09 寄り道
実家であるミレルディ家で必要なものを揃えたレナリアは、いったんジュリアスの屋敷に荷物を置いてから街に出ていた。
目的などはなく、ふらふらと馴染みの店をのぞいては店主と幾つか言葉を交わして離れる。そして大通りから一本脇道に入ったところにある仕立て屋に足を踏み入れた。得意客であるレナリアに気づいて作業の手を止めた職人が「いらっしゃいませ、レナリア様」と歓迎してくれる。
「ちょうどお好きそうな生地を仕入れたところなんですよ。ご覧になりますか?」
「ありがとう、サラ……でも今日は、ドレスを仕立てに来たわけではないのよ」
「それではお茶を淹れますね。ちょうど休憩したいと思っていたところなんです」
長椅子に案内され、香り高い紅茶がティーポットから注がれる。
トルソーに飾られた華やかなドレスの数々。一針一針縫っていく静かな仕事。斬新かつ顧客の趣味に合わせたデザイン画。
訪れるたびに穏やかな気持ちにさせてくれるお気に入りの場所だった。
「今日はオーダーするつもりはなかったのだけれど、眺めていると欲しくなってしまうわね」
「ありがとうございます、嬉しいです」
レナリアは職人兼店主であるサラの素朴な人柄を気に入っていた。目が合うと、にっこり微笑まれる。
「レナリア様、ご結婚おめでとうございます」
「あ、ありがとう……知っていたのね」
もちろんです、とサラは大きく頷いた。
「王室が手配されたので直接レナリア様にはお会いしませんでしたけれど、結婚式用のドレスを仕立てたのもうちの店なんですよ」
「ああ……だから、私のサイズぴったりだったのね」
それにしてもレナリア好みの上品なドレスだと思っていたが、この店を使っていたとは——納得である。誰の配慮だろうか。まさかとは思うが国王陛下が……いやいや、それはあり得ない。だとすればジュリアス、しか考えられないが何故この店をレナリアが贔屓にしていることを知っていたのだろう。
うっとりとした顔つきでサラが言う。
「大聖堂での結婚式、遠くから見ていました。ほんとに素敵だったなあ」
「大げさよ……私にとってはもう思い出したくもない出来事のひとつだけれど」
レナリアがぼそりと呟いたせいでサラは聞き取れなかったらしく、首を傾げていた。こほん、と咳払いをしてから尋ねた。
「お店は順調なの?」
「おかげさまでなんとか続けさせていただいています。私と通いの縫子の二人でやっているので、あまり多くは引き受けられませんけど……」
言いかけて、サラは首を傾げた。
「そういえば、持ち込みの生地で百着のドレスを仕立ててほしいというご依頼があったんです」
「ええ!? 百着とはすごいわね……」
「そうなんです。うちは小さな店ですからご要望にお応えできかねる面も多くて……他の店をご紹介させていただいたんですが」
サラは紅茶のカップの中を覗き込む。静かな紅い水面にミルクを注いでかき混ぜた。
「不思議な生地だったんです。触れているだけで吸い込まれそうな……一枚だけでも譲って貰えばよかったかしら」
「サラ?」
ぼんやりとしたサラの声音に不穏なものを感じたレナリアが声をかけると、はっとしたような顔つきで此方を見た。
「ああ、レナリア様すみません。少しぼうっとしてしまって……」
「ねえ。その依頼主ってどんな方だったの?」
「申し訳ありません。いくらレナリア様でもそれをお教えするわけには……」
困ったように眉を下げたサラに「そうよね、ごめんなさい」と謝罪する。
サラに見送られ、仕立て屋を出ると陽が傾いていた。早く帰らなければ、と思ったところで——一瞬、頭を掠めたのはジュリアスの顔だった。彼はもう戻っているのだろうか。そこまで考えたところでレナリアは首を大きく横に振った。どうして私があいつのことを気にしなくてははならないのかしら……いえ、毎日顔を合わせる相手のことなのだから、考えて当然なのだけれど。
もう、レナリアにとって帰る場所はミレルディの屋敷ではない。そのことに一抹の寂しさをおぼえながら家路を急いだのだった。




