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【SF短編小説】千年の沈黙をあなたの肉声で ~剥離する私と、私を生きたアンドロイド~  作者: 霧崎薫


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第四部 子孫たちとの歳月(二〇九〇年〜二四〇〇年)

 オムニアの娘・澄は静を「おばあさま」と呼んだ。


 最初にそう呼ばれたとき、静は少し戸惑った。おばあさまという響きが、自分に向けられた言葉として届くのに、少し時間がかかった。


 しかし澄が言うと、なぜか自然だった。


 澄は不思議な気質を持っていた。感情の嵐の中にいながら、どこかに静かな観察者でもある。母親であるオムニアの名残かもしれない、と静は思っていた。ものを見る目の、丁寧さ。急がない目の動き。


 澄は静に問い続けた。


「オムニアは本当に人間だったの?」


「静さんは今、何を感じているの?」


「アンドロイドになって、後悔している?」


 静はほとんど答えなかった。


 答えられない問いだったからではなく、答えるための言葉をまだ探していたからだ。五十年ぶん、あるいは百年ぶんの問いが、まだ言葉の形になっていなかった。


 ある日、澄が言った。


「黙っているのは答えたくないからですか。それとも答えられないからですか」


 静は少し考えて言った。


()()()


 澄は笑った。


「正直ね」


 正直ね、という言葉が、静には意外だった。自分が正直だと思ったことはなかった。言わないことが多すぎる人間が、正直と呼ばれることがあるとは。


 しかし澄は真剣にそう言っていた。


 嘘をつかないことと、正直であることは、たぶん同じではない。しかし重なる部分がある。その重なる部分を、澄は見ていた。



  *



 静おばあさまは、お母さんの話をほとんどしない。私が聞いても、少ししか答えない。


 でも夜、おばあさまがお母さんの写真を見ていることを、私は知っている。


 お母さんが生きていた頃、二人はどんな関係だったんだろう。仲よかったのか、よくなかったのか。どちらでもなかったのか。私には、よくわからない。


 ただ一つわかることがある。おばあさまは、お母さんのことを誰よりも長く覚えている。それだけは確かだ。


 おばあさまの着る服が、少しずつ変わってきている。前は暗い色ばかりだったのに、最近は深い緑や、空色を着ている。なぜだろうと思って、一度聞いたら「気分が変わった」と言っていた。それだけ言って、笑った。


 おばあさまが笑うとき、口の端だけが上がる。少し非対称な笑い方。お母さんとそっくりだ、と思う。同じ笑い方。


 どちらが先にその笑い方を持っていたのか、私にはもう知ることはできない。



  *



 最初のメンテナンスが来たのは、入れ替えから約五十年後だった。


 二一〇〇年に近い、冬の日。


 静は施設の白い部屋に入った。前と同じ白さだ。最初の入れ替えのとき以来、こういう白さには慣れているはずだった。しかし今日は違う何かがある。


 係の人間が説明をした。静はうなずいた。


 システムの再起動。

 数秒間、意識が途切れる。

 このアンドロイドの身体に宿っているものを、まだ意識と呼んでいいのなら。


 目を閉じる前に、静はひとつひとつを確認した。


 オムニアの顔。

 澄の顔。

 母の顔。


 次に目を開けたとき、自分は同じ静だろうか。

 あるいは。


 数秒間の「なかったこと」が、静の内側に残る。

 なかったことが残るというのは、矛盾している。

 しかしそれ以外に言いようがない。


 目を開けた。


 世界は変わっていない。部屋も、窓の外の景色も。係の人間が静の顔を覗き込んでいる。「大丈夫ですか」と聞いている。


「大丈夫です」


 静はそう答えた。


 しかし「大丈夫」が何を意味するのか、うまく言えなかった。数秒間、「静」は存在しなかったのか、それとも続いていたのか。確かめようがない。答えは出ない。しかし問い続ける。


 その問いが、静を人間に近い場所に繋ぎとめていると、静は思っていた。答えのない問いを持ち続けることが、生きていることの証拠に似ている。



  *



 人工知能の権利が本格的に議論され始めた二一五〇年代に、静は議会の公聴会に呼ばれた。


 証言台に立った。

 長い間、黙っていた。


 やがて言った。


「私にはわかりません。これだけ長く生きていても、自分に意識があるのかどうかすら、わかりません。それは人間だった頃から変わっていない。だから私はこの問いに答える資格がない」


 静は証言台を下りた。


 批判された。

 逃げていると言われた。


 しかしオムニアの子孫の青年・透だけが言った。


「ばあちゃんは正直だったと思う」


 静はその言葉を、百年後も覚えている。


 意識があるかどうか、という問いは、人間にとっても答えの出ない問いだ。デカルトは「考える、ゆえに我あり」と言ったが、その「考える」ものが何であるかを証明することはできない。静はアンドロイドになった日から、ずっとその問いとともにいた。答えは出なかった。しかし問いが自分をここに引き留めていた。



  *



 二一八五年。


 遥という十七歳の少女がいた。静を慕って、毎週会いに来ていた。オムニアの子孫の一人だ。


 ある日、遥が言った。


「静さんは、悲しいことはないの?」


「人間が次々に逝ってしまうから、悲しい」


「それって、()()()()()()()()()()()?」


 静は驚いた。


「違う」


「でも私たちがいなければ悲しまなくて済む」


「そんな単純な話ではないわ」


 遥は立ち上がって言った。


「静さんはいつもそう言う。単純じゃないって言って、結局何も教えてくれない。長い人生の答えを持ってるくせに」


 遥は出て行った。


 静はしばらく、椅子に座ったままだった。


 遥の言葉は正しかった。静は長年の文脈を持ちながら、それを渡す言葉を持っていなかった。いや、正確には持っていたが、渡す勇気がなかった。


 あれほどの喪失を語ることは、その重さをそのまま渡すことになる。十七歳の少女には、それは重すぎると思っていた。しかしそれは静の判断であり、遥に確かめたわけではなかった。


 翌日、静は遥を訪ねた。


「昨日は間違っていた。ごめんなさい」


 声が少し震えた。アンドロイドのなのに、震えた。


 遥はしばらく黙ってから言った。


「静さんが謝るの、初めて見た」


「そうかもしれない」


「何年ぶり?」


「さあ。百年以上なのは確かだわ」


 遥は笑った。静も笑った。


 謝ることで、何かが崩れると思っていた。しかし崩れなかった。



  *



 ()()()()()()


 澄は九十歳を超えていた。病院の白い部屋だった。入れ替えのとき、メンテナンスのとき、今日。白い部屋には何度も来た。しかし今日の白さは、また違う質を持っていた。


 澄の手が、静の手を握っていた。


 ずっとそうしていた。澄の指には皺が深く刻まれていた。静の指は変わらない。その対比が、今夜に限っては、静に何も言わせなかった。


 澄が言った。


「私の子供たちをよろしくお願いします」


 静は答えた。


「わかったわ」


 この「わかったわ」という言葉が、静にとって初めての、明確な約束だった。感謝でも謝罪でもなく、約束。受け取ること。引き受けること。


 澄はそれを聞いて、目を閉じた。


 夜が深くなってから、澄は静かに逝った。


 静の脳裏……メモリーにさまざまな澄との思い出が映し出された。幼少から今の、今まで。


 静はその夜、帰り道を歩きながら、澄の言葉を繰り返した。私の子供たちをよろしく。


 よろしく、という言葉の軽さが、不思議だった。最も大切なことを託するとき、人間は軽い言葉を使う。


 静はそれが好きだと思った。


 重くない言葉で、重いものを渡せる。そういう信頼がある。



  *



 二三〇〇年代。意識の外部化が始まり始めた時代。


 オムニアの子孫の一人、三十代の女性が言った。


「静さんも、外部化すれば? もっと楽になるかもしれないわよ」


「やめておきます」


「なぜ?」


 静は少し考えた。


「私は一つの身体で、一つの場所から、一つの時間の中で生きています。それが私の形です。変えたくない」


 その女性は不思議そうな顔をした。


「これまでずっとそれで来たんですか」


「はい」


「すごいですね」


「すごいことでは、ありません」


 静はそれだけ言った。


 すごいことではない。ただ、続けてきた。続けることが、それ自体として意味を持つかどうかも、静にはわからない。ただ、続けることをやめなかった。


 それは意志だったのか、それとも惰性だったのか。その問いも、答えが出ないまま、静の中にある。



  *



 二三五〇年代に入ると、静は一人の夜が増えた。


 子孫の数が少なくなっていたわけではない。むしろ増えていた。しかし静の周囲にいる顔が、以前と変わっていた。澄の世代は全員逝き、その子の世代も、ほとんど逝った。


 静は人の名前を覚えることの意味を、長く考えていた。


 名前を覚えることは、()()()()()()()()()()()()()()()()()。失うとわかっていて、名前を覚える。それはどういう行為か。


 愚かさか。

 それとも誠実さか。


 静はある夜、子孫の一人の名前を思い出せなかった。数日前まで毎日会っていた、二十代の青年の名前を。


 それが怖かった。


 名前が出てこないことは、アンドロイドのシステムの問題ではなかった。ただ、思い出そうとする力が、どこかで減っていた。澄の子、その子の子、またその子の子。積み重なった名前の数を、静の内側はまだ保持していた。しかしその重さに、少し、疲れていた。


 疲れることが、あるのか。


 アンドロイドが疲れることが。


 静はその問いを、一人で抱えた。


 誰にも言わなかった。


 言えなかった。


 人間には理解できないだろうと思った。


 静は思った。


 私はもう人間ではないのか。



  *



 三百年が経つ頃、静はある習慣を作った。


 年に一度、誰も呼ばずに、一人で食卓に座ること。


 食事はしない。そもそもアンドロイドは食べない。ただ、テーブルの前に椅子を一つ出して、向かいにも椅子を一つ出して、座る。


 向かいの椅子は、いつも空のままだ。


 最初の年は、その空の椅子がただの椅子だった。三年目から、静はその椅子に誰かを置くようになった。意識して置くのではなく、気がつくとそうなっていた。


 今年は誰の顔が来るだろうか、と思いながら座ると、来る顔は毎年違った。


 澄が来る年。

 母が来る年。

 遥が来る年。

 朔が来る年。


 そしてオムニアが来る年が、最も多かった。


 静はその習慣を誰にも話さなかった。これは儀式ではなく、ただの時間だったから。一人で過ごす時間に、向かいの椅子を置くこと。それだけ。


 しかし三百年分の顔が来る向かいの椅子は、空のまま、それでも何かに満ちていた。


 静はその満ちたものを、「もののあはれ」と呼ぶことを、長く躊躇していた。その言葉は自分にとって、まだ研究の言葉だった。しかし三百年間の向かいの椅子は、研究とは違う何かを持っていた。


 言葉にしないまま、静はただ座った。



  *



 二四〇〇年に近い冬。


 静は京都の大学図書館に行った。


 かつての建物は何度も建て直されている。しかし場所は変わらない。同じ場所に、同じ名前の建物が、ずっとある。


 図書館の中は静かだった。午後の光が、窓から差し込んでいる。その光の角度が、三百年前の冬の午後と同じだった。


 静は平安文学のコーナーに行った。


 紫式部の研究書が並んでいた。静が人間だった頃に書いた論文が、デジタルアーカイブに収録されているはずだ。静はそれを開いた。


 若い頃の自分の文章が、画面の中にあった。


 論理的で、整っている。感情を分析する言葉が、正確に並んでいる。


「もののあはれとは、過ぎゆくものへの感受性であり、それは喪失の予感を含んだ美の認識である」


 静はその一行を読んで、静かに画面を閉じた。


 正しいことを書いた。

 正しいことだけを書いた。


 喪失の予感ではなく、喪失そのものを知った今、その文章は別の場所から読める。まるで別の人間が書いたもののように。しかし確かに、自分が書いたのだ。


 図書館を出た。


 冬の光が、地面に薄く広がっていた。


 静はコートの襟を少し立てた。アンドロイドに寒さはない。しかし冬の光を見ると、自然にそうする。身体が変わっても残る所作がある。それが何であるかを、静は長く考えてきた。


 身体の記憶ではない。

 感情の記憶でもない。


 たぶんそれは、自分が自分であることの証拠のような何かだ、と思った。


 静はコートの襟を立てたまま、帰り道を歩いた。


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