3-24 茜さす(2)
佐倉先輩が生きていた。
前世よりかなりワイルドな風貌になって。それでも、その魅力的な笑い方は、記憶と変わっていなかった。「先輩」と声をかけたくなる。だが、今世では話したことのない人だ。
俺は口元に手を当てて、言葉を飲み込んだ。
「ようこそ。代表の佐倉です。DMではSと名乗っていました」
先輩が、右手を差し出してくる。
「田村だ。今日は時間をとってくれて、感謝する」
田村さんが一歩前へ出て、その手を握った。俺は一歩引いて、軽く会釈をするだけにとどめた。俺のことを覚えている人がいないとも限らないため、今日はできるだけ前に出ない予定だ。
佐倉先輩の後ろには、日本刀を持った護衛の学生が4人。全員、見覚えがある。瀬川グループには入っていなかった真面目な運動部員たちだ。
少し緊張気味に俺たちを見回し、特に、一番体格がいい田村さんを警戒している。
今日は、俺たち全員が迷彩柄のフル装備で、防刃ベストとサングラスタイプのスマートグラスを身に着けている。そんな格好で民間人だと言うのだから、警戒するのも当然だろう。「戦闘アドバイスレポート」のサンプルも事前に渡してあるので、こちらの知識量はわかっているはずだが。
「早速で恐縮ですが、スマホなどはそちらのトレイに置いて、そこのゲートを通っていただけますか。レポートのサンプルを見て、すぐに入口の体勢を変更したんです」
佐倉先輩が、少し得意気に門脇のゲートを手で示した。
俺たちは、スマホや財布、車のキーなどをトレイにおいた。大学側に渡す物資は台車に乗せてきたので、台車ごと受付の学生に渡す。その学生は、手作業で中を確認し、目を輝かせていた。
俺たちは堂々と、ゲートをくぐった。
もちろん、ブザーはならなかった。
佐倉先輩も、少しホッとした表情になって、俺たちを応接室へ案内してくれた。
『ボディチェック無し。マイナス1点だ』
田村さんの苦笑まじりの囁きが、骨伝導スピーカー越しに聞こえた。
応接室には、佐倉先輩のほかに、三人の学生が待っていた。
「ここは、投票で選ばれた学生十人が中心になって運営しています。男女四人ずつと、運動部代表、文化部代表です。今日は、その中の四人で対応させていただきます」
やはり、前世の恐怖支配とは全く変わっている。十人の合議制で、権力の集中を防ぐ体制になっている。
「基本は我々で運営していますが、大きな決定は学長たちにも相談しています。学長もご挨拶したいとのことでしたので、後でご案内しますね」
続く言葉に、またハッとした。前世では、1か月も経たないうちに、ほとんどの大人は地下倉庫へ詰め込まれて殺された。残ったのはセクハラ教授のような、害になるヤツだけだった。だが、今は先生方との関係も良好なようだ。
途中で目にした学生たちも、笑顔でおしゃべりしていたり、何かの作業をしていたり、伸び伸びと避難生活を送っているのがうかがえた。
前世とのあまりの違いに、少し複雑な気持ちになりながら、他の代表の顔を順に確認する。代表になるだけあって、前世でも人望があった人ばかり──いや、一人のところで、思考が止まった。
なぜ、こいつがここにいるんだ。この男は、違う。
前世、瀬川の暴力チームにいた一人だ。アメフト部の副キャプテンで、いつも太い腕を見せて周りを威圧し、機嫌次第で殴りつけていた。最期に俺を笑いながら殴っていたあの集団の中にもいた顔だ。間違いない。
俺は、サングラスの奥で、それとなくその男を観察した。
彼は礼儀正しく丁寧に挨拶し、佐倉先輩に書類を渡したり、飲み物を回したり、緊張している仲間の一人に笑顔で優しく声をかけたりしている。
田村さんが鍛えた体格を褒めると、恐縮して本気で恥ずかしがっていた。
佐倉先輩も、彼には気安い言葉で話しかけていて、信頼しているのがはっきりとわかる。
有能で、仲間思いで、頼りにされる男。前世では、人を傷つける側にいた同じ人間が、どうしてこんなに違うのか。俺の頭は混乱していた。
だが、目つきも仕草も声すらも、見れば見るほど前世の彼とは別人だ。
ふと思う。
ほんの小さな切っ掛けなのかもしれない。それだけで、人はどちらにも転ぶ。
もしかすると、彼は素直すぎて流されやすい人なのかもしれない。あの身体を鍛え上げる努力ができるのだ。その気持ちの向きが少しずれるだけで、結果に大きな違いが出るだろう。
昨日、俺は武装勢力を、「悪」と断じて始末した。間違っていたとは思わない。だが、彼らもまた、別の世界線では、こうして信頼される誰かだったのかもしれない。
俺は、少し苦いその思いを、胸の奥に静かに沈めた。
打ち合わせは、順調に進んだ。
「じゃあ、送っていたプラン通りで構わねぇな?」
田村さんが切り出すと、佐倉先輩が、少し声を落として頷いた。
「はい。ご要望通り、ここにいるメンバーと、学長他数人以外には、一切伏せてあります。サイレンが鳴れば、学生はパニックになるでしょう」
「それでいいんだ。実戦が一番、人を成長させる」
田村さんが、きっぱりと言った。
大学側が求めていた「戦闘アドバイス」に対して、俺たちは「抜き打ち武装勢力襲撃訓練」を提案した。予告なしに訓練をすることで、学生たちの弱点を炙りだし、それぞれに自覚を促すのが目的だ。
「体調不良の生徒と高齢の教授は、セミナーハウスに集めて代表一人を付けていますのでご安心ください。あの……失礼ですけど、田村さんたちは武器無しで襲撃者役をされるんですか? 先ほど金属探知ゲートは通り抜けましたよね」
佐倉先輩が、不思議そうに田村さんの全身を見ている。
田村さんが、にっと笑って、胸元から拳銃を抜いた。大学代表の4人と壁際に立っていた護衛の4人が、一斉に身を硬くする。
「待った待った、危ないもんじゃねぇよ。ほら」
田村さんは、マガジンを抜いて、中の弾を一つ手のひらに転がして見せた。弾丸の先端はぷにぷにとした、塗料入りのペイント弾だ。
「何でゲートでブザーが鳴らなかったんだ……ちゃんと何度もテストしたのに」
「これは、3Dプリンターで作った特殊カーボンファイバー製のモデルガンだ。中身はペイント弾。火薬は怪我しない程度に減らしてある」
「カーボンファイバー製ですか。それなら、ゲートはすり抜けてしまいますね……」
「こういうのもあるぜ」
腰の後ろから特殊警棒を抜いて、シャキーンと伸ばし、ブンブンッと音が鳴るほど派手に振り回す。
「これも同じくカーボン製だ。対策は、あとでまとめて話すよ」
「田村さんたちがみえるのに合わせて、一昨日、ゲートを完成させたばかりなんですよ。自信作だったんですけど……カーボンですか。勉強になりました。ありがとうございます」
先輩は、頭を下げながら言った。ムッとするでも、言い訳するでもなく、ただ誠実に相手の意見に耳を傾ける。そうだ、この人はこういう人だった。ただイケメンだから人気があったわけではなく、人柄で人望を集めていた。そして、そのせいで瀬川たちの標的になった。
護衛も含めた学生たち8人が、代わる代わるモデルガンや特殊警棒を試している。アメフト部の彼が手にした時は、思わず体に力が入った。だが、自分たちも手軽に携帯できる武器がほしいと、彼は真剣に仲間に話していた。女子でも使いやすいだろうと言う彼は、本当に前世とは別人だった。
「戦闘アドバイス」の対価──水中ドローンの話はスムーズに終わった。
試作機のうちの一機を、今日、持って帰れるように準備済みだと言う。必要であれば、海洋未来工学科の中心メンバーだった准教授の話も聞けるとのことだった。
世界中で、物質化能力のおかげで食料は足りている。災害による人口の減少を考えると、残っている洋服や日用品を冷静に分け合えば、10年は問題ないと言う調査報告も掲示板に上がっていた。これから、魔物の対策が進み、ウイルスを制圧できたとしたら、その後は高専や大学のような技術力や、高瀬さんのような経験と知識が求められる世の中になっていくのかもしれない。前世とは違った未来があるかもしれない。
水中ドローンの話を聞きながら、俺はぼんやりと考えていた。
「ところで、日本刀を物質化されている方が、魔物討伐組織のリーダーになっているのでしょうか」
レオさんの声に、俺は意識を戻して緊張した。
佐倉先輩の表情が、少し曇る。
「残念ながら、日本刀を物質化していた学生は、仲間20人ほどと一緒に出て行ってしまいました。力で物事を進めたがる連中で、何度かトラブルになり居づらくなったようです。今、どこにいるかは……わかりません」
瀬川。前世、この大学を暴力支配の地獄に変えた男だ。
今まで物質化した日本刀を大学に置いていく代わりに、食料と人数分のライフルを持って出て行ったという。一瞬、昨日の武装勢力が頭をよぎる。
出て行った日を聞いて、衛星画像のデータでどこに移動したか探しておいた方がいいかもしれない。口元を覆って、スマートグラスでみんなに共有した。
話が一段落したところで、佐倉先輩が、ふと、しみじみとした口調になった。
「こうして皆さんとお会いできたのも、掲示板サイトのマッチングシステムのおかげですね。まさか『戦闘アドバイス』を本当に受けられるとは思っていませんでした。本当に何度もあのサイトには助けられています」
「そうなのか?」
「災害の直後、うちはバラバラでした。誰が仕切るかで揉めて、暴力沙汰も起きかけて。本当に、終わるかと思いました。……それを変えたのが、あの掲示板サイトなんですよ」
他の学生たちも一斉に話し出す。
「推奨分担例の300人バージョンを基に担当を決めたんです。武器を物質化に入れるなんて発想、私たちにはありませんでした」
「集団がおかしくなる仕組みと、その防ぎ方も助かりましたよね。私たちの合議制って、元は掲示板の受け売りだし」
「魔物やモノリスの情報も、あの探知機もすごかった。正直、掲示板の情報が無かったら、何十人も死んでいたかもしれない」
「他地域の情報が知れるのもいいですよね。孤立感が薄れると言うか。早々に自衛隊を諦めて、自立の道を考えられたし」
「ウイルスの研究も少しずつ進んでいるようですね。研究者の方たちの専用掲示板は鍵付きだけど、定期的に進捗情報を公開してくださるのが嬉しいですよね」
「──あの掲示板がなかったら、うちはもっと困窮していたでしょうね。顔も知らない誰かに、俺たちは、命を救われたんですよ」
俺は、何も言えなかった。
言葉が喉の奥で固まって、出てこない。サングラスがなかったら、きっと表情を取り繕えなかった。思わず顔を俯け、膝の上で拳を握りしめる。
無駄じゃ、なかった。
災害前に陽菜乃ちゃんにお願いして作ってもらった掲示板サイト。睡眠時間を削って、みんなで世界に情報を発信し続けた日々。それが──目の前のこの人たちの人生を変えていた。前世で殺された人を、今世では、生かしていた。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。俺の記憶では、目の前にいる学生8人のうち5人は死んでいた。だが、今、俺の目の前に、リアルに生きた人間として存在している。掲示板が変えたのは、知識や物資だけじゃない。人が、人のままでいられる場所そのものを、変えていたのだ。
俺は、震える内側を、誰にも気づかれないように、ただ静かに受け止めた。
「……素晴らしい掲示板だと、思います」
ようやく、それだけを、返した。
打ち合わせを終え、俺たちは持ち場へ散った。
俺は、レオさんと組んで、本部棟廊下の死角に身を潜めた。陽菜乃ちゃんと田村さんはグラウンド近くに待機している。
『始めてください』
田村さんの声が聞こえた次の瞬間、けたたましいサイレンが、構内に鳴り響いた。
『緊急放送、緊急放送。武装勢力の集団が、校内に侵入しました。学生は直ちに、各自の持ち場へ。繰り返します──』
佐倉先輩の、緊迫した声が、構内放送に響き渡る。
──抜き打ち訓練が、始まった。




