表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
まだ、鳴っている   作者: 山吹 ことり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/9

 電車が止まった。


 ホームには、同じように足を止めた人たちが何人もいる。

 改札の上の電光掲示板には、遅延を知らせる文字が流れていた。


 線路内点検。

 安全確認。

 運転再開まで、しばらく時間がかかる見込み。


 それだけが、何度も繰り返されている。


 ヒナタは改札の横で、スマートフォンの画面を見ていた。


 待ち合わせの時間まで、まだ余裕はある。

 でも、このまま待っていれば確実に間に合わない。


 ごめん、遅れそう


 送信しようとした、その時だった。


「ヒナタさん?」


 呼ばれて、顔を上げる。


 きちんとしたジャケット。

 黒い鞄。


 ヒナタは一瞬だけ、誰だったか考えた。


 見覚えはある。


 たしか、Moon Veilのボーカル。


 Snow flakesと同じ時期にデビューして、少しの間、同じ場所にいた人。


 名前は。


「……朔」


「はい」


「久しぶり」


「お久しぶりです」


 朔はそう言って、少し頭を下げた。


 相変わらず、姿勢がいい。


 ヒナタは電光掲示板を見る。


「そっちも足止め?」


「はい。打ち合わせがあったんですけど」


「俺も」


 会話がそこで止まる。


 ホームのアナウンスだけが、間に入ってきた。

 運転再開の見込みは、まだ立っていないらしい。


 朔がスマートフォンを見る。


「迎えを寄こしてくれるそうです」


「へえ」


「でも、少し時間がかかるみたいで」


「じゃあ、暇だな」


「はい」


 ヒナタは少し考えてから、一言。


「飯行く?」


「え」


「腹減ったから」


「あ、はい」


 朔はぽかんとしている。


「……嫌なら断ってもいい」


 少しだけ視線をそらしたヒナタを見て、朔は思わず笑ってしまった。


「嫌ではないです」


「じゃあ」


 ヒナタはそう言って、改札へ向かった。


 朔も少し遅れてついてくる。


 駅前の定食屋は、昼には少し早い時間で空いていた。


 二人は奥のテーブル席に座る。


 メニューを開く。


 ヒナタは迷わず言った。


「唐揚げ定食」


 同時に、向かいの朔も言った。


「唐揚げ定食で」


 二人の声が重なった。


 店員が少し笑って、注文を復唱する。


 ヒナタは水を飲んだ。


 朔も、同じタイミングで水を飲んだ。


 コップを置く音まで、ほとんど同じだった。


「……」


「……」


 変な間が落ちる。


 朔が少しだけ目を逸らした。


「すみません」


「なんで」


「いえ。なんとなく」


 ヒナタはメニューを閉じた。


 店の中には、テレビの音が小さく流れている。

 昼前の情報番組。

 誰かの笑い声。


 その音が、妙に遠かった。


 唐揚げ定食は、ほとんど同じ形で二つ運ばれてきた。


 白いご飯。

 味噌汁。

 千切りキャベツ。

 レモン。


 ヒナタがレモンを避ける。


 朔も避ける。


 ヒナタが唐揚げを一つ取る。


 朔も同じものを取る。


 汁を飲むのも、同時。


 さすがに、ヒナタは朔を見た。


 朔も手を止める。


「……真似してない?」


「してません」


「怖」


 二人で少し笑う。


 朔が味噌汁の椀を下げた時、左手の指輪が一瞬、店の明かりを反した。


 ヒナタは何も言わず、また唐揚げに箸を伸ばす。


 けれど、朔は気づいたらしい。


「結婚したんです」


「おめでとう」


「ありがとうございます」


 そう返しながら、ヒナタの箸が少しだけ止まった。


「ユニットの人?」


 朔の表情が、わずかに揺れる。


「……いえ。幼馴染です」


「へえ」


「昔から、結婚する相手として決められていた人で」


 朔は指輪に目を落とした。


「最初は、それが嫌だったんですけど」


 少しだけ間を置いて、静かに笑う。


「今は、この人でよかったと思っています」


「そっか」


 ヒナタの声が、少しだけ柔らかくなる。


 朔が顔を上げた。


「ヒナタさんは……?」


「俺?」


「はい。ご結婚は」


 ヒナタは唐揚げを持ったまま、少しだけ目を逸らした。


「……子ども、できて」


 朔の目が大きくなる。


「えっ」


「うん」


「おめでとうございます!」


「ありがとう」


「お相手は?」


 ヒナタは少しだけ考えるように黙った。


「……幼馴染」


 今度は朔が、少し驚いた顔をする。


「同じですね」


「……別に、決められてたわけじゃないけど」


「でも、幸せそうです」


 ヒナタはすぐには答えなかった。


 唐揚げを口に運んでから、小さく頷く。


「……うん」


 朔と話す距離は、少し不思議だった。

 変に気を遣うほどではない。

 でも、何も気にならないほど遠くもない。


「今も歌ってる?」


 ヒナタが何気なく聞いた。


 朔の箸が、一瞬だけ止まる。


「……いいえ」


「そっか」


「ヒナタさんは」


「歌ってる」


「ですよね」


「うん」


 そこで会話は切れた。


 朔は少しだけ笑った。


 ヒナタはそれ以上聞かなかった。



 食べ終わっても、朔の迎えはまだ来ていなかった。


 駅前のベンチに並んで座る。


 夏の昼。

 空は白く明るい。


 電車が止まっているせいで、駅前にはいつもより人が多かった。


 電話をしている人。

 バス停へ向かう人。

 諦めたように喫茶店へ入る人。


 その中で、ヒナタと朔だけが、少し時間から外れている。


 ヒナタは持っていたギターケースを開けた。


 朔がそれを見る。


「ここで弾くんですか」


「暇だし」


「歌う?」


 ヒナタが言うと、朔は少しだけ目を細めた。


「なぜ」


「歌いたそうな顔してる」


 朔は少しだけ首を横に振る。


「たぶん、今なら誰も気にしない」


 ヒナタはベンチに座ったまま、軽く弦を鳴らした。


 ぽろ、と音が出る。


 駅前のざわめきに、すぐ溶けるような音。


 それでも、指は勝手に動いた。


 コードを探る。

 少しずつ、形になる。


 明るいのに、どこか夜みたいな進行だった。


 朔は黙って聞いていた。


 最初は、本当に聞いているだけだった。


 でも、二回目に同じフレーズを弾いた時、朔の口元が少し動いた。


 音にならない声。


 ヒナタは、弾く手を止めなかった。


 むしろ、少しだけ音を空ける。


 そこに、朔の声が落ちた。


「月はまだ」


 小さな声だった。


「沈まないまま」


 ヒナタは顔を上げなかった。


 朔も、ヒナタを見ていなかった。


 二人とも、駅前の白い空を見ている。


「朝の端で」


 声が、少しだけ伸びる。


「息をしている」


 ヒナタはコードを変えた。


 朔の声が、その上に乗る。


「太陽は」


 知らない歌だった。


 朔も、たぶん知らない。


 今、出てきた歌。


「気づかないふりで」


 それなのに、最初からそこにあったみたいに自然だった。


「同じ空を」


 ヒナタの指が少し止まりかける。


 でも、止めなかった。


「少しだけ照らす」


 朔の声は、前に聞いた時より透明で静かだった。


 派手ではない。

 強くもない。


 でも、遠くまで行ける声だった。


 行けるのに、行かない声。


 それが少し、怖かった。


「In One Sky」


 ヒナタはその言葉を拾うように、同じコードをもう一度鳴らす。


「会えないわけじゃない」


 朔の目は、どこか遠い。


「触れないだけ」


 ざわめきの中で、その声だけが少し浮いていた。


 駅のアナウンス。

 車の音。

 誰かの笑い声。


 全部あるのに、そこだけ静かだった。


「遠いわけじゃない」


 ヒナタは思った。


 歌う人だ。


 やめたとか、歌っていないとか、そういうことではなく。


 この人は、歌う人だ。


「眩しいだけ」


 最後の音が、白い空に溶けていく。


 一曲にも満たない、短い時間。


「……いいな」


 ヒナタが笑う。


「あの」


 朔がなにか言いかけた時、黒い車が駅前にゆっくり停まった。


 朔は、はっとしたように口を閉じた。


 その朔の姿を見て、

 ヒナタは弦に置いていた指を静かに止めた。


 車のドアが開く。


 スーツ姿の男が静かに降りてきた。


 年齢は、朔よりかなり上。

 姿勢がまっすぐで、表情が読みにくい。


「父さん」


 男は、朔を見た。


 それから、ヒナタのギターを見る。


 少しの間。


 駅前の音が、遠くなった気がした。


 車の音。

 人の声。

 遅延を知らせるアナウンス。


 全部、薄くなる。


「音楽はやめたはずだろう」


 声は大きくなかった。

 怒鳴ってもいない。


 それなのに、朔の肩がわずかに強張った。


「……すみません」


 朔はそう言った。


 ヒナタはギターをケースに戻す手を止めた。


 謝ることじゃないだろ。


 弦の上に置いた指に、変な力が入る。


 男の視線が、今度はヒナタに向く。


 朔がヒナタを紹介しようと、口を開きかけた時。


「……スノーフレークスの」


 先に、男が名前を呼んだ。


 ヒナタは少しだけ顔を上げる。


 目が合う。


 この男は、Snow flakesを知っている。


「ヒナタです」


 朔の父親は、しばらく黙ったあと、

 その名前をゆっくり繰り返した。


「陽向」


 名前の響きだけを確かめるような音。


 ヒナタは、その響きにうまく反応できなかった。


「……はい」


 返事だけ。


 沈黙が続く。


 ヒナタは目を逸らさなかった。


 男も逸らさなかった。


 その間、朔は何も言わない。


「……」


 朔が、父親を見る。


 そんな表情をする人だっただろうか、と思った。

 父の目の奥が、一瞬だけ明るくなった気がしたからだ。


 怖い。


 だが、瞬きをした次の瞬間には、

 父はもういつもの顔に戻っていた。


 まっすぐで。

 隙がなくて。

 何も読み取らせない顔。


 駅前の空気だけが、少しずつ重くなる。


 やがて、男が頷いた。


「朔、行くぞ」


 振り返らず、車に向かって歩いていく。


「あ、はい」


 朔は慌てて鞄を持ち直した。


 車へ向かう前に、一度だけ振り返る。


「ヒナタさん、また」


「うん」


 それだけ。


 朔は車に乗り込む。

 男も乗る。


 車がゆっくり走り出す。


 姿が見えなくなっても、ヒナタはしばらく動けなかった。


 男の目線。

 間。

 呼ばれた名前。


 朔の歌声。重なった動作。

 それから、さっき止めたギターの音。


 指を離した拍子に、弦が小さく鳴った。


 音が、戻ってくる。


 ヒナタはようやく息を吐いた。


「……怖」


 誰に向けた言葉なのか、自分でもよく分からなかった。


 朔が歌ったことが怖いのか。

 男の視線が怖いのか。

 名前を呼ばれたことが怖いのか。


 分からない。でも、怖かった。



 車の中では沈黙が続いていた。


 朔は後部座席で、膝の上の鞄を見ている。

 父親は隣に座り、窓の外を見ていた。


 静かな車内。


 エンジンの低い音。

 外を流れる車の音。

 ウインカーの音。


 それだけが続く。


 朔は、さっきの音を思い出していた。


 音楽には区切りをつけたはずなのに。


 歌ってしまった。


 ギターの音につられて、自然と声が出た。

 音の中にいるヒナタが羨ましいとさえ、思った。


 区切りをつけたはずなのに。


 よりによって、父親に見られてしまった。


 怒られると思った。

 だから、謝った。


 でも。

 そのあとが分からない。


 父親がヒナタの名前を呼んだ時の声。


 陽向。


 あんな声を、朔は聞いたことがなかった。


 やわらかいような。

 痛いような。


 近づいてはいけないものに、少しだけ触れてしまったような声。


 朔は父親を見た。


 窓の外を向いていて、表情は分からない。


 その時、父親が小さく呟いた。


「……怖いな」


 朔の背筋が、少しだけ固まった。


 自分に言われたのだと思った。


 歌ってしまったこと。

 やめたはずの音楽に、また触れたこと。


 それを責められたのだと思った。


「……すみません」


 朔は小さく言った。


 父親は返事をしなかった。


 聞こえていないのかもしれない。

 それとも、朔に向けた言葉ではなかったのかもしれない。


 窓に、父親の顔が薄く映る。


 ほんの一瞬だけ。

 優しく笑ったように見えた。


 それが、朔には一番怖かった。


 車はそのまま、何事もなかったように走っていく。


 駅前のざわめきも。

 止まった電車も。

 白い空の下で鳴ったギターも。


 少しずつ遠ざかっていく。


 さっき出てしまった歌の最後の音が、まだ喉の奥に残っている。


 月はまだ沈まないまま。

 太陽は同じ空を少しだけ照らす。


 In One Sky。


 朔は膝の上で、鞄の持ち手を握った。


 歌えたら。


 いつかまた、あの歌を一緒に歌えたら。


 ……今は、歌えなくても。


 ヒナタが歌ってくれるなら。


 朔はスマートフォンを取り出し、新しいメモを開いた。


 あのとき、即興で歌った言葉を思い出しながら、その先を打ち込んでいく。


 何度か指を止め、それでも最後まで書き終えると、ヒナタに送った。



 *


 スピーカーにノイズが走り、駅のアナウンスが流れる。


 まもなく運転を再開します。


 人が動き出し、

 止まっていた時間が、少しずつ元に戻っていく。


 ヒナタはゆっくりと立ち上がり、

 ギターケースを肩にかける。


 耳の奥では、さっきまでの音がまだ鳴っている。


 改札へ向かって歩き出したところで、ポケットの中のスマートフォンが震えた。


 画面を確認し、ヒナタはわずかに目を細める。


 朔から届いたのは、あの歌の続きだった。


 文字を追ううちに、空いた方の手が無意識に動き出す。


 見えない弦をなぞるように。


 言葉の先にあるメロディを、探すように。


「……怖」


 そう呟いた口元は、少しだけ笑っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ