2-9 再起
食器のレンタルサービス事業が終わったあと、ふたたび御堂と福原だけになった。この時期の根城は、喫茶店ワクワクだった。御堂の部屋の本が増えすぎて、さすがに居心地が悪くなっていたからだ。御堂は相変わらずジャンルを問わず、片っ端から本を読んでいた。
新しい根城になったワクワクは、吉田和久男という四十代の店主が営む地元の店だ。吉田は昔、ミュージシャンをやっていた。そしてよく通っていたジャズ喫茶のマスターから店舗を譲り受けた。
店主の吉田は、御堂の知り合いだ。吉田が店を継ぐときに、御堂の母親の雑貨屋で、小物をそろえた縁である。その頃御堂は、福原たちとバンドをやっていた。話が合い、自然と交流が生まれた。そしてワクワクに顔を出すようになった。
「借金の額が大きくなると、少々小銭を使っても気にならなくなるな。借金を作ってから金遣いが荒くなる人がいるだろう、その理由が分かったよ」
カウンター席で、横に座っている御堂が、笑いながらコーヒーカップを口に運んだ。この一ヶ月、御堂も福原も無給で過ごしている。そろそろ次の仕事を始めなければと思いながら、福原もコーヒーを一口飲んだ。
「実はな、フク。新しいビジネスを考えたんだ」
おっ、来たか。御堂が新規の事業を提案するときは、かなり練っている。思いつきを口にすることは少なく、計画を詳細にまとめている。
「人間は仕事に長い時間を費やす。そして現代ではデスクワークが中心になり、椅子に座って机に向かう者がほとんどだ。しかし情報技術の発達により、作業に必要な道具のサイズは小さくなった。たとえば、このノートパソコンが一つあれば事足りる仕事は多い。それなのになぜ、ほとんどの人がオフィスに閉じこもって働いているんだ。そこに豊かさはない」
福原は、なにが飛び出すのかと楽しみにしながら、御堂の言葉を待つ。
「毎日コーヒーが一杯飲めて、好きな喫茶店で二時間仕事ができるとする。フクなら、一ヶ月で何円出す?」
「一万円ぐらいかなあ。五千円ぐらいなら嬉しいけど」
「都内のコワーキングスペースは、月額一万円前後のところが多い。ねえ、和久男さん。フクが言った安い方の値段だと、店としてどう感じる?」
丸顔にヒゲで、ヒゲダルマと呼ばれることもある店主が答える。
「毎日だと厳しいなあ。うちは月に二十五日ぐらい開けているだろう。五千円だと一杯二百円ぐらいになる。大手チェーン店のような効率化は、独立系の店舗には無理だからなあ。やっていけない値段だね」
「客が利用する回数が、月に実際は十日ぐらいなら?」
「五百円なら、まあありだ。でも、そうしたサービスを使う人は、元を取ろうとするだろう。それに運営側の取り分もいる。最低価格ではOKと言う店は少ないだろう。金額を追加して、ケーキなどの食べ物も買ってくれるのが望ましい。また、追加の一杯については別料金にして欲しいな。時間もきっちり計ってくれると嬉しい」
「なるほど、安い方では駄目。でも、高い方のサービスはもうある。いったい、どういう仕掛けにするんだ?」
福原は御堂に尋ねる。他の人の真似では御堂が事業を始める意味がない。
「定額サービスで、電子的なチケットを配る。そのチケットでさまざまな喫茶店を、仕事用のスペースとして気軽に利用できるようにする」
チケットなら元を取るような使い方はできない。適正な価格で喫茶店に利益を渡すことができる。ユーザーは比較的少額からサービスを利用することができる。
「付加価値は?」
ただのチケットなら喫茶店に行って直接お金を払うのと変わらない。
「ITを利用したサービスだ。このビジネスをおこなうには、ユーザーの近くにある提携店の空きスペースが、可視化される必要がある。また、事前に席を予約して店に行けると嬉しいはずだ。必ず座れるというメリットは大きい。ビジネス用途に特化して募集すれば、営業もしやすくなる」
御堂はノートパソコンを開いて計画を見せる。やはり詳細に絵図を描いている。内容をひととおり確かめたあと問題点を指摘する。
「面白いが、そもそもプログラマーがいないと成立しないぞ。簡単なウェブサイトなら俺でもできるが、決済まで含めたシステム開発だと誰か別の人間が必要だ。俺たち二人だけだと成立しない。内容のほとんどがITに頼っている」
「そうなんだよなあ。俺とフクだけだと無理なんだよなあ」
「そういえばプログラマーが仕事を探していると言っていたな」
店主が話に割って入ってきた。
「えっ、まじっすか?」
「ああ、ニコニコ不動産を知っているか?」
「駅前にある、くたびれた看板のところだろう」
「あそこの店をやっているのは俺の友人なんだ。そこで管理している物件の住人で、ちょっと変わった奴がいるんだよ。在宅で仕事をしているプログラマーなんだけどな。家賃の支払いはきちんとしているから、やばい奴ではない。ただ、ほとんど出歩かず、たまに出てきても、暇そうにぶらぶらしているそうだ」
「大丈夫か、そいつ?」
「だから、変わった奴がいるって言っただろう。そいつがうちに来て、プログラマーを探している人がいれば、紹介して欲しいと話していたんだ。おまえたちの話を聞いてピンときた」
「ふーん、じゃあ、会ってみようかフク」
「ああ」
「じゃあ、和久尾さん、連絡お願いできる?」
「よし、ちょっと待て」
店主はスマートフォンを手に取り、電話をかける。通話を終えたあと「驚くぜ」と、にやにやしながら言った。
「もしかして、俺たちが知っている人なのかよ?」
「違う、そういう意味じゃない。まあ、会ったあとにネタばらしをしてやるよ」
ヒゲダルマな顔の店主は、楽しそうに笑いを噛み殺した。
翌日の昼すぎ、福原は喫茶店ワクワクに行き、御堂とコーヒーを飲みながら約束の時間になるのを待った。扉が開き、チャイムの音が響く。身長百五十センチメートル台の女性が現れた。福原は時計を確認する。彼女なのか。自分たちよりもだいぶ若く見える女性は、マスターに軽く頭を下げた。
それにしても表情の変化に乏しい人だな。普通は、店に入ってから店主に挨拶するまで、めまぐるしく顔の様子が変わる。しかし終始ぼうっとしているのか同じままだった。整った容姿と相まって人形のようだなと感想を持つ。なぜだか分からないが、目が離せない相手だなと思った。
「御堂、フク、来たぞ。浅村さんだ。浅村さん、こっちにいる二人が、MIDOUカンパニーの御堂と福原だ」
福原たちはお辞儀をする。この頃はまだ会社名を変えていなかった。起業時の名前であるMIDOUカンパニーのままだった。
「浅村葉月です。よろしくお願いします」
澄んだ声が耳に心地よい。御堂とは違う声質だが、心に深く染みこんでくる。葉月は軽く会釈をして名刺を出す。プログラマーとだけ書いてある。御堂と福原も名刺を渡して挨拶をした。葉月は席に着いて、鞄からノートパソコンとスマートフォンを取り出した。
御堂が新しい事業の説明をして葉月が疑問点を尋ねる。二人のやり取りを聞きながら、ものすごく的確な質問をするなと感想を持った。
この話を初めて聞いたのではないような理解度だ。御堂のプレゼンが上手いとはいえ、初見の相手に聞いた内容を、ここまで脳内に思い描けるのはどういう頭の構造なのかと疑問を持った。まるで事前に予習していたみたいだと感じた。
打ち合わせが終わったあと葉月は何度か点頭した。その様子が愛らしく、そう感じる自分の心の動きに驚いた。
「試しにデモを作ってみます。一週間以内を目処に、完成したらメールで連絡します。次もこの店でよいですか?」
「ああ」
御堂は気軽に答える。福原は慌てて口を差し挟んだ。
「プロトタイプの料金はいくらですか。制作をお願いするかは金額を聞いてからでないと」
会社に金はない。それどころかマイナスだ。払うとすれば、御堂と福原の個人的な貯金を放出するか、さらなる借金を重ねないといけない。
そういえば忘れていたなという顔を御堂はする。こいつは、と突っ込みたくなる。御堂は、人を巻きこむ能力が高い反面、こうした点をきちんとしない悪い癖がある。
「いえ。ただでいいですよ。その代わり完成したあと、少しこちらのお願いを聞いてもらえればと思います」
「いいぜ」
「おいおい、安請け合いするなよ」
「いいじゃねえか。どうせ俺たちはオケラだからな」
得意げに言う御堂に対して、福原は掌で顔を覆う。
「では、試作品が完成したら連絡しますので」
葉月は軽く頭を下げて、荷物をまとめて出て行った。葉月を入り口まで見送ったあと、御堂と福原は席に戻った。
「なあ、フク。なかなか美人だったな。芸能人クラスじゃねえのか?」
御堂が嬉しそうに言う。
「でも、愛想はなかったな。普段からあの調子なのか気になった。他人に対して壁がある印象だった」
福原は冷静に相手のことを分析する。
葉月のことを批評する二人を、マスターはカウンターの向こうで、にやにやした顔で見ている。
「やっぱり分からなかったな」
笑いを噛み殺すようにマスターは言う。
「そういえば和久男さん。会ったあとにネタばらしをしてやると言っていたよな」
御堂が早く教えろよと迫る。
「浅村さんは男だぜ」
二人の時間が止まる。しばらく静止したあと、ぎこちなく御堂がテーブルに肘を突いた。
「はあっ? どういうことだよ」
「性別男性。趣味は女装。背が低く、華奢で、声変わりをほとんどしていないから、女性用の服を着て化粧をすると、ばれたことはないそうだ」
「まじか!」
御堂が叫ぶ。福原も驚いた。完全に女性だと思っていた。もし男性なら痩せすぎではないのか。ちゃんと食事は取っているのか。心配事が次々と頭に浮かぶ。
それとともに福原は、自分の心の動きに戸惑った。葉月の容姿や声に強く引かれた。相手が男だと分かった今でも、その思いは消えていない。だまし絵を見たときのように、脳が混乱している。
「うおー、やられたぜ」
横に座る御堂は、全身で悔しがっている。福原は無言のまま視線を落とし、口元を手で覆った。自分の心が理解できず、今日初めて会った相手のことを考え続けた。
三日後、御堂と福原にメールが届いた。一週間以内と話していたが、もうできたのかと驚く。翌日、喫茶店ワクワクでふたたび葉月に会った。全員がそろったあとすぐに、御堂は葉月に女装のことを尋ねた。
「いけませんか?」
「いや、すげえなと思って。俺とフクはさ、高校時代にバンドをやっていたんだよ。だから舞台映えする扮装をした経験もあるんだよ。でも、そんなにきっちり、何者かになることはできなかった。浅村さん。あんたの理想は、どこにあるんだ?」
意外な反応だったのだろう。葉月は少し戸惑っているようだった。福原は、なんらかの答えが返ってくることを期待した。しかし葉月は、御堂の質問を無視してノートパソコンを開いた。そして作ってきたプロトタイプの説明を始めた。
その日、御堂と福原は、浅村葉月というプログラマーの実力を思い知ることになる。本人はデモだと言っていたが、それはどこにも隙のない完成品だった。ユーザー、店舗、営業まで、システムが一体化した完璧な形になっていた。明日からすぐに事業を開始できる状態だった。
「それで御堂さん。もし私の能力を認めていただけるのでしたら、お願いがあるのですが」
「なんだ。俺にできることなら、なんでもするぜ」
御堂は、目の前にいる人間の価値を理解していた。福原も、可能な限り葉月のわがままを聞くべきだと思っていた。
「この仕事に参加するなら、御堂さんの会社のCTO――最高技術責任者になりたいです」
福原と御堂は顔を見合わせる。御堂は口を開けて大笑いした。どうにか爆笑を押さえこんだ御堂は、真面目な顔をして葉月に言った。
「実はな、うちの会社は借金まみれなんだよ。だから給料も当分出ない。そんな会社のCTOになるなんて本気か?」
「それでいいです。自分で稼いだお金がありますから、しばらくは無給でも問題ありません」
福原たちは怪訝な顔で互いに視線を送る。こちらに都合がよすぎる。なにか裏があるのではないかと疑ってしまう。三日前に初めて会った相手に、ここまで人生を賭けるのはどういうことなのだ。
「どうする、フク」
「こっちにまるで損がなくて怖い」
「俺もだ」
二人は顔を寄せて相談する。数分、小声で話し合ったあと、御堂が代表して尋ねることにした。
「どうして、うちの会社なんかに?」
葉月の実力なら、どこの会社でも引く手数多のはずだ。
「そろそろ就職というものをしてみようと思ったからです。でも人に指図されるのは嫌なので。そうしたわがままを聞いてくれそうなところなら、どこでもよかったんです」
特に嘘はないようだ。しかし、そんな理由で借金まみれの会社に入ってもよいのか。福原と御堂は十分ほど話し合ったあと、葉月を受け入れることにした。浅村葉月は、三番目の創業メンバーとして御堂の会社に加わった。
それからMIDOUカンパニーは急激な成長を始める。葉月の圧倒的な開発速度と、御堂の人たらしの能力。福原は、あいだの業務を埋める役として多くの仕事をこなした。徐々に利益が出だした。御堂と福原は相談して葉月に積極的に金を払った。
開発の工数が増えてきた。葉月一人では手が足りなくなってきた。葉月は、ネットで探してきたという人間たちの採用を迫った。彼らは高い技術を持っていた。二人の中で葉月への信頼は、揺るぎないものになっていく。
事業の拡大にともない、会社の名前を事業名のカフェインプラスに変えた。出資者を募って運転資金を増やした。それとともに営業を増やして市場拡大への攻勢を強めた。
仕事は忙しかった。しかし福原に苦痛はなかった。世の中をよくするために働いている。自分がやっていることは社会の役に立つ。これは空虚な金儲けではない。福原は御堂と葉月とともに、会社を大きくしていった。




