-4-
翌日の放課後。
僕が部室に入ると、すでに和夢子が椅子に座っていた。
「あっ、ようやく来たわね! 今日も元気に、活動開始よ!」
「活動って、依頼があったの?」
「ないわ!」
即答。
ま、そうだろうとは思ったけど。
そんなわけで、僕たちは椅子に座ってダラダラするだけという部活動を開始した。
昨日だって、散歩から戻ったあと、部室前に設置してある依頼箱を確認するも中身は空っぽ、すぐに帰宅する流れとなった。
はたしてこんな状態でいいのだろうか。
そう思わなくはないものの、依頼がないのだから仕方がない。
どんなことでもするから依頼をしてほしい、と全校生徒に向けて節操なくお願いする方法もなくはない。
だけど、和夢子はあくまでも探偵として仕事がしたいと考えている。なんでも屋になりたいわけじゃないのだ。
もっとも、仮に依頼があって本来の活動が可能になったとしても、証拠品を溶かしたりするなど、問題を引き起こすだけな感は否めない。
だったら、こうしてのんべんだらりと部室でゆっくりしているほうがいいのかもしれない。
光秀吉は昨日、いつか潰してやるとか言っていたけど、そんなことをしなくても、和夢子なら勝手に自滅しそうな気もする。
そのうち大失態を犯し、廃部に追い込まれる可能性が高いのではないだろうか。
というか、これまで一年間以上存続できているのが奇跡だ。
廃部にならないのは、顧問の先生の力添えがあるからなのかな?
思えば顧問の先生も随分と謎の多い人だ。全然部室に顔を出さないっていうのも、少々問題があるような……。
ともあれ、廃部を防いでくれるのなら、どんな素性の先生が顧問だろうと構わない。
愛しの和夢子と一緒に過ごせる場所があるだけで、僕としては充分に満足できる。
部室に顔を出さないのだって、逆にありがたい。
惚れている相手である和夢子とふたりきりの時間が楽しめることになるし。
といっても、相手が和夢子では夢のような時間という感じにはなりようもないのだけど。
なにせ僕は、下僕認定されている身だから……。
「のどが渇いた! ジュース買ってきて~!」といった使いっ走りは当たり前。
「なにか面白い話をしなさい!」とか「大笑いできるギャグをしなさい!」とか、完全なる無茶ブリまでしてくることもある。
「なんか関節が痛むわね~。マッサージしなさい!」と言われた日はラッキーデー。
はてさて、どんな命令が下されるのか。
毎日ハラハラドキドキ、一部ワクワクしている僕だった。
マッサージもそうだけど、和夢子はあまり意識していないのか、結構スキンシップがあるというのも嬉しい部分で。
ヘッドロックをかけられたり、肩車をさせられたり、椅子になれと言われて四つん這いになったら背中に座られたりということもあった。
突然後ろから抱きかかえられて、うわっ、ラッキー! と喜んでいたら、思いっきりバックドロップを食らわされた、なんてことまであったっけ。
下手をしたら死ぬだろ、とツッコミを入れたいところだけど。
あのときは和夢子のツインテールの髪の毛がクッション代わりになったみたいで、それなりの痛みはあったにしても、小さなタンコブができるくらいで済んだ。
和夢子にくっつかれたりするのは、彼女のことが好きな僕としては大歓迎ではある。
ただ、和夢子が触れた部分は大量の汗でべちょべちょになってしまう。
それだって嫌ではないけど、汗だと自分に言い聞かせているそれは、なんとなく緑色がかっているようにも見えて……。
いやいや、そんなはずはない。目の錯覚だ。
決して虫みたいに怪しげな分泌液を出しているってわけじゃない。
ちょっと粘っているようにも思えるけど……。
考えてみれば、この部室も異常なほどヌメヌメしている。
パイプ椅子やテーブルだって、触れると微かにベチョッとするし。
カーテンを閉めきって薄暗くしているとはいえ、それだけでここまでジメジメ……というかヌメヌメするものでもないだろう。
これはやっぱり、和夢子がここにいるせいなのか?
粘液を分泌しているだけでなく、周辺の空気にまで影響を与えているとか?
……和夢子がほんとに宇宙生物だったりしたらどうしよう。
いやいやいや、ありえないって! なにバカなことを考えてるんだか!
こんな僕の脳内葛藤は、一年以上ものあいだずっと続いている。
と、そのとき。
和夢子がまたしても衝撃の発言をかましてきた。
「揉みなさい!」
「ええっ!? いいの!?」
僕はびっくりして訊き返す。
反射的に両手を和夢子の胸の高さに掲げ、むにむにと揉むような動作を伴いながら。
「って、なに胸を揉もうとしてるのよ、このスケベ!」
容赦なく頭を殴られた。
これもスキンシップと言えるだろうか。
「あたしは『肩が凝ったわ、揉みなさい』って言ったのよ!」
「ああ……」
そりゃそうか。
思わず納得してしまったけど、肩を揉みなさいと言われること自体、あまり普通ではないような気がしなくもない。
「まったく、しっかりしないさいよね。あんたはあたしの下僕なんだから」
「はいはい」
反論したところで無駄な怒りを買うだけだ。
僕は素直に和夢子の肩を揉むことにする。
「ふ~、気持ちいい♪」
もう少し艶かしく言ってくれたら、僕のほうも気持ちよくなれそうだけど。
それにしても、中学生なのになぜこんなに肩が凝っているのやら。和夢子はとくに、勝手気ままに生きているはずなのに。
無事に肩揉みも終わり、それぞれ椅子に座り直す。
「今日はちょっと疲れたわね~」
和夢子はそう言うと、ぐてぇ~っとテーブルに突っ伏す。
なにも疲れることなんてしてないじゃん、といったツッコミはしない。僕も若干、うとうとし始めていたからだ。
一瞬意識が遠のいたのか、アゴを乗せていた手がずれて全身がビクッとなる。
「うあっ、僕まで寝ちゃってたかも?」
こういうことも、実は結構ある。
部室内で部員全員(といっても、ふたりだけど)が眠りこけている状態だと、もし誰かがこっそり入ってきたとしても全然わからない。
寝ている隙に侵入されて備品の盗難に遭うとかイタズラされるとか、そういった可能性もゼロではないから注意しておく必要がありそうだ。
「んっ……!」
体を起こし、伸びをしながら視線を向けてみると、和夢子はテーブルに突っ伏したまま眠っているようだった。
……寝顔もすごく可愛いな。
辺りは静かだった。
時間が止まってしまったのではないかと錯覚するほどの静寂に包まれている。
僕はぼーっとした頭のまま、ひたすら和夢子の寝顔に目を向けていた。
正確に言えば時計の秒針の音くらいは響いていたはずだけど、ただ一点だけに集中している僕の耳にはまったく入ってこなかった。
しばらく経つと、ムラムラとした感情が湧き上がってくる。
……キス……しちゃおうか……。
ごくり。生唾を飲み込む。
意識し始めたが最後、つやつやした唇から漏れる吐息が、僕を楽園へといざなう甘い誘惑のようにしか思えなくなってしまう。
でも和夢子の場合、僕の唇のほうが溶かされたりして……。
って、そんなわけないっての!
さっき買ってきたジュースのストローだって、和夢子が口をつけても溶けなかったんだから!
などと考えている僕の思考自体、まだモヤがかかってぼやけたままだったのかもしれない。
確かめるために、実行してみようか……。
そう、これは和夢子の生態を知るための実験だ……。
わけのわからない論理展開が頭の中を駆け巡る。
僕はそっと席を立ち、なるべく音がしないようにゆっくりと和夢子に近づいていった。
そばに寄るだけで、なんとも言えない香りが鼻腔をくすぐる。それが余計に僕の心を惑わせる。
すー……すー……。
唇を寄せていくに従って、小さな寝息を立てる和夢子の顔が、視界に大きく映り込んでくる。
といったところで、
「すみませ~ん! ……あら?」
不意に部室のドアが引き開けられ、そんな声がかけられた。
固まってしまった僕がどうにか視線だけをドアのほうに向けてみると、ふたりの女子生徒がこちらをじーっと見つめていた。




