08 予兆
ミレルディ家の屋敷は、鬱蒼と繁る木々に覆い隠されるようにして建っている。通りがかる人々は王都にこんな緑が深い場所があったなんて、と驚くが、森を含めてすべてがミレルディの私有地と知ってさらに驚嘆する。
木立を抜けた先にある石造りの邸宅はいかにも魔女の家らしく、結界が幾重にも張られ、見た目にはわからないが侵入者を寄せ付けない作りになっている。
まだジュリアスと結婚して数日しか経っていないのに、すでに懐かしい気がしてくるから不思議だった。
「レナリア?」
遥か上空から声をかけられ、視線を向ければ「おーい、こっちこっち」と手を振られる。杖に跨っていた青年がゆっくりと降下してきて、レナリアの前に軽やかに降り立った。
「どうしたんだ、もう実家が恋しくなったのか?」
「エドアルドこそこんな時間にミレルディ家にいていいわけ? ……まさか解雇でもされた?」
従兄のエドアルド・ミレルディ——宮廷魔術師である。カルデローナ家がほぼ宮廷魔術師の地位を独占している中、珍しくミレルディ家から選抜されたため、王宮ではかなり浮いているらしい。それを心配してのレナリアの発言だったのだが「ひでーこと言うなよ」とエドアルドは眉を下げた。
「今日は遅出なんだ。日付が変わるまで詰めていたから上司が心配してくれてさ」
「……やっぱり職場でいじめられているの?」
「だーかーらー、違うって言ってるだろ」
エドアルドをからかうのにも飽きたので、さっさと本邸に入ろうとすると従兄も杖を片手についてきた。
「何よ」
「いや、レナリアが帰ってきたならベルタ様が美味しい紅茶をいれてくれるだろうなと思って」
「ずうずうしいわね……」
薔薇のアーチをくぐり抜け、玄関ホールに足を踏み入れると腰のあたりに、とん、と軽い衝撃があった。
「エマ?」
振り向くと、レナリアと同じ紅茶色の髪の少女がぎゅっと抱きついていた。
恥ずかしがり屋なので、ふだんは姿消しの魔術を使って隠れていることが多いのだが——レナリアの気配を感じて挨拶に来てくれたようだった。
「ただいま。元気にしていた?」
こくりと頷いたエマの頭を撫でていると、足元にもふっとした毛並みを感じた。にゃーん、と甘えるような声をあげて子猫が擦り寄ってくる。さっと抱き上げて視線を合わせた。
「アリア、こないだはおつかいありがとう」
「えへへ。役に立てたのならよかった」
灰色猫のアリアはぴくぴくとひげを揺らして誇らしげだ。アリアを抱えたまま居間に入ると、祖母のキアラと母のベルタが何やら神妙な顔つきで水晶玉を覗き込んでいる。しばらくはレナリアがいることにも気づいていないようだった。
「これは由々しき自体じゃ……ベルタ。至急陛下にもお知らせせねばなるまい」
「お母様がそうおっしゃるのであれば——あら、レナリア。よく帰ってきたわね。元気そうでよかったわ。お茶会でもしたいところなのだけれど……ちょっといまから王宮に行かないと行けなくなってしまったの」
夜闇を思わせる漆黒のドレスを纏ったベルタが申し訳なさそうに言うと、エドアルドが勢いよく挙手した。
「それでしたら、出勤ついでに俺がお供しますよ!」
「エドアルド……助かるわ。私一人では侮られるかもしれないもの」
「お任せください」
いそいそと準備を始めてしまったベルタを前に、レナリアはエマと顔を見合わせた。
「お祖母様、いったい何があったのです?」
長椅子で顔を顰めているキアラのもとに駆け寄ると、無言のまま水晶玉を差し示した。エマと一緒に覗き込むと、ゆらりと黒い霧のようなものが立ち昇っているのが見える。
「凶兆じゃ……これが前回見えたのは、二十年前の飢饉のときじゃった」
「それでは今年も……?」
「飢饉とは限らぬが、王国に何かしらの禍が近づいておることは違わぬじゃろうて」
祖母の表情は強張り、水晶の中でけぶる漆黒の闇を食い入るように見つめていた。
◇◇◇
窓がない部屋は薄暗く、日が差し込まない。フローレンス王国の宮殿にある書庫はどこか木々が鬱蒼と繁る森にも似ている。
書庫のさらに奥まった場所。いまだ整理しきれておらず積み上げられた書物の山の中に、二人の青年が立っていた。呆然とした面持ちで、ひとりが言う。
「おいおい、こんな書類の中からどうやって探せと言うんだ。父上も無理なことを言う——おまえの魔術でぱぱっと見つけ出せはしないのか?」
書庫の中は静まり返っており、声がよく響いた。
まだ年若い青年は、反応がないことで独り言のようになってしまったことに苛立ちを隠せなかった。
「おい、ジュリアス! 聞いているのか?」
「妻が可愛すぎてつらい……」
「何を言ってるんだおまえは」
まったく会話になっていないことに、青年は呆れ返る。
「エリオ王太子殿下、俺のレナリア——妻の話を聞いていただけますか?」
「聞かない。仕事をしろ」
エリオは目の前にいる男、ジュリアス・カルデローナが本当に王国屈指の腕前を誇る魔術師であるのか疑わしく思っているようだった。いまにも舌打ちをしそうな顔つきでジュリアスを睨んでいる。
「まあ、そう仰らずに。レナリアと来たら警戒心をあらわに接してくるのです——俺が何か企んでいるのではないか、と疑っているかのように!」
それがどうして「可愛すぎてつらい」につながるというのか、さっぱりわからないのだが——そう、エリオの顔に書いてある。ジュリアスは仕方がないので、ヒントを差し上げた。
「疑心とは俺に興味があるという表れ。無関心とは真逆の傾向です、ふふ……もっとレナリアが俺のことを気にして、俺で頭がいっぱいになればいいのに」
「もういい。おまえの歪んだ惚気をこれ以上聞くつもりはない。一刻も早く書物を見つけろ、と言っているんだ——これ以上、こんな黴臭い場所にいるのは御免だからな」
「そこまでおっしゃるなら仕方ありませんね……『探査』」
ジュリアスが手を打ち鳴らすと、目の前に本の山が積み上がった。その中の一冊、ひときわ古びた書物を手に取って見分する。中身としては治水事業の内容を示した記録にすぎないようだが——微かながら魔力を帯びている。
招き寄せた本を手に取って、内容を追うでもなくぱらぱらと頁をめくってみて気がついた。
「これと、あとこれ、そしてこの本といったところでしょうか。インクが違います——おそらくは筆記者である魔術師が自らの血を混ぜている」
「……気味が悪いな」
ジュリアスが該当の本を抱え、そろって書庫を後にした。書庫の扉の前で待っていた兵士が「殿下」と声をかけてくる。
「ミレルディ家から至急お伝えしたいことがあると謁見を求められており」
「レナリアが⁉︎」
エリオより先にジュリアスが食い気味に反応した。
「もう俺のことが恋しくなってしまったなんて……ふふ、着実にレナリアの気持ちが傾いてきているということかな」
「いえ、ジュリアス様。お越しになられたのは、ミレルディ夫人のベルタ様で——あと、付き添いのエドアルド様です」
エドアルド・ミレルディ。
カルデローナ家がほぼ独占している宮廷魔術師だが、魔術学校を優秀な成績で卒業したことと爽やかな風のような性格が評価されて、職を得ている。何か文句をつけて辞めさせてやろうと躍起になった者もいたようだが、のらりくらりとかわされているうちに、王族からの覚えもめでたくなってしまい易々とクビにはできなくなってしまっていた。
「あいつレナリアに馴れ馴れしすぎるんだよな……」
ぼそりとジュリアスがつぶやいた一言を聞いていたエリオが「仲良くやれよ、嫁さんの親族だろ」と忠告した。
「俺自身はミレルディ家に何の感情も抱いてないです。ただレナリアとの仲を邪魔する者が許せないだけで」
「おおこわ。ほら行くぞ」
エリオがジュリアスの首根っこを引っ掴んでずるずる引きずっていく。
エリオに続いて謁見の間に入ると、レナリアの母であるベルタがジュリアスに気付いて目で挨拶してくれる。エドアルドも何か言いたげに此方を見たが気がつかないふりをした。
国王陛下が入室して、ベルタとエドアルドが跪いた。
「ベルタ・ミレルディ、ミレルディ一族の当主キアラに代わって国王陛下にご挨拶申し上げます」
「堅苦しい挨拶はよい——何か火急の用件だと聞いたのだが」
はい、と神妙な顔で頷くと、ベルタは水晶玉から読み取った凶事の予兆について話した。
「占い、か」
「——ミレルディ家の水晶玉は最古の魔女の持ち物で、由緒正しい品でございます」
国王が目を細めたのを見て、ベルタは補足するように言った。
「はは、侮っているわけではないぞ。ちょうどカルデローナからも同様の報告が上がってきたところでな」
「陛下。書庫より、数冊それらしき書物を発見しました」
同席していたエリオが続きを引き取った。
「ジュリアスによれば、魔術師の血が混じったインクで記されているとか」
「お、恐れながら申し上げます——術者の力量にもよりますが、血文字は魔術師のかける最上級の魔術符となり得ます。触れただけ、目に留めただけでも発動する可能性があるかと」
ベルタが顔を青くしながら口にすると、一同の視線が、ジュリアスの腕の中にある書物に集中した。
「おいジュリアス! そんな物騒なものを陛下の御前にお持ちしたのか!」
「いえ、これらの書物は過去の……そうですね、二十年ほど前に発動済みなので、いまとなっては取るに足らないものです。中身も確認済みなので危険はありません」
ほら、このとおり。
そう言ってページをぱらぱらとめくってみせると、ひっ、とベルタが悲鳴を上げた。
「ですがこのような罠が過去、宮殿内にしかけられていたように、現在も何かしらの不穏な気配を宮殿内に感じるのです」
「魔術師が何かよからぬことを企てているということか」
「……ですが、あからさますぎます。まるで見つけてほしがっているかのような稚拙な悪意だ」
ジュリアスの声音が静かに響く。沈黙が満ちたところで、国王はこの謁見の間に集った面々を見回した。
「この件については、引き続き警戒を怠らず進めてくれ。何かわかったらミレルディ、カルデローナ両家は必ず報告すること」
国王陛下の御心のままに——両家は跪き、拝命した。




