1-1 営業
七月の前半、すでに日差しは夏のものに変わっている。横浜駅から徒歩二十分、駅前の商業地から少し離れた住宅街に、自宅兼店舗の喫茶店がある。今日は水曜日で店は休日だ。閉店の札のかかった青い扉の奥には、重厚なテーブルが並んでいる。その席の一つで、福原は店のオーナーの笹山と向かい合っていた。
福原の姿は、七三分けに白いワイシャツと濃紺のジャケット。笹山はラフなシャツを着ている。笹山の顔には深い皺が寄っており、頭は白髪になっている。福原は老齢の店主の緊張を解くために表情を崩した。
「これからの時代を生き抜くには、若い層を呼びこむ必要があります。今のままでは少しずつ客足が鈍くなり収入は減っていきます。先のことを考えれば新しいことを始めるべきです」
「それは分かっているよ。でもねえ」
店主の笹山は、ため息とともにその先の言葉を飲みこむ。そんなことは言われなくても分かっている。検討しているが、現状を変える一歩を踏み出せずにいるのだろう。
「うちの客、タバコを吸う人が多いんだよね」
解くのが難しいパズルを前にしたように笹山は言う。
年配の層はタバコを吸う。若い層は煙を嫌がる。新しい客を呼び込むには禁煙が必須。しかし変更すれば短期的に売上が減る。笹山の懸念点はそこにあるようだ。
笹山の不安は分かる。福原は今日来るときに見た風景を思い出す。周囲の建物の古さを考えれば、客の多くが六十代以上なのは察せられる。
「短期的な売上の落ち込みが怖い。それは当然のご心配です。安心してください。そのための私たちです。こちらの資料のとおり、ネット経由で多くの人を誘導できます」
福原はA4サイズの資料をめくる。そこには福原が所属する会社の説明が書いてある。店舗の空席を、ワーキングスペースとして提供するビジネス。民泊やシェアライドと同じ、シェアリングエコノミーの一種だ。
笹山は資料をのぞきこむ。福原は笹山の手元をちらりと見た。笹山の前には、三枚の名刺が並んでいる。名刺には、カフェインプラスという社名と、それぞれの役職と名前が書いてある。副社長の福原満雄、社長の御堂善継、CTOの浅村葉月、今日来ている三人のものだ。
福原と御堂は小学校以来の幼馴染みだ。葉月は学生時代の接点はなく、学年でいえば二つ下になる。会った当初は浅村さんと呼んでいたが、下の名前で呼んで欲しいと言われて葉月と呼ぶようになった。
六十歳を過ぎた笹山に、二十代の自分たちはどのように映っているのか。自分は愚直を絵に描いたような人間に見えるだろう。しかし他の二人は違うはずだ。
御堂はキリストを彷彿とさせる長髪に、ラフなTシャツを着ている。しかし、その外見が問題になったことはない。御堂は人懐っこい性格の優男で、学生時代からよくもてた。自然と人の中心になる存在で、取り引きをまとめる力は社内一だ。御堂は店内を歩き回り、店主の妻と談笑している。
もう一人の葉月は、一見するとなにがおかしいのか分からない。小柄で華奢で服装はスカートスーツ。髪は肩甲骨の辺りまである。
葉月は化粧をしているが女性ではない。声変わりをほとんどしていないため、言われないと男だと分からない。顔は非常に整っているので、街を歩いていると振り返られることが多い。男だと知っているのに福原もよく目で追ってしまう。
美少女にしか見えない葉月は、ノートパソコンを開いて膝の上に置いている。そして、スマートフォンを頭上に掲げて左右に動かしていた。
「うーん、やってみたい気持ちはあるんだけど、今のお客さんとの縁がね」
笹山は腕を組んでうなる。問題は収益ではなく人間関係か。そちらの解決は難しいなと福原は思う。
「――スキャンが終わりました。加盟した場合の店内の様子をお見せします」
葉月は、ノートパソコンの画面を笹山に見せる。3D表示された店内で人々が動いている。レジには加盟店のステッカーが貼られて、タブレット端末が置いてある。店に来たユーザーがスマートフォンでQRコードを提示する動画が流れる。
「面白いですね」
笹山は画面を見て目を輝かせる。喫茶店を始める人は好奇心旺盛な者が多い。笹山もそうなのだろう。
「この場所と、この場所に、ウェブカメラを設置させてもらいます。その画像をサーバーに送り、空席情報をAIで解析します。店舗側では情報を入力する必要はありません。それとは別に、利用したい席を自分で設定することもできます」
葉月は、自動生成した店の見取り図を表示する。
「常連客が多い時間帯は利用スペースを減らし、人が来ないときは増やすことができます」
CTOの葉月は、業務を徹底的にIT化した。必要なシステムも自身で開発した。福原たちの会社の仕事が上手く回っているのは、有能な技術者である葉月の力が大きい。
「うーん、しかし、既存のお客さんを切るのはなあ」
笹山は困り果てた顔で言う。カフェインプラスに参加したい気持ちはある。しかし既存顧客に不義理をしたくはない。これは話がまとまらないかもしれないなと福原は思った。
「笹山さん」
社長の御堂が背後から声をかけてきた。顔を向けると、御堂が笹山の妻の横で大きく両手を広げている。
「奥さんとも話したんですが、常連さんを集めて謝恩会をやりましょう!」
明るく言う御堂を見上げて、福原はぽかんとした顔をする。
「時代の流れで店を禁煙にする。喫煙者にはつらい話だけど、これまでお世話になったみなさんには感謝している。そう伝えるんですよ。
謝恩会の日は私も来ます。そして一緒に頭を下げます。どうです、それでとりあえず始めてみるということで!」
御堂の笑顔を見て、笹山の表情がやわらいだ。これまでの店主の仮面をはずして、孫を前にしたような顔に変わる。御堂の隣に立つ笹山の妻も、満面の笑みを浮かべていた。
「あんたが言うなら大丈夫なんだろうね」
笹山が妻と視線を交わして言う。
「はい、もちろんです!」
御堂の快活な返事を聞き、笹山は満足したようだ。
「契約書を出してくれ」
笹山に言われて、福原は慌てて書類を出す。内容を読んで、笹山はその場でサインした。
まいったなと福原は思う。ビジネスの中身ではなく人間の魅力が決め手となる。御堂には敵わないなと思った。
福原は御堂の顔をながめる。そうしながら、もう一つ御堂に注がれる熱い視線があることに気づいた。隣に座る仲間、浅村葉月も、御堂を真剣に見つめていた。
日差しが肌を焦がしてくる。アスファルトの上は空気が揺らいでいる。営業先の喫茶店を出た三人は、炎天下の道を歩いている。
福原と御堂と葉月は駅への道をたどる。今日、会社の上層部三人がそろって横浜に来たのには二つの理由がある。
一つは現場感覚を失わないため。社長の御堂は、外部の人と日々会っているが、福原と葉月は後方支援が中心だ。たまに外に出なければ重要なことを見落としてしまう。そのため定期的に客先に足を運んでいる。
もう一つの理由はこのあとの予定にある。競合の視察。最近、会員獲得の障害になり始めている企業がある。出自は違うが、事業を広げていく上で市場がかち合いだした。相手は横浜駅周辺にも進出している。その縄張りを回るのが今日の予定だ。
「しかし暑いな。葉月、おまえメイク落ちたりしないのかよ」
「大丈夫です。対策をしていますから」
「あとなあ、ストッキングは暑くねえのかよ」
「長ズボンよりは、ましだと思いますけど」
御堂と葉月は他愛のない話をしている。二人の距離は近い。その親密さをわずかに不満に感じる。あるいはこの気持ちは嫉妬なのかもしれない。そう思わせるほど二人は体を寄せ合っていた。
二人は気楽な会話を続ける。その横で福原は、会社の金回りについて考える。新たな店と契約するごとに初期投資のコストがかかる。禁煙化にともなう脱臭作業、タブレット端末やウェブカメラの設置、基礎的なオペレーションのためのトレーニング、それらは全てカフェインプラス側で費用を負担している。
事業は大きく拡大している。現在では席数が足らなくなり、喫茶店だけでなく飲食店全般に声をかけている。それだけでは追いつかず直接物件を借り上げることもある。その際は賃貸費用がかかる。また設備の設置や消耗品の補充も必要になる。
最近は、こうした物件が増えて問題になっている。少ない資金で回せていたビジネスに固定費がのしかかるようになっていた。
これから視察に行く競合企業はウェイという。カフェインプラスのターゲットが喫茶店なら、ウェイは居酒屋だ。居酒屋の中には昼に閉めているところも多い。ウェイはそうした店舗と契約して、仕事スペースとしてユーザーに提供している。
喫茶店で仕事をしたい人と、居酒屋で仕事をしたい人は必ずしも同じではない。しかし一方と契約したら、もう一方とは契約しない。そのため、どれだけ早くユーザーを集めるかの競争になっている。それも法人契約してくれる相手の取り合いになっている。
「問題は資金だな」
思わず声が漏れた。
御堂と葉月が会話をやめてこちらを見る。御堂は真面目な顔になり、指を折りながら問題点を挙げる。
「資金の獲得、収益の改善、競合の排除。この三つが当面の課題だな。資金の獲得は営業力の強化のためだ。これは俺の仕事だ。安心しな、いい金主を見つけるよ。今回の事業はIT業界で評判がいい。その線で金持ちを捕まえてくる。
収益の改善は葉月の仕事だな」
御堂は葉月に視線を送る。葉月はハンカチで額の汗をぬぐった。
「客単価の上昇については目下取り組み中です。オンライン学習サイトとの提携で、語学やビジネススキルを学べる機能は、そろそろローンチします。すでに実装済みの税理士や弁護士に質問できる機能は大変評判がよいです。今後はさまざまな分野の専門家を増やす予定です。仕事後にマッサージやエステを利用可能な提携先も探しています。カフェインプラスのチケット経済圏を作るのが現状の目標です」
御堂はうなずく。
「三番目の競合の排除だが――」
御堂が言い淀む。排除という言葉が過去の出来事を連想させた。
カフェインプラスの事業が軌道に乗ったのは、葉月によるIT化だけが理由ではない。もう一つ別の理由もあった。
障害となる人たちが、いつの間にかいなくなる。
借金返済をせまっていた金主。ネットで誹謗中傷を繰り返していたクレーマー。普通ならブレーキになる相手が、次々と目の前から消える。そのおかげで、アクセルを踏んだまま事業を継続できている。
最近も一人行方不明になった。花田という名の業界ゴロだ。年齢は四十二歳。金髪で肌つやがよく、エネルギッシュな男だ。昔ラグビー部だったという話を聞いてなるほどと思った。重戦車のように敵をなぎ倒して突進しそうなタイプだ。
花田はいろいろな会社を渡り歩いており、さまざまなコネを持っていた。彼は大企業との橋渡しをすると言って近づいてきた。法人相手の契約は、喉から手が出るほど欲しい。会社単位で利用してくれれば、一気に多数のユーザーを獲得できる。そのため、カフェインプラスでも営業に力を入れている。
福原は、業界の人間たちに花田の評判を聞いた。花田は悪人ではなかったが善人でもなかった。会社によっては、大きく成長する道筋をつけたために信奉者もいる。しかし過剰に権利を求めるので、嫌う者も少なくなかった。そして、断ると悪評を立てるという悪癖を持っていた。
花田は、法人会員獲得後の永続マージンを要求した。加えて社外取締役の席と高額な報酬も求めた。
「これはないな」
御堂は、そっけなく言った。
「俺もそう思う」
福原も賛同した。
「私も、ないと思います」
葉月も同じ意見だった。
福原たちは、事を荒立てないように丁寧に断った。しかし、そうした配慮は無駄に終わった。花田は敵に回り、カフェインプラスの悪口を言いふらすようになった。そのせいで法人契約が取りにくくなった。なんとかしなければと三人で話し合った。
花田に苦情を言い、交渉を重ねた。そうするうちに花田の音信が途絶えた。行方不明になったと人伝に聞いたのは、二週間ほどが経ったあとだった。
偶然とは思えなかった。こうしたことが続いたため、障害となる相手が現れると消えるのではないかと疑ってしまう。今最大の障害は、ウェイという競合企業だ――。
「フク」
御堂に呼ばれて意識を現実に戻す。
「ええと、三番目の競合の排除だったな」
御堂は首肯する。
「ウェイのアキレス腱を探して攻撃したい。まあ当然、敵さんも同じことを考えるだろうから防衛のためという意味もある。葉月には、なるべく開発に専念してもらいたいから、これはフク、おまえに任せたい」
まあ、そうなるよな。営業と開発以外のことは、全て福原が受け持っている。とはいえ自分も多数の仕事を抱えている。作業に手間はかけられない。他の社員にやってもらうにしても、調査が得意でなければ時間ばかり浪費してしまう。
そういえば――。妙案が浮かぶ。とはいってもゼロから考えたわけではないのだが。
「なあ、御堂。五月の連休明けにさ、取材に来たライターの人、覚えているか?」
特徴的な四角い顔を思い出しながら話を振る。
「たしか甲野辰雄って名前だったよな」
「相変わらず、人の名前をよく覚えているな」
「営業の基本だよ」
御堂は得意げに口の端を上げる。
「その甲野さんから、最近メールがあったんだよ。というか取材を受けてから月に一度はあるんだけどな。調べ物があるときは声をかけてくれ、企業調査もやっているんで、という内容だ」
「そういえば俺のところにも来ていたな」
「私のところにも」
葉月が右手を小さく挙げる。
「なるほど。その甲野さんにウェイのことを調べてもらうというわけか」
「いいアイデアだと思うんだが、どうだ?」
御堂は腕を組みながら上を向く。
「とりあえず一度仕事を出してみよう。それで、よさそうなら継続する」
「分かった。それじゃあ依頼する」
スマートフォンを出して、歩きながらメールを書いて送った。
ふたたび会社のことを話しながら歩を進める。しばらくすると御堂が前を見て指を差した。
「あそこだろ」
いつの間にか目的地まで来ていたようだ。駅から少し離れた繁華街。廃材を利用した木製の扉と壁。入り口には目立つ赤色の鶏のマークがある。扉についた小窓からのぞくと、ノートパソコンを開いた人たちが多くいた。
「ここが、ウェイの提携店の一つか」
御堂はわくわくした様子だ。
「御堂さん、入りましょう」
葉月は御堂に言ったあと、福原に顔を向けてきた。
「フクも、行きましょう」
まるで御堂のようにフクと呼ぶ。
こいつ、御堂はさんづけで、俺はニックネームで呼ぶんだよなあ。
まあ、御堂の言葉がうつったんだろう。いつか直させた方がよいと思いながら今日まで言わずにきた。葉月は見た目だけは美少女だ。その相手に親しげに名前を呼ばれるのは心地よかった。
「よーし、パクれるところはパクるぞ」
御堂がおどけて言う。
「おいおい。そんなことを店の前で言うなよ」
福原は突っ込みを入れる。
「じゃあ、敵情視察と行きますか」
御堂は不敵に微笑み、入り口の扉に手をかけた。




