四項 仲直り
自分の杖が僕の便によりコーティングされてしまったリシアは、何を思ったのか部屋から飛び出して行ってしまった。
尻に残る気持ちの悪い感触と匂いにも慣れを感じてきた僕は、そのまま魔法の訓練を続けようとしたのだが、思いのほか早くリシアが部屋に戻ってきた。
目元は少し潤んでいるだろうか。
手には布切れとバケツ、さらには小さなパンツをもっている。これは僕のパンツだ。
リシアは僕の方へやってくると、黙々と僕を脱がし始めた。
なにか、こう。言葉にするとアレなのだが、絵面的には問題はない。
しかし、なんともないのは第三者目線の感性であって、僕としては母やミュゼットさんとはわけが違うように思う。
その――恥ずかしい。
とてもうれ。
とても屈辱的な時間をやり過ごした僕は、リシアによってベッドの上に戻された。
リシアはその後、バケツの水を取り替え、先ほどよりも汚れた布きれを手に戻ってくると自身の杖を洗い始めた。
さすがに水に突っ込むのではなく、丁寧にゆっくりと拭き取っている。
「はぁ。カッセル様に頂いた大事な杖なのに……でも、あんなことをしてしまった私に物を言う資格もないし――」
すごいな、弁が壊れたかのように独り言がでてくるぞ。
リシアが杖を洗っていその場所には、スポットライトのような陽光が差し込んでいる。
まるで、悲劇のヒロインだ。
洗っているのが、赤ん坊の便がついた木の枝というのがマイナスポイントだと僕は思う。
「よし。これでだいぶキレイになりましたね。今日もこの杖で特訓と行きたいところですが……」
「う?」
なんだ?
こっちを見ている。
叱られるのか?
「実はね――」
リシアは僕に近づきながらしゃべりかけてくる。
「今日もミュゼットさんがロイ様のお世話をする予定だったんだけど。珍しく体調を崩しちゃったみたいで――今日は私が勤めさせていただくのです。急だけど」
リシアは僕を抱き上げた。
なんともいい匂いだ。
先程までのぼっとん便所臭とは天と地の差、地獄と天国の差だ。
リシアは僕を抱えながら僕の背中を優しく、リズムよくたたき始めた。
心地よく揺れるそのむ――体は僕を眠りに誘う。
並みの赤ん坊であればイチコロだろう。
しかし、僕はそう甘くはない。
仮にも前世で成人していた身としてこんなところで堕とされてたまるか。
僕が必死な抵抗をみせていると、全く寝る気配がないと気づいたのか僕はベッドの上に戻された。
「もう……だから無理って言ったのに……」
普通に聞けばただの愚痴だが、彼女の涙をみると同情せずにはいられない。
なんとも、可哀想である。
「あのロイ様。寝てくれませんか?」
「や!」
「うえーん……」
赤ん坊より先に泣く侍女とはいったい……。
僕はなんとなく慰めてやることにした。
短い手腕を精一杯伸ばし、リシアをさすってやろうとそう思った。
しかし結果は振るわず。
僕の手はリシアの胸を捕まえていた。
「私はまだ出ないんですよ……ロイ様……」
泣きながらも真面目に答えるリシアがとても可笑しく映る。
僕は紳士として、すぐに手を引っ込め立ち上がった。
先ほども立っていたが今できる限界はここまでだと思っていた。
それなのに僕の両脚は体重を交互に託し合う。
思えばこれが今世で初めての歩行だった。
僕の歩行は長くは続かず、少し体制が崩れてしまった。
「おっと。危ないですよ、ロイ様」
「……」
手を差し伸べてくれたリシアの瞳を僕はじっと見つめた。
こう見るとやはりあどけない。
「どうしました?」
転倒しかけた僕を助けたことで涙が引っ込んだのか、リシアは普段通りに問いかけてきた。
「う――」
そんなに無理しなくていい。
といっても伝わるはずもないのだが。
「ロイ様……私を心配してくださるのですね」
つ、伝わった。
怖い。
「じゃあ、ロイ様聞いてくださいますか? 私の話」
「あ――」
「ほんとですか! じゃあ、たっぷり話してあげますね」
その後リシアは僕の隣に座り、あの日のこと、それ以降のことを話始めた。
まずリシアが魔法を使った理由はとにかく使いたかったからだそうだ。
僕の父に教わった初めての魔法をどんな場面であっても活用してみせようと意気込んでいた、という話である。
そして、赤ん坊の近くで魔法を使ってはいけないということは知らなかったそうだ。
これは僕も初めて知った。
事件後に父から教えてもらったらしいが、赤ん坊の近くで魔法を使うと、赤ん坊の中の魔力が反応を示し、流動を初めてしまうらしい。
魔力を知りもしない赤ん坊に制御できるはずもなく、体の内側からのエネルギーに侵されてしまうのだとか。
これが「魔力暴走」の概要だ。
リシアがこのことを知らないのは、師である父の監督不行き届きであるのだが、そんな発言が許される雰囲気ではなく、リシアはしばらくの間、僕との接触が禁じられていたらしい。
「それで、今日いきなりですよ? ――手が足りないからロイ様の世話をしろ。禁を解く。くれぐれも魔法は使うな――って、あんまりです!」
リシアはとてもお怒りのようだ。
「ああ、でも。ロイ様には本当に申し訳ないことをしたと思っていますよ。だってもしあの場にロゼル様がいらっしゃらなければ、最悪、ロイ様は亡くなっていたかもしれないのですし……」
「……」
空いた口が塞がらない。
声が出ないという言葉は一般にこのような状態を指すのであって、ここまでの使い方は少し違っていたのだと思い直した。
いきなりの展開に僕は素直に驚いている。
まさか、転生して一年で死の危機を乗り越えていたとは。
まぁ、無駄に意識することがなかったのは僥倖であると捉えよう。
「でも、安心してください。ロイ様は私が身を捧げてお世話しますから」
「……」
その赤くなった目元で宣言されても、信用に欠けるぞ、リシア。
しかしリシアが純粋な人であることは理解できたつもりだ。
リシアの瞳から伝わる思いを受け入れてやることにしよう。
「それはそうと、ロイ様。もしかして魔法に興味があるのですか?」
僕は全力の笑顔を見せた。
作り物ではなく、本心から出たものだ。
「よかった。私のせいで魔法が嫌いになっていたらと思って――」
そんなことを思っていたのか、全く気付かなかった。
どこまでもピュアな子だな。
「わかりました。今から魔法のお話をしてあげましょう!」
「あ――!」
「嬉しいですか?」
次は頷いてみた。
「ほんとですか! それじゃあ、カッセル様の弟子であるこのリシアがロイ様に魔法を教えてあげましょう! とはいってもただの受け売りですけど……」
まさかの展開だ。
これでいらぬ努力をせずに済む。
もしかしたら今日中にでも魔法を使えるようになるかもしれない。
興奮している僕をみてリシアもとても嬉しそうにしている。
リシアは僕を持ち上げ、自分の膝の上に置いた。
安心感は欠片もないが、高揚感はある。
なにかこう、年上の遊びに混ぜてもらっているような感覚だ。
「何から話しましょうか――」
リシアは自慢気に話を――いや、自慢話を始めた。
リシアはある日、僕の父であり領主のカッセルに呼び出されたという。
何か過ちを犯してしまったのだろうかと怯えていたリシアだが、用件はカセッルの魔法練習の手伝いをしてほしいというものだったらしい。
そして、カッセルガ魔法を使った瞬間、体が軽く、熱を帯びたのだとか。
「いまにしてみると、あの時カッセル様がおしゃっていた魔法の才というのは先日の魔力暴走に似た点がありました」
「……」
冷静な分析をありがとう。
「その時に魔法の才があると判明し、適性を見てやろうと言われまして――」
カッセルの火の魔法を間近で一時間程見続けたという。
するとカッセルが嬉しそうに口を開き、君には火の魔法の才脳がある。今度直接教えてやろう、と言われたそうだ。
そして数週間後、ついに教わる時がきた。
魔法の習得に必要なものは「魔力」「適正」「会得したい魔法をすでに扱える人」の三つで、才ある者と既に会得している者が手をつなぎ、その状態で後者が魔法を使う。
前者にその魔法を扱える魔力と技量があれば、すぐにでも使えるようになるとカッセルは話していたそうだ。
リシアは「初級・炎魔法――火球」を扱える魔力が十分にあったという。
しかし問題となったのが技術の方だ。
魔法における技術は大部分をメンタルが占めているらしい。
リシアに技術が足りないのは僕にも理解できる。
そんな不器用なリシアにカッセルが勧めたのが自己暗示であり、あの詠唱らしい。
つまり、詠唱は必須ではないのだ。
もっと言えば、国によって内容が異なるなど地域差まであるらしい。
少しがっかりである。
僕が不器用なことを願うとしよう。
「――その後は自分で練習を重ねて、ある程度は使えるようになって……それで、いろんな人に自慢したくて……」
うん。
もうわかったよ。
勝手に気を落としたリシアは放っておこう。
それにしても、予想よりも大きな情報を得られたな。
もうすでに魔法をマスターしたといっても良いかもしれない。
リシアの話を正しいものとして進めるのであれば、今ここで僕がリシアと手をつなぎ、リシアが火球を使えば、僕はそれを会得できるということになる。
こんな簡単な話があって良いのだろうか。
僕は小さな手で、僕の体を押さえているリシアの手を握った。
「む? どうしましたか?」
「……」
「あっ! もしかして、魔法を使えるようになりたいんですか?」
今更かもしれないがこの子、赤ん坊と会話をするのが上手すぎやしないか?
こちらとしてはありがたい話なのだが、なんとも不思議な子だ。
「確かに魔力暴走を起こすということはロイ様もご両親と同様に魔法の才脳があるのでしょう。私も教えてあげたいと思っていますし……でも、それはできないのです。あなたの前で魔法の使用を禁ずる、とカッセルさまから皆に命令がありましたし」
む?
ということはだ。
僕はその命令が取り消されるまで魔法を使うことが出来ないのか?
今世始まって一年と三か月ほど、スタートダッシュは失敗に終わったようだ。
その後、僕は他の方法を試してみようとしたが、リシアの腕から抜け出せず、昼食時以外の全ての時間をリシアの自慢話に占拠されてしまった。
僕はゆっくりと目を開けた。
側には、いつものように温かみがあった。
母が戻ってきたのかと思ったが、違った。
リシアだ。
僕の横でリシアも寝ていた。
侍女が一緒に寝るのは如何なことかと思うが、視界を占めている可愛い寝顔に免じて許してやろう。
僕は再び目を閉じた。
部屋に戻ってきたカッセルとロゼルはその二人を微笑ましく思ったという。
しかし、茶色く匂った水が入ったバケツが置かれていたことに気づき“少し”怒ったのだとか。
リシアがミュゼルさんからありがたい指導を受けたというのは、また別のお話である。




