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第八話 麻薬

 雷韋(らい)央華(おうか)の別邸に攫われて、そこで見窄らしい男達に連れてこられたのは、地下の薄暗い小部屋だった。猿轡もされたまま、封珠縛(ふうじゅばく)で身柄も拘束されて冷たい床に転がされていた。

 地下の部屋は古い石造りで、壁にはいつ果ててもおかしくない松明の密かな明かりがあった。それが時折、じりじりと音を立てて小さく火の粉を撒き散らしている。

 地下へ連れて行かれる時に腹を殴られたせいか、意識が戻ったとき、腹に鈍い痛みと強い吐き気に苦しんだ。

 壁にある松明の炎に、室内に火の精霊がいることを知ってはいたが、封珠縛のせいで精霊の声は全く聞こえてこなかった。それでも多少の安堵は感じられた。

 精霊魔法(エレメントア)とは、精霊と契約を交わすことで始めて魔法として行使できる特殊な魔術だ。そして人族には、必ず最も波長の合う精霊がいる。それは種族ごとに違うが、この世に数多に存在する精霊の中で一番始めに契約を持つことの出来る精霊がそれだ。その精霊は、精霊使い(エレメンタラー)にとって主軸となる魔術属性を与え、更に術者を守護する『守護精霊』となる。

 雷韋の場合はそれが火の精霊であり、それが彼の守護精霊なのだ。だからそれだけに強く激しく感じられ、それに護られるはずだった。

 それなのに今は、守護精霊である精霊達の声が聞こえない。松明に火がついているにもかかわらず。それでも多分、護られているのだろうとは思う。守護精霊は決して人族から離れることはない。

 精霊使いは感応力が強ければ強いほど、その力を大きく行使できる。だがその反面、強い感応力のためにほかの精霊に取り憑かれることもある。

 それを防いでくれるのが守護精霊だ。

 雷韋はもしや、と思う。

 守護精霊たる火の精霊達を操れるのではないかと。いくら封珠縛で拘束されていても、守護精霊は特殊な存在だ。主を裏切ることは決してない。傷つけることも命に背くことも決してない。

 守護精霊であるからこそ、雷韋は詠唱も印契(いんげい)もなく火の精霊を自在に扱うことができる。

 意識さえすれば、封珠縛に関係なく何かが出来ると思った。そう心のどこかでぼんやり思ったが、それで何をどうすればいいのかが分からなかった。思考がぼやけて、何を考えていいのかすら分からない。頭の中に次々浮かぶ思考が、端からどんどん消えてなくなっていく。

 部屋の中に不可思議で独特な甘い香りが漂い、雷韋から正常な思考力を奪っているのだ。その匂いの元は、天井からぶら下がっている丸い器だった。そこから靄のようなものが漂って、狭い部屋中に充満している。

 息をするたびに肺腑の中に忍び込み、頭を痺れさせた。

 精霊達のことを頭に思い浮かべながらも、この甘い匂いの虜となっている。

 ただただ、頭上にある丸い器を見つめるだけだ。時々意識が曖昧になり、浅く眠りにつくようなこともあった。封珠縛のせいだけでなく、身体に力が入らない。根底から削り取られているようだった。夢現の曖昧境を彷徨(さまよ)うばかり。これから自分がどうなってしまうのか、それを考えることも出来なくなっていた。

 今、雷韋を冒している匂いの正体は阿片だ。天井から提げられているのは阿片の入った香炉。

 それが全ての気力を奪っている。

 正常な感覚さえ根底から奪い去って。

 しかし雷韋はそんなことを知る由もなく、ただただ、天井からたゆたって舞い降りる不思議な靄を見つめているだけだった。

 こうして獣の眷属は、売買される商品へと変えられてしまう。競りにかけるのだ。売買された()()()も永続的に麻薬中毒にされて好き勝手にされる。

 廃人になるまで。

 特に雷韋の種族、鬼族は外傷には滅法強いが、病や薬などの内側から侵食してくるものに対しては耐性があまりない。熱冷ましの薬でさえ、人間族の半分の量でいい。それ以上になると、中毒症状が出るのだ。薬もある種の毒だからだ。今も阿片が雷韋を蝕んでいる。

 こうして雷韋は短い時間で神経を冒されていった。

 だが人族の中でも獣人達は、薬漬けにされることはほぼない。獣人も精霊魔法を使うため、封珠縛で束縛されるが、そのほとんどが買い取られてほぼすぐに屠殺されて皮を剥がされる。惨い話だが、彼らは永続的に飼われることはなかった。

 どちらにせよ、人として扱われないことに変わりはないが。

 どれくらい夢現の曖昧境を漂っていたのだろうか。意識が浮上したその時、どこかで音がした。呆然とした意識でその音に耳を(そばだ)てていると、どうやらそれは人の足音のようだった。段々こちらに近付いてくる。

 何が起こるんだっけ?

 雷韋はこの部屋で目覚める前に、確かに何かに気付いたのだ。ぞっとする現実を知ったはずだった。

 なのに今はそれがなんであったか思い出すことが出来ない。

 そうしているうちに、扉から大きな音がした。

 がちゃりと音が鳴る。続いて扉の軋む歪な音が響いた。

 その音はいつかどこかで何度も聞いた覚えがあるが、それがいつ、どこでだったか思い出せなかった。

 足音が近付き、上半身を起こされる。それまで噛まされていた猿轡が外されて、頬を軽く何度か叩かれた。

 焦点の合わない雷韋の様子を確かめると、部屋に入ってきた人物、おそらくは雷韋を地下へと運んでいった見窄らしい二人のうちの片方だろう男に、無理矢理引き立てらる。だが、足元が覚束(おぼつか)ない。無理に引き摺られて歩くことを強いられるが、雷韋はまるで雲の上を歩いているような気分だった。

 (ようや)く阿片の煙が充満した部屋から抜け出したが、薄暗い地下道にはまだあの匂いが広がっていた。多分にして、部屋から漏れ出したものなのだろう。随分と長い間、天井から吊された香炉から煙が流れ出していたのだ。扉の隙間から漏れ出さないわけがなかった。それ以上に、地下にはほかにも部屋が沢山あった。狭い間隔で等間隔に扉がある。扉の間隔からして、部屋は皆、狭い。

 夢現の状態で引き摺られるようにして歩いていたが、扉を冷静に観察することもほかの何かを考えることもまともに出来なかった。

 地下から連れ出され、明るい上階へと連れられていく。

 長い地下道を引き摺られているうちに、雷韋は男に担ぎ上げられていた。地上に続く階段を上るためだ。薬に弱い雷韋が、麻薬に冒されている状態で階段を上れるわけもなかった。男も雷韋の状態からそう判断したのだろう。この異種族に階段を上る力などない、と。

 そうされても尚、雷韋には抵抗する力などありはしなかった。

 地下から地上に出るための扉を抜けると、うっすらと外気の匂いが鼻をついた。夜の、少し湿った空気の匂い。外に通じる扉の隙間から、まるで忍び入るように入り込む新鮮な空気が心地良い。この空気の中にいれば、全身に染みこんだあの匂いは失われ、自身から奪われた気力も戻ってくるような気がした。

 しかし、それが叶うことはなかった。

 そこはごろつき共に連れられてきた商人、央華の別邸の裏口だったのだ。

 そしてそこにはあの時と同じように、雷韋を品定めした身だしなみを整えた初老の男が待ち受けていたのだった。

「これで最後だったな。阿片を吸わせたのはあまり長い時間ではないが、大丈夫そうか?」

 初老の男が確認を取ると雷韋を連れてきた男が、少年がまともに歩けもしなかったことを告げる。

 そうかと頷き、床に下ろされた雷韋が完全に阿片の毒に冒されているのを確かめて更に続ける。

 雷韋は男達の遣り取りを聞きながら、地下で見た部屋にも誰かいたのかな、あの靄はほかの部屋からも漏れていたのかな、などとぼんやりと思った。その思考は、言葉が浮かぶ端から溶けていったが。

「お客様がお待ちかねだ」

 初老の男が言うと、雷韋を担いできた男が封珠縛を解いて外套も脱がせていく。商品の見目を気にしたからだ。少年は、ぞろりとした赤く派手な柄の衣服だけの状態になる。

 雷韋にとっては今が逃げ出す絶好の機会だというのに、意志も身体もなんの反応も示さない。瞳からも意志の光は失われていた。

 初老の男は踵を返して歩き出した。もう一度雷韋は男の肩に担ぎ上げられ、その場をあとにする。

 先に歩き出した男が扉を開け、更に歩いていく。

 その扉の奥は、絨毯の敷かれた広く明るい廊下になっていた。光源は、一定の間隔に設けられた柱に提げられた壁のランプ。それは豪奢ではないが、銅の細工を施された立派なものだった。

 廊下を道なりに真っ直ぐに行くと、やがて正面玄関と思しき広場に出た。天井からは大きなシャンデリアが下げられ、玄関正面から見ると、両翼に階段が広がっていた。その右側を上り、更に奥へと進む。そうして暫くすると、ある一室から多数の話し声が漏れ聞こえてきた。男の声も女の声もある。その声はどれも皆、一様に楽しげだった。

 初老の男がその部屋の扉前で立ち止まる。

 大きな観音開きの扉が明かりに照らされて、黒檀のような光を放っている。それは作られてから、長い月日を費やしたものだけが発する鈍く美しい光だ。

 初老の男は一つ軽い呼吸をしてから、一気にそれを押し開けた。

 中はその扉からは想像もつかないほどにこじんまりとしたものだったが、全体的に重厚感があった。壁にはこれといった壁掛けや絵画はないが、内部の家具調度には全て手の込んだ彫り物が成されている。柱一つ、梁一本を取っても必ず手が加えられているのだ。集まった客達が腰をかけている椅子も、一脚一脚彫り込みの装飾が違ったが、ばらばらな印象ではなかった。

 全ては金の為した技であり、そこに集まる十数人の男女も金によって全てを買おうとする者達だった。

 ここには噎せ返るような人間の業が詰まっていた。

 封珠縛を解かれた瞬間から雷韋には精霊の声が再び聞こえ始めていたが、その声はあまりにも小さい。守護精霊である火の精霊達が周りに集まっていることは分かっていたが、魔術を行使するほどの気力は残っていなかった。火の精霊を思うだけでいいというのに。

 それよりも酷いものが聞こえていた。

 どこかで聞いたことのあるざわめきだ。それが耳について離れない。頭の中に響き渡ってどうしようもなかった。

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