06 【かなわない相手】
フローレンス王立魔術学校は、王都より南方のレッダ地方に在る。温暖な気候と広い湖を有するこの地域の中心には魔術学校の他に、騎士養成専門学校や貴族の子息が通う寄宿学校を有し、学園都市が成り立っていた。
都市の中央に位置する古城を改築した校舎には、魔術師を志す若者が集い、勉学に励む。中でも際立って優秀な成績を収めているのは、王国の双杖と呼ばれるふたつの家系の出身者である。
建国に力を貸したと言われる最古の魔女を祖とするミレルディ家と、当代の国王陛下付き筆頭魔術師を始めとする多くの宮廷魔術師を輩出するカルデローナ家。
此処フローレンス王立魔術学校において、両家は互いに競い合い——いがみ合っていた。
学期末試験の結果が講堂の外壁に貼り出されると、生徒たちが人だかりを作る。外壁から数歩離れたところから呆然とした面持ちで見上げているのは、紅茶色の髪の少女だった。
また、学年二位。
レナリアは唇を噛み締めた。レナリアの名前が毎回二位であるのと同様に、一位の名前も変わらない。
ジュリアス・カルデローナ。
「やったな、ジュリアス! また学年一位じゃないか」
「カルデローナ家の誇りだよ。っしゃ、赤髪の魔女をまた打ち破ってやったぜ」
大声で騒いでいるカルデローナ一門の生徒たちを睨みながら、ミレルディ家に縁付いた生徒たちがレナリアを慰めた。
「レナリア様、カルデローナの連中など気にすることはありません」
「そうです、どうせ不正でも働いたに決まっています」
「なんだと⁉︎ ジュリアスがそんな卑怯な真似をするわけないだろうがっ」
一触即発の空気が漂うなかで、ジュリアスと目が合った。数拍見つめ合い、レナリアの方からふいと視線を外してしまう。
今度こそ、カルデローナに負けるわけにはいかない。
寮に戻るなりレナリアは教本を開いて、復習を始めた。暗記科目はお互いにほぼ満点で、ジュリアスとの差は出ない。問題は実技科目だ。魔術師は魔術符と呼ばれる呪文を唱え、背丈ほどもある杖の先に力を集めて増幅し、術を行使する。
その魔術符の発音や音程の正確さや美しさによって効果が大きく変わってしまう。
レナリアは古い魔術符を読み解いたり、新しく魔術符を編み出したりするのを得意としていたが、時々、呪文の発音が揺れて狙いどおりの効果を得られないことがあった。
いっぽうでジュリアスは、魔術符の正確性は他の追随を許さず、教師よりも美しい発音をしてみせると評判だった。
「緊張するから発音を失敗するのよ……集中、集中」
ぱたん、と教本を閉じて息を吸い込む。ルームメイトはまだ帰ってきていない。ミレルディ家の縁戚である彼女は、近頃は最近できたらしい恋人とのデートに夢中になっていた。
今晩開催されるダンスパーティーにも彼と一緒に参加するのだと嬉しそうに語っていた。浮ついている、と苛立ちはしたが、ほんのすこし羨ましい気持ちもある。
息抜きがてら寮を出て、湖のほとりを歩いていると先客を見つけて足を止めた。夕闇が迫り朱く染まった水面を覗き込む横顔は端正で、思わず息を呑んだ。
まるで、彫像のようだわ。
物憂げな眼差しは深く水中に注がれていて、そのままずぶりと片足でも沈めてしまいそうに見えてぎょっとする。そのとき地面に落ちていた小枝が、レナリアの踏み出した一歩でぱきりと折れた。
少年がはっとしたようにこちらを見た。襟元まですっぽりと覆ったローブが風にはためいている。
「レナリア・ミレルディ……?」
「そういうあなたはジュリアス・カルデローナよね」
こんなところで何をしているの、取り巻きも引き連れずに。嫌味っぽくなる、と思い途中で口をつぐんだのだが、レナリアの言いたかったことは伝わってしまったらしい。
「俺にだってひとりになりたいときはあるさ」
「そう……」
肩をすくめたジュリアスは、ふたたび視線を湖に戻した。茜色の湖面を風が渡り、水鳥が羽ばたいていく。
もうすぐ日が落ちる。
そういえば、今日はダンスパーティーだったっけ。講堂で開かれる学期末の一大イベントでは、多少羽目を外しても許される。開催のひと月ほど前からダンスのパートナーになりたい女子生徒たちが、ジュリアスに纏わりついているのを目にしていた。
「ねえ、そろそろ戻らないといけないんじゃない? パーティーの準備があるでしょう?」
余計なお世話とは思いながらもつい口を出してしまったのは、いつになくジュリアスが心細そうに見えたせいかもしれなかった。
「君は?」
「えっ?」
「レナリア・ミレルディ。君はパーティーに参加しないのか?」
鋭い視線がレナリアを射貫く。
なぜだかわからないのに、どくん、と胸が鼓動した。ただダンスパーティーに行くかどうか尋ねられているだけなのに。
「……行かないわ。パートナーもいないし」
「冗談でも言っているつもりなのか? 学期末の打ち上げに参加しないなんてどうかしているだろ……大体、君にパートナーがいないだなんて」
ジュリアスが呆れたとばかりに目を伏せ、息を吐く。そのわざとらしい態度に、むっとする。
「次の試験に向けて勉強したいと思っていたから、ちょうどいいのよ」
「まだ半年先じゃないか」
「……今度こそ、あなたに負けたくないもの」
ジュリアスの青い双眸がレナリアに向けられる。じっと見つめられ、その視線の強さに思わず後ずさった。
「レナリア、俺は——」
「私はもう行くわね。あなたも、ほどほどに」
「待って」
踵を返したレナリアの腕をジュリアスが掴んだ。思いの外、強い力だったので怯んでしまう。振り払おうにもそうできない、切実さのようなものを感じてしまった。
「レナリア、俺と……」
心臓が波打つ。
憎悪にも似た激しい感情が青い眸の中にたぎっているのが見てとれた。本気で追い詰められたら、逃れられないのではないかと錯覚してしまいそうになる。
どうしてかしら——。
レナリアは魔術師で、この手を振り解く方法など百も思いつくはずなのに、そう出来ずにいる。しばらくの逡巡ののちに、ジュリアスが握っていた手をそっと離した。離れていったあとも、手首に彼の熱が残っているような気がした。
「ダンスパーティーに、来てくれないか」
「——行かないと言っているでしょう?」
懇願するようなジュリアスの囁きに、レナリアは静かに首を横に振る。そしてふたたび彼に背を向けた。
「待っているから」
背中にかけられた声は聞こえなかったふりをして、寮の部屋に戻ると分厚い魔導書を開いた。今度こそ、私は負けるわけにいかない。
少し開けた窓からは講堂から漏れ聞こえる楽団の音が入り込んでくる。伸びやかなヴァイオリンの音色にも心動かされることなく、レナリアは静かにペンを走らせていた。




