2-7 創業
御堂は会社を立ち上げた。名前はMIDOUカンパニー。会社といっても働く人間は御堂一人だ。法人登記は、雑貨屋でもある自宅にした。
福原は大学に進学した。家から電車で通える距離。高校時代と違って、授業は全て埋まっているわけではない。福原は、自然と御堂の部屋に入り浸るようになった。
御堂が初めて手掛けたビジネスは、ITとはほど遠いものだった。そのビジネスは御堂の何気ない質問から始まった。
いつもの御堂の部屋。来るたびに本が増えており、ジャンルも多彩になっている。歴史、経済、産業、自然科学。人の振る舞いに興味があるのか、心理学や精神医学の本もあった。本は棚からあふれ出して床に山積みになっている。部屋の端にあったマンガを読んでいると御堂が話を振ってきた。
「なあ、フク。人生で最も長い時間いる場所は、どこだと思う?」
「うーん、学生なら学校、社会人なら職場かな」
「ブブー、はずれ。答えは布団だよ。一日のうち最も長くいる場所だからな、そこを改善するというのはいいアイデアだろう」
なにか計画があるらしい。福原は御堂の部屋で話を聞く。御堂は、枕向けの香水を販売するというアイデアを披露する。その実現のために、多くの会社を回って商品のサンプルを取り寄せていると説明してくれた。
「実験をしたいんだ。協力してくれ」
「いいぞ」
福原は、何種類かの香水を渡されて実験に参加する。
就寝時に、枕に一滴たらして眠る。よい香りに包まれて入眠が早くなった気がした。
実験の結果、いくつかの香水は、自信を持ってすすめられることが分かった。薬ではないので効能を直接宣伝することはできない。多数の売り文句を考えて、周囲の者に意見を求める。毎日楽しめるように詰め合わせセットを作り、箱や包装を工夫した。特別なものを手に入れたと思える小冊子を用意して、箱に封入して購入者の満足感を向上させた。
御堂は関東の雑貨屋を巡り、商品を卸していく。福原は発注や資材管理を手伝った。好きな時間に御堂の家に行き、前回の続きから作業をおこなう。最初はただのボランティアだった。その後、儲けが出ると、バイト代をもらうようになった。
かなりの数が売れた。稼いだ金で二人で遊び回った。仕事というよりは遊びの延長だ。福原は、御堂と一緒にいられればそれでよかった。楽しい日々が続いた。しかし、このビジネスはいきなり終わってしまった。
販売開始から一年以上経ったとき、あまりにもたくさん売れてしまったために、仕入れ元が自分たちで同じことを始めたのだ。
御堂は香水を作る工場もノウハウも持たない。商品の供給は完全に止まった。最後の換金だということで、仕入れ元に店舗のリストを有料で譲った。まとまったお金をもらったあと、二人でふてくされて畳の上に寝転がった。
二週間ほどが経った。大学の授業が終わったあと御堂の家に行くと、部屋の中央に白い洋式便器が置いてあった。
「御堂、これはなんだ?」
本の山の中にそそり立つ便器。前衛芸術を思わせる光景だ。
「なんだとは、なんだ。おまえは、トイレを利用したことがないのか?」
「いや、なぜここにあるのかと聞いているんだ」
御堂は、いい質問だ、と言って語りだす。
「睡眠の質を向上させるビジネスは、志半ばで手放すことになった。今度は排泄を通して世の中を変革したい。人間が一生のうちトイレで過ごす時間は、合計すると三年分ぐらいになる。一日八回、一年で二千五百回。その時間を、ハッピーで楽しいものにしたら、どうなると思う?」
「ハッピーと楽しいは同じ意味だ」
「フク、おまえは相変わらず些末なことにこだわる。二回言ったのは強調のためだ。そして本質を見ろ。この場合の本質は、トイレで過ごす時間が長いということだ」
今度はなにを始めるつもりなのだ。わざわざ便器を部屋に置いたということは、関係があるのだろう。
「トイレ専門のリノベーション事業をやろうと思う」
「具体的には?」
「ゴージャスな空間、アートな空間、自然を感じられる空間、読書するための空間。いくつか選択肢を設けて、そうした空間にトイレを改造する」
御堂はスケッチブックを出して福原に見せる。洋式便器を中心に据えた小さな部屋の絵だ。部屋の壁紙や、便器の蓋を覆うカバー。テーマに合わせた小振りの家具や小物。福原は茶室やジオラマを思い浮かべる。気分転換のための非日常のスペースというわけか。
住んでいる部屋を、丸ごと改装するのはお金がかかる。しかし、トイレだけなら安く済む。小便や大便のときだけ使う場所なので、装飾しても生活に支障はない。私的な趣味の空間にするのは、ありではないかと思った。
「いけるんじゃないか」
「だろう。それで壁紙や家具、小物は、問屋から調達する。リフォームについては提携業者を作る。営業用の冊子も用意しないといけない。そうした作業を進めてから、まずは近所から営業をかける。それでどうだ?」
御堂は幼い頃から母親とともに、よく仕入れに行っていた。そのため問屋を利用するのは慣れている。リフォーム業者については地元の伝手を頼ればよい。御堂は顔が広いからすぐに見つかるだろう。営業用の冊子は、前回小冊子をデザインしてくれた会社を使うと決める。
「よし、それでいこう。御堂、ターゲットは?」
「小金があって三十代以上の一人暮らし。男性よりは女性の方が、こういったことにはお金を出すと思う」
「そんなところだろうな。あと、新しい需要だから、向こうから探してくれることはない。ネットに広告を載せても検索されることもない。そうなるとチラシだな。ポスティングもおこなわないといけないぞ」
「フク、そっちは任せられるか?」
「ああ。問い合わせがあったら御堂が行って成約させる。数が多い場合は俺も営業に回る。それでどうだ?」
「問題ない」
御堂は笑みを浮かべた。
トイレのリフォーム事業がスタートした。チラシは、デザイナーに発注して見栄えのよいものを作った。リフォームプランの資料を用意して提携業者も獲得した。
初週から依頼が入った。一件当たりの利益は数万円。日に数件のペースで契約を取り、どんどん回していった。二人が住む地域から始めて、徐々に周囲へと広げていく。人件費は二人分だけ。そのため儲けはかなりのものだった。増えた金を、広告やカタログの質の向上に使う。さらに高額のプランが売れるようになった。
事業は順調に金を生み続けた。しかし、ある日突然、終焉することになった。
「この仕事をさ、売却しようと思うんだ」
場所は本に囲まれたいつもの御堂の部屋だ。福原は大学四年になっていた。学生時代最後の正月休みが終わる日のことだった。
「どういうことだよ御堂」
「フクさ、卒業するだろう。就職も決まっているしさ。俺一人で回すのは、さすがにしんどいしさ」
「人を雇えばいいじゃないか。それだけの金を得ただろう」
二人で育てた事業がなくなる。そのことに心の痛みを感じながら、御堂をにらんだ。
「まあ、そこそこな。実はさあ、お袋がけっこう借金していて、その返済にほとんど消えたんだよ」
福原は絶句した。女手一つで御堂を育てた母親。彼女の雑貨屋は、資金繰りが大変そうだと思っていたが、そんなことになっていたとは知らなかった。
御堂は母親に感謝している。これまでの恩返しとばかりに儲けた金を渡したのだろう。
「リフォームを担当している森山工務店がさ、事業を売って欲しいと言ってきているんだ。それでまとまった金が入る。うちの店の土地さ、借地なんだよ。土地を買い取る話を進めていてさ。俺の手元に現金は残らないが、いずれ俺に回ってくる財産だからな。そういうわけなんだ」
御堂は微笑みながら言う。こいつはお気楽そうな顔をして、その裏でいつも物事を真剣に考えている。
トイレのリフォーム事業は、御堂のビジネスだ。売却することについて俺が意見する権利はない。福原は、寂しさを押し殺して声を出す。
「分かった。それで次はなにをするんだ。どうせ御堂のことだから、なにか案があるんだろう」
「へへっ、実はそうなんだ」
いたずら小僧のような顔を御堂はする。そして「おまえは就職するから一緒にできないけどさ」と言い、新しい事業の計画を話してくれた。




