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大樹達とはぐれた少年はどさくさに紛れて風の神の神殿へと来ていた。
彼は大樹が苦戦しているのを見ていたので、自分達が生き残るには彼を超え得る力を借りる以外ないと彼なりに考えた結果ここに来ている。
神殿とは言われているがぱっと見は古い一軒家であった。
奥にある巨大な石の蓋がなければ、そこに神とされるものが祀られているとは誰も思わないだろう。この石の下に風の神が祀られているとされているが、常人では持ち上げる事は不可能な程の重さなので確認した者は今のところいない。
少年はそこに花を供えると、
「お願いします、みんなが無事逃げられるようにしてください」
と、何度も祈った。
巨石の蓋の下には階段が作られており、そこを降りていくと小さな部屋がある。
その部屋の中にある寝台に風の神と云われている女性は腰をかけていた。
(何か聞こえるな…)
立ち上がって階段の方へ近づき耳を澄ませる。
子供の声だった。
何度も繰り返すように、助けを乞うている。
(この国にしては珍しいな。自分ではなく他人の事を思った願いだ)
珍しいどころか、この地下室に入ってからは初めて聞く願いである。
彼女は風を操る能力の他に不老不死という特性も持っており、年をとらない事を周囲の者が不気味に思うだろうと思って百三十年くらい前にこの地下室に入ったのだが、いくら不老不死とはいえあまりにも昔の事は忘れてしまうらしく、地下室に入る以前の事は自分の事に関することも含めてほとんど忘れてしまっている。
しかしながら少年の言葉を聞いて、以前自分も誰かの事を思って戦った事があったような気がして、なんだか懐かしい気持ちになった。
(無事逃げられるように……か、いつもはお金が欲しいとか、商売が上手くいきますようにとか、私には無理な頼みだけれど、これくらいなら協力してあげられるかもしれないな)
そう思うと、壁に立てかけてあった剣を携えて階段を登り、百年以上閉じたままだった石の蓋を風の魔法で持ち上げて地上へと出て行った。
「こんばんは、助けを呼んでいたのは君だよね」
地下室から出た風の神は目の前にいた少年にそう言ったが、百年以上誰とも話していないため彼女自身も驚くほど声が小さい。
しかし、少年には聞こえており
「えっ、えっ、もしかしてお姉さんが風の神様…?」
という反応があった。
彼もまた、目の前で起こっている事が夢か現か判断しかねており、少し声が小さくなっている。
「風の神様とは呼ばれているしその名の通り風も使えるけど、私も自分が誰でどういう人間だったかはあんまり思い出せないんだ。それと、見た目はこんなだけれど、たぶん百歳は超えているからお姉さんってのもちょっと違うかもしれないね」
そう先ほどよりやや大きい声で言い、重ねて、
「風の神様っていうのは長いから私の事はフウとでも呼んでよ。本当の名前が思い出せないから仮の名前だけれどね」
と言った。
「はい、フウさん。風を神様であるあなたに頼みたい事があるんだけど、みんなが無事に逃げられるように手伝ってくれませんか」
みんなというのが誰かという事や、何から逃げようとしているのかは神殿の窓から見える景色によって何となく察したフウは、
「分かった、手伝ってあげる。そのみんなのところに案内してくれるかな」
と言って少年に手を引かれて神殿の外へ出た。
神殿のある区域はかなり静かなものだったが、ドムスの方へと近づいていくにつれて徐々に騒がしくなっていく。
「よく、私のところまで来られたね」
燃え盛るインスラの横を通り過ぎながらフウは少年へと言う。
「できるだけ子供しか通れないくらいの狭い道を使って来たんだ。だから、来る途中誰とも会わなかったよ」
得意そうに彼は返す。
しかし、次の瞬間には彼の表情はその自信を失っていた。
道の先に、民間人を縛り付けて生きたまま焼こうとしている軍人の集団がいたのである。
「私がいるから心配しないで。ところで、あの縛られている人達も助ける?」
フウは横にいる少年に尋ねると、彼は首肯した。
「分かった」
そう一言言うと、
〈柔らかく 激しく風立つ 旋風〉
と、呪文を唱えて巨大な旋風を発生させて民間人の方へとそれを向かわせた。
当然、民間人の周りにいた軍人達はそれを避け、旋風には民間人達が巻き込まれる。
その民間人達を巻き込んだ旋風を手繰り寄せる事によって彼等を救出した。
旋風を解除し、落ちてくる彼等を風で受け止めると、
「ロープを解いてあげて」
と少年に言い、フウ自身は軍人達の対処に移った。
ただ、対処と言っても立っているのがやっとという程の強風を軍人達に浴びせるというものだが、それでも先程の民間人が逃げ切るだけの時間を稼ぐ事が出来た。
全員逃げ終わったことを確認すると彼女は少年を抱えつつ、軍人たちを足止めしている強風を解除し、
「次は私たちが逃げる番だよ」
と腕の中の少年へと言い、自身の魔法で飛び上がった。
フウはそのまま空中で、
「君の仲間はどの辺にいるか分かる?」
と少年に尋ねた。
「あの辺だよ」
そう少年が指し示したドムスに向かい、二人は風に乗って飛んで行く。
フウと少年がその場所にたどり着くと、そこにはジャックと大樹がいた。
空からいきなり現れた二人にジャックと大樹が呆然としていると、
「この二人は君の仲間?」
とフウは少年へと尋ねた。
少年は首肯する。
「その子を母親が探しているんですよ。連れて来てくれてありがとうございます。僕は五十嵐大樹と言い、彼は仲間のジャック・デウマルムです」
と大樹が挨拶する。
「私はフウと言います。早速なんだけど、この子を母親の所に連れて行ってあげていいですか? 私、この子とその仲間が無事に逃げる事が出来るように手伝うって約束したんで、早く合流しないといけなくて」
「はい、この奥の穴を抜けてずっと直進していけば合流できるはずです」
そう大樹が言い、二人を連れて奥へと向かおうとする。
それをジャックは
「ところで、あんたは風の魔法使いだろ。それもかなりの腕前の」
と、フウに呼びかけて引き止めた。
「魔法使いじゃなくて風の神様だよ。神殿でお祈りしたら来てくれたんだ」
そう答えたのは彼女ではなく少年だった。
(さっきの風の魔法を見ればあながち嘘でもないのかもしれんな。そもそも、子供のこういった話は結構信用できたりするものだ)
そう思った彼は、急に目の前にいる彼女が戦力として欲しくなった。
彼も彼女が昔、他国の城郭都市を破壊したという伝説を知っている。
自身と大樹だけではやや心許ないが、彼女が加わればそれだけで確実にレックスの城を落城させることもできるだろう。
そこで、
「なぁ、あんた。彼らを安全なところまで逃したら俺たちと一緒に戦ってくれないだろうか」
と、言ってみた。しかし、
「いや、私はずっとこの子達を守り続けますよ。そもそも私はどういう訳か軍人や兵士とはまともに戦えないし、そっちを手伝うのは無理だよ」
という反応が返ってきた。事実、彼女は先程の戦闘で軍人たちを一人も殺傷していなかった。
戦神とも云われている彼女なので、この国の軍人には手が出せないのかもしれない。
さらに、仮に彼女がここに残った場合は、代わりに大樹が少年達の護衛をすることになるだろう。
「そうか、残念だが仕方ない。タイジュ、お前は彼女達を送って行ってやってくれ。俺はアドリアーナ達と一緒にアイラを探しに行く」
そう言ってジャックはアドリアーナとベラを連れて町中へと向かって行った。
彼女達を連れていれば、大樹が富豪達に流されてそちらへついて行くということもないだろうと考えたからである。
大樹も当初は姉妹を富豪達と共に逃した方がいいのではないかと考えていたが、ジャックが一緒なら二人は大丈夫だと思ったので二人を彼に預けて、自身はフウと少年を富豪達のところへと案内した。
ドムスの裏庭の方へと消えて行く彼を見て、
(あれだけの力を持っていながら、掌の上でころころ転がされて……しょうがない人だなぁ)
と思っていた人物がいる。
ジャックも似たような事を考えてはいたが、それを一番強く思っていたのはアドリアーナであった。




