幕間 ノルケーシア・チェレンダ ①
「……ここ、は?」
俺、ノルケーシア・チェレンダは、侯爵家の嫡男として生を受けた。
小さな問題は起こったものの、比較的恵まれて生きてきたと思う。そして穏やかな日常がこれからも続くのだとそう思っていた。
――だけど、十歳の誕生日を迎えた翌月、それは起きた。
俺は攫われた。まさか自分が誘拐されるなんて思ってもいなかった。
――だけど、俺はいつの間にか救い出されていた。
「あなた様を攫った組織の敷地の傍で倒れていらっしゃったのですよ!! ご無事でよかった」
執事からそう言われて、どうして俺が助けられたのかというのを思い起こしてみる。
……俺は不気味な男たちに突如として攫われた。俺を守っていたはずの騎士達の中には命を奪われたものだっていただろう。
連れていかれた先には、真っ黒な部屋だった。まるで儀式か何かでも行われるような不気味な場所。
――俺は何が行われるのか、心配だった。怖かった。
恐怖心でいっぱいだった。
闇属性の魔力を持つ俺を実験体にして、悲願を叶えるのだとそう言い放っていた。
他にも攫われている子供がいたようだけど、俺が最も野望を叶えるための実験体として相応しく特別だからとその場には一人だった。
鋭利な刃物や、ろくでもない魔法でも書かれてそうな魔法書……それに拷問道具なようなものが多々ある部屋だった。
実験体として俺を生かしたまま、利用する気なのだろうというのが分かった。
……ただ、その時は来なかった。
恐怖で震えていたのに、突如として彼らは焦り始めていた。まるで何かからの襲撃を受けているかのように。
焦った様子の男は俺を眠らせて、どこかに連れて行こうとしていた。薬をかがされた結果、俺は気づけば意識を失っていた。
――このまま暗闇の中に身をゆだねて、しまえば楽なのではにかとさえ思っていた。
目が覚めて、辛い目に遭うぐらいならと。
その時に、声が聞こえてきたのだ。
「ノルケーシア様……っ!!」
俺の名を必死に呼ぶ、愛らしい声が。
何度も何度も、ただただ俺を心配する声。初めて聞いた声なのに、その必死さから、その声の主が俺を大切に思っていることが分かった。
「ああ、良かった。ノルケーシア様……っ。これを飲んで」
そう言って意識が朦朧としている俺に、その子は何かを飲ませた。薬か何からしい。
「これで、大丈夫なはず……!! よしっ、あとはノルケーシア様に危険がないようにして、完璧ね、流石、私!」
自画自賛をする楽し気な声。
安堵した様子で愛おし気に俺の名を呼ぶその愛らしい声を聞いていてなんだか安心した。
……元気な時なら、思わず笑ってしまっただろうなと思う。
バタバタと、去っていく音が聞こえてくる。行かないでほしいと、なんとか瞳を開けて視界にかろうじてとらえたのは美しい銀色。
俺よりも背が低いだろうか。小さな少女の――長い銀色の髪が視界に映った。
「ま……」
待ってくれ。
そう言いたかったのに、その声は口から出なかった。
結果として俺はあの子と話すことなく、次に目が覚めた時には侯爵家の屋敷だった。
――俺が少女のことを口にしても、「夢を見ていたのではないですか?」などと言われてしまった。
全く痕跡の一つも残さずに、彼女は消えてしまった。
危機に瀕した俺が見た幻だったのではないか、などとそんなことも疑われる始末だ。
ただ、目を閉じると――俺を呼ぶ声が思い出される。安堵した様子で優しく、穏やかな声を発していた。
あれが幻覚だなんて思えない。
ただ同じ人間であるかどうかは定かじゃない。後ろ姿は、俺と同年代の女の子のように見えたけれども、そんな少女にそんなことが出来るのかも甚だ謎だ。
もしかしたら、人間ではないのかもしれない。
それでも……俺はあの子に、会いたいなと思った。話してみたい。また俺の名を呼んでほしい。どうして俺を助けてくれたのか、どうしてあんなにも必死に俺の名を呼んだのか。
そのことも、知りたい。聞きたい。
真正面から彼女のことを見ることも出来なかった。どんな表情をしていたのだろうか。見たかったな。
それに瞳はどうなんだろうか?
あの銀色と同じく、銀なのだろうか。それとも他の色? どんな顔をしているのか、どんな表情で俺を見ていたのか。
……ただただ気になる。
攫われて、俺にとって嫌な出来事だった。本来なら思い出したくもない出来事になるはずだっただろう。だけど、俺の頭は、あの子のことでいっぱいだった。
――いつか、あの子に会う。
そしてあの子のことを知る。
それが俺にとっての目標になった。
――それが、俺が天使をはじめて知った日。
そこから、俺の彼女を見つけるための日々が始まった。……それには想像出来ないぐらいの年月を要することを、俺はまだ知らなかった。




