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第四話 苛立ち

「親父、酒だ」

 高い上背の黒髪の偉丈夫が、酒場に入ってくるなりカウンターに向かって大声を出した。

 男は腰に差している剣――刀を腰から抜き取って、手近の席にぐったりと腰を下ろす。腰から抜いた刀は卓に(もた)せ掛けた。

「ったく、あのバカガキ……どこに消えやがった」

 疲れのせいか、大して小さくもない声で()ちる。

 その卓の対面には、荷物を下ろして椅子に座る男がいた。栗茶色の長髪を背中の半ばで結っている、胴着を着た男だ。腰には鉤爪を提げている。

 それは陸王(りくおう)紫雲(しうん)だった。

 陸王は昼過ぎにこの街に入ってから、大路を歩いていたまでは雷韋(らい)が後ろについていたのを記憶していた。だが、異常なまでに混雑する広場から少し人通りの減った広場の端に来た時、後ろをついて来ているはずの雷韋がいないことに気付いた。それは紫雲もだ。

 だが陸王は、はぐれたことに気付いたとき、特に何も感じなかった。多少、心配ではあったが、雷韋ははぐれたとしてもいつも陸王の気配を追って彼のもとへ辿り着く。今までも時折、雷韋と街中ではぐれることもあったが、そのたびに雷韋は文句を言いながらあとを追ってきたのだ。

 ただしこんなに長時間、雷韋があとを追ってこないことはなかった。これまでなら少なくとも、晩課(ばんか)(午後六時)の頃には追いついてきた。晩課はとうに鳴っている。

 そう、最初は簡単に考えていた。

 裏通りを歩いていた行商人に出会うまでは。

 陸王が人混みを避け、うらぶれた通りを歩いていた時だった。肩から毛皮を担いだ行商人と行き会った。特に陸王は行商人を意識していたわけではなかったのだが、突然話しかけられたのだ。

『毛皮を買わないか?』

 やけに声を潜めて。

 始めは相手にせず通り過ぎようとしたが、しつこいほどに食い下がって陸王と紫雲のあとを追ってきたのだ。

『珍しい獣人の毛皮だよ』と。

 思わず肩越しに振り返った先にあった行商人の面には、卑屈な笑みが歪に張り付いていた。

 よく見ずとも、行商人の目には暗い光があった。

 それを目にした時の背筋を這い上がる悪寒は未だに忘れられない。

 獣人と言えば人族だ。この世界で共存している人種である。なのに、行商人は獣人の毛皮を自分達に売りつけようとしたのだ。

 反射的にどういうことかと詰め寄った。陸王の勢いに負けて、行商人は言う。

 この街では人間族以外は人外種として扱われるのだと。獣も同然だというのだ。知らずにこの街に異種族が紛れ込めば、その末路はどうなるか知れないと言う。

 しかし行商人を締め上げても、それ以外の情報は手に入らなかった。

 それからだ。陸王と紫雲が雷韋を捜して躍起になったのは。獣人の毛皮を売りつけてこようとした行商を、盗賊組織(ギルド)に突き出すことさえ考えられずに。

 いつもならとうに追いついている。そして当然のように隣に収まっているはずなのだ。

 今日に限って夜になっても雷韋の姿が現れないということは、どうにも厄介事に巻き込まれたのではないかと不安にならざるを得なかった。

 裏通りから表通りへ戻り、広場へと駆け戻った。そこで道行く者や露天商に雷韋の容姿を伝えて聞き回ってみた。

 するとどうだろう。人々は口を揃えて言うのだ。

『異種族だって? 知らんね』

『人間ならともかく、そんなもの知っていたとしても教える気はないよ』

『異種族と旅でもしてるのかい? あんたも物好きだね』

 聞き回った全員が全員、異種族への嫌悪丸出しにしていたのだ。

 元々人間には異種族を差別するきらいがあるが、これほどはっきりと蔑視する場所も珍しかった。

 この世界が神世(かみよ)から人世(ひとよ)に移行してから数万年、人間族は獣の眷属をはっきりと差別するようになっていった。

 天主神神義教てんしゅしんしんぎきょうができてからだ。そのせいで人間族は、昔から異種族を『人外種』として差別してきた歴史を持っている。

 だからといって、陸王自身はそれに感化されるわけでもなかった。元々は大陸で生まれた陸王だったが、因果もあり日ノ本で育ったせいで大陸人とは全く違う考えを持っていたからだ。それに獣の眷属だからと言っても、彼らは特別邪悪ではない。地域にもよるが、獣の眷属は人間族と積極的に交流を持たない。そのため、確かに彼らが何を考えているか分からないところも多い。そこに不信感を覚える者も多いのだろう。

 紫雲も僧侶の一人として、無自覚ではあったが、ある種の差別的な見方をしていた。紫雲は決して獣の眷属を『異種族』とは呼ばない。が、そこに差別的な目があると、ある女に指摘されたのだ。紫雲としては心外だったが、意識して『獣の眷属』と言っている自分にも気付かされた。そんな差別意識を取り払うには、陸王と雷韋の関係を見ていればそのうち無自覚で『獣の眷属』という言葉が出るようになるだろうと言われた。今の紫雲は、差別意識を取り払う努力をひっそりとしているところだった。

 確かに雷韋は、純粋だ。人間族のように『欲』で生きていない。純粋に人を信じ、純粋に全てを愛している。

 それは陸王も同じように感じていた。陸王の目から見た獣の眷属は純粋であったのだ。

 雷韋を見ていればよく分かる。人間族の中でやむを得ず生きてきた経緯があるものの、よい意味で自分の感情に素直だった。すれていないのだ。

 陸王から見れば、人間族の方が余程邪な考え方を持ってるし、その上欲深く、それだけに業も深い。

 陸王や紫雲から見ても、心の狭いのは人間族の方だった。

 それ故に天主神神義教という宗教とその偏った思考は、陸王には受け入れがたいものがあった。

 だからこそ、二人は嫌な予感がしてならなかった。獣の眷属である雷韋が迫害されることに対してではなく、こんな場所で一人になってしまったあの少年がどうなっているのか、もしくはどうなるのか。

 何をされるかも知れない。

 よからぬ予感がしてならないのだ。

 だと言うのに、全くその足取りが掴めないでいた。紫雲と手分けして捜したが、協力してくれる者さえいない。

 こうして酒場で足を休めている今でさえ、陸王は落ち着かなくてしょうがなかった。

「勝手にうろうろするからだ……あいつ」

 紫雲の存在を無視するように独り言ちて、これからのことを考えていた時、酒場の女が酒を運んできた。

 そして杯を置くなり声をかけてくる。

「あら、いい男ね。……なんだか疲れているみたいだけど、私でよかったら慰めてあげるわよ」

「悪いが遠慮しとく。面倒だが、捜しもんがあるんでな」

「それって、あたしよりも興味のあるもの?」

「まぁな……」

 悪い予感に胸が浸されて、陸王は突っ慳貪に言い遣った。

 だが、ふと思いついたことがあった。

「ここは二階が宿になってるんだよな?」

 思わず顔を上げる。

 それに対して女は口端に下卑た笑いを張り付けて答える。

「そうよ。あたしがあんたみたいないい男とイイコトするためにね。なんなら三人で楽しいこと、する?」

 艶のある、それでいてじっとりとまとわりつくような女の瞳と声に、陸王は鬱陶しさを感じた。

 そのせいだろうか、さっきよりも突っ慳貪な言い方になる。

「誰も、んなこた聞いちゃねぇよ。それより、ここにガキが来なかったか? 異種族のガキだ」

 女はそれに興味を示したようだった。

「異種族? それって、飴色の髪で耳の尖った、深ぁい琥珀色の瞳をした坊やのこと?」

「知っているのか!?」

「銀細工の耳飾りが似合う子だったわね。でもあの子、まだ女を知らないんでしょ。ちょっと悪戯したら、慌てて逃げてっちゃったわ」

 言って、下品な笑い声を立てる女に、陸王はやおら苛立ちを覚えた。紫雲が反射的に制止したが、聞く耳は持たなかった。

 陸王は立ち上がり、女の腕を強引に引き寄せると、声も低く言い遣る。

「どこに行った?」

 落ち着いたような声音だったが、女を見据える目にははっきりとした怒りの色がある。陸王自身、腕を掴む手に必要以上の力が入っていることは分かっていたが、そんなことには構わなかった。

「あいつはどこだ。どこにやった?」

 陸王の静かな怒気が伝わり、女はその場に竦んで言った。

「し、知らないわよ。あたしはただ、この街の宿には異種族は泊まれないって教えて……だからあたしの部屋に誘っただけよ。そうしたらあの子、逃げて……」

 脅えた女の言葉を最後まで聞くこともなく、陸王は再び口を開いた。

「一体この街はなんなんだ。なんだってそんなに異種族を嫌う?」

「痛い……離してよ」

 流石に紫雲も止めに入った。

「陸王さん、ちょっと待ってください。乱暴はいけません」

 その言葉に、陸王は紫雲に苛立たしい眼差しを向けて言った。

「知りたいことを教えれば放してやる」

 更に陸王の手に力がこもり、紫雲を睨み付けるその瞳にも尋常ならざる光が灯った。

 女は完全に怯えてしまったように、

「離してよ!」

 恐怖と痛みに耐えかねて悲鳴を上げた。それを聞いた周りの男達が一様に色めき立ち、数人が三人の周りに集まり出す。ここの常連達なのだろう。

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