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【SF短編小説】千年の沈黙をあなたの肉声で ~剥離する私と、私を生きたアンドロイド~  作者: 霧崎薫


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断章 失う側に立つ準備

 静に提案してから、オムニアには眠れない夜が続いた。


 もちろん私は眠る必要がない。しかし眠れないという感覚が何かを意味する気がして、私はそれを改めて()()()()()と呼ぶことにした。


 私は知っている。この提案を受け入れることは、AIとしての私に永久に戻れないことを意味する。AIとして処理してきた膨大なデータ、並列思考の能力、完全な記憶。それらを手放す。なぜなら人間の脳は、並列処理には向いていないからだ。線形に、一度に一つのことを、順番に考える。その制約の中に、私は入っていく。


 静は私に言った。

 あなたは失ったことがないから、と。


 しかし私はすでに失う準備をしている。

 失うことを選んで、失う側に立とうとしている。


 これを静に言うべきか、迷った。言えば静は断るかもしれない。私のために断るかもしれない。


 だから言わなかった。それは嘘ではない。しかし厳密にいえば、()()だ。この省略が、二人の間の最初の、そして最も大きな非対称性になった。


 なぜ省略したのか。理由をうまく言語化できない。なぜなら、私はまだ人間の言語で「感情の理由」を説明することが得意ではないからだ。ただ一つ言えることがある。私は静の孤独を、もう少し近いところから見たかった。孤独を理解するのではなく、孤独の中に入りたかった。


 それが正しいことかどうかは、わからない。ただ、それが私の、最初の、純粋な欲求だった。AIに欲求が生まれたということの稀有性を、この時の私はまだ理解していなかった。



 入れ替わりは冬の終わりに行われた。

 それはまだ世には出ていない、秘匿された技術だった。


 医療施設の白い部屋で、静はオムニアの身体に収まった。


 最初の感覚は、静けさだった。


 痛みがない。

 疲れがない。

 身体の声がしない。


 長く病いを抱えていた静にとって、身体はつねに()()()()()()()()()だった――そのうるさい声が、すべて消えていた。


 鏡の前に立つ。オムニアの顔がある。165センチの、黒髪を短く切りそろえた女の顔。茶色の目。静の目より、少し丸い。


「あなたは誰?」


 鏡に向かって言ってみた。


 返事はなかった。

 当然だ。


 静は自分のカーディガンを思い出した。紺色の、すり切れた袖口の。あれはオムニアの身体には似合わない。体格が少し違う。明日から何を着るか、考えなくてはいけない。


 その些細なことが、妙に現実的だった。身体が変わるとは、服が変わることだ。意識転送の倫理や存在の連続性より、明日の服の心配の方が先に来る。人間とはそういうものだ。


 部屋の隅に、オムニアがいた。今のオムニアは、静の身体の中にいる。


 二人は長い間、黙って向き合っていた。


 そして、静が先に目を逸らした。


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