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僕と和夢子は、ついさっきも通った本校舎裏の薄暗い道を抜け、一路、旧校舎を目指した。
旧校舎は寒々しい林の中にポツンと建っている。
幾多の生徒たちが学業に励んできたであろう年季をその外観からたっぷりと漂わせる、くすんだ雰囲気に包まれた古びた校舎。
この旧校舎は、不死樹谷中学校が創立された当初からある木造三階建ての建物だ。
崩れ落ちそうなほどではないにしても、傷みは相当激しく、外壁が崩れて地面にうず高く瓦礫が積み上がっているような場所も見受けられる。
だからなのか、建物の周囲にはロープが張り巡らされ、急ごしらえっぽい雰囲気ではあるけど、立て看板に「立ち入り禁止」と手書きの文字で記されていた。
そういえば、朝のホームルームでこんな話が出ていたのを思い出す。
週末に落雷があって壁や天井の一部が崩れてしまったみたいなので、危険ですから近づかないようにしてください、と。
あまり強く言わなかったのは、絶対に近づくなと言われたら、逆に近づく生徒もいるかもしれない、という配慮からだろうか。
実際のところ、旧校舎は今の校舎から少し離れているため、ほとんどの生徒が気にも留めていなかった。
無駄に騒ぎ立てる必要はないとの判断だったに違いない。
この旧校舎は教室として使われなくなってからは久しいものの、創立当初からの思い出の詰まった建物として保存されていると聞いたことがある。
ロープで侵入禁止になっている今は無理だろうけど、申請さえすれば一時的な利用も可能となっていたはずだ。
去年のクラスで、月に一度のロングホームルームについて話し合った際、旧校舎の教室を使って怪談大会をしようなんて案も出ていた。
そういった場合、比較的損傷の少ない三階北側の教室を使用するのが常となっていた。
廊下に瓦礫などが散乱していて歩きにくい状態だから、肝試しの会場には最適、との噂も聞いたことがある。
部室の依頼箱に投函された二通の手紙には、旧校舎の三階、一番北側の教室で待っていると書かれてあった。
比較的簡単に入れる状態で、しかも人が通りかかる可能性も低い。
だから呼び出し場所として旧校舎を選んだ、といったところか。
いや、でも申請しないと使えない場所ならば、少なくとも鍵がかかっているのでは……。
「和夢子、この様子だと中には入れないんじゃないかな?」
「そうかもしれないわね。だとしたら、手紙は単なるイタズラかしら」
と言いながらも、和夢子はロープをくぐり、躊躇することなく旧校舎の昇降口へと向かっていく。
「待ってよ、和夢子!」
僕も慌てて追いかける。
建物に近寄ると、周囲の林によって陽光が遮られていることもあってか、とても禍々しい空気が全身を包み込んでいるように感じられた。
そんな中、和夢子は戸惑いも見せず昇降口のドアに手を伸ばす。
ドアは難なく開いた。僕たちを呼び出した誰かによって、鍵が開けられていたのだと考えられる。
きしんだ音が微かに響く。
それだけで僕の体はビクッと大きく震えた。
ここは立ち入り禁止となっている場所。僕たちの行為は不法侵入に当たる。
自分の通っている中学校の敷地内だから、法律的に裁かれるようなことまではないと思うけど、もし先生に見つかったら怒られるだろう。
場合によっては停学処分を受ける可能性だってあるかもしれない。
僕たちは呼び出されただけで、鍵も最初から開いていた。
そう証言すれば許してもらえるだろうか?
でも絶対、和夢子が余計なことを口走ったりするだろうな……。
「なにボケっと突っ立ってるのよ。早く来なさい!」
すでにドアの中に入っている和夢子が僕を急かす。
和夢子は堂々としたものだ。凛々しい。カッコいい。
対する僕の、なんと情けないことか。
こんな僕のままじゃ、和夢子のそばで探偵の助手をする資格なんてないのかもしれない。
正確には助手ではなく、下僕だけど。
和夢子はどうして、僕なんかを部員にしたのだろう?
誰でもよかったわけじゃない、と思いたい。なにせ、部員は僕ひとりだけなのだから。
とはいえ、もし他に部員が増えたりしたら、僕はお払い箱になってしまうのかも……。
だったらそうならないように、和夢子にとっての唯一無二の存在を目指すしかない。
ずっと一緒にいて必死に尽くしていれば、そのうち和夢子に振り向いてもらえるかな?
男女の仲としておつき合いできるような未来も、もしかしたらやってくるかな?
「ヒット! 早く来なさいって言ってるでしょ!?」
和夢子の怒鳴り声で、夢想世界から現実世界へと強制送還される。
おっと、こんなんじゃ、いつまで経っても和夢子に振り向いてなんてもらえないな。
よしっ! 頑張ろう!
輝かしい未来のために!
気持ちを奮い立たせ、僕も和夢子に続いて旧校舎内への侵入を開始した。
暗い。
それが廊下まで歩を進めてみた僕の率直な感想だった。
使われていない校舎だから、当然ながら電気は点いていない。
申請すれば使えるようになっていたということは、電気が通っていないわけではないと思うけど、スイッチがどこにあるのかもわからない。
もちろん窓ガラスを通して、外からの光が入ってはきている。
それでも、周囲が林になっているせいで、夕方前の時刻だとは思えない暗さとなっていた。
正直、ちょっと怖い。
その上、壁や天井が一部崩れかけ、廊下には瓦礫まで散らばっている。
話に聞いていたとおり、かなり歩きにくい状態だった。
「きゃっ!」
和夢子が瓦礫に足を取られたのか、バランスを崩す。
そっと手を出して支える僕。
「あ……ありがとう――」
と、素直に感謝の意を唱える和夢子ではない。
「なんて言わないからね。ヒットはあたしの下僕なんだから、当たり前のことよ!」
「……はいはい」
どうせそういう扱いなのはわかりきっている。
ただ、声にいつもほどの勢いがなかったように感じたのは、和夢子でも少しは怖いと思っているからなのかな?
そんなことが頭をよぎり、笑みがこぼれる。
普段どおりなら、「なにニヤついてんのよ、気持ち悪いわね!」と言われそうなところだけど、今はこの薄暗さが隠してくれるはずだ。
もっとも、和夢子がずんずんと先を行く現状では、顔を見られる心配なんてまったくないだろう。
それにしても……。
僕は自分の手のひらに視線を落としながら考える。
さっき和夢子が転びかけたとき、僕の右手はしっかりと彼女の手をつかんでいた。
べちょっと。
ねちょっと。
汗びっしょりだった。
なんというか、ヌメっとしすぎな気もする。
和夢子も旧校舎の雰囲気に呑まれて薄気味悪さを感じ、緊張で手に汗をかいているのだと考えられる。
和夢子の手をつかんでいた僕の手のひらは、今や完全に濡れている。
本人いわく、あたしはワームだから分泌されているのは汗じゃなくて粘液よ、というこの液体。
微妙に緑色がかっていて綺麗でしょ? と自慢げに話していたこともある。
暗くてよくわからないけど、そんなはずはない。これは普通に汗なんだ。
僕の手にべっとりと大量に付着してはいるけど、べつに嫌なわけじゃない。
むしろ、ちょっとドキドキする。
好きな女の子の、汗。
…………舐めちゃおうか。
って、僕はなにを考えてるんだ!
だけど、少しくらいなら……。
いやいや、もし和夢子に見られたら、確実に変態扱いされてしまう!
などと和夢子の汗がこびりついた手を凝視しながら悶々としていると。
「行くわよ、変態!」
気づかないうちに振り返っていた和夢子からの刺々しいお言葉。
う~む。薄暗い中ではあったけど、バッチリ見られてしまっていたようだ。




