三項 魔力とは
「ロイ様! ロイ様!」
侍女が呼びかけてくる。
反応したい気持ちは山々だが、体が言うことを聞かない。
この場合、赤ん坊の体でも出来ることすら実行できないという意味だ。
火の球はいつの間にか消滅している。
既に熱源は消えているというのに、このどうしようもない熱が冷めることはない。
やはり、関係のない事象なのだろう。
そういえば僕は熱を出していたな。
しかし、どうだろう……赤ん坊のころの発熱は命に関わるような事例もあると記憶している。
これもその類の話なのかもしれない。
「どうした!」
扉が強く開けられドン、と壁と接触する音が聞こえるとともに父親がやってきた。
父親は自分の手には負えないと判断すると、半べそをかく侍女を一瞥し、一目散に僕の側に歩み寄る。
「うむ。確かに熱があるな――む! これはッ!」
父は何かに気づいた様子で僕の胸に手を当て、集中した表情を見せる。
父に触れられているからか、僕はどこか安心して、先ほどのような焦りは起こらない。
しかし、安心できる状況ではない、と父の次の言葉が示す。
「おい! すぐにロゼルと医療班を呼べッ!」
「は、はいッ!」
父は珍しく大声を上げ、停止状態にあった侍女に指示を送った。
侍女が部屋を出てから、母たちを引き連れてくるまでの時間は一分もなかった。
「ロゼル。落ち着いて聞いてくれ……おそらく『魔力暴走』だ」
「魔力暴走……」
魔力暴走。
この聞き馴染みのない単語に強く反応を示したのは母だけではなかった。
僕に魔法を見せてくれた侍女は身を震わせ、彼女についていたベテランの侍女は大きく開いた眼でその震える侍女をただ見つめている。
母はその二人に構うことなく、一目散に僕に近づく。
「では、あれを?」
「ああ。それ以外にないだろう。ロイは辛い思いをするが、最悪の事態は免れなければ」
「そうね……。ごめんなさいね、ロイ。ちょっとだけだから我慢してね」
「ぅ――」
少しだけだが声が出せた。
しかしこのそよ風のような鳴き声ではどうにもならない。
それでも母は聞き取ってくれたようで、僕に向かって小さく笑顔をみせた。
母は何を言うでもなく、父が触れたのと同じように僕の胸に手のひらを当てる。
ああ、体がどんどん軽くなってゆく。
熱も引いて、とても気持ちが良い。
苦しみから解放されるのだ。そう思うと同時になぜあそこまで父が焦っていたのか、疑問が浮かんだ。
次の瞬間――僕の視界がぼやけた。
世界との間に摩りガラスがおろされたように、世界は荒く、遠のいてゆく。
そこからの記憶は、残念ながら覚えていない。
後から聞いた話によると、その後の僕は三日三晩、嘔吐や下痢をくりかえし、時には泣き叫び、力を使い果たしても睡眠すらできずに、ただ時が過ぎるのを待つほかなかったという。
この話のソースは侍女たちの雑談からであり、そこにあのときの二人はいなかったため、信憑性のほどはわからない。
「おはよう」
曙光と間違えそうなやさしい声とともに、僕の日常は戻ってきた。
あの一件以降、母、またはベテラン侍女が僕のそばを離れることがなくなった。
それに、僕と顔を合わせる人も限られるようになった。
例の若い侍女も、声すら聞いていない。
母が部屋をでる。
仕事というのはわかっているのだが、実際に何をしているのかは見当もつかない。
実は最も謎に包まれた人物なのである。
父はお客人への対応をしたり、町の男どもを引き連れて魔物を間引いたりといつも忙しそうにしている。
母が部屋をでると、入れ替わりでベテラン侍女が入室する。
彼女の名前はミュゼット。父より前にこの地を収めていた人に仕え、その当時から今もなおこの地に身を捧げるとても格好良い方である。
格好良いのはその生きざまであり、見た目は優しいお母さんといった風貌だ。
正直、この世界の実の母であるロゼルは前世の僕と然程かわらぬ歳にみえる。それが理由か、ミュゼットさんのほうがロゼルよりも母親という雰囲気を感じるのだ。
今日も昼寝をしよう、と思った僕はある違和感に気づいた。
その違和感は僕の体の中にある。
以前、僕の体を蝕んだものが再び動き出そうとしているのを感じた。
しかし、その熱はあの焼けるようなものではなく、体にめぐる血液のような温かみを感じさせるものだった。
これは何なのだろう。
僕はこれまでの情報を基に、この熱の正体を探ることにした。
答えはすぐに出た。大げさな表現であったことを詫びよう。
この熱はおそらく「魔力」だ。
僕は生まれてこの方、考え続けていた疑問があった。
それが「魔力」が実際にはどのようなものなのか、という疑問だ。
ステータス画面以外でその言葉すら見た覚え、聞いた覚えがない。
この疑問を解くためのヒントが先の辛い出来事に散りばめられていた、と僕は思う。
嵐の日に僕を苦しめたのがこの熱であることは間違いない。
そして、僕の容態を診た父は「魔力暴走」と口にしたこと、原因がおそらく魔法を使った侍女、或いは侍女の使った魔法にあること。これらを考慮したときに、この熱が「魔力」であったならば説明がし易い。
「魔力」前世ではゲームやアニメの中で耳にした言葉だが、その実物に触れる機会などあったはずもない。
そのため確度の低い推察ではあるが、この熱を魔力だと考えて今後について考えたい。
僕には時間がない。
制限時間は十三歳の誕生日。
その日までに魔力を出来る限り伸ばしておきたい。
十三歳の誕生日といのは僕のスキル「成長」に関わるものだ。
転生後、女神の御前でスキルを選んだ時よりも詳細な情報を確認できることが判明した。
あの説明が如何に乱雑なものであったか。今回はプラスになることばかりであったが、もし同じ道をたどる者がいるのだとすれば、僕から忠告くれてやりたい。
「成長」のスキルの詳細は、他者よりも体力や魔力の成長率が上がるというもの。
そして、その効果は十三歳の誕生日以降失われるというものであった。
成長速度と成長率では大きな差があると思うのだが、それを考慮しないあたり、あの女神らしいといったところだろうか。
ともかく、成長しやすい体質であることは明らか。
その倍率こそ不明であるが、努力するだけ他と差が出るというのは、能力としても、モチベーションの維持の側面をみても大きな強みだ。
そして僕は自身の魔力を感じられるようになった。
つまり、魔力の成長に向けて動けるようになったのだ。
「あ――!」
「ふふ。なんだか嬉しそうですね」
ミュゼットさんがいるのを忘れていた。
しかし、だ。僕は肝心なことを知らないのである。
そう、魔力の成長の原理だ。
筋肉のように考えれば良いのだろうか、或いは特殊な修行が必要なのだろうか。
結局その日は答えを見つけられず、母の声で眠りにつくのであった。
翌日、僕にまたとない好機が訪れた。
いつものように母が仕事で部屋を離れた。
しかし、いつになってもミュゼットさんの姿が見えないのである。
なにかあったのだろうか。
心配に思う気持ちはあるが、この身ではどうすることもできない。とその時。
ドアノブがゆっくりと回転し、上下を擦らせながら扉が開かれる。
半開きになった扉の隙間から、あの若い侍女が顔を覗かせていた。
あの一件以来、実に一か月ぶりだ。
「あ……」
侍女は僕と目が合うと、小さく声を漏らし、そのままゆっくりと扉を全開にした。
侍女は部屋を見渡した後に、一応といった様子で口を開いた。
「し、失礼します。リシアです。ミュゼットさんはこちらに……いま……せん、よね?」
「う――」
はい。いません。
僕の声に反応した侍女とまたもや目が合う。
「あ。し、失礼しました!」
彼女は勢いよく扉をしめ、走り去ってしまった。
僕はその足音を聞きながらあることを決意する。
よし。
魔法を使ってみよう。
使う魔法は、さっきの侍女。リシアが見せてくれた火の球を生み出す魔法だ。
僕にとって最大の難関は「詠唱」であろうと思われる。
その理由は当然、まだまともに話すことすらできやしないからだ。
しかし、やってみないことには始まらない。
僕はあの日の記憶を頼りに火魔法「火球」を試してみることにした。
ところまでは良いのだが。もう一つ困ったことがある。
あのときリシアが使っていた木の枝。あれの代替品が思いつかない。
ベッドを壊すような怪力も持ち合わせていないし、外に取りに行くという案は論外。
僕があきらめたその時、またとして偶然が味方をする。
閉められた扉の前、そこにはなんと僕が求めていた。いや、求めたいた以上のものがあったのだ。
それは、リシアの使っていた木の枝、そのものである。
勢いよく去っていったあの瞬間に落としたのだろう。
初めて魔法を見せてくれたり、道具まで貸してくれたりするなんて、彼女は女神の遣いか何かだろうか。
ここはありがたく使わせていただくとしよう。
僕はベッドから慎重に身を降ろし、四足歩行で扉の前に落ちている木の枝を拾った。
この体では少し大きいため、ぎゅっと両手で握り、慎重に立ち上がる。
よし。
「あえ、あおえ――うお――。お――お――え――おあえ、えおあああ――おあ――『あいあおー―』」
完璧だ。
が、なにも起きない。
体が熱くなる兆候すらない。
何がいけないのだろうか。
やはり発声の問題だろうか。
であれば、訓練はもう少しお預けということに……しかし、時間が……。
いけない。考えられる可能性が多すぎるな。
とりあえず、すべて試してみることにしよう。
その後、僕は思いつく限りの方法を試した。
頭のなかで強く念じてみたり、あの瞬間を再現しようと全く同じ位置でやってみたり、リシアのように僕は出来ると自己暗示してみたり、とにかく試した。
しかし結果はどれも変わらず。
ここまで来ては、僕には魔法の才能がないと言われたほうが納得できる。
ここで僕は、とある衝動が抑えられなくなってしまった。
目一杯両手で拳を握り、とにかく叫ぶ。
これだけである。
「あ――――!」
とにかく叫んだ。
エネルギーというエネルギーを体の外へ出すようなイメージで、全力で叫んだ。
おい、まじかよ。
まさかの実験成功である。
体内がどんどんと熱くなってゆく、まさにあの時の感覚だ。
それでも恐れはない。それはこの熱を僕がコントロールしている感覚が確かにあるからだ。
僕はそのまま、踏ん張り続けた。
体の穴という穴から全てをだすように……。
そのため当然――
あ、漏れる。うんこ。
――出るものもでてしまうわけで。
僕は漏らした反動で、右足を半歩引いてしまった。
そこに木の枝を置いたことは完全に忘却の彼方、僕は足を取られ尻もちをついた。
べちょ。そんな音が耳にへばりつく。
どんな状況か、僕が一番わかっているのだが、目視で確認することも怠らない。
僕のウンチは、押しつぶされたおかげで服の外へと飛び出し、リシアの木の枝をより一層、茶色に染め上げていた。
僕はこの時、扉が開いた音なんて気づいていなかったと思う。
「危ない、杖を忘れるところでした。おそらくこの部屋に……え」
絶望と困惑を一対一で混ぜたようなリシアの表情は、一生をかけても引き出すことの出来ない代物であるということは、この時の僕には知る由もなかった。




