07 穏やかな朝
妙な夢をみた。
学生時代の、夕焼けに染まる湖の情景。そこにはレナリアがいて、ジュリアスがいた。ダンスパーティーがどうとか言っていたのは、実際にレナリアが昨晩ジュリアスとダンスを踊ったせいだろうか。
深く息を吐きながら寝返りを打つと、隣にはぎょっとするほどの美貌の男が眠っていた。ひえ、と小さく悲鳴を上げかけた口をレナリアは慌てて手で押さえた。
階段を駆け上ったときのように心臓がうるさい。ど、どうして——と思ったものの、ここは夫婦の寝室なのだから夫が横で寝ているのはごく当たり前のことだと思い出す。
そう、ジュリアス・カルデローナはレナリアの夫なのだ。自分に何度も言い聞かせていても、いまだに新鮮に驚いてしまう。
さらさらの金糸の髪は寝ぐせという言葉を知らないらしい。敷布や枕と擦れてもちっとも乱れていなかった。そろりそろりと寝台から抜け出して、一続きになっているレナリアの自室へ入った。
ジュリアスが目覚める前に身支度を整えておかねばならない。寝衣から若草色のドレスに着替え、用意されていた盤で顔を洗う。櫛で紅茶色の髪を梳かして編んだ髪を纏めるいつもの髪型に整えた。
階下に向かい、ロッシ夫人の手伝いをしているとジュリアスがあくびを堪えながら食堂にやってきた。
バターが香る焼きたてのパンに、塩漬け肉と卵をこんがり焼いたもの。それに新鮮な野菜を使ったサラダ。質素というほどではないが、名家の出身であるジュリアスにしては物足りないのではないかとレナリアは思った。
テーブルに朝食を運ぶと、ジュリアスが目を見開いた。
「まさか君が用意してくれるとは」
「私はお手伝いをしただけ。作ったのはロッシ夫人だから安心して召し上がって?」
ジュリアスの正面に座ると、おなじメニューをロッシ夫人が運んでくれていた。フォークで卵の黄身をつつき、溢れ出た卵黄を塩漬け肉に絡める。塩味とまろやかな旨味が口の中で混ざり合うのが好きだった。
ミレルディ家では朝食はいつも自室でとっていたが、こうして食堂で食べるのも悪くないものだ。食事を共にするのがジュリアスでなければ、なおいい。
そのとき、ジュリアスがじっとこちらを見つめていることに気づいた。
「……食事中、淑女をじろじろ見るのは失礼じゃないかしら?」
「悪気はなかったんだけど、今日の君も愛らしくて、つい、ね」
相手にするんじゃなかった。
今度は視線に気がついてもレナリアはジュリアスと目を合わせず、さっさと食事を終えてしまった。
「ところで旦那様、本日のご予定は?」
「——」
「ジュリアス?」
惚けたようにレナリアを見るので、自分がおかしなことを言ったのかと不安になった。ようすをうかがっていると、ジュリアスは「もう一回」とわけのわからないことを言い出した。
「もう一回、言って」
「は?」
「レナリア……」
ものすごい勢いで繰り返し言うよう要求してくるジュリアスを薄気味悪く思いながらも、圧に負けてレナリアは口を開いた。
「……今日の予定は?」
「そこじゃなくて!」
悔しそうに叫んだジュリアスがいよいよ狂気じみてきたので、レナリアはいますぐその場から逃げ出したくなった。
「わ、私、ミレルディ家に顔を出してくるわね。魔術符研究に必要な書物を取ってきたいし。あなたは宮廷に出仕するのでしょう? 王太子殿下によろしく……」
「待ってレナリア」
レナリアが席を立つより早く、ジュリアスが椅子を引いた。さっと背後に回り込むと、テーブルの上に置かれたレナリアの手に、自らの手を重ねてくる。
耳朶に吐息があたる距離で、ジュリアスは囁いた。
「今日は早く帰るよ」
「……そう」
「話をしよう。俺たちのこれまでのことと、これからのことをじっくりとね」
ふ、と背後にあった気配が消える。おそるおそる振り返ると、そこにジュリアスの姿はなかった。転移魔術を使ったのだろう。強い魔術符を発動したときの痕跡が空気中にゆらゆらとけぶるように漂っている。
「……なんだったのかしら」
レナリアが首を傾げているとき、一部始終を目撃していたロッシ夫人がひっそりため息を吐いていた。




