急な下ごしらえは案外大変
世迷言だと思って欲しいんですけれど、とあの時彼女は言った。
遠い遠い異国の地では春に領民が歌うのだそうだ。春が来たことを喜び、地獄のような種付けを励まし、もう会えないかもしれない誰かの無事と幸福を祈って歌うのだそうだ。
「私の家の領地は、端的に言って谷の底です」
そう言ったエリノア嬢の声の細さと震えが忘れられない。怒りではなく、屈辱に耐える震えが。
領民に課す税は軽く出来ない。軽率に実行すると途端に周りの領主の反感を買う。彼女の家の地位は高くないから余計に反発と重圧が酷い。無理やり肩を組んでくるような、一蓮托生だと上から投げ渡される、俺が嫌うあの空気で提案はことごとく喉の奥に閉じ込められる。周囲を無視して強行なんて出来るわけがない、報復だってもちろん怖い。
領地改革もやっぱりろくにできない。同じ理屈だ。出る杭はとりあえず打つのが貴族だ。打っても打ってもへこたれない奴が伸びてきた所で掌返すまでがワンセットだ。いくら実績を上げていると評価されても、領民が歌わないのなら、なるほど、エリノア嬢にとっては領地は谷の底にしか見えないだろう。
けれど、もし俺がそこに婿入りしてきたら、この辺の障害が一気に消える。だって俺だもの。俺っていうか、俺の家系だもの。王族から遠くない血縁を持ち、若くして完全なる実力主義者の王太子殿下直属の部下になってる兄がいる、俺だもの。
なんでそんな中枢に平民も同然みたいなエリノア嬢の親父さん入れたんだってピーチクパーチクやかましい連中を黙らせるための、これは完全に政略結婚ですから。
だから、お前が理想を歌いたいなら歌えばいいんだ。だって俺がいいよって言った。
歌わせたいなら歌わせろ。
俺がいいよって言ってやるから。
お前が惚れてるならもういいよ。歌いたかったら歌えばいいし、歌わせたいなら歌わせればいい。
牙の奥にずっと隠していた宝石が、お前は好きだったんだろう。
だったら牙を届かせるのが俺のメインディッシュになっていくんだ。
ので。
なので。
こんな意味わからん所でふにゃふにゃ言ってる奴の相手をする暇はないんだけどなあ。
「ガルニエ隊長は今どちらに?」
聞く相手はちょっと遠巻きにしていた使用人だ。これは相手に聞かせるための脅しだ。お前のせいで問題大きくなってんぞー、って言う宣戦布告だ。さわりさわりと人が集まり始めたこの状況下でこの質問。ふはは、焦るがいいよ、焦ってボロ出せ、エリノア嬢は大義名分じゃなくてもっと致命傷な傷が欲しいってさ。
その傷を足がかりに上に行きたいとご所望だぜ、お前がグズだって名前つけた女が。
アルノウス、いや違うなんだっけ、まあいいや、そいつはもう喋れない。まあそうだよ、俺がもうお前口開くなって言ったから。代わりにずっとエリノア嬢を見てる。え、それ、もしや、熱情の演出? だとしたら俺笑っちゃうけど、今更すぎて。それとも助けてって言ってんの? それも笑うね、今更すぎて。
怖い話をしようか。
俺、案外貴族適性持ってんのよ。
誤解がある、誤解がある、としか言えない男の横からなんかいきなり大きな影が来た。
ガルニエ隊長のご到着だ。
「失礼、私の部下が何か失礼を?」
鍛え上げられた体躯、ぱっと見では怖いなと思わせる顔立ち、低い、唸るような声。
典型的な、身体能力で世の中全部なんとかなると思ってるタイプ。
それから、こんなやつを評価するような、
走り始めた思考にいきなりブレーキがかかる。
『良くないものを好きだと言うと、言った人の価値すら落ちる気がしませんか?』
思うわ。うん、今初めて実感として分かった。思うね、エリノア嬢。俺、今この隊長のこと何にも知らないのに、一点突破で価値落とそうとしたね。
この人がアレ何某を評価していても、だからこの人はダメだ、なんて思っては、いけないね。それこそ身体能力で乗り切った、みたいな俺の判断も違うわ。引っ張られた。
ガルニエ隊長の評価は置いとく。必要なのはなんだ。俺は何のためにこの方を引っ張り出してきた。
息をしられないように吸って吐く。情に引きずられるな。社交界では取り乱した方が悪役だ。俺はエリノア嬢を叩こうとした男を殴りたいわけではない。物理的な意味でも、社会的な意味でも。
俺はこの男を殺したいのだ。だから。
だから、まずは。
エリノア嬢は領主になりたい。それもただのお飾りのそれではなく、春に歌を歌うような、柔らかい未来を持ってる領地の領主になりたい。これは分かってる。俺たちの最終目標はここだ。私幸せでしたにっこり、じゃない、具体的に掴みに行く未来だ。
それから、俺の家の方で言うなら、兄貴はおそらく、上司であるエリノア嬢の父君に恩を着せ、近い年の俺を完全に自領の後継候補から降ろさせたい。俺自身は兄貴を追い落とす気はないけど多分周りがいい加減鬱陶しくなってきたんだろうな。でもそれは俺が考えることじゃない。この辺はもう知らん。兄貴がなんとかせえ。家から出されんなら俺はもう噛まん。
でもってエリノア嬢の父上は正直全く読めない。て言うか、会話したことがない。ただ、話を振った時にエリノア嬢が嫌な感じを出さなかったから、まあおそらく幼馴染という名の何某かをなんとかしてくれっていうだけなんだろう、それ以上はわからん。わかって欲しいなら情報よこせだわ。ほんとに分からん。てゆうか今どこいんの? こっちに来てんの? 来てないの? それも分からんし読めんよ。
ガルニエ隊長は……なんだろうな、問題なくこの場を抑えたい、か? 俺自身、騎士の方に情報網持ってないからこの人本当に知らない。彼の基準がわかんないんだよなあ。評価にどうしても私情が入る。俺、多分この人のこと客観的に見れない。めんどくせえ。保留。
ちなみに、幼馴染のナントカくんはもう考えない。考える価値がないからだ。て言うか、あいつどう殺すのって話だった。
そう、どう殺すんだって話だって思い出せたのは、
「違うのです、ガルニエ様!
停滞していた思考を吹き飛ばしたのはエリノア嬢の美しくも悲壮な声だった。完璧な震え、完璧な細い声。つくづくこの子の攻撃力は高いわ。一撃必殺じゃねえか。
「たまたまなのです、本当に運が悪かっただけなのです!」
……あぁ。ふむ。なるほど。
フォローをどうもありがとう、エリノア嬢。なるほど、ガルニエ隊長はそういう男か。
「……何があったのか、お伺いしても?」
「……、」
ねえ、エリノア嬢、女優でも大成したんじゃねえの? 何その気丈に振る舞ってるけど怖い、みたいな息の呑み方。完全に整えてくれるのかよ。完璧じゃねえか。
「ガルニエ殿でいらっしゃる?」
まずはご挨拶をしましょうか。お前さんの部下には大変大変お世話になりまして、の意味を込めて顎をわずかに上げた。上背のある彼を見るためでもあり、権力を示すためでもある。要するに、私怒っておりますよ、だ。
「は、王立騎士団第二隊隊長を拝命しております、ガルニエ・モンレアルであります。失礼ですが、クラウゼル侯爵家の方だとお見受けいたしますが、間違いございませんか」
これだよ何某。騎士っていうのは名前聞かれたら所属から家名から相手に対してした推量まで、何から何まで言うんだよ。清廉潔白ってこう言う返答だぜ。
「通名ですがユリウス・クラウゼルと名乗っている。どうぞ、ユリウスと」
「では、失礼ながら、ユリウス様と」
「うん。それで、ガルニエ殿、申し訳ないが、私は寡聞にして存じ上げないのだが、貴殿の隊では抵抗するものには問答無用で力を振るうのだと教えているのだろうか」
息を呑む音がいろんな場所から聞こえたなあ。エリノア嬢はいいわ、お前舞台装置として満点です。で、使用人、これはトラブル発生のやつだな、ガルニエ隊長、うんそうだね、俺はあなたの息を止めに来ました。で。
何某、お前どこまで読めないの。お前、誰の婚約者叩こうとしたかまだ分かってなかったの。
さあ、メインディッシュだ。ここまで整えたんだ、美味しく鳴いてくれよ?




