3-25 茜さす(3)
悲鳴が、構内に渦巻いていた。
演技ではない。誰もこれが抜き打ち訓練だと思っていなかった。今まで、魔物討伐隊しか戦闘訓練をしていないし、緊急構内放送も最近は使われていなかったからだ。
上空のドローン6機が、低く唸る音をたてながら次々と舞い降りた。
パスッ、パスッ、と乾いた音を立てて、屋上で見張りをしていた学生を、次々とペイント弾が撃ち抜いていく。軍事レベルのドローンの動きに、学生たちはついていけない。
撃たれた学生たちのスマホが鳴り、佐倉先輩からのルール説明メッセージが流れる。命中した者は、「戦闘不能」となり、スマホを切ってその場で静かに伏せる決まりだ。
中庭、体育倉庫、部室棟、教務室。ライフルの保管場所へ集まる学生を、次々と正確にドローンが襲っていく。最初にライフル使用者が、全員無力化された。
全員のスマホに「ライフル隊全滅」のメッセージが流れる。屋上を見上げて、女子学生が泣き出した。
俺とレオさんは、ヘルメットだけでなく手足のプロテクターまで付けた久しぶりの重装備姿で、本部棟の物陰からその光景を見ていた。
少し胸が痛む。彼らの恐怖や悲しみは、本物だろう。だが、本気で感情を動かすことが大切だと、田村さんは言っていた。この恐怖や絶望が、いつか本当の襲撃が来た時に、彼らを生かすのだ。
『神崎さん、例の人物が動きました』
耳元で、桐島博士の声がする。
例の人物──あのセクハラ教授だ。前世で、何人もの女子学生を弄んで自死に追いやった男だ。今世では、手の甲に文様は浮かんでいないし、瀬川たちのグループと仲良くなることもなかったようだ。
俺の中では、瀬川たちの次に許せないあいつに、急遽、ドローンを貼り付けてもらった。あいつも今世で変わったのか確認したかったのだ。
小型タブレットを取り出して、ドローン映像を確認する。
恰幅のいい中年の男が、大きなカバンを抱えて、血相を変えてドタドタと走っている。彼は建物の出入口近くで、逃げ道の脇に集まっていた女子学生の一人を力任せに突き飛ばした。その学生が、近くの数人を巻き込んで、もつれ合って転倒する。教授は女子学生たちに罵声を浴びせ、一人だけ建物の中へと逃げ込んでいった。
倒れた学生たちが、擦りむいた腕や膝を押さえて顔をしかめている。足を捻って痛そうに蹲っている女子学生もいる。誰もが、教授の消えた方向を、冷たい目で見ていた。そしてこの光景を、さらに多くの学生が校舎の窓から見ていた。
「十分だ。アリス、ドローンは裏庭へ回してれ」
俺は、教授の自己中心的な行動に、変わらない人がいることを知り、ため息をついた。
俺とレオさんは、建物内を進んだ。
見つけ次第、ペイント弾をパスパス撃つ。当たれば「戦闘不能」。慌てて隠れる者、闇雲に逃げ回る者、ほとんどが為す術もなく「やられて」いく。その一人一人に、ルール説明のビラを渡して伏せるように言う。ペイントが赤いので、遠くからは死体に見えるだろう。
中には、見事に動く学生もいた。
第二体育館の一角では、バスケ部らしき男子学生7人が、机を盾にしてバリケードを組んでいた。そして、その裏に逃げ込んだ数人の女子学生が、友達が撃たれるのを見たと必死に泣きながら説明していた。
男子学生たちは、日本刀を持っている2人を中心に死角を補い合い、一人が立ち上がって注意を引きつけ、その隙に2人が回り込んでパイプ椅子を投げてくる。なかなか手強いチームプレーで、俺とレオさんの接近を許さない。
俺はレオさんと顔を見合せて頷いてから、両手を上げて、降伏のポーズをとった。そして、ポケットから一枚のカードを取り出し、片手でそれを振りながら近寄って、リーダー格の学生へ差し出した。佐倉先輩の名で書かれた戦闘訓練合格証だ。
「君たちは合格だ。ここで静かに待機して、30分後に大講堂へ向かってくれ」
「……は?」
学生が、ぽかんとしている。レオさんが、笑顔で自分の足に向かってペイント弾を撃ち、学生へ近寄って触らせる。恐る恐る指で拭い、それが血ではなく、ただの塗料だと気づく。
「え、これって血糊ってやつ? ……訓練だったんすか?」
恐怖に強張っていた顔が、ゆっくりと安堵に変わっていった。
『おいおい、マジかよ。やるなぁ』
田村さんの嬉しそうな囁き声が耳に入り、偵察ドローン映像を確認する。
そこには、グラウンドに面した理学部実験棟から出てくる異様な格好の学生3人が映っていた。変なフェイスマスクとエプロンを身に付け、背中に大きなタンクを背負い、長いノズルを田村さんと陽菜乃ちゃんに向けている。
「革エプロンと耐熱手袋を身に付けていると言うことは──なるほど、火炎放射器ですかね。あのタンクには実験用エタノールでも入っているのでしょう」
レオさんは、涼しい顔で分析しているが、火炎放射器はさすがに想定外だ。
「噴射!」の掛け声と同時にノズルから高圧の液体が激しく噴き出した。続く「着火!」の声で、それは十メートルを超える猛烈な火炎へと姿を変える。空気が激しく震え、轟々という爆音とともに、黒煙が舞い上がる。画面越しにも、圧倒的な熱量が伝わってくる。
校舎の窓から「いいぞー!」「やれやれ!!」という応援の声がかかりはじめた。
俺は慌てて声をかける。
「田村さん、攻撃ドローンを向かわせましょうか?」
『いや、構わん』
すでに田村さんたちは校舎へ向かって走っていた。
火炎放射器を持った学生は、校舎へ向かって炎を撒き散らすわけにもいかず、アタフタしながらその場で炎を消し始めた。
『火炎放射器は無差別攻撃にはいいが、守るものがある場所には向いてねぇんだ。追い詰めた敵を一斉攻撃するにはいいんだがな、ははは』
田村さんの余裕がある声が響く。俺は苦笑しながら、ドローンから合格証とルールのビラを、しょんぼりしている彼らの近くに落とした。
『3番ドローンの映像も確認してください』
桐島博士の声を聞いてタブレットを切り替えると、事務棟の1室で、女子学生のグループが活動していた。サイレンが鳴った直後に救護室を解放し、てきぱきと負傷者の受け入れ態勢を整えていたようだ。簡易担架を組立て、薬やタオルをケースから取り出して並べている。その部屋の外では、男子学生が机でバリケードを組んでいた。廊下の奥から飲み物を抱えて走ってきた学生もいる。
敵に向かって戦うだけが戦闘じゃない。後方で誰かを守る備えも、立派な戦力だ。俺は峰森島にいる3人を思い出した。
女子学生2人がプリントを持って、指さし確認をしている。あのプリントに書かれたチェック項目を、俺たちは知っている。あの簡易担架の作り方は、莉子ちゃんや悠真君でも作れる方法だ。机のバリケードを固定する方法、並べられたラップ包帯や段ボールギブス──どれもあの掲示板サイトに載せた方法だった。俺たちが世界に流した知識が、彼らを守る武器になっていた。
『病床数が足りないわね。導線も悪いし、トリアージごとの区分けも考えた方がいい。それでも、彼女たちは素晴らしいわ。合格ね』
桐島博士の声は、厳しい指摘をしつつも嬉しそうだった。
残りの学生を見つけるために、レオさんと講義棟へ侵入した。校内の配置がわかる俺が先に進み、レオさんが後方を警戒しながら続く。1つ1つの教室を覗き込み、軍用サーマルと音響センサーを組み合わせた探索機で中を確認する。そうやって2階の長い廊下を進み、突き当たりを曲がった先の階段教室の入口で、俺の足が止まった。
──この教室だ。
前世、俺が最期を迎えた場所。瀬川たちの溜まり場の1つで、誰かを連れ込んで嬲るために使われていた教室だ。
あの日、世界に絶望しながら、そして死に救済の祝福を感じながら、俺はここで死んだ。
室内は前世と違って、破れたカーテンや脚が折れた椅子はなかった。煙草の匂いもしないし、床に散らばるガラス破片や血の跡もなかった。そこは、ただのありふれた教室だった。
遠くで学生たちの声が聞こえる。早くそちらへ向かい、訓練を続けなければならない。
なのに、足が動かなかった。
遠くに聞こえる学生の足音が、あの時の俺を殴る音に変わる。合流して喜ぶ学生の声が、俺を米野郎と呼んで嘲る笑い声に変わる。胸の奥にあの日の痛みが蘇り、指先が一瞬で冷えていく。
隣で、レオさんも足を止めた。
「……ここ、なんです」
俺の呟きに対して、レオさんは何も聞かなかった。なぜ俺がここで止まったのか。この場所が俺にとって何なのか。何も。ただ穏やかに言った。
「あなたは一人で、世界を変えましたね」
俺は、レオさんを見た。いつもの穏やかな瞳が、こちらを見ている。レオさんの髪がふわりと揺れた。
確かに一人で死に戻ってから、俺は今度こそ生き延びようと必死だった。前世の理不尽な世界を繰り返すのだけは嫌だった。でも──
『神崎さん。離脱しますか』
耳元から、桐島博士の気遣う声が聞こえた。
俺は、もう一度、ゆっくりとその教室を見た。
ここは、俺が一人で死んだ場所。
でも、今の俺は一人じゃない。隣に、静かに語りかけてくれるレオさんがいる。耳元に、いつも穏やかに見守ってくれる桐島博士がいる。近くで、田村さんと陽菜乃ちゃんが、笑いながら走り回っている。島では、莉子ちゃんと悠真君が、早く帰ってきてねと待っている。
俺一人で世界を変えたわけじゃない。
指先に温度が戻ってくる。胸の痛みが落ち着いていく。あの日、俺を絶望させた世界は、もうどこにもなかった。
「一人じゃありません」
自分でも驚くほど、力強い声が出た。
ゆっくりと息を吐いて、モデルガンを握り直す。
「もう、大丈夫です。レオさん進みましょう」
俺は、レオさんと並んで、その教室に背を向け、廊下を歩き出した。
もう、振り返らなかった。




