10-2.制御された刃
暴力には二種類ある。
感情で振るう暴力と、仕事として振るう暴力だ。
後者のほうが、はるかに多くの人間を殺す。
護送車の後部座席は狭かった。
レイナは窓のない鉄壁に背を預け、マチェットの鞘を膝に置いている。向かいの座席では、クロダの部下である二人組のヤクザが、レイナをちらちらと見ながら煙草を吸っていた。
「なァ、本当にこいつで大丈夫なのかよ。システム屋の女だろ」
「知らねえよ。クロダさんが『使え』って言うから連れてきただけだ。——おい、お前。現場ではうろちょろすんなよ。後ろで震えて泣いてろ」
レイナは答えなかった。
目を閉じてもいない。二人の顔を見てもいない。視線はマチェットの鞘の留め金に落ちていて、左腕の義体の指が、等間隔で鞘の表面を叩いている。メトロノームのように正確な間隔。それ以外の動きはなかった。
ヤクザの一人が鼻で笑った。もう一人が煙草の煙をレイナの方に吐いた。
レイナの指の間隔は、変わらなかった。
*
現場はクロダが管轄する南ブロック東端の資材倉庫だった。
鉄製のシャッターが半分上がった状態で止まっている。中から複数の人間の声と、金属を叩く音が聞こえる。護送車を降りたヤクザの一人が、倉庫の横壁に据えられた監視カメラの映像を携帯端末で確認し、顔色を変えた。
「——おい、二十人近くいるぞ。しかもアサルトライフルが見える。半グレのクソガキどもが、いつの間にこんな火力を……」
「マジかよ。聞いてた話と違うだろ。応援呼べ、応援——」
二人が携帯端末に手を伸ばしかけたとき、レイナがその横を通り過ぎた。
歩いていた。早足ですらない。通常の歩行速度で、シャッターの隙間に向かって真っ直ぐ歩いている。マチェットの留め金を親指で外し、鞘から抜いた。左腕の義体が刃を握り、サーボが一度だけ低く鳴った。
「お、おい——待てよ! 一人で何すんだ!」
レイナはシャッターの隙間を潜った。
倉庫の中は広かった。資材のコンテナが壁際に積まれ、中央のオープンスペースに半グレの集団がいた。二十人弱。全員が何らかの武器を持っていた。自動拳銃が大半で、数人がアサルトライフルを構えている。違法に改造された銃口のフラッシュハイダーが、倉庫の蛍光灯の下で鈍く光っていた。
レイナが入ってきたことに、最初に気づいたのは入り口近くにいた男だった。自動拳銃を構え、怒鳴った。
「誰だテメ——」
レイナの体が、横にずれた。
NAS-07が起動した。神経加速が全身の伝達速度を引き上げ、レイナの主観時間が周囲と乖離する。男の拳銃が火を噴く。発砲音が遅延して聞こえる。弾道は見えないが、銃口の角度と男の姿勢から着弾予測は完了している。体を十五センチ横へ移動させるだけで、弾は左肩の外側を抜けていった。
レイナのマチェットが、男の首の左側面に入った。
頸動脈だけを断つ。深さは二センチ。気管は傷つけない。声を出させずに失血させる。男は銃を取り落とし、首を押さえて膝から崩れた。
二人目。ライフルを構えようとしていた男の、銃を持つ右手首をマチェットの刃で打った。手首の腱が断たれ、ライフルが床に落ちる。次の動作で、左の大腿動脈を斬った。男が倒れる。
三人目、四人目。コンテナの影から飛び出してきた二人。一人が撃った。弾は二発。一発目はレイナの頭があった位置を通過し、二発目は腰を落として回避した。その姿勢のまま、低い位置から一人目のアキレス腱を斬り、崩れ落ちた体の向こう側にいた二人目の腹部を横に裂いた。
静かだった。
レイナの呼吸は乱れていない。心拍も、おそらく上がっていない。かつての戦い方——殺意と衝動に身を任せて暴れる狂犬の戦闘とは、根本的に何かが違っていた。
シノノメに出会った夜から、レイナの中で変わったものがある。
あの夜、自分の暴力が一切通用しない存在を知った。感情で振り回すマチェットでは届かない領域があることを、体が学んだ。だからレイナは、自身の行動から感情を切り離した。殺意そのものを消したわけではない。ただ、刃を振るうという行為に殺意を乗せるのをやめたのだ。目の前の人間を殺すという作業工程において、怒りも歓びも不要だ。必要なのは、対象の位置と、動脈の場所と、マチェットの最短軌道だけだ。
五人目から先は、もう集団戦の体を成していなかった。
半グレたちは倉庫中を逃げ回り、散発的に撃ち、仲間の背中越しに叫んだ。レイナはその中を歩いた。走りもしなかった。歩きながら、近づいてきた順に処理した。動脈を斬る。腱を断つ。喉を裂く。すべて一撃。すべて最短距離。義体の左腕がマチェットを振るうたびに、サーボが短く唸り、血が飛び、人が倒れた。
最後の一人は、コンテナの裏で蹲って泣いていた。自動拳銃を両手で握りしめているが、引き金にかかった指が痙攣している。レイナはその銃口を左手で払い、首の側面にマチェットの腹を当てた。刃ではなく、腹。
殺さなかった。
優しさなどではない。カナメから「全滅させるな。一人は『伝書鳩』として残しておけ」と指示されていたからだ。今日ここで起きた血盟会傘下の「死神」の恐怖を、スラムの中にあえて流布させるための生きた広告塔。男が失禁して崩れ落ち、もう戦闘不能であると判断してから、レイナはマチェットを引いた。
倉庫が静まった。
蛍光灯の光の下に、十九人が倒れている。床に広がった血が、コンクリートの目地に沿って流れていく。レイナはマチェットを一度振り、刃に付着した血液を落とした。呼吸は平坦だ。返り血は上着の左肩と胸元に散っているが、本人の傷はない。
シャッターの隙間から、ヤクザ二人が顔を覗かせた。
一人の膝が、目に見えて震えていた。もう一人は顔が白い。倉庫の中に広がる惨状——数分前まで二十人近くいた武装集団が、床に転がる肉の塊に変わっている光景を、二人は声もなく見渡した。
レイナが振り返った。
無表情だった。怒りもない。歓びもない。高揚もない。仕事を終えた人間の、平坦な顔だった。その顔が、ヤクザたちの本能を最も深い場所で殴った。
一人のヤクザの喉が、引きつるように動いた。
「……っ、お、お前……」
声が出ない。出そうとしても、声帯が言うことを聞かない。目の前にいるのは、さっきまで護送車の中で煙を吹きかけていた女だ。「後ろで泣いてろ」と言った女だ。その女が、たった一人でこれをやった。
だが、数秒後——ヤクザの思考は、都合の良い言い訳を見つけ出した。目の前の絶望的な恐怖を、強引に上書きするための言い訳だ。自分たちの後ろには血盟会がいる。シノノメがいる。この女は、その下請けだ。使い捨ての駒だ。だから、怖がる必要はない。そもそも怖がっている場合ではない。
「……は、ははっ! あ、あんな数の半グレども、血盟会の名前出しゃビビって逃げるに決まってんのによ!」
声が震えていた。それでも男は笑おうとした。口角を無理に持ち上げ、仲間の肩を叩いた。
「そ、そうだ! いくらお前がイカれた殺し屋でも、血盟会の下請けなんだ。俺たちには逆らえねえ! 俺たちの威光にビビってしっぽ振ってんだろ! 調子に乗んじゃねえぞ!」
もう一人も、引きつった笑いを浮かべた。
「そ、そうだぞ! 俺たちの指示で動いてんだからな——立場忘れんなよ!」
二人の声は大きかった。大きくしないと、自分たちの恐怖が漏れ出してしまうからだ。血盟会の名前を口にするたびに、自分たちが震えていないと確認するように、声を張り上げている。
レイナは二人を見た。
殺意はなかった。怒りもなかった。ただ、冷たい目でヤクザたちを見下ろしていた。かつてなら、この種の侮辱に対して即座にマチェットが動いていた。だが今のレイナの手は動かない。カナメが「まだだ」と言っている。ならば、まだだ。
「——終わった。掃除はアンタらの仕事だろ」
それだけ言って、レイナは背を向けた。
マチェットを鞘に戻す音が、倉庫に短く響いた。ヤクザ二人は血の海の中に取り残され、震える脚で立ちながら、去っていくレイナの背中に向かって、もう一度だけ「下請けのくせに」と呟いた。
自分たちが何を飼っているのか、分かっていなかった。
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