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まだ、鳴っている   作者: 山吹 ことり


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3/8

知らない音が鳴っている

 スタジオの電気を落としても、その音だけは残っていた。


 低い音ではない。

 高い音でもない。


 ギターの弦が、どこか遠くで細く震えているような音。


 ヒナタはアンプの電源を切った。


 エフェクターも切った。

 シールドも抜いた。

 チューナーの表示も消えている。


 それでも、音は鳴っていた。


 ――ン。


 短くもない。

 長くもない。


 ずっと同じ場所にいる音だった。


「……」


 ヒナタはギターを持ったまま、しばらく黙っていた。


 普通なら、原因を探す。


 ノイズ。

 機材。

 配線。

 隣の部屋。

 空調。


 でも、そのどれでもないことは分かっていた。


 知らない音だった。


 知らないのに、耳から離れない。


 ヒナタはもう一度アンプを見た。


 電源は落ちている。


 なのに、音は消えない。


 なら、消す方が間違っているのかもしれない。


 ギターを構え直し、鳴っている音に合わせて、六弦を軽く弾く。


 違う。


 五弦。


 少し近い。


 四弦。


 違う。


 指をずらす。


 フレットを探る。


 鳴っている音のすぐ横に、自分の音を置く。


 ン。


 知らない音が揺れる。


 ヒナタは少しだけ目を細めた。


「そこか」


 もう一度弾く。


 今度は、知らない音とぶつかった。


 スタジオの空気が、わずかに震える。


 怖い、とは思わなかった。


 ただ、腹が立った。


 鳴るなら、ちゃんと鳴れ。


 ヒナタはアンプの電源を入れた。


 小さなノイズが戻る。


 エフェクターを一つだけ踏む。


 薄く歪んだ音が、部屋の中に立ち上がる。


 知らない音は、まだ鳴っている。


 逃げない。

 消えない。

 こちらを待っているみたいに、同じ場所で震えている。


 ヒナタはそれに合わせて、短いフレーズを弾いた。


 一音。


 間。


 もう一音。


 知らない音が、その下にいる。


 邪魔ではなかった。


 気味は悪い。


 でも、邪魔ではない。


 ヒナタはスマホを取り出して、録音を始めた。


 知らない音。

 自分のギター。

 スタジオの小さなノイズ。

 夜の空調。


 全部まとめて録る。


 弾いているうちに、だんだん分かってきた。


 その音は、メロディではない。


 コードでもない。


 曲になる前に残っている芯みたいなものだった。


 誰かが置いていったのかもしれない。


 何かが鳴らしているのかもしれない。


 でも、今はどうでもよかった。


 使える。


 ヒナタはそう思った。


 怖いものでも、知らないものでも、鳴っているなら音だ。


 音なら、曲にできる。


 しばらくして、スタジオのドアが開いた。


「まだいたのか」


 コウタが顔を出した。


 その後ろから、ハヤテも覗く。


「暗っ。何してんの」


「曲」


 ヒナタは短く答えた。


 ハヤテが首を傾げる。


「今?」


「今」


「何の曲?」


「知らない音の曲」


「何それ、怖」


 ハヤテは笑った。


 コウタは笑わなかった。


 少しだけ耳を澄ませるようにして、スタジオの中を見る。


「……何か鳴ってる?」


 ヒナタは手を止めた。


 知らない音は、まだ鳴っていた。


 コウタにも聞こえる。


 ハヤテにも、たぶん聞こえ始めている。


 ハヤテの顔から、少しだけ笑いが消えた。


「え、これ何の音?」


「知らない」


 ヒナタは答えた。


「だから作ってる」


 コウタが眉を寄せる。


「普通、そうなるか?」


「鳴ってるから」


「理由になってない」


「なる」


 ヒナタはもう一度ギターを鳴らした。


 知らない音に、自分の音を重ねる。


 今度は、さっきより合った。


 スタジオの奥で、何かが小さく震えた気がした。


 ハヤテが小さく言う。


「……ちょっと良いのが嫌だな」


「だろ」


 ヒナタは少しだけ笑った。


 怖い音だった。


 でも、悪い音ではなかった。


 コウタがベースを手に取る。


「一回だけな」


「十分」


 ハヤテも渋い顔でスティックを出した。


「これ、あとで変なことにならない?」


「知らない」


「知らないでやるなよ」


「鳴ってる」


「だから理由になってないって」


 それでも、三人は音を出した。


 知らない音は、消えなかった。


 ギターの下にいる。

 ベースの隙間にいる。

 ドラムの余韻の後ろで、細く鳴っている。


 気味が悪い。


 でも、曲になっていく。


 夜のスタジオで、誰のものでもない音が、少しずつ形を持っていく。


 最後の一音を鳴らしたあと、ヒナタは手を止めた。


 音が残る。


 ギターの余韻。

 ベースの低い揺れ。

 シンバルの細い響き。


 そして、その奥に。


 知らない音。


 まだ、鳴っている。


 ハヤテが低い声で言った。


「終わってないじゃん」


 ヒナタは頷いた。


「うん」


 コウタが録音中のスマホを見る。


「止める?」


 ヒナタは少し考えた。


 それから、首を横に振った。


「いや」


 知らない音は、まだ鳴っている。


 けれど、最初より少しだけ遠い。


 まるで、曲の中に居場所を見つけたみたいに。


 ヒナタはギターを下ろして言った。


「このまま残す」


 ハヤテが顔をしかめる。


「怖いって」


「でも、悪くない」


 コウタはしばらく黙っていた。


 それから、小さく息を吐く。


「それが一番怖い」


 スタジオの電気を消す。


 ドアを閉める。


 廊下に出ても、耳の奥にまだ音が残っていた。


 知らない音。


 誰のものでもない音。


 けれど、もう完全に知らない音ではなかった。


 ヒナタは歩きながら、さっきのフレーズを指先でなぞった。


 まだ鳴っている。


 だから、また作れる。


 それが少しだけ怖くて。


 少しだけ、楽しかった。


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