3-23 茜さす(1)
翌日の朝。
俺は、いつもより少し早く目が覚めた。
今日の訪問先を考えると落ち着かなくて、早々にトレーニングルームへ向かう。
入口のガラス扉を開ける前から、ガシャン、ガシャンと規則正しい金属音が廊下に響いていた。中を覗くと、予想通りに汗だくになった田村さんがバーベルを上げている。軽く挨拶して、トレッドミルへ向かった。
俺がゆっくりウォーミングアップをしている間も、早いペースの金属音は止まらない。今日の田村さんのセット数は、明らかにいつもより多い。だが俺は、何も言わずに黙々とランニングを続けた。
軽くシャワーを浴びてから、朝ごはんに向かう。
食堂は、いつものようにコーヒーのいい香りがただよっていた。だがいつもと違って、レオさんの整った顔にうっすらと無精ひげが伸びていた。
「昨晩は、少し夜更かしをしてしまいまして。興味深いできごとが多かったので、ついつい記録作成が」
俺の驚いた視線に気づいて、レオさんが顎を触りながら苦笑している。
しばらくして、陽菜乃ちゃんが入ってきた。
「おはよ〜! レオさん、ハニーラテ飲みたい~」
いつも通りの元気な挨拶だが、服装がいつもと違った。陽菜乃ちゃんは、戦闘服姿の時以外は、絶対領域にこだわったミニスカが多いし、髪形もクルクルしている。だが、今日はハイネックの黒のシンプルなTシャツに濃グレーのカーゴパンツ姿で、髪も後ろで緩い三つ編みにしていた。黒いレースのベルトだけがいつもの彼女らしいアクセントになっているが、全体的に大人っぽくスッキリと見える。心境の変化が窺えるが、女の子にかける言葉は難しく、俺は何も言えなかった。
田村さんもやってきて、他愛ない食べ物の話などをしながら、いつもより少し静かに朝食を食べていた。
だが、その雰囲気を破って、テンションが高い張り切った声と元気な足音が入口から響いてきた。
「じゃーん!! みなさん見てください、お揃いになりましたー!」
千春君だ。手の甲をこちらに突き出して近寄ってくる。そこには、俺たちと同じ、複雑に枝分かれした文様が淡く光っていた。
「チィちゃん、昨日の作戦で、魔物ポイント貯まったんだ〜」
「うん、ちょうど1,000ポイント! あいつらが倒した小型魔物のポイントまで入っててラッキーだったー」
「千春君が魔物を集めたから、あいつらの仲間としてカウントされたのかもしれねぇな」
田村さんが、鶏ハムサラダを大きなボウルいっぱい食べながら言う。
「げっ。あいつらの仲間扱い? マジかー、それはイヤなんだけど……」
千春君が、一瞬、顔をしかめるが、再びニカッと笑う。
「でも、容量も10㎥まで増えたんすよ! 俺の周りでは、まだ容量が増えた人いなかったから、掲示板情報は疑ってたんだけど」
「容量アップはレア種10体が条件だと言われていますが、なかなか厳しい条件ですよね」
レオさんが、千春君に具沢山のサンドイッチとコーヒーを出している。
「それで、チィちゃん、何を物質化に設定したの?」
「おいおい、それは個人情報だ。気軽に聞くもんじゃねぇぞ」
「あ、俺は構わないっすよ。秘密にするようなすごい物資じゃないし」
千春君が笑いながら、レオさんが差し出したサンドイッチを頬張る。
「えー、何々? サーボモーターとか、リポバッテリーとかだよね? 10㎥もあるなら少し分けてほしいなー」
陽菜乃ちゃんが、期待して身を乗り出す。
「ムリムリ。そんなロボコン部しか使わないようなやつ、藤堂さんが許してくれないって。俺の一つ目は、水です! 本当はさー、天露にしたかったんだけど指定できなくて」
「でた、天露中毒!」
「なんだよそれ。でー、二つ目も、同じ食品系しか選べないからさ。しかもあれ、決めるの十分以内でしょ? 焦っちゃって……目の前にあったカップ麺にしました!」
満面の笑みで言い切る千春君に、全員が苦笑いした。
「……千春君。藤堂君が、二種目の指定は計画を立てるって言ってたぞ? カップ麺で大丈夫なのか?」
「通話して、確認したほうがよかったかもしれませんね」
田村さんとレオさんの言葉に、千春君の顔が、みるみる青ざめていく。
「……あ。やば。──藤堂さんに、シバかれる」
今度は、全員が声を上げて笑った。どこか少しぎこちなかった食堂の空気が、千春君のおかげで、すっかり通常モードに戻っていた。
朝食を終えると、出発前に、会議室で桐島博士にビデオチャットを繋いだ。千春君が、別れの挨拶をしたいと言ったからだ。昨日の作戦中、ずっと千春君のバイタルを見守ってくれていたのが、すごく嬉しかったらしい。
『千春さん、昨日は本当によく頑張りましたね』
「先生、ありがとうございました。ポテチとコーラで頑張れました!」
『心拍も呼吸も、最後まで安定していました。さすがですね。でも、無理は禁物です。天露里に帰って眠れなかったり、食欲が落ちたりしたら、すぐ私に連絡してくださいね』
「はいっ。あ、肩の湿布、めっちゃ助かりました。プロポ握りすぎて……」
『ふふ、多めに持って帰ってくださいね』
医者と患者というより、すっかり親子のような会話だ。
『ママー! あのね、悠真がね、ズルしたんだよー』
『ズルしてないもん! ママ、僕、ズルしてないからね!』
画面の向こうから、二つの小さな影が飛び込んできた。莉子ちゃんと悠真君だ。博士の膝に左右からまとわりつき、カメラに顔を寄せてくる。
「うわっ!?」
大型ディスプレイいっぱいに広がった2人の顔に、千春君が思わずのけぞった。
『お兄ちゃん……だれ?』
莉子ちゃんが、こてんと首をかしげる。
「えっと、俺は宮内千春です。橘と──じゃなくて、陽菜乃ちゃんと同じ高校生です」
しどろもどろの千春君に、双子はすぐ警戒を解いて、ニコッと笑った。
『おにいちゃん、こんど島にも遊びに来てね!』
『アリス先生のゲームで、対戦しよ〜!』
「……島? アリス先生?」
千春君が、振り返って陽菜乃ちゃんを見ている。
会議室の空気が、ほんの一瞬だけ、張りつめる。陽菜乃ちゃんがさっとタブレットに手を伸ばし、田村さんが小さく咳払いをした。
『2人とも、ここに来たらダメだと約束したでしょ? ほら、ちゃんとご挨拶なさい』
博士が、二人をやんわり膝から下ろす。
『桐島莉子です! 6歳です! だってママ、また明日からお話しできるって、昨日の夜、言ったじゃない』
『僕は桐島悠真! 6歳! ズルしてません! そうだよそうだよ。僕たちちゃんといい子にしてたもん!』
「ははっ、2人ともしっかりしてるな。いつか遊びに行くよ。なーんか会えそうな気がするんだー」
千春君の勘だと、いつか嶺守島に行くと言うことだろうか。俺は内心、少しだけ申し訳なく思う。千春君には、まだ、島のことを説明する気はないからだ。
『『お兄ちゃん、またねー!!』』
会話らしい会話はしていないが、どうやら双子は千春君を気に入ったようだった。
たくさんの荷物を抱えて、俺たち4人と千春君は、一番大きな4WDに乗り込んだ。
昼過ぎ。俺たちは、のんびりと移動していた。朝から高瀬さんを迎えに行き、天露里で2人を無事に降ろした後、大学へ向かっているところだ。
「天露里って、なんか不思議なとこだよね〜」
窓の外を眺めて、陽菜乃ちゃんがぽつりと言う。
「高瀬さんは、早速、子供たちに囲まれてましたねぇ」
レオさんの言葉に、思わず思い出し笑いをしてしまう。
俺たちが、住職さんに挨拶しに行ってから千春君の家に向かおうとすると、お寺の門のところに子どもたちが何人も待っていたのだ。早速、キラキラした笑顔で「ねぇねぇ、先生」とまとわりつきながら、ずっと高瀬さんの後ろを着いてきていた。
俺たちが島の疎開準備をする間、仲良く待っていてくれそうで、俺も安心した。
「さて、と。大学の確認をしておこうか」
田村さんが、空気を切り替えるように言った。
「えっとね、掲示板のコミュニティ評価に登録されている最新情報はね~」
陽菜乃ちゃんがタブレットを見ながら説明する。
「生存者、283人。学生267人、大人16人。物資は、283人の物質化マンパワーで足りてる。欲しがっているのは情報で、ずばり『戦闘アドバイス』!」
「おぅ、任せろ!」
頼もしすぎる田村さんの言葉だ。田村さんは、この3か月で兵法の歴史書からマニアックな技術書まで、サーバに入っているあらゆる戦術のデータに目を通し続けている。北海道の自衛隊駐屯地の人との具体的な情報交換も続いているし、もはや、ミリオタというレベルではない。今回も事前に、大学の地盤データから建物のBIMデータまで揃え、色々な角度から分析済みだ。
「代わりに大学側が提供してくれるのは、工学部・理学部・農学部の技術! 欲しいものを作ってくれるって言ってる~」
レオさんが、ニッコリと笑う。
「その大学には、『海洋未来工学科』があります。こちらの目的は、そこで開発している水中ドローンですね」
「それ! アリスのデータに設計図はあるんだけど、あまりに特殊部品が多くて、作るの無理すぎなんだよ、悔しい~」
陽菜乃ちゃんが、後ろで身を乗り出す。
「量産できたら、嶺守島を海中からも監視できます。情報は角度が多いほど厚くなりますからね」
俺たちは人数の不利を覆すために、常に情報で先行する必要がある。海中ドローンがあれば、また色々な作戦が可能になるだろう。楽しみだ。そして、備蓄準備の時に気づかなかったことが、俺としてもかなり悔しい。
俺が内心で、備蓄ミスのあれこれを思い出していると、田村さんから呼ばれた。
「神崎、ドローンはどうなってる?」
「今回は高専の3倍の人数なので、ドローンは12機帯同しています。ライフルユニットは、実弾装填が3機、麻酔弾装填が3機、特殊弾装填が6機です」
「十分だな。DMだと、学生たちはライフルと日本刀で魔物対応をしている。射撃部員の3名が、レミントン700の本体、弾丸、スコープをそれぞれ物質化しているようだ。建物上部からのライフル狙撃でほとんどの魔物は倒していて、近接攻撃になった時だけ日本刀を使用している。ボルトアクションライフルは連射できねぇのに、なかなか頑張って魔物を殲滅しているようだぞ」
「今日は、対魔物と対人の違いを理解してもらわないといけませんね」
「偵察ドローンによると、かなり本格的に訓練しているようだ。みんなも気を抜くなよ。よし、あと10分で着くぞ。装備を再確認してくれ」
田村さんの言葉に、俺はサングラスタイプのスマートグラスをかけた。
「神崎さんの記憶とは、けっこう違ってるし、楽しみだね~」
陽菜乃ちゃんが、ブーツの紐を締め直しながら笑っていた。
俺の記憶では、災害から3か月近くたった今の時期には、200人以下まで人が減っていた。魔物の囮になったり、冤罪で殺されたり、自死を選ぶ人がいたり……。だが、今は280人以上も残っている。
DMでやり取りしている大学側代表者のS氏によると、高専と同じく早めに掲示板サイトにアクセスしていたため、掲示板の物質化推奨例をベースに、スムーズに分担が決まったそうだ。前世で食料を物質化していた射撃部員が、今回はライフルを選んだおかげで、一部で武器を独占していることも無いらしい。
だが、本当に暴力問題はないのだろうか。武器に日本刀があるということは、瀬川が物質化したということだ。
『神崎さん』
スマートグラスの骨伝導スピーカーから、桐島博士の声が聞こえる。
『率直にお話しさせていただきますね』
「……はい」
『あなたは、前世、今から伺う大学で心的外傷──トラウマを抱えました。ですから、何がトリガーになって心身に乱れがでるかわかりません。もし大学で、苦しさや不安を感じたり、呼吸が乱れることがあれば、すぐに撤退してください。無理は禁物です』
「博士、ありがとうございます。心強いです」
『いつでも、声をかけてくださいね』
俺は、少し頭を下げた。
窓の外を、灰色の景色が流れていく。
道は、記憶通りだった。
大学の正門が見えてきた時、俺は思わず目を丸くした。
校門の手前に、四角いゲートが据え付けられている。受付らしき人の他に、鉄パイプを持った警備員も2人立っている。空港の保安検査場のような雰囲気だ。
「ねぇ、アリス。あのゲートは何?」
陽菜乃ちゃんが、スマートグラスのツルに触れながら問いかけた。
『──視線先の映像分析中────入口のゲートは簡易金属探知機です。感度は、金属体積に依存。探知対象を鉄に絞り、周波数を低周波に調整しています。銃や、ナイフを警戒していると考えられます』
アリスの淡々とした声が返ってくる。
「今回の本土上陸前に、ドローンで確認した時はありませんでしたよね?」
「ほう、5日で準備したってことか。『戦闘アドバイス』で、施設の現在の防御力も確認することになっているからな。やるじゃねぇか」
田村さんが、嬉しそうに低く唸る。
「よし、それなら、こっちのグロックは置いていくぞ」
田村さんが、胸元から拳銃を抜いてダッシュボードの下に収め、代わりの武器を取り出して、みんなに配る。
「何かあったら、ドローンでどうとでもなります」
俺も、グロックを置きながら、上を指さした。
4WDを、門の外の来客用駐車場に停めるよう指示される。車を降りて、改めて校舎を見上げた。屋上に人影。ライフルを持っている。見張りは複数人いるようだ。
校舎も、しっかりと魔物対策されているようだ。前世では、そのまま裏山へと続いていたグラウンドの端には、しっかりとした電気柵が設置されている。元からあった塀も、上部に新たな電気柵を増設し、高さを増している。
「……高専とは、えらい違いだな」
田村さんが、感心したように呟いた。
「お待ちしておりました」
校門の内側から、声がした。
代表者らしき男が、警備員に何かを告げてから、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
長身で、鍛えた体つき。日に焼けた肌に、頬から顎全体を覆うほど髭を生やしている。堂々とした雰囲気の男性だった。
記憶にはない。知らない顔だと、俺は思った。
だが、男がこちらへ笑いかけた、その瞬間──人懐っこくて、少しかわいらしいあの笑い方。
佐倉先輩だ。
いつも後輩の面倒を見てくれた、女子人気の高かった、あのイケメンの大学院の先輩。前世では、冤罪を着せられ、瀬川たちになぶり殺された人だ。
だが今、生きて、笑いながら俺の目の前に立っていた。
大学訪問編4話で、この小説は完結となります。
おまけの後日談まで含めて予約投稿しましたので、1日1話ずつお楽しみください。




