3-9 失踪
「ねえ、葉月。あなたはいったい、なにをしているの?」
ある日、仕事から帰ってきた母が葉月に尋ねた。母の顔は蒼白だった。今にも破裂しそうな表情をしていた。
「なんのこと?」
お人形のように愛らしい顔をして取り繕おうとする。
「あなた、この家を出る気なの?」
母は体を震わせながら言った。
いったいどうやって知ったのだろう。すぐに事情を察した。祖父母のいずれかが漏らしたのだ。
葉月は最近、母方の祖父母と密かに連絡を取っていた。まだ未成年の葉月が住居を手に入れるには成人の協力が要る。父方の祖父母とは完全に関係が切れていたので、母方の祖父母を頼った。母に内緒で家を出たいと言っていたのだが、情報を共有してしまったのだろう。
もう準備はできている。あとに引くつもりはない。葉月は答えを拒絶して、自分の部屋に逃げこんだ。
扉を叩き、母は怒鳴った。家具を移動して扉が開かないようにする。この家を出さえすれば自分は自由になれる。すでにお金という翼は手に入れている。葉月は嵐が過ぎ去るのを待った。
怒声は一時間以上続いた。そして完全に静かになった。諦めたかと思いほっとした。なるべく早く家を出ようと思って、その日はそのまま就寝した。
翌日の朝に目が覚めた。その日の朝は、なぜか悪い予感がした。家の中がいつもと違う。そう思いながら家具を動かして扉を開けた。
屋内は静まりかえっていた。自分が立てる物音以外はなにも聞こえない。リビングに行っても誰もいなかった。もう母は仕事に出かけたのだろうか。廊下に出て、その先にある玄関を見て、葉月は動きを止めた。
扉の前に座り、体を斜めにしている母がいた。ノブにタオルをかけて輪を作り、首をくくっていた。葉月を逃がさないように母の死体は家の出口を塞いでいた。
葉月は呆然として死体をながめる。自由になるための翼を手に入れたと思っていた。今やその翼には重い鎖が結びつけられていた。母の死という呪い。葉月はその場に座りこみ、体を小さくした。
一時間ほどその場に座り続けたあと、葉月は動きだした。葉月は警察に通報しなかった。祖父母にも連絡しなかった。その代わり、段ボール箱を用意して、母の死体を入れた。
母の死をなかったことにする。母はどこかに失踪したんだ。
リスキーボックスのアプリを起動して管理者特権で仕事を依頼する。リスキーボックスの最終到着先には死体を焼却する場所もできていた。彼らは発注などのやり取りを全て隠語でおこなっていた。しかし管理者である葉月は、スマホの音声を拾うことで実態を知っていた。
段ボール箱に数字を書き込み、玄関の外に運び出す。扉の内側でうずくまって回収を待った。男たちの声が聞こえた。物音がしたあと声が遠ざかっていく。三十分ほど待ち、恐る恐る扉を開けて共用廊下を確認した。段ボール箱はなくなっていた。葉月の目の前から母は永遠にいなくなった。
しばらくは、なにもする気が起きなかった。どうにか食事を取り、命を繋いだ。一週間ほどして祖父が家にやって来た。母が無断欠勤を続けており、祖父に問い合わせがあったそうだ。母は外出したまま帰ってこないと話すと、祖父は、そうか、と短く答えた。
「いつかこんなことになるんじゃないかと思っていた」
祖父は他人事のようにつぶやいた。
どうする、と尋ねられてなんのことだと思った。そういえば自分は、この家を出ようとしていたことを思い出す。
「しばらく、母が帰るのを待とうと思います」
祖父はふたたび、そうか、と短く答えた。
用が済んだのだろう。祖父は背を向けて去って行った。母の失踪についての諸々の処理は祖父がやってくれるだろう。母が被害を受けた事件の隠蔽も彼がやった。
葉月は自分の部屋に戻り、ベッドに横たわった。そして泥のように眠った。




