婚約者の望みを叶えるのはだいぶ大変
肉食いてえなあ。
普段食べらんないような良い肉食べて、酒もちょっと飲んで、情報収集して、ちらっと腹ごなしに踊って、そのあとシガールームで情報詰めてってしたい。
エリノア嬢の周りだけが優秀なわけがないから、頭角出してきてるところに挨拶して人となりを確認したいし、俺んとこに恩恵ありそうな計画とかいくつかあるらしいからそこにも顔通しして、ついでに金は出すから一枚噛みたいですアピールもしたい。
最近叙任されたとこがなんとなくだけどでかい商会バックに持ってて強そうなんだよなあ。
でも多分、俺の今日のメインディッシュはそこじゃない。
エリノア嬢が消えてからも夜会の流れは止まらない。俺は兄の一歩半後ろで笑って頭を下げてチラリと食事して、乾杯と掲げられた杯を舐めた。
……今か。いやまだか。兄が動かない。仕事先の誰かに素晴らしい笑顔を見せている。奴の社交が終わっていない。
俺に俺だけの情報網があるように、兄にも兄だけの情報網がある。そして奴は王宮に勤めるという嫡男的にはとんでもねえことしてるので俺よりもその情報網は隅々にまで食い込んでいるだろう。
その兄が完璧な好青年の顔のまま、俺に待てを言い続けている。
けど。けどさあ。
兄貴はエリノア嬢を知らない。もっと言うなら、表面しか知らない。
あの子の持ってる爆発力とか、感情を全部駒にする感覚とか、自分の恐怖を他者への攻撃に転換する危うさを知らない。
紅茶を飲む時の優雅さも高貴さも、本当に怖くてと言った時に震えた指の細さも知らないから。
あの子は兄貴が思ってるような、お美しい初恋を抱えている哀れなお嬢さんではなく、必要だと思ったら一気に頸動脈食いちぎる女傑だ。
……そろそろか。
「兄上、行きます」
宣言したら完璧な笑顔のままで切り捨ててきやがった。
「早い。まだ騎士様がご高説垂れてるだろ」
ああもう、めんどうくせえ。やっぱ見えてねえ。
「あの子、そんなもんに付き合うタチじゃないですよ。下手すりゃもう殴り始めてます」
「……あ、そう?」
一瞬の沈黙の後、ふい、と視線をそらしたのは、つまり兄貴の許可だ。
つま先の位置を変えた直後、拾わなくて良い声を拾っちまった。
「……殴んの?」
殴んの。社会的に。
夜会会場には当たり前だけど使用人が多数配置されている。円滑に会場が回るように、あるいは突発的な何かに対応できるように。窮地とか警備とか、それから余計なトラブルを未然に防ぐのは使用人の仕事だし、把握して共有して彼らは動く。当たり前だろ、それで飯食ってんだから。
ので、さらりと聞けば当然のようにさらりと答えを返される。当たり前だよな、招待客の人間関係把握しとくのなんて初期の初期だろうし。
だから簡単に中庭の東屋の一つに辿り着ける。こういうとこもさー、なんかもういちいち浅い、あの騎士だか騎士見習いだか。
さて。
今頃泣きついてんだろうなあ。セリフはなんだろ、君はそれでも僕が好きだっただろ、あたりか? いやもう馬鹿の考えって逆に追えないわ。
東屋が見えたところでいらない声を耳が拾う。どうも今夜は余計なものばかりが聞こえるらしい。
「も、お前にとっては僕の方がいいだろうが!」
うっわ。
「良い、とは? 申し訳ございません、あなたが何を仰ってるかがわかりませんわ」
うっわ。
傍から見れば男に女が詰められてるシーンに見えるんだろう。現に微妙に警備の人間の輪が縮まっている。それに手を挙げて様子見の合図を送りながら、ちょっとだけ足を早めた。
あれ、裏事情知ってる人間から見ると女が言質というか、大義名分取りに行ってる場面にしか見えんわ。
俺ここに入ってかなくちゃいけないの? え、なんて言って入んの?
「良いから! もう良いから、わかったから! お前はとにかく言えば良いんだよ、言えよ、俺に惚れてるから嫌ですみたいなさぁ!」
「出来ませんわ、婚約致しましたもの」
「だからさぁ! それを! やめろって、お、れ、が! 言ってんの! お前がいくらグズリーでも分かるだろ、ほんっとグズだな!」
グズリー。グズリーねえ。
決めた。
「何を言われましても無理ですの。家同士の決め事ですもの。それに……」
「だから! いちいち口答えすんなって、」
興奮してるから身振りが大きくなってきたな。さっきから上下に動いていた肩が大きく跳ね上がる。つられたようにエリノア嬢がわずかに足を退いた。
そーれーはーだめだわー。
「言ってんだろ、このグズ!」
ばしん、ていうよりもべし、くらいのもんだな、くらった感じ。こいつほんとにろくに体鍛えてねえんだなーて言う感想しかない。だっって俺程度の男ですら全然ダメージ入ってねえんだもん。
「仮にも騎士を名乗るなら、レディに手を上げるのはいかがなものか」
しかも打たれたのは俺の胸付近、つまりこいつ明確に顔狙いやがった。女の、俺の婚約者の、エリノア嬢の、顔を狙った。
「……怪我は」
ポカンとした後顔を赤らめた男を無視して振り返る。無理やり入り込んだ時に足でも捻ってたらまずい。
「……ございません。そちらこそ」
「ああ、大丈夫。幸いでした」
あ、良かった。間に合ったわ。エリノア嬢、スイッチ切ったわ。
礼を言われる前に姿勢を戻す。中途半端な所で手を止めたままの騎士崩れは今は顔を青くしていた。
「……君、名前は?」
「は、あ、あの、誤解があるかと思うのです」
即答しろ、仮にも騎士だろ。
「私は名前を聞いている」
「ユ、ユリウス様、わ、私と彼女はその幼馴染で、気安い仲といいますか、」
「……。そう」
会話にならない。俺こういうの嫌い。ほんとにめんどくさい。
「エリノア、彼の名前は?」
「ユリウス様!」
うるせえなあ。俺が聞いてんのはエリノア嬢なんだから黙ってろよ。てゆうか。
「失礼、私はいつ頃君に挨拶を?」
俺、あんたにどうぞ名前で呼んでくださいって言った記憶ないんだけど。
ひゅ、と空気を飲んだ音がする。そもそも、曖昧さを愛してる貴族会話使ってんのにここまで言わすなよボケ。言わすんならもうちょいあけすけモードにしとけって話。
「エリノア」
どうする? こいつの家名出してもいいよ。俺一応殴られたからお前が欲しかった大義名分はもうあるぞ。問題をでかくできる素地は作った。
「ユリウス様、彼の言った通り、私たちは幼馴染なのです」
「そう」
うん? これどっちだ、情が出たか? 嘘だろ、お前あんな、貴様の喉笛噛みちぎるみたいな目をしときながら!?
「彼は昔から……感情があまりにも、上手に処理できない人で……」
あ、あー、そっち方向? でもねえ、それもう遅いよ。なぜなら奴が手を上げたのはエリノア嬢じゃなくて俺だから。あ、いや待て。
「彼の名前は?」
「……アレクシス様です」
エリー! とエリノア嬢を咎める声に何の意味があるんだ。今の答えの奥を見ろ、ほんとにお前は。
今、彼女はこの大騒ぎがお前だけの問題であること、俺っていう圧力に対して問題を大きくしたくないって言ったんだぞ、名前言われてふざけんなとかそう言う段階はもう終わってんの。俺に名前聞かれて即答しない時点でお前もう詰んでんだわ。そして俺は余裕で問題をでかくするぞ。
「その勲章、ガルニエ隊長のところだな?」
騎士っていうのはもうガッチガチの縦社会なんでこいつの不始末は上司にまで及ぶ。っていっても俺は騎士団の方まで情報網が伸びてないからこのへんは兄貴に丸投げするが。
おそらく兄もこいつの両親ももうそろそろ来るだろう。現にさっきまであった使用人の影が今は遠い。
あとは勘のいい連中がどのくらいこの大騒ぎを見に来るかだけど、まあその辺はエリノア嬢がいくらでも調節するだろう。
お食べよエリノア。お前の最終目標はここだろう。
社交界の魑魅魍魎を食い散らかして利用しながら成り上がれ。
お前は領地に惚れてるんだから。




