第二話 悪戯と捕縛
雷韋は溜息をつき、「姿が見えないのなら、あれしかない」と、今日、何度目かになる考えを引っ張り出した。
道の端まで行き、目を瞑って精神を集中させる。
意図的に集中すると、陸王の気配がどちらの方角にあるか分かるのだ。雷韋と陸王の魂は形は合致しているが、陸王の魂が僅かに歪んでいる。雷韋はその歪みを無自覚のうちに関知しているのだ。
逆に、陸王には雷韋のいる方角等は全く分からない。雷韋からの一方的なものだ。
これは精神を集中すれば遠くに離れていても分かるが、近づくとより鮮明に陸王の気配を感じることができる。
だがやはり、雷韋が集中しても雑音が多すぎて、上手く感じ取れなかった。いつもならすぐに感じ取れる感覚なのに、今日は何度試しても駄目だ。辺りがざわざわと煩くて、いくら集中しても上手く感じ取ることが出来ない。
ざわめきの原因は人から発されているようだった。それも普通の、魔術さえ使えるとは思えない大勢の人々が発する雑音だった。しかし声ではない。
思念だ。
人々の様々な思念が邪魔をして、陸王の気配を捉えることが出来ない。
実はずっとそうだった。この街に入る頃から思念がざわついて、精霊の声さえ上手く聞くことが出来ずにいた。
雷韋は盗賊組織で育った盗賊であったが、精霊使いでもある。
獣の眷属は生まれながらにして精霊使いと言われるほど、精霊の声をよく聞き取ることが出来た。
それだというのに、精霊の声が遠い。
精霊使いとして感応力が高いために、陸王の魂の気配をも関知することが出来るのだが、今はその能力が封じられてしまったように使いものにならない。
それよりももう夕刻。西の空が茜色に染まっている。東の空は少しずつ藍色がかっていた。雷韋は陸王がまだこの街にいて、今頃は雷韋を捜しているか、それとも自分の気配を辿って雷韋がやって来るのをどこかで待っているのではないかと思った。時間からして、どこかの宿に部屋を取ってしまっているかもしれない。そろそろ晩課(午後六時の鐘)が鳴る頃だ。陸王達とはぐれて、もうかなりの時間が経っていた。
致し方なく、雷韋は近場の宿に入った。この街に入ってきたのは昼間のうちだったが、入ってほとんどすぐにはぐれてしまっていた。いい加減、喉も渇いている。喉の渇きだけでも癒やそうと、宿の食堂に入ったのだ。
雷韋はとりもなおさず、カウンターへと歩いて行った。カウンターに辿り着いたとき、丁度、給仕の娘が酒の入った二つの杯を手に中から出てくるところだった。少し化粧の濃い、娘というよりは多少、薹の立った女だった。
「あら、可愛い子ね。女の子? それとも、男の子?」
「男だよ」
物珍しげに、そして物欲しげに自分をじろじろと見る女の目が、雷韋には堪らなく嫌だった。
宿にはままいるのだ。こういう女が。
男好きで、宿に来る客と寝て小遣い稼ぎをする。
いや、雷韋にはそんなことはどうでもいいことなのだが、雷韋が嫌だと感じたのは、そういう女に限って性の経験がない、あるいは経験の少ない少年に異常な興味を示すということだ。まだ女に不慣れな子供を調教することに異常な興奮と悦びを得る。雷韋はこれまで幾度かそんな女に出会って騙され、何度も悪戯されそうになった経験があった。
だから嫌なのだ。
この女の物欲しげな目が。
背筋を這うような薄気味悪い嫌悪さえ覚える。
「あのさぁ、泊まるつもりはないけど、なんか飲み物頼みたいんだけど」
はっきりとした牽制の響きを含んだ声でいった。その表情にも嫌悪と不快さが表れている。
自分でも、こんな女がいるところにいること自体どうかと思うが、今日は歩き通しで疲れてしまっていた。陸王や紫雲の名をずっと叫び続けて喉も渇いている。これからほかを当たってもいいが、入ってしまった以上、正直ほかを当たるのも面倒だ。
要するに妥協したのだ。自分に。短時間、飲み物を飲む間だけだと言い聞かせて。
「君の名前は?」
覗き込むように女が顔を近づけて名を問う。
「……雷韋」
顔を背け気味に答えた。
だが、女はその態度に気を悪くする風はなかった。それどころか心底申し訳なげに返してきた。
「ごめんなさいね、雷韋君。泊まらないって言ってたけど、泊まるつもりでも泊められないし、飲み物を出すのもどうかと思うのよね。悪いけど、諦めてちょうだい」
「え? どうしてさ」
声変わりの終わらぬ雷韋の呻きのような声を聞いて、途端に女は情欲を感じたような胡乱な色を瞳に宿した。その声音にも。
「だって君、異種族でしょう?」
女はやけに『異種族』という言葉を大きく発音した。
そう言われても雷韋としては特に気にすることもないが、ざわっと辺りがざわついた気がしたがそれは放置だ。今は喉を潤したい。
「そうだけど」
「この街はね、異種族を認めてないのよ」
「でも、入ってくることは出来たぜ。別に市門でも止められなかったしさ」
女の発するはっきりとした差別の言葉に、雷韋は流石に不服を申し立てた。
確かに陸王達と街へ入ってきた時には門衛に止められなかったのだ。きちんと中に入れてくれたし、通行税にいたっても差別されるようなこともなかった。通行税は取る街と取らない街がある。ここでは取られたのだ。それにしたって、陸王達と同金額だった。
「建前ではね。でも、駄目なものは駄目なのよ」
「じゃあいいよ。ほかを当たるから」
言って踵を返すと、すぐさま女の声が後ろからかかった。
「ほかも駄目よ。どこにも異種族を相手にしてくれるところなんてないわ。例え子供でもね」
優しく語りかけるような口調だったが、その声音には意地悪な響きがある。
一度は返した踵をもう一度元に戻して、
「どういうことだよ」
面白くない声を出した。
それに対し、すっと身を寄せて、女は雷韋の耳元に囁きかけるように言い遣った。
「周りのお客さん達を見てご覧なさいな」
女に言われるままに見渡した雷韋の目に飛び込んだのは、人間達の嫌悪と敵意に満ちた目だった。
それに気付き、改めてぞっとする。
「……なんで?」
譫言のような声が漏れる。訳の分からぬ敵意に、まるで意識まで侵された気分だった。
そんな雷韋の耳元に、再び囁きがかかった。
「泊まるところがないのなら、私の部屋に来なさいな。そうしたら食事だってさせてあげるし、今夜はいい夢が見られるわ」
同時に耳に生温かく湿ったものが這い、耳飾りの揺れる小さな音が響いた。
耳を舐められたと知り、思わずぞっとする。あまりの出来事に声も出なかったが、雷韋は反射的に女から離れた。そして恐ろしいものでも見るかのように女を凝視したが、そうすることすら雷韋には耐えられなかった。
女から逃げ出すように店を飛び出したが、扉を抜け通りに出ても尚、背後から遠く響くような女の哄笑が聞こえ続けた。
思うまま、いいだけ逃げ出し、どれくらい走っただろうか。気付くと雷韋は裏通り近くの枝道の中にいた。恐怖に肺の奥が熱く焼け、息も酷く上がっている。
あの店からはもう随分離れていたが、それでもまだ与えられた恐怖は雷韋の中から抜けてはいなかった。
身の危険と言うよりも、生命の危険さえ感じた気がする。
そんな風に思った。
舐められた耳は既に渇いていたが、雷韋はその耳を乱暴に擦った。気分的にそうしないとすまなかったのだ。
何度も何度もしつこいくらいに手の甲で拭うが、何度拭っても拭いきれない嫌悪感がまだ胸の内にある。当然のことだが、拭うたびに耳飾りが小さな音を出した。その音を聞くと、やはりまたあの女のことを思い出してしまう。
物欲しそうな目。
情欲に胡乱だ瞳。
じっとりとまとわりつくような意地悪な声音。
思い出したくないのに思い出してしまい、そうすればするほど、雷韋は強く耳を擦った。そして動物のようによく動く耳が、勝手に嫌な気持ちを振り払おうと、まるで痙攣したようにしきりに動く。するとまた、それに伴って耳飾りの音が耳の奥に響いた。
雷韋はそれが悪循環であることに全く気付かなかった。それに気付くほど大人でもなかったからだ。
暫く耳に残った気味悪さと対決して、半ば諦めた気分になったとき、背後に何かの気配が現れたのを知った。それが人の気配だということは分かったが、それ以上のことは分からない。
ふと何気なく振り返ろうとした時、いきなり布で口を塞がれた。
猿轡だ。
同時に細い紐が身体に巻き付けられる。




