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C++(カフェインプラスプラス)  作者: 雲居 残月
第一章 ベンチャービジネス

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1-2 会議

 東京と横浜を結ぶ東横線の日吉駅。その駅ビルの東側には慶応大学のキャンパスがあり、西側には街が広がっている。この西の街にある小さなオフィスビルに、カフェインプラスのオフィスはある。

 社内は決まった席のないフリーアドレスだ。外回りの営業が多いので全員分の机や椅子はない。営業と社長の御堂は、平日はほとんど外出している。副社長の福原も席はなく、空いている席で仕事をしている。

 開放的な社内だが、開発スペースはパーティションで区切っている。この場所で働くメンバーは葉月がネットでスカウトしてきた者たちだ。年齢や素性はばらばらで能力はあるが癖が強い。おそらく普通の企業では上手くやっていけない人間たちだ。それぞれ狭い分野に精通しており、チームは特注部品を組み合わせた機械のようになっている。

 開発チームは全員が出社しているわけではない。在宅で働き、週に一度しか顔を出さない者もいる。トップである葉月も、たまに家で仕事をする。開発スペースは社内でも特異な雰囲気になっており、営業の中には恐れて近づかない者もいる。

 もう一つ、可動式の壁で仕切っている場所がある。接客や会議をおこなうスペースだ。パーティションの中には白い机と椅子がある。壁際にはホワイトボードとプロジェクターがあり、お酒やジュースを取りそろえた冷蔵庫もある。ちょっとした打ち上げなら外に出ず、社内で済ます。誰も使っていないときは社員の休憩スペースになっている。

 このスペースでは毎週金曜日に会議をおこなう。会社の上層部で情報共有をおこない、今後の方針を決める重要なものだ。会議スペースではいつものように、会社の上層部三人、御堂と福原と葉月が話し合いをしていた。

「今日は、よい知らせが二つある」

 右手の指を二本出して御堂が胸を張る。左手にはライムを入れたコロナビールを持っている。音楽好きの御堂は、クラブによく行き、このお酒にはまった。

「悪い知らせはないのかよ。こういうときはたいてい、よい知らせと悪い知らせがセットだろう」

 突っ込みを待っているようなので福原は入れてやる。

「ふふん、よい知らせだけだ」

 まじかよと福原はつぶやく。そもそも週末の定例会議では、悪い知らせの方が多い。よい知らせなら、オフィスに入ってきた瞬間に吹聴する。珍しいこともあるものだと思った。

「一つ目は、喫茶店以外への仕事用スペースの拡大策だ」

 福原は表情を引き締める。法人営業をかければ増えた分だけ席数が必要になる。全員が同時に利用するわけではないから人数分は要らない。とはいえ大幅に足りなければ解約率が上がる。どうしても足りなければ直接物件を借りる。そうなると大きな出費になってしまう。

「渋谷のオーディーって知っているか?」

「商業施設だろう。来年末には取り壊されるという」

「ああ。そのせいで店舗が撤退している。店がなければ客は来ない。だからさらに店の数が減る。悪循環で中はスカスカになっている」

 なるほど、そういうことか。福原の表情を見て、御堂は口の端を上げる。

「格安で借りることができた。期間は短いが席数は大きく稼げる。渋谷はIT企業が多い。法人契約のユーザー会員を心置きなく増やせるというわけだ」

 御堂が獲得したスペースはそれだけではなかった。社員をリストラした会社の社宅。商店街のシャッター店舗。一時的に使う人がいなくなった場所を格安で借りる話を多数まとめてきた。たしかに朗報だ。席数がショートしかけていた問題は、これでどうにかなりそうだ。

「もう一つのよい話はなんだ?」

 御堂は瓶を傾けて一口飲む。

「出資者だ」

 福原と葉月は強く反応する。営業の人手が足りていない。しかし人を増やす資金の余裕はない。今は、誰が先に陣地を取るかの競争だ。増資できればビジネスを加速でき、他社に先行して市場を支配できる。

「相手はベンチャーキャピタルではなく個人のエンジェル投資家だ。インターネットで財を成した人物だよ。カフェインプラスはIT業界にウケがいいから、そうした人を重点的に回っていた。出資者の名前は豊塚正光という」

 葉月が、あっと声を上げた。かなりの有名人のようだ。IT畑は詳しくないので教えてくれと葉月に言う。

「ブログや広告、FXやドメイン売買などで有名なGOZの創業者です。三十年以上前からインターネットでビジネスをしています。数年前までは会長だったんですが、もう引退したと記事で読んだ記憶があります」

 なるほど。IT系の人間にとってはレジェンドということか。そうした相手に御堂はどうやって近づいたのか。

「普通に、ベンチャー企業の社長たちがプレゼンするイベントに参加したんだよ」

 ビールを口に運びながら御堂は言う。その話は聞いていなかった。予定ぐらい共有しておけよと突っ込みを入れる。社内システムにスケジュールを入力しないのは御堂だけだ。

「すまん、すまん。まあ、いつものことだから許してくれ」

 悪びれた様子もなく御堂は言う。

「参加したのは分かった。だが、それだけで出資が決まるわけではないだろう」

 どんなプレゼンをしたのか尋ねる。カフェインプラスのビジネスは、シェアリングエコノミーの一種だ。そういう意味では新規性があるわけではない。技術力のある人間はいるが、世界を変える技術があるわけでもない。相手はIT系のレジェンドだ。目が肥えている相手をどうやって引っかけたのか御堂に聞いた。

「イベントではみんな懸命に自社の事業を説明していた。だから俺は逆に質問したんだよ。テレワークができる時代に、なぜ俺たちは通勤をしているんだってね。思い描いた未来は、どこでも仕事ができるライフスタイルだったんじゃないかとね」

 御堂は自信にあふれた顔をする。こうした顔をするときの御堂は、実に魅力的だ。宗教的な神がかりさえ感じる。

「世間ではテレワークを求める声が多い。でも、自宅に仕事環境を設けるのは、仕事と生活の切り分けの面で大変だ。なにより仕事のためのスペースを用意できない人もけっこういる。日本の住宅は狭いからな。通信環境がない家もある。それなら近所にハブとなる場所を作ればいい。

 将来的に、家と会社の二拠点ではなく、家とハブと会社の三拠点を利用した働き方が増える。俺たちはその基盤を作っていると主張した。

 オフィスの近くだけでなく、多くの地域に拠点を設ける。住宅地の喫茶店。都市部の空き家を借り上げてのリノベーション。社会が変わる過程での都市空間の再設計。

 ――豊塚さん、日本中のサラリーマンの働き方を変えてみませんか。情報技術はライフスタイルを変える。そのためには街のリデザインが必要になる。社会変革のための資金を俺たちは集めている。そう話したんだよ」

 福原は頭を殴られた気がした。これまでは職場の周りに、気分転換の仕事空間を確保する使い方が多かった。その発想を変えて、オフィスに通勤しなくても済むようにすると御堂は言っている。

 たしかに、そうした使い方をする人はこれまでもいた。だから住宅地の喫茶店にも声をかけて開拓していた。会社ではない人が集まる場所を作る。社会の結節点を変える。御堂はカフェインプラスの未来を、そう再定義した。

 葉月が席を立ち、ホワイトボードに向かう。喜びと興奮にあふれていることが足取りから分かる。

「いけると思いますよ。それなら、うちの強みを活かせますし」

 マーカーのキャップをはずして葉月は図を描く。これまでの仕事用スペースの提供だけでなく、法人契約先とその従業員を結ぶVPN――バーチャル・プライベート・ネットワーク――も提供する。

 オフィスを最小化して通信で個人をつなげる事業。ノウハウはある。カフェインプラスでは家庭や外出先で仕事をする者が多い。そのための環境改善は継続的に取り組んでいる。

 自宅に通信環境がない人や回線が細い人たちを、ハブとなる店に集めてネットにつなぐ。そうすれば自宅でテレワークが難しい人たちの問題を解決できる。高速なネットワークを社員一人一人の家に引くのは困難だが、中継点となる場所に設置するのは比較的容易だ。

 葉月は福原たちに向き直り、凜とした顔をする。

「通信環境の準備や仮想化は、専門知識が必要です。IT部門を持たない企業も多いですから、そうした部分も含めて受注できれば、単価を高く設定できます。システムは使い回せばいいので費用は抑えられます」

「そういうわけ。俺も情報技術のことを、だいぶ勉強しただろう」

「さすがです、御堂さん」

 葉月は熱い視線を御堂に注ぐ。その様子を見て、心酔という言葉が福原の頭に浮かんだ。もし葉月が女性なら御堂と結ばれるのがよいのではないか。御堂はさまざまなアイデアを出す。葉月は御堂のアイデアを実現する。パートナーとして、これほど相応しい相手はいない。二人は最良の組み合わせだと言える。

 福原は自分の立場を考える。御堂と長くビジネスをしてきたが、自分の手で大きく成功させることはできなかった。御堂の靴になることはできても、翼になることはできなかった。しかし葉月は違う。葉月は、御堂を羽ばたかせる翼になれる人間だと思った。


 数日経過した。暑い夏の日が続いている。アスファルトは溶岩のように熱く、靴の底を溶かしそうだ。オフィスを離れた福原は、日差しを避けて日陰づたいに移動する。太陽からスパイのように身を隠しながら、駅の近くにあるチェーンの喫茶店までたどり着いた。

 自動扉を開けて冷気を浴びて一息吐く。客席を見渡して待ち合わせの相手を探す。人のよさそうな四角い顔が見つかる。顔の下は太い首で、半袖のシャツを着ている。年齢は三十代半ば。向こうもこちらに気づいて軽くお辞儀をしてきた。一番奥の席。通行人や他の客からは見えにくい場所を選んでいる。福原はテーブルまで移動して声をかけた。

「早かったですね甲野さん」

「私も今来たところですよ」

 フリーライターの甲野辰雄は笑顔を見せた。甲野からの報告は、会社ではなく離れた場所で受けることにした。社内には防音されたスペースはない。社員から聞き耳を立てられることを恐れたからだ。

「コーヒーを買ってきますね」

 カウンターに行って、アイスコーヒーを注文して席に戻る。

「なにか心配事でもあるんですか?」

 甲野に尋ねられ、曖昧に返事をする。どうやら緊張が顔に出ていたようだ。

 今日は夕方に豊塚正光が訪れる。出資の件は、外部に漏らすことではない。誤魔化すために暑さについて愚痴を言ったあと、仕事の話をうながした。

「それでは報告します。詳細な資料は、こちらのUSBメモリーに保存していますので、あとでお確かめください」

 福原はUSBメモリーを受け取る。甲野は、鞄を開けて紙の束を取り出した。競合企業ウェイについての調査資料だ。甲野は、会社の成り立ち、社員の構成について話していく。ネットの情報からは分からない実際に足で稼いだ情報だ。

 説明を聞いて福原は額に汗をにじませた。店内は冷房が効いている。暑くてかいた汗ではない。恐れによる汗だ。あまり知りたくなかった競合企業の内情が、そこにはまとまっていた。

「少年院と刑務所に入っていた者、それらを合わせると二割強。残りも多かれ少なかれ似たり寄ったりです。古い言い方でいえば暴走族。そいつらがそのまま企業化したような組織です。

 福原さんのところと市場が被り始めているんですよね。向こうの方では、自分たちのシマに余所者が乱入してきたと思っているでしょう。それこそ抗争を考えているかもしれません。そういう荒っぽい連中です。少なくともカフェインプラスさんとは、企業文化が大きく異なります。

 あちらさんは、クリーンなイメージでビジネスをしようなどとは考えていません。暴力で撃退することができれば、自分たちの株が上がったと喜ぶでしょう」

 福原は、まとめられた社員の経歴を確認する。補導歴や逮捕歴がある者が多数いる。まともな企業とは言いがたい。

「この情報は本当なんですか?」

「ええ、本当です。調べるコツがあるんですよ。この規模の会社は、学校や前職などでつながっていることが多いんです。だから、その周りを少し漁ると、情報をごっそりと得ることができるんです。

 福原さんのところもそうでしょう。インタビューで伺いましたが、福原さんと御堂さんは小学校から高校まで一緒だったんですよね。それらの学校の卒業生に話を聞けば、どんな人間なのかすぐに分かります。

 今ならSNSで友人が可視化されていますから調査は比較的容易です。アポを取って何人かに直接会えば情報を得られます。そこから他の人を紹介してもらうこともできます。あとは芋づる式です」

 甲野の言ったやり方は実際に有効なのだろう。御堂や福原の高校時代の友人たちに聞けば、二人の経歴やエピソードはいくらでも知ることができる。

 福原は、ウェイの社員について気になるところを質問していく。ある程度話を聞き、落ち着いてきたところで甲野がぽつりと言った。

「それにしてもカフェインプラスは、福原さんで持っている会社ですね」

「えっ、どういうことですか?」

 なぜそんな言葉が出てきたのか不思議に思って尋ねた。そもそも福原の立場は調整役でしかない。舞台を支える裏方みたいなものだ。御堂の魅力、葉月の技術、その二つが会社の資産だ。福原がいなくても彼らがいれば会社は回る。どういう意図で、甲野は福原で持っているなどと言ったのか。

「分かる人は分かると思いますよ。カフェインプラスの上層部で誰か一人を残すとしたら私は福原さんを選びます。全体を把握している人は福原さんだけのようですから。言うならば扇の要ですね」

 確信を持っているように甲野は告げる。答えに困る福原を見て、甲野は話題を切り上げた。

「それで、調査は続行しますか? 相手のことを詳しく調べておいて、なんとか衝突を避けたいところだと思いますが」

 甲野の言うとおりだ。相手のことを把握して、いつでも手を打てるようにしておくべきだろう。

「続行してください。さらに情報をお願いします」

「分かりました」

 甲野は見積もりを出す。福原は、調査内容と価格を確かめて正式に依頼した。今日の報告については明日にでも御堂と葉月と共有しよう。このあとの出資者との顔合わせに影響を与えない方がいい。福原は席を立ち、会社へと引き返した。


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