3-1 根城
三年前、工藤拳は、川崎にある賃貸マンションの一室を借りた。本来は住居目的でしか利用してはならない。しかし不動産屋に掛け合ったところ、オフィスとしての使用を快く許可してくれた。工藤は手下を指揮して家具や機材を運びこんだ。そして十人以上が部屋に出入りしながら精力的に仕事をこなし始めた。
マンションは、工藤が入居した頃には満室だったが、徐々に空き部屋が増えていった。ネットで物件の情報を見ると、自分たちが入ったときより賃料が安くなっていた。そのページを印刷して不動産屋に行く。交渉をがんばったところ、店の主人は額に汗を浮かべながら家賃を下げてくれた。
安くなったのならということで、もう一部屋借りることにした。ちょうど空いていた隣の部屋を借りて、下っ端の人間を倍にする。ひっきりなしに仲間たちが建物にやって来た。共有廊下でタバコを吸う者、階段でビールを飲む者、エレベーターにスプレー缶で落書きをする者もいた。
不動産屋から苦情が来たので、悪さをした者たちを連れて訪問した。けじめをつけないといけないので、相手の前で部下たちに制裁を加えた。鉄拳と蹴りを大量に浴びせる。悪事をおこなった者たちは血を流しながら土下座した。
これで丸く収まったと思ったら数日後に電話がかかってきた。頼むから出て行ってください。不動産屋は無茶な要求をしてきた。事前にオフィスとして利用することは約束している。滞納することなく家賃を払い、迷惑行為があったのなら謝罪している。よい住人であるための努力は怠っていない。それなのに出て行けというのならば誠意を見せろと言った。
相手は百万円を持って来た。金ではないんだよと突っぱねる。どうすればいいんですかと泣きながら言った。もう一部屋借りよう。三部屋借りるのだから、今よりも家賃を安くしてくれと頼んだ。
最終的に、二部屋半の家賃で、マンション一棟を借りられることになった。親切な不動産屋だ。感謝の気持ちをこめて菓子折りを持っていった。不動産屋は引きつった笑顔で喜んでくれた。
出入りする人間が会社の関係者だけになったので、マンションの入り口に看板を掲げることに決めた。会社の名前はウェイ。おこなっている事業は、仕事用スペースの提供だ。
工藤は創業社長ではない。雇われ社長だ。日焼けした顔、傷のある頬、刈りこんだ金髪、肩幅は広く、全身に筋肉がついている。
ウェイの現社長の工藤は、口よりも先に手が出る家庭で育った。中学、高校と、テストの点よりも腕っ節が評価される世界で暮らした。工藤は一目置かれていた。しかし社会に出れば腕力ではなく金が重要なのは知っている。成り上がってやると思った。
反社会的組織に工藤が初めて接触したのは高校時代だった。不良仲間の先輩から紹介されたアルバイト。金の回収が仕事だった。ただの下っ端。使い捨てのコマ。舐められたら負けだ。遮二無二働き、上層部に金を納めた。
卒業してから四年で、ウェイという会社を任されるようになった。なにをするのかは上から指示が下りてくる。スマートフォンに連絡があり、直接顔を合わせることは許されない。
今の事業は二年ほど前から始めた。売り上げは順調に伸びている。このままいけば、幹部候補として会合に呼ばれる日も近いだろう。順風満帆の人生。しかしここ最近、工藤はトラブルに見舞われていた。
川崎のウェイのオフィス、事務机が並ぶ部屋で工藤は苦い顔をした。
目の前では先週と同じように、アルバイトたちが営業電話をかけている。振り込め詐欺のような犯罪とは違うので時給は安い。それでも縦のつながりで黙々と仕事をしている。だがこの数日、彼らの態度が変化していた。盲目的に従っていた男たちが落ち着きを失っている。電話が終わるたびに、ひそひそと話をして、こちらを見ている。
「なんだ?」
声をかけると、慌てて前を向いて作業に戻る。こいつらはネズミと同じだ。沈みそうな船をネズミが感じ取るように、下っ端のこいつらはツイていないボスを察知する。
工藤は舌打ちをして隣の台所に移動する。冷蔵庫を開けてジュースを出す。コップを口に運んで頭を整理する。工藤の目下の悩みは二つあった。
一つ目の悩みの種は、隣のリビングルームのソファーにいる男。四角い顔をしており首が太い、甲野辰雄という名のフリーライターだ。甲野は、過去にウェイに取材に来たことがある。
甲野から今回の取材依頼があったのは数日前だ。これまでのように短時間のものではなく、何日か通って社内を見たいという。
ウェイでは、いつもと違うことがあれば上層部に連絡する。確認すると意外にも許可が出た。これはかなり特殊なことだ。なぜだと思い、甲野について調べた。
カフェインプラスについての署名記事が見つかった。なるほど、上層部の意図が読めた。甲野から情報を得ろということだ。ただし警戒しなければならない。マンション内を勝手にうろつかせるわけにはいかないからだ。
このマンションには多くの空き部屋がある。街の中の間隙を利用して、工藤は他人の心を入れ替える仕事をしていた。接待という名の拷問だ。暴力と脅迫の末、多くの人が最後には工藤への協力を懇願する。上層部からの依頼も少なくない。
おおむね成功するのだが、たまに失敗することもある。そうしたときは隠蔽処理が必要になる。少し前に、そうしたヘマをして後片付けをした。ライターという人間はやたらと好奇心が強い。甲野に建物内を歩き回られるのは避けたかった。
二つ目の悩みは、自分の進退に関わる問題だ。裏帳簿を任せている手下の宮坂徹と、五日前から連絡が取れていない。成り上がるには金がいる。そのため売り上げを誤魔化して金を貯めていた。宮坂はその実務を担当していた。
宮坂は高校の後輩だ。工藤は宮坂のことを信用している。だから金を持って逃げたとは考えたくない。そもそも、そうしたことができる男ではなかった。なんらかのトラブルに巻きこまれたのだろう。
今すぐにでも宮坂の情報集めに奔走したかったが派手に動くのはまずかった。工藤の地位を狙っている部下に弱みを見せることになるからだ。しかし放っておくわけにはいかない。いずれ表面化する時限爆弾だ。
工藤はコップのジュースを一口飲む。そして、今分かっていることを整理する。
最初に電話に出なかった時点では、酒でも飲みすぎて家で寝ているのだろうと思った。宮坂は、たまにそうした抜けたことをする。しかし、いつまで経っても連絡が取れず、不審に思った。
宮坂が住んでいるマンションに足を運んだが、もぬけの殻だった。行きつけのクラブに寄ってみたが姿はなかった。この時点で初めて、嫌な予感が頭をよぎった。
工藤は、宮坂が顔を出しそうな場所を回った。最後に会った人間を特定して、どこで足取りが消えたのかを確かめた。バーで女と酒を飲んでいた。宮坂は、その女の部屋に行くと言って店を出た。その後、目撃者はいない。
上層部に消されたのかもしれない。真っ先に考えたのは、その可能性だ。裏金作りに勘づいた上層部が、宮坂をさらうか消すかした。
前の社長がそうだった。会社の金を抜いていたら突然の交通事故で重態になった。それ以降、意識は戻っていない。警察が動いたが、けっきょく犯人は捕まらなかった。そうしたことができる組織。宮坂が警告なのだとしたら本命は自分だ。遠からず同じことが自分に起きても不思議ではない。
宮坂が裏金を持って逃げただけなら制裁は免れるが、あいつが飛ぶとも思えない。宮坂がひょっこりと戻って来れば、取り越し苦労だったということになる。笑って不安を吹き飛ばせる。だがその希望は、日に日に遠のいていた。
工藤はコップを流しに置き、スマートフォンを出す。アドレス帳を表示して宮坂を選ぶ。留守番電話のメッセージが流れて、舌打ちとともに切った。やはり連絡はつかないままだ。
偶然なのか、警告なのか、持ち逃げなのか。全てがバレていると考えるべきか。もしそうなら宮坂が消されて自分が追求されないことがあるのか。ないだろう。宮坂が拘束されたのなら、必ず金の流れを調べられる。
自分の尻には火がついている。この危機を乗り切るにはどうすればよいか。証拠の隠滅を図るのが最良だ。それができないのなら、自分の首をすげ替えられないようにするのがよい。瑕疵はあるが有用だと上層部に思わせる。売り上げの増加。そのために競合会社の急所を突く必要がある。
カフェインプラスという会社は調べたところ、どこの反社勢力ともつながっていない。強制的に排除しても苦情は来ない。ただ、気になることがある。大きなトラブルもなく順調に成長しすぎている。強い運を持っている。
こうした組織はタチが悪い。運気というものは存在する。裏の社会を見ていれば分かる。運を味方につけている相手と戦う際は、注意しなければならない。予期せぬ出来事で、こちらが痛い目に遭うことがある。
甲野が取材に来たのは悩みの種でもあるがチャンスでもある。カフェインプラスについて有用な情報を探るのに役立つ。上層部が後押ししているのだから、なんの気兼ねもなく仕事を依頼できる。
「甲野さん」
リビングルームに行き、名前を呼ぶと、四角い顔がこちらに向けられた。
「なんですか工藤さん」
「カフェインプラスについて、なにか評判を落とすようなネタはないですかね」
世間話のように言うと、甲野は手を止めて考えこんだ。
「社員の身辺調査ということならできますが。いちおう仕事になってしまいますが」
やはりそうだ。甲野という男は、こうした仕事を引き受ける人間なのだ。上層部が取材の許可を出したのは、他の場所で甲野を使ったことがあるからだろう。
「お値段はどのくらいですかね?」
甲野は料金を告げる。適正な価格。むしろ安いぐらいだ。期間と支払い時期を決めて、正式に依頼する。
「じゃあ、お願いします」
「分かりました。いいネタを仕入れてきますよ」
にこやかな顔で甲野は答えた。




