って、力なく笑む。

「力、貸して、くれ。頼むよ」

 そこで陸王は盛大に溜息をついた。

 もう観念するほかないようだった。

 だが、

「この街全体をどうにかするってのか?」

 懸念を吐き出す。

「流石に……それは、無理」

 苦笑を浮かべる。

「でも、中心に、なってるここを……開放、してやらなきゃ」

 言って、雷韋は無理矢理に上体を起こそうとする。それを陸王が背中から支えてやった。

「雷韋、この街全体がおかしいんじゃないのか? いくら中心がここだろうと、精霊ってやつはそんな簡単にどうこうできるもんじゃねぇだろう」

「闇の……ここにいる精霊を、少しでも……解放すれば、歯止めが利く。そのあとは組織(ギルド)に、任せるさ」

 自分達には完全にこの街の膿を出し切ることは出来ない。だが治療の糸口は教えてやる、雷韋はそう言いたいのだろうと陸王は思った。

「魔と技、の法則は、強い……力を生むことが出来るんだ。今から、あんたの刀に……俺の、守護精霊を移す。その間、俺は、無防備になる。だから……」

「さっさとけりをつけりゃいいんだな?」

 陸王の言葉に頷く。そして陸王の握っている刀へと手を伸ばし、目を閉じた。

 途端に刀を通して陸王の中にまで強い力が強引にもねじ込んでくる。目には見えなかったが、陸王にはそれが火の力だと確信できた。

 それは真っ赤で、怒りを露わにした精霊達だった。

 そしてそれが入り込んだ次の瞬間、雷韋の身体から完全に力が失われ、起こしていた上体は倒れ込んだ。

 意識が失われたのだ。

 いくら名を呼んでも、雷韋は全く反応しなくなっている。

 それどころか、守護精霊を失った雷韋の中に闇の精霊が入り込もうとしているかも知れないと思った。

 いや、確信だった。精霊力をまともに受けた陸王には、通常では見られない影を見ることが出来たからだ。

 それは真っ黒な気配。防備を失った雷韋を浸食しようとしている様がありありと見えたのだ。そして、部屋中に充満している闇の精霊も見える。それは階下から立ち上ってくるものもあれば、ここにいる人間達からも滲み出しているのだ。

 これは闇と言うより、欲望の塊だった。それが雷韋を浸食している。

 もう我慢ならなかった。

 人間達を助けてやる気など毛の先ほどもなかったが、雷韋だけはどうしても助けてやりたいという思いに駆られていた。

 陸王は火の力を刀に集めた。普段ならそんなことは出来ないだろう。だが、今は出来る気がしていた。身体の中に巣くった精霊達が協力してくれていると感じられるからだ。

 全ては雷韋の命にて。

 雷韋の身体を担ぎ上げて、陸王は一度、二度と少年の中に入り込もうとしている闇の力を斬りつけた。するとそれは、後戻りをするようにびくりと震えて脅えた様子を表した。

 その様を見て、出来るのだと思った。雷韋の言う通り、闇を切り裂き、濁った欲望を開放することが出来るのだと知ったのだ。

 刀はうっすらと赤みを帯びて、微かに震えている。それは精霊達の怒りの意識だった。本来の主人から引き剥がされ、別の物に宿らされた怒りが刀を震えさせるのだ。

 精霊達は雷韋の命を遂行しながらも、少年の中に戻りたがっている。それを知って、陸王は時間がないと悟った。彼には魔法や精霊の知識はほとんどない。それでも今の精霊達の状態だけは分かっていた。何故なら、今彼らを使役しているのは陸王だからだ。

 だが、この状況もそう長くは持たないことも分かっていた。本来の主である雷韋が意識を失って、火の精霊達は本物の主人を護りたいと考えている。

 それが守護精霊の、守護精霊たる由縁だからだ。

 この状態も、数分しか持たないだろうことも陸王にはなんとなしに分かっていた。けりをつけるのなら、一撃で仕留めねばならない。

 その陸王の姿を人間達は脅えて見ているしかなかった。逃げ出そうものなら何をされるか分からないという恐怖があったからだ。無論、それは央華(おうか)にとっても同じだ。己の手下を塵屑(ごみくず)同然に殺したのだろうことは、陸王の態度からも分かっていた。

 恐怖で足さえ動かない。

 声も出るものではなかった。

 しかし陸王には、部屋の片隅に恐怖によって縛り付けられている、央華を含む人間達には全く興味はなかった。今の彼の中にあるのは、闇の気配を断ち切ることだけだ。

 少なくとも、中心点になっていると言うこの邸に充満する闇だけは。

 雷韋は意識を失う前に「魔と技の法則は大きな力を生み出す」とそう言っていた。陸王にはそれが一体どういうことなのか理解しきっていなかったが、それを考える時間もなく、実際に闇は太刀筋に恐れを抱いていることを知っていた。

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