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C++(カフェインプラスプラス)  作者: 雲居 残月
第三章 アンダーグラウンド

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3-3 呪縛

 世の中の人々が、高校二年の青春時代を謳歌しているとき、葉月は家に閉じこもっていた。

 朝に母を送り出してから夕方に帰宅するまでが、葉月の利用できる時間だった。賃貸マンションの居間。少女趣味に彩られた内装。昼食は食パンをかじることで済ませ、葉月はノートパソコンの前に座り続けた。

 インターネットの中には、検索エンジンに引っかからないディープウェブという領域がある。その中でも犯罪に関わるデータや、違法な情報が集まっているところをダークウェブと呼ぶ。葉月はこのダークウェブで長い時間を過ごした。そして闇の世界の歩き方やプログラミングの知識、アンダーグラウンドな開発の経験を身につけた。

 葉月は、電脳犯罪のための開発や裏稼業の仕事をこなすことで資金を得た。そして稼いだ金でハードウェアを買った。機材は自室に置き、箱はゴミとして出した。葉月はお金を貯めた。母親の作った鳥籠から飛び出すための翼を得ようとした。


 夕食の時刻。白いテーブルクロスをかけたテーブル。ご飯は炊いたものだが、惣菜はスーパーで買ってきたものだ。二人ならば作るより買う方が安い。母はそう主張したが、本当の理由を知っている。葉月の服を替えて、人形のように遊ぶ時間を作るためだ。労働のあとの家事の時間を削る。その結果、味の濃い料理ばかりが食卓に並んでいた。

「ねえ、葉月。あなたの部屋に、新しいノートパソコンがあるわよね。あれはどうしたの?」

 寝ているあいだに部屋に入ってきたのだろう。押し入れの中に隠していたのだが、目ざとく見つけられたようだ。

 どう答えるべきか葉月は迷う。自分が把握していないことを葉月がすれば、母は激怒して室内で荒れ狂う。

「おじいちゃんとおばあちゃんがくれたお年玉で買ったんだ。ノートパソコンが古くなっていたし」

 父が逮捕されてから、どちらの祖父母にも会っていない。父方の二人とは距離を取り、母方の二人は母が拒絶していた。

「どうしてそんな嘘を吐くの?」

 だまされないか。葉月は、嵐が吹き荒れることを覚悟する。

「あなたは私の娘よ。娘は親の言うことを聞くものよ」

 母はぶつぶつとつぶやき虚ろな目をした。その口調は自分に言い聞かせるようだった。

 ――娘は親の言うことを聞くものよ。

 この家で何度も耳にした言葉だ。呪いを受けているように母は同じフレーズを繰り返す。母は震えていた。なぜ母は同じ台詞を繰り返すのか知りたくなった。

「もしかして、お母さんが、おじいちゃんやおばあちゃんに、そう言われていたの?」

 おびえる顔を母はする。当たりのようだ。母の顔には恐怖が貼りついている。

「私は、お母さんの味方だよ」

 葉月は立ち上がり、母の席まで行く。ひざまずき手を握ると、母はぽつぽつと過去を語りだした。


 葉月と同じぐらいの年齢の頃の記憶。時間は飛び飛びで内容は細切れだ。葉月は辛抱強く話を聞く。母の心のゆがみの原因は、高校時代の事件にあった。

 母の容姿は他の者よりも優れていた。そのため多くの男性が交際を申し込んだ。しかし母は断り続けた。理由は特別なものではない。よいと思う相手がいない。ただそれだけのことだった。

 そうした拒絶を何度も重ねたあと、告白を断った男たちに母はさらわれた。数人がかりで車に引きずりこまれて山中に運ばれる。車に乗っていたのは四人。全て過去に振った男たちだった。

 車は山奥の廃屋に着く。母はそこで裸にされて、次々と体の上にのしかかられた。「おまえが悪いんだ」と言われた。「お高くとまりやがって」と罵られた。行為は三時間近くにおよんだ。血と精液と汗にまみれ、体中に傷と痣ができた。顔は涙でふやけ、叩かれたせいで腫れていた。終わったあと男たちは母を罵りながら車で去っていった。

 引き裂かれた服をかき集めて、母は舗装されていない道に出た。辺りは暗かった。にじんだ明かりが眼下に点々と見える。覚束ない足取りで歩き続ける。舗装した道路にたどり着いた。ふらふらとしながら家を目指した。ようやく自宅にたどり着いたときには夜が明けていた。

 母の両親は、全てを隠蔽しようとした。娘は親の言うことを聞くものよ。二人は執拗に説き、母は従った。事件はなかったことになり、母はなにも傷ついていないことになった。母を傷つけた男たちは罪に問われなかった。

 その事件以来、母の中で男性への忌避が生まれた。母は正当な理由で、男という存在を嫌い、憎んでいた。

 月日が経ち、母の年齢は三十歳に近づく。両親は娘に早く結婚するように迫った。娘は親の言うことを聞くものよ。あのときと同じ呪いの言葉。絶望がフラッシュバックする。母は両親に逆らえなかった。

 大量に渡されたお見合い写真の中から、最も男性的でない者を母は選んだ。背が低く華奢で、柔和な顔立ちの者。会って声も確かめた。ほとんど声変わりしていない高い声。相手のことを男と思わなければよい。母は自分を説得して結婚した。

 苦痛の中、男性の行為も受け入れた。自分をだまし、世間をだまし、やっていけると考えた。しかし母の心の均衡は、男児を出産したことで崩壊する。この子はいずれ男になる。男は自分を傷つける。彼女は自分の息子を、呪われた子のように恐れた。

 娘なら親の言うことを聞くのに――。母は自分を守るために、子供を女児として育てることに決めた。


 葉月は、椅子に座る母の姿を見た。震えている。下を向いている。その顔は、蛍光灯の影になり、黒く塗り潰したようになっていた。

 母の過去と苦悩を知った。嗚咽する母を寝室に運んで寝かせたあと、食卓に戻り後片づけをする。静寂の中、食器が触れ合う音が響く。蛇口をひねると水が流れる音がした。

 自由とはなんなのかと思った。母は牢獄に入れられているわけではない。足枷をつけられているわけでもない。しかし見えない檻の中に閉じこめられて不自由な人生を送っている。

 全ての人間がそうなのだろうか。透明な皮膜に覆われて一生を過ごすのか。心の檻に囚われた者は、柵を倒し、鎖を千切り、自由を手に入れることができるのか。

 その日、葉月は女物の服を着たままベッドに入った。服は心を押さえつける拘束具だった。自分は見えない糸で縛られている。さまざまな考えが頭の中を巡り、朝まで寝つけなかった。


 過去を思い出していた葉月は、意識を現実に戻す。

 蒸し暑い空気。街灯にあらがう強い闇。スカートスーツ姿の葉月は、家路をたどっている。

 葉月は、あごに力をこめる。偽物の歯と、ひびの入った歯。奥歯がきしむ音が聞こえて慌てて緊張を解いた。

 深く呼吸をして気持ちを落ち着かせる。ゆっくりと手を動かして唇に触れる。そっと指を離して、口紅がついていることを確かめた。

 母がいなくなっても女装は続けた。別に女になりたいわけではない。自分が男なのか女なのか分からなくなっていた。女物の服は、心を閉じこめる檻だった。自由とはなんなのか分からなかった。葉月は、本当の自由を手に入れたかった。


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