3-26 茜さす(4)
始まった時と同じように、唐突なサイレンと佐倉先輩の校内放送で訓練が終わった。全学生に、大講堂へ移動するようアナウンスされる。
さっきまで、本物の襲撃だと信じて逃げ惑っていた学生たちは、まだ青い顔で、ざわついている。塗料まみれの友人に抱きついて、泣いている学生もいる。混乱と、安堵と、戸惑いが、入り混じっていた。
壇上に、堂々と田村さんが立った。サングラスを外し、素顔を見せる。
「驚かせて、悪かった。今の騒ぎは、全部、抜き打ち訓練だ。本物の武装勢力じゃねぇから、まずは安心してくれ」
どよめきが、波のように広がる。
「結果を言うぞ。参加した264人のうち、最後まで『戦闘不能』にならなかった逃走者は87名。それから、冷静に対処をした合格者は、団体4グループ27名と個人6名だ」
会場が、しんと静まった。
「はっきり言うが、まだまだ甘すぎる。本物の武装勢力なら、この程度じゃお前たちは生き残れねぇ。ドローンや俺たちの銃弾が本物だったら、この講堂の9割は、もう冷たい死体になっている」
誰も、何も言えない。重い沈黙が続く。
舞台袖の佐倉先輩も、悔しそうに視線を落としている。
「だがな」
田村さんの声が、少しだけ、柔らかくなった。
「この3カ月で、ここまでやれてる避難所は少ない。バリケードの組み方も、救護の立ち上げも、基本をしっかりと練習したことが伝わった。攻撃も、身近な材料を活かした創意工夫は素晴らしかった。お前たちは、胸を張っていい。その上で──もっと先を、強い意志で目指してくれ。自分が生き残るためだ」
まばらだった拍手が、だんだんと大きくなっていく。だが、言われた言葉に悔しそうな表情の学生や、落ち込んだ様子の学生も多い。
「で、だ。『頑張った良い子にはご褒美がある』と昔から相場は決まっている。──おい、運んでくれ」
校門で持ち込み品の確認をしていた学生たちが、箱が積まれた台車を運び込む。田村さんが、次々と箱を開けて、持ち込んでいた賞品を並べた。
「映画千本が入った外付けHDD3台、ボードゲーム10種類、電動キックボード5台、高級冷凍ケーキ詰め合わせ10セット。そして、サウナストーブと防水ポタ電1セットと花火の大量詰め合わせを贈呈する。使い方は任せるが、合格者優先だぞ」
一瞬の静けさの後、「ウオーッ」と爆発的に講堂が沸いた。
「うっそー、サウナ!? めっちゃ贅沢すぎる~」
「マジで映画が千本? アニメは?!」
「キックボードがあれば、魔物狩りも新しい作戦ができるんじゃね?」
「佐倉ー花火大会しよーぜー! BBQもー!」
今の世界では手に入りにくい娯楽品・贅沢品を選んで持ってきていた。交換する水中ドローンは、軍需産業にも関わっている大企業との共同開発品だ。十分にお釣りがくる。
落ち込んでいた空気は、一瞬で大歓声に変わった。
佐倉先輩が合格者が読み上げ、グループ代表と個人、合わせて10名を壇上に呼ぶ。合格証を渡すのは学長だ。俺は大講堂の隅で静かに見守っていた。
佐倉先輩が、それぞれの合格の理由を読み上げていく。
ドローンの射線にいち早く気付き「武器庫に行くな」と制止して回ったライフル隊の学生。
パニックの中「建物から出ないで! 外はドローンが飛んでて危ない」と食堂で叫び、食糧倉庫に隠れて十数人を守った女子学生。
恥ずかしそうに壇上に上がる合格者を、みんなの温かい拍手が包み込む。
次々と呼ばれる合格者の7人目は、最終的に失敗だったが、火炎放射器を構えて怯まずに立ち向かった3人グループの代表者だった。
呼ばれた名前に、まさかと思う。
だが、少しおどけた感じで階段を上がっていくその背中に、俺は目を見開いた。
──田中、だった。
間違えるはずがない。前世、就活で意気投合して仲良くなり、避難生活になってからも励まし合っていた。俺と一緒で、瀬川たちに反抗できず、囮になって魔物から逃げきれずに死んだ。助けを求めるその声が、確かに耳に届いていたのに、俺は動けずに見殺しにした。あの田中だった。
その田中が。この、たった三ヶ月で。
ただ逃げる側から、仲間を守る側に成長していた。自分で作った武器を手にして、武装勢力に勇敢に立ち向かうようになっていたのだ。
胸の奥が、いっぱいになった。田中が眩しく見える。
合格証を受け取る田中を見ながら、俺は、理解した。
世界が変われば、人はこんなにも強くなれる。あの時、田中が無力だったのは、田中が弱かったからだけじゃない。環境が、人を弱くする世界だったからだ。
死に戻ってから、ずっと、俺は前世の選択ミスを後悔していると思っていた。米を選ばなければ、武器があればと。だから俺は物質化に頼らなくても大丈夫なように、徹底的に準備をした。大金を作り、島の施設を築き、備蓄を積み上げ、掲示板を作った。
だが、俺が本当に後悔していたのは、目を背けていたのは、選択ミスなんかじゃない。暴力に怯えて逆らえず、卑怯に仲間を見捨てて、考えることを放棄して状況から逃げていた日々。戦う勇気も、守る勇気も、死ぬ勇気もなかった──その弱い自分自身だった。
そしてもし、その俺の弱さが、世界がそうさせていたとしたら。もしも、今世で少しでも世界を変えることができていたとしたら──あの時、逃げた俺も。少しなら、許してもいいのだろうか。
田中が、電動キックボードを触りながら、照れたように笑っている。その懐かしい笑顔を、俺はサングラスの奥から、ただ、見つめていた。
胸の奥で、長いあいだ凍りついていた何かが、また一つ、静かに溶けていった。
賞品の授与が終わると、佐倉先輩がマイクを握った。
「今日の結果は、全員にフィードバックします。必ず、目を通してください。……そして、もう一つ」
佐倉先輩の声が、少し、低くなる。
「今日、一人の身勝手な行動が、何人もの仲間に怪我をさせる場面がありました。見ていた人も、いるはずです。これが訓練でなければ、犠牲者が出ていたかもしれません。一人の行動が、全員の命と繋がっているのです。どうか──責任ある行動を」
先輩は、名指しはしなかった。
だが、会場中の視線が一点に集まっていく。訓練の最中、学生を突き飛ばして逃げたあのセクハラ教授へと。
無言の冷たい視線は、どんな罵声よりも重かった。
教授は、顔を真っ赤にして俯き、逃げるように講堂を出て行った。
最後に、学長が、ゆっくりとマイクの前に立った。
「何事も、学びです」
穏やかな、けれど、芯のある声だった。
「世界が変わろうとも、学ぶことをやめてはいけません。今日の悔しさも、喜びも、全て君たちの糧になります。学び続ける者だけが、この世界を生き延びていけるでしょう。今日の自分を、必ず振り返ってください。私も、私にできることを学び続けます」
温かい拍手が、講堂を、満たしていった。
表彰式のあと、田村さんが佐倉先輩に乞われて、アドバイスをしていた。
「3日以内に報告書をDMで送るが、とりあえず、屋上は見張りを置くだけじゃ足りねぇぞ。ドローンからの攻撃を防ぎつつライフルを使えるような覆いを考えた方がいい。あと、火炎放射器を作れるんなら、火炎瓶も作っとけ。瓶と燃料と着火布は別々に保管して、使う直前に組み立てろよ? 敵の車両破壊や、足止めには有効だ。味方を焼かないように、ちゃんと投擲練習を──」
佐倉先輩が、一つ一つ真剣にメモを取っていく。仲間を守るために、失点をすぐに改善で取り戻そうとする。前世では、抵抗できずに理不尽に殺された人だが、世界が違えば、先輩もこうだったのだ。
水中ドローンの試作機は、約束通り台車に積み込まれた。実験データも後で送ってくれるらしい。これで、海中の映像が手に入る。これを量産する方法を検討しなければならない。自作するか、スマートグラスのように高専に交換条件付きで頼み込むか。そもそも大分類は何なのだろう。
海洋に強い学科があるため、他にも有用な情報がいくつか聞けた。俺たちの船のメンテナンスも可能な大学専用ドックがあるようだ。そこは津波被害が少なかったようなので、これから大学ともいい関係を続けていきたい。
別れの挨拶を済ませ、俺たちは、車へ向かった。
4WDに乗る前に、俺は振り返って大学を眺めた。
いつもの灰色の空。その西の端が――珍しく、燃えるような夕焼けに染まっていた。こんなに澄んだ夕焼けは、久しぶりだ。校舎も赤く染まっている。
……来て、よかった。
胸の奥が、じんと熱くなった。
俺は、感謝を伝えようと仲間を振り返った。
夕日を浴びた田村さんが、陽菜乃ちゃんと何か言い合って笑っている。田村さんと陽菜乃ちゃんは、ドローンよりも多くの数の学生を撃っていた。昨日の武装勢力をトラップにはめる戦いと違って、今日は自分たちの手で暴れられてスッキリしたようだ。
その横に、レオさんが、校舎を見つめながら静かに佇んでいた。そのレオさんの瞳が、夕焼けを映してか
──真っ赤に光っていた。
見覚えがあるような気がした。懐かしいような、遠いような。
「レオ……さん?」
思わず声をかけると、レオさんがこちらを向いた。
その瞳は、いつもの色素が薄い涼しげな色合いだった。見間違いだろうか。
俺の違和感は、夕焼けの中に、するりと溶けていった。
その夜。俺は会議室に残り、壁一面に映し出された掲示板サイトのスレッドを眺めていた。
久しぶりにゆっくりと、あちこちの書き込みを辿っていく。
『畑のズッキーニ、初収穫! 来年はもっと植える。それまで、絶対に生き延びる!』
『塩は中型には効かねぇって何度言えばわかるんだ。真ん中の眼を撃て、真ん中の眼を!』
『いや、中型と一緒に小型が出るかもしれねぇだろ。常に塩水弾を込めておけってテンプレに書いてあんぞ、字が読めねぇのか?』
『塩水弾は銃のメンテが大変すぎ。あーそーか、お前は分解メンテなんてやってねぇんだろ。暴発したら呼んでくれ』
『お前らいつもレスバしてて仲いいな』
『うちの避難所、今日、赤ちゃんが生まれたよ。この過酷な世界にようこそ。でも、楽しい未来にしてみせるってみんな盛り上がってる。現場からは以上です』
『なぁなぁ、お前らどのくらいレア種でてる? 俺、まだ3匹なんだよ。早く容量増やしてぇーー!』
『俺、9匹で2週間停滞してる。寸止めつらい……』
『容量アップは運営の陰謀だ。騙されるな! レア種は避けろ!!』
『お前こそ、ミルクでも飲んで落ち着け』
『マッチングで、抗生物質が手に入りました。娘の足を切断せずに済みそう。掲示板を運営している顔も知らないあなたに、一生分の感謝を』
俺は、一つまた一つと、その声を噛み締めていた。
顔も名前も知らない。世界中の誰か。
その一人一人が、この画面の中で、笑い、言い争い、感謝し、希望を語っている。
脳裏に、今日のレオさんの言葉が蘇る。
『あなたは一人で、世界を変えましたね』
そうだ。一人で、生き残るつもりだった。
誰も信じられず、ただ自分だけが生き延びるために、準備を積み重ねた。この掲示板サイトも、作った時は自分のために情報を集めるためだけの場所だった。発信する気は欠片もなかった。
だが、俺が一人で生き残るために築いたはずのものは、いつの間にか、たくさんの仲間を連れてきた。陽菜乃ちゃん、桐島博士、莉子ちゃん、悠真君、田村さん、レオさん、高瀬さん、千春君──信頼できる仲間が増えた。
前世で死んでいた佐倉先輩や田中を生かし、瀬川チームにいたあの男を変え、仲間と武装勢力から大学を守った。
そして、こうして名前も知らない世界中の数えきれない誰かの役に立っていた。
その人たちが、今、俺に教えてくれている。
お前は、一人じゃないと。
一人で生き残るつもりだった。
なのに、気づけば、俺は──こんなにも、たくさんの未来の真ん中に、立っていた。
画面の片隅で、新しい書き込みが、また一つ灯った。
俺は、ほんの少しだけ笑って、その光を見つめた。
(完)
一年近く(途中休載もありましたが)投稿を続けられたのは、感想をくださった方、評価を入れてくださった方、ブックマークをしてくださった方、誤字・脱字を教えてくださった方、色んなリアクションをくださった方、本当にあなた方のおかげです。心から感謝しています。ありがとうございました。
明日のおまけは、3年後の様子です。お楽しみいただけたら嬉しいです。




