第一五話 解毒
「別に俺、今までこの身体で不都合はなかったぜ。魔術使うときだってどこもなんともないし、跳んだり跳ねたり走ったり、なんにも困んない。でも、こんな身体だって分かったとき、医者は奇蹟だって言ってたって。普通は生きてられないからって」
だけど、俺はもう二二年半は生きてる。そう言って、雷韋は薄く笑った。いや、いつものように裏も表もない笑顔を向けようとしたのかも知れないが、力が入らなかったのだろう。弱々しい笑みにしかなっていなかった。
雷韋の笑みに苦々しい思いになった陸王だったが、一つだけ聞いた。
「大陸に渡る前も普通に暮らせていたのか? 医者にかかっていたなんてことは?」
「ガキの頃、時々。でも、大陸に渡ってきてからは医者にかかったことないよ。だけど、それで困ったこともない。全然、平気。元気さ」
雷韋の言葉に、そうかと呟くように言って、陸王は頷いた。
「それならいいが、それよりも、だ。お前、自分に解毒の魔術を使うことが出来るか? 確か大地の精霊魔法だっただろう」
言われて雷韋は背中の枕に完全に倒れ込むように身を預けると、目を瞑って天井を仰いだ。精霊の声に耳を傾けているのかも知れない。深くゆっくりとした呼吸からしても、それは間違いなかった。
暫し雷韋の呼吸音だけが、静かに部屋の中に響き渡った。
と、雷韋が目を開いて、顔を陸王の方へ向けた。
「集中しても、精霊の声が聞き取りにくい。ずっと思ってたけど、この街、凄く雑音があって精霊の声が聞き取りにくいんだ。火の精霊の声でさえ、結構な確率で掻き消される」
続く言葉はこうだった。
もう光の中に街があるため闇の精霊の力はとても小さくなってるが、間違いなく闇の精霊が人の欲望に触発されてあちこちから呻きのようなものを上げていると。それが更に人の思念と結びついて、煩いと言うのだ。この状態では、光竜と同一になっている大地の精霊の声を拾えるかどうかと言うことらしい。
だから陸王は提案した。
「外に出れば精霊の声を拾えるだろう?」
「……直に地面に触れば、うん、そうだな」
「確かか?」
「確かじゃないけど、……可能性はあるよ。元々、大地の精霊の声をここから聞こうってのが間違ってるんだ」
「なら、行くか」
「え?」
雷韋が驚いた声を上げるのと同時に、陸王は寝台から雷韋を抱き上げた。
雷韋は突然の浮遊感に慌てて身じろごうとしたが、身体が自由にならずに陸王のなすがままだった。そのまま階下に降りて、まだ就寝中の宿の一家を構いもせずに裏口から外へ出た。
そこは四角く区切られていて、四方は建物の裏側になっていた。
扉を開け放った途端、早朝の風が緩く吹いて宿の中へ入ってくる。ここまでは宿の一家のことを構う様子も見せなかった陸王だったが、裏口の扉は静かに閉めた。
その方が、抱いている雷韋にも振動が行かないと知ったからだ。
陸王の腕の中にいる雷韋は外の風を頬に受けて、匂いを嗅ぐように静かに深呼吸する。
そんな雷韋に、外へ出てみてどうかと問うてみると、少年は小さく頷いた。
「少しは精霊の声が聞こえてくる」
「少し、か。やはり人の思念が邪魔をしているか」
雷韋は間違いなくと答えた。街中の人々から発される思念。
それは『欲望』そのものだ。
合法、非合法にかかわらず、交易都市として機能しているこの街の者達から発される欲望。
それが雷韋を邪魔しているのだと、陸王にも理解出来た。
陸王は獣人の毛皮を売りつけてきたあの行商を思い出して、改めてぞっとする。この街にはあんなものを欲しがる者がいるのだ。どれだけの『欲』と冠した思念がこの街を覆っているか知れたものではない。
四角く切り取られた広場の真ん中には井戸があった。そこまでは行かずとも、宿から少し離れて雷韋を地面に座らせるように下ろしてやる。
「これで大丈夫か?」
「うん。……なんとかなるかも知れない。傍にいてくれな」
「そのつもりだ」
陸王の手を背中に感じつつ、雷韋は首肯してから目を閉じる。
片手で印契を作り、片手は地面についた。
その雷韋の肩を抱くようにして、陸王は更に寄り添った。
精霊魔法は唄のように詠唱が唱えられる。精霊の言語が唄のように聞こえるからだ。だが、精霊達の声をそのままなぞると音階はばらばらに崩れてしまう。彼らの言葉はすぐに変調してしまうからだ。だから精霊の声を聞きながらそれをそのまま鼻歌で歌えば、音階の外れた下手くそな鼻歌になる。
いつも雷韋がやっていることだった。
しかし、人族が精霊魔法を使うときに使う言語は、精霊のそれとは少し違う。音階が綺麗に並ぶのだ。今も雷韋は詠唱をしているが、それは歌のように聞こえてくる。ときに音低く、ときに音高く綴られる歌声。
雷韋は今、まさに綺麗な音階を詠唱として唱えていた。
と、急に雷韋は詠唱を止めた。少し驚いて雷韋を見ると、少年は大きな溜息を漏らした。
「雷韋」
「頭ん中、ぼんやりしてて詠唱に集中出来ない。精霊の声も同調してくれない」
辛そうに眉根を寄せて、目も瞑っている。心なしか、肩も僅かに上下していた。
「だが、お前が解毒しねぇと、俺にも紫雲にも出来ねぇぞ。このまま薬が抜けるのを待つほど、お前の中の気は簡単に流れてもいかねぇ」
「陸王、なんか辛くなってきたんだけど。上手く集中出来ないし、身体中なんかおかしい」
「ちょっと待て」
陸王は雷韋の胸に片手を当てて、雷韋の身体の状態を看てみた。と、身体の中でどろどろとしていた気が、昨日の時点より流れが速くなっている。ただし、それだけではない。血液が流れるように、脈動して気が流れているのだ。
禁断症状が始まったらしい。
陸王は思わず舌打ちした。何故、今この状況下で起こるのか。悔しさと腹立たしさが一遍に押し寄せてくる。
「雷韋、辛ぇかも知れんが、なんとか術を発動させろ。このままだともっと辛くなるぞ。禁断症状が始まったんだ」
それを聞いて、雷韋はもう一度溜息をついた。それは諦めのような息のつきかただった。それだけに留まらず、雷韋の指先がさっきより細かく震えている。その震えを止めようとしてか、左手で右手を握ったかと思えば、今度は右手で左手を握ったりと忙しなく握り返すことを繰り返している。
「……出来ない。集中、出来ない」
言ったかと思うと、雷韋は左手で握りしめた右手の甲に爪を立てた。そのまま、がりっと爪を立てて引っ掻く。途端に血が溢れてきた。
濃厚な匂いが立った。阿片の匂いと、雷韋の匂いが混ざった甘い血の匂いだ。瞬間、陸王の脳の奥が痺れた。薬が混ざっているせいか、雷韋の血の匂いがいつもより強烈に感じられる。
「雷韋、自分を傷つけるな。それより、なんとかして解毒をしろ。どうすれば集中出来る」
「頭に響いて……無理だ!」
最後は細い悲鳴だった。
その様を見て、陸王は雷韋の頭の中に響く思念を聞こえなくする方法はないかと考えた。
思念を消す方法。だが、雷韋の聞いているものは頭の中に直接響いているのだ。耳を塞いでも意味はない。ならば、もっと別の音を聞かせるべきだと思う。
頭の中に響き渡る音に匹敵する音? 何か……。
「雷韋、この音を聞いていろ。集中するんだ」
言って陸王は、自分の胸に雷韋の耳を押しつけた。心音だ。人は心音を聞くと安心すると聞いたことがある。胎児の頃に聞いていた、母親の心音を思い出すらしい。それが対であれば、より聞き取りやすいのではないかと思ったのだ。母親代わりになるかどうかは知らないが。
雷韋も胸に耳を押しつけられて、自然とそのまま頭を陸王の胸に預けた。気が付けば、雷韋ももう自分の拳に爪を立てるのをやめていた。まだ震えは残っていたが、雷韋は再び印契を組み、もう片手は地についている。そして自然と雷韋の口からは唄が零れだした。その唄は、さっきよりも力強い。
ときに音高く、ときに音低く、綺麗な旋律が雷韋の口から次々と紡がれていく。普段の下手くそな鼻歌とは大違いだ。
雷韋は歌いながらも、陸王に完全に身体を預けていた。
と、詠唱が完了したのか、雷韋は小さな溜息をついた。見ると、地面についた掌から発せられた淡い黄色の光が、小さな少年の身体を陽炎のように包み込んでいる。
術が発動したのだ。
陽炎の如き光の中で、雷韋の顔色も見る間によくなっていく。地の精霊の力で、解毒が進んでいるのだろう。それにつれて、少しずつ光も消えていく。
雷韋を取り巻いている光が完全に消えると、雷韋は瞼を開けて身じろぎして陸王の胸を少しだけ押して離れた。
「解毒完了だぜ」
雷韋が片目を閉じて陸王に宣言するように言う。さっきまで随分と弱っていたのに、それが嘘のようだった。
だがその言い様にも態度にも、陸王はほっとして小さく息をつく。
「もう、どうともないのか?」
「うん、大丈夫。あんたが落ち着かせてくれたから、精霊の声に集中出来た。多分、熱も引いた」
言いつつ、腕を触って確かめている。
「そうか。なら、部屋に戻るか」
「ん」
返答して、雷韋は陸王と一緒に立ち上がった。
今度は雷韋は陸王に抱えられて階段を移動するのではなく、自分の足で階段を一歩一歩上っていく。
と、先に階段を上っていった雷韋を紫雲が見つけた。丁度、陸王達の部屋へ向かうところだったようだ。雷韋があまりにも普通にしているのを見て、驚いた顔をしている。
「雷韋君、出歩いて大丈夫なんですか?」
ほかの泊まり客達はまだ眠っている時間だったためあまり大きな声は出さなかったが、その声音からだけでも心配のほどはよく伝わった。
雷韋がそれに対して悪戯っぽく笑って、「もう解毒してきたから大丈夫だ」と答えると、紫雲は心底安堵した息を吐き出した。
その雷韋のあとから陸王が姿を現し、紫雲は改めて大きな溜息をついた。
その様子に、陸王は小さく笑った。
「寝てたんじゃねぇのか?」
「眠れるわけがないでしょう。ずっと心配していました。何か不測の事態が起こったというようなことは?」
「特には」
手短な返答に紫雲はどこか納得のいかない顔をして見せたが、雷韋がくすくすと笑い出したのと同時に、陸王と紫雲が気が抜けたように吐息をついた。
「全く、お前は」
「全く、君って子は」
同時に息をついただけでなく、異口同音に言う。それも、またしても同時にだ。
そんな二人を見て笑いが止められない雷韋だったが、
「紫雲も一緒に部屋行こうぜ」
と、陸王の意見も聞かず誘ってしまう。
紫雲は少し戸惑う様子を見せたが、雷韋に強引に手を引っ張っられて歩いて行ってしまった。残された陸王も致し方なさげに頭をぽりぽりと軽く掻いてから、二人のあとを追った。




