1-3 天使
夕方になった。社内にいる者たちは一様にそわそわしている。投資家の豊塚正光が会社を訪問する時刻が迫っていた。
出資者の機嫌をそこねることを恐れて営業の社員は出払っていた。残っているのは開発や事務といった後方支援の人間だけだった。
御堂は豊塚を迎えるためにビルの入り口まで下りていた。福原は多数の資料を用意して、会議スペースで待っている。横では無表情の葉月が、ノートパソコンを広げてコードを書き進めていた。
時計を見ながら福原はため息を吐く。出資者に粗相があってはいけない。御堂や葉月はマイペースだが自分は違う。最悪のケースを想定して、あれこれと思い悩んでしまう。
扉の向こうから談笑の声が響いてきた。福原は出迎えるために、会議スペースから出た。扉が開き、御堂とともに二人の人物が笑いながら入ってくる。
先頭は背が低く、頭がはげた男性だ。豊塚正光、五十八歳。大きな資産を持ち、さまざまなベンチャー企業に出資している。そのうしろに三十代前半の女性がいる。背が高く、眼鏡をかけていて目つきが鋭い。スーツを着ていて見るからに有能そうだ。豊塚の秘書なのか。豊塚について調べたときには出てこなかった人物だ。
「おうっ、フク。豊塚さんが来たぞ」
御堂が明るく手を振って言う。
「おい御堂。こっちが先に自己紹介しないといけないだろう」
「あっ、そういえばそうだな」
小声で指摘すると、御堂がしまったなという顔で頭をかいた。豊塚が豪快に笑い、横の女性も噴き出す。場が一気に明るくなった。もう完全に打ち解けている。相変わらずだな。御堂の人たらしの能力に福原は舌を巻く。
「福原です。カフェインプラスの取締役副社長をしています」
「豊塚だ。一緒に来たのは、うちの瀬川だ。コンサルタント会社にいたんだが五年前に引き抜いた。グロースを中心に仕事をしてもらっている」
「瀬川容子です」
長身の女性は頭を下げる。葉月のように無愛想だが、タイプは違う。葉月は感情の起伏が少ないが、瀬川は物事を冷徹に見ている印象だ。五年前ということは二十代で引き抜いたのか。グロース担当ということは成長戦略を考えて実行する仕事をしているわけか。相当優秀な人物なのだろう。
「どうぞ奥へ。打ち合わせはいつも、こちらの会議スペースでおこなっています」
御堂と豊塚は、軽口を叩きながら移動する。福原は瀬川とともに、あとをついていく。パーティションの中では、葉月がノートパソコンに向かい、コーディングを続けていた。
「こちらは浅村です。弊社のCTOをしています」
福原が紹介すると、葉月は一瞬手を止めて、ちょこんと頭を下げた。立って挨拶してくれるとよいのだが。まあ、いつもの調子といえば、そうなのだが。
豊塚と瀬川が席に着く。御堂は、葉月の隣に腰を下ろした。福原は飲み物の指示を出したあと、御堂の横に座る。葉月はコーディングをやめて膝の上に手を置いた。
「いやあ、会社を見せてくれてありがとう。実はね、カフェインプラスの提携店、いくつか回ってみたんだよ。なあ、容子ちゃん」
「ええ。都内三軒、それとは別に、私一人で横浜や埼玉の店舗を十軒ほど見て来ました」
福原は緊張する。思ったよりも下調べをしている。あら探しと言った方がよいのかもしれないが。
「面白かったでしょう」
御堂は笑いながら言う。
「成長の伸びしろは、まだかなりあると感じました」
瀬川はそっけなく答える。言い方が違うだけで、問題点が多くあると指摘している。怖いなと福原は思う。しかし御堂はまったく気にしない様子で、にこにこしている。
「御堂くん。容子ちゃんは優秀でね。既存事業を成長させる手腕についてはピカイチなんだよ。イチをジュウにするタイプというかね。御堂くんみたいに、ゼロをイチにするタイプとはまた違うけどね。こうした多様な人材と交流がある。それが僕の強みなんだ」
社員が入って来て飲み物を配った。豊塚は一口飲んで満面の笑みを見せる。
「出資の話をしたときにも言ったけどさ、僕のやり方は積極参加なんだ。お金はたっぷり出す。その代わり、がっつり経営にも加わる。そうだね――」
豊塚は、福原たちを見渡す。
「――僕がこの会社の『第三の男』になるというわけだ」
空気が凍った。強い怒気を感じて、福原は視線を向ける。
葉月が静かに怒っている。表情は先ほどと変わっていないが明らかに不満をたたえている。福原は緊張する。御堂も気づいたのか動きを止めていた。
豊塚が会社の第三の男になるのなら、御堂、福原、豊塚の三人で上層部を占めるということになる。単に三人目の男性になるという意味で言ったのは分かる。しかし男の葉月をカウントしないのなら、この会社のCTOをないがしろにしていることになる。
「いやー、やっぱり分かんないですよねー、豊塚さん」
止まった空気を無理やりかき回すように御堂は言う。
「うちのCTO、浅村葉月は男なんですよ。この格好は趣味でやっているんです」
御堂は席を立ち、葉月の背後に回る。そして、うしろから抱きすくめて笑顔を見せた。豊塚が目を丸くして驚く。瀬川も氷のような表情を崩した。数秒そうした時間が続いたあと、瀬川は顔を青くして豊塚をたしなめた。
「ボス、その冗談は、はなはだ失礼ですよ」
「うん、ああ、ああ」
考えがまとまらないのか、豊塚はしどろもどろになる。瀬川は豊塚の横腹を肘で突いたあと咳払いをした。
「申し訳ございませんでした浅村さん。『第三の男』というのは、一九四九年に制作された映画のタイトルなんです。うちのボスは映画好きで、古い作品をよく見ているんです。若い人は知らないからネタとして使えないですよと、いつも言っているのですが大変失礼しました。普段から滑ってばかりで」
瀬川はしおらしく頭を下げる。
「いや、本当に悪かった。まったく分からんかった。女性だと思っていた」
豊塚も両手を合わせて謝罪した。
「葉月、機嫌を直せよ」
御堂は葉月の肩に手をやり、もみほぐす。葉月は、特に気にしていないと答えるが、大きく感情を害しているのが福原には分かった。
「それで、積極的に経営に参加するというのは、具体的にどういったことをされるのですか?」
話題を変えるために福原は尋ねる。
「うん。ああ、容子ちゃんをね――」
「瀬川です」
「――うちの瀬川をね、この会社のグロース担当として入れてね、一部署を率いさせようと思うんだ」
福原は驚いて、豊塚と御堂の顔を見比べる。聞いていない。しかし御堂は表情をまったく変えていない。事前に知っていた。その上で福原や葉月に黙っていたのだ。
「出資の条件だったからね。瀬川もしっかりと予習をしてきた。来週からジョインして必要な人材を雇用する。資金の面は心配しなくていいよ。大丈夫。僕の力で、会社を一気に大きくしてあげるからね」
豊塚は、楽しそうに両手を広げて豪快に笑った。
豊塚と瀬川が帰ったあと、会議スペースで福原は御堂に迫った。
「おい、御堂。聞いてないぞ」
「怒るなよフク。これだけの条件は、他にはないんだからさ」
パーティションの中には、御堂と福原と葉月の三人がいる。
「おい、葉月もなにか言えよ。言いたいことがあるだろう」
葉月はいらついた様子でコードを書いている。見るからに機嫌が悪い。話したくない。無言の態度に、そうした感情がこもっている。
御堂は頭をかいたあと口を開く。
「今回のビジネスに必要なのは成長速度だ。どれだけ早く陣地を取るかのゲームだからな。勝つには営業を増やす資金が要る。そして、一定以上の収入が得られるようになれば、コストの削減で一気に黒字を得ることができる。豊塚さんはそのことをよく分かっている。資金を出すだけでなく、もう一チーム率いるリーダーも提供すると言っているからな。
人間にはそれぞれ器がある。指揮官として統率できる人数には限界がある。営業を増やすってことは、管理者も増やさなければならないってことだ。下手な管理者を入れれば会社は空中分解する。豊塚さんは、金だけでなく口も出すと言っていたが、口だけでなく人も出すってことだ。組む相手としては、これ以上の相手はない。異論はあるか?」
正論だ。御堂と福原だけでは、増やした人間を管理することはできない。
「第二営業部」
御堂が壁に寄りかかりながら言う。
「容子ちゃん用の新部署だ。メンバーは全員新しく集める。つまり、俺たちはこれまでと変わらない。それで多額の出資が得られるんだ。安いものだろう」
「しかし」
「それに、あの容子ちゃん。能力は折り紙つきだ。大学卒業とともに外資のコンサルに入社。仕事先で豊塚さんに会ったことで、一本釣りで引き抜かれた。
頭だけの奴じゃねえ。泥臭い営業もこなす。これまでの実績を聞いたけど、すごかったぜ。優良物件だよ。押しつけられたわけじゃない。高性能な兵器を供給されたようなものだ。黙っていたのは悪かったけどな。言うと反対しかねないだろう」
「そりゃあ、反対ぐらいはするさ」
不満の目を御堂に向ける。
「葉月は、瀬川さんのことをどう思う?」
キーボードを叩き続けている葉月に声をかける。
「別に。あの女のことなんか、どうでもいいです」
まるで興味がないといった風に言う。いつも以上に声に抑揚がない。明らかに怒っている。
「豊塚さんのせいか?」
福原が尋ねると指を止めた。鋭い視線を向けられて一瞬息を忘れる。冷たい目。暗がりに置いたガラス玉のような色。しばらくこちらを見つめたあと、葉月はノートパソコンに目を戻した。
「ザ・サードマン。監督はイギリスのキャロル・リード。イギリス、アメリカ合作のミステリー映画で、第二次世界大戦直後のウィーンを舞台にした作品です。あらすじを読むと、第三の男は埋葬されるそうです」
あれから調べたのだろう。淡々とした口調には悪意がこめられていた。豊塚が第三の男なら、死んで埋められると皮肉っている。
「単なる言葉のあやだろう。容子ちゃんも、いつもの冗談だと言っていたし」
「そうでしょうね」
葉月はノートパソコンを閉じて立ち上がった。
「開発スペースに戻ります」
「おい、待てよ」
御堂の声を無視して、葉月は会議スペースを出て行った。
「どうやら、フクよりも葉月を怒らせてしまったようだな」
困ったように御堂が頬をかく。カフェインプラスに勢いがあるのは葉月の開発したシステムのおかげだ。その葉月の感情をそこねれば、全てを放り出して辞めてしまう可能性もある。それに、今会社にいる開発者は全員、葉月の息がかかった者たちだ。トップの技術力に一目置いて集まった曲者たち。彼らは求心力が失われれば、すぐに離散してしまうだろう。
「フク、すまねえが、葉月の機嫌を直してやってくれ」
「自分でやればいいだろう」
「俺、今、元凶だからな」
すがるような目を御堂は向ける。福原は大きくため息を吐く。仕方がない。尻ぬぐいは俺の仕事だ。
「分かった。だが今度からは、きちんと事前に情報共有をしろよな」
「すまん」
御堂は拝んで謝る。いちおう反省はしているようだ。
ため息を吐いたあと福原は御堂に顔を向けた。今回の件で思うことがあった。
「なあ、御堂」
「なんだ?」
「おまえ、最終的に会社をどういった形にしたいんだ?」
きちんと聞いておいた方がよいだろう。会社のデザインを決めるのは御堂だ。福原はその絵図を実現するのが役割だ。
「もっと大きくしたい。だが、これ以上大きくなると俺には難しいかもしれない。豊塚さんが経営に参加するつもりだと言っていただろう。ある程度、任せようかと思っている。そして俺は他のことをやろうと考えている。俺の得意な範囲のことをな。人間、得手不得手というものがあるわけだからな」
真面目な顔で御堂は言う。御堂はおちゃらけた人間だが、自分のことはよく分かっている。御堂が、自身を分析して言っているのなら正しいのだろう。
だが、今は経営者を下りる時期ではない。もし御堂が会社のトップから退けば、葉月は仕事を放棄しかねない。きちんと話したことはないが葉月の言動を見る限り、カフェインプラスで働いている理由は御堂だと推測できる。御堂が抜ければ葉月はおそらく会社を去るだろう。
「もう少し考えてみないか。なにもそんなに性急に結論を急ぐ必要はないだろう」
御堂はわずかに笑みを浮かべる。
「フク、葉月の件は任せたぞ。おまえは葉月の一番の理解者だ。おまえが葉月のことを最もよく見ている」
「あのなあ、俺がコントロールできるようなタマかよ」
御堂はそそくさと逃げる。会議スペースには福原だけが残された。
やれやれ、どうやって葉月の怒りを解くか。福原は、気が重いと思いながら開発スペースに移動した。




