第23話 解呪
「くっ、うぬぅうぅぅっ!」
目の前の存在を殺したい、破壊し尽くしたいという凶悪な欲求が心の中で荒れ狂う。
そのまま手を握り潰してしまいたくなる、狂化によって生じた湧き上がる憤怒を無理矢理に抑え込む。
僕は彼女を助けるんだ。傷付けたりはしない!
狂化を発動させるまでの一秒にも満たない時間を耐える。そして発動した狂化に飲み込まれず耐え抜く。
二つのことに耐える覚悟を僕はしたのだ。
それに耐えさえすれば、後は彼がやってくれる。
『よくやった、明日虎! 後は任せろ!』
マモルの声が頭の中に響き、魔法の光りが僕の手から少女の身体へと伝わって包み込む。
「うっ、あっ、あぁぁっ……!?」
引き結ばれていた少女の口が束縛を解かれたように初めて開き、鈴を振るような声をその唇から漏らした。
剣を引き抜こうとしていた力が弱まり、能面のように固まっていた表情が歪む。
「やった、解呪成功!」
『待て、完全じゃないっ!』
少女の声を聞き、変わった表情を見てつい気を抜いてしまった。
途端に目の前で殺気が噴き上がり、引き抜かれた白刃が血をまとったまま翻って僕を斬り付ける。
「あぁっ――避けて!」
少女の悲痛な声が耳を打つが、狂化の激情を堪えている僕はその斬撃に対応出来ない。
自分を切り裂こうとする剣閃を目で追っていた――僕の身体が真横に吹き飛ばされる。
「あがっ!?」
「ぐっ!」
僕の上げた無様な苦鳴に小さな呻き声が被った。
そして目の前で赤い髪をした女性の背中から、その髪よりも濃い赤をした飛沫が舞った。
ペトラさんが僕を突き飛ばし、代わりに少女の斬撃をその身に受けてしまったのだ。
「くっ、こっ、このぉっ……!」
よくも彼女をやりやがったなという憎悪が湧き上がってきてしまう。
違う、この怒りは彼女にぶつけるものじゃない!
奥歯を噛み潰す勢いで歯を食いしばり、心の中で猛り暴れる感情を必死に押さえ付ける。
「ぅ……」
俯せのまま動かない、けれどまだ息のあるペトラさんが小さな呻き声を漏らす。
そんなに彼女にとどめを刺そうと刀が振り上げられる。
「だ、めぇ……!」
悲痛な声が少女の口から漏れる。
ペトラさんを死なせたくない。この子に殺させたくない。
動けっ、動けぇっ! 怒りなんて消えろぉっ!
荒れ狂う心に強い意志を叩き付けると、全てを燃やし尽くすような憤怒の感情が少しだけ薄れた。
「おぉおぉぉっ!」
ふっと身体が軽くなった瞬間、強化されて狂化まで施された踏み込みで少女に飛び掛かった。
「あっ……!?」
体当たりをぶちかまし、もつれ合いながら頭の中で叫びを上げる。
やってくれ、マモルぅ!
『了解っ!』
俺の身体から発せられた光が、先ほどと同じく少女の身体へと伝い移る。
「あぁあぁあぁぁっ……!」
二度目の解呪を受けた彼女の身体がビクンと跳ねて力が抜ける。
勢いで抱き締めてしまっている両腕から、柔らかな少女の身体の感触が伝わってきて、こんな状況なのに不謹慎にも胸が高鳴ってしまう。
とてもあれだけの戦闘を行なえるような筋肉が付いているとは思えないくらいふにふにしている。
しかし、カチャリという冷たい音を聞いて背筋が凍る。
彼女はまだ刀から手を放していないのだ。
名残惜しいものの今度は油断せずに素早く離れると、倒れ伏すペトラさんの様子をみる。
背中がザックリと切り裂かれている。
「ペトラさん!」
『速くポーションを使え!』
あまりの傷の深さを見てパニックになりそうだったところをマモルの声で持ち直し、素早くポーションを取りだして振り掛ける。
内部の傷が少し癒えたけれど、まだ血は流れ出続けている。
「えぇいっ、全部いっちゃえ!」
続けて三本ポーションを傷に注ぐとようやく血が止まり、表面的には傷が塞がった。
残金が銀貨五枚になっちゃったけど、中級のポーションを買っておいてよかった。
しかし意識は戻っておらず、予断を許さない状態だ。
どうするべきか。
「はぁ、ぅ……あぁ……あ!」
刀を手にしたまま苦しそうな表情でこちらを見ている少女。
彼女の解呪はまだ完全に解けてはいないようだ。
また接触して解呪を掛けてみるべきか?
『俺の魔法で完全に解くのは難しいだろうな。それにあの子を一人で抑えられるかも分からない』
手の中に抱えたペトラさんを見る。
彼女が一緒に戦ってくれたから少女と渡り合えたんだ。
そんなペトラさんは今、僕を庇ったせいで意識不明の重体に陥ってしまっている。
傷は塞がったけれど完全に治ったかどうかは分からないのだ。
『残念だが、ここは撤退したほうがいい』
マモルの言う通り、今はペトラさんを優先するべきだと僕も思う。
彼女を抱き上げ、その場から飛び離れても少女は動かない。追ってはこないようだ。
「ごめん、なさい……」
目の端に溜まっていた涙を零しながら、申し訳なさそうにこちらを見つめる黒い瞳。
その視線に後ろ髪引かれながらも僕は後ろを振り返らずに少女から逃げ出したのだった。
そのまま森の中を駆け抜け、魔物共を無視して町まで走り抜ける。
町に着く頃には狂化の効果も切れていたけれど、刀で刺された腹の傷も治っていた。ポーションでの回復じゃないから傷痕は残ったけどね。
また意識の無いペトラさんを抱えて戻ったことをヨーゼフさんは驚いていたけれど、チェックもなしにすぐ門を通してくれた。
治療院にペトラさんを連れて行くと、退院して一日も経っていないのに無理をするなと怒られてしまった。
僕も無理をするつもりはなかったんだけど……。
本人にも言ってあげて欲しい。
きっと前回も僕のときのように身を挺して仲間を庇ったんだと思うし。
ペトラさんは戦士よりも聖騎士とかのほうが向いているんじゃないだろうか。
ポーションで応急処置されていた彼女の怪我を治してもらい、再入院した彼女を預けると僕は宿に戻った。
一人になると、黒髪の少女のことを思い出してしまう。
せっかく会えたのに、助けることが出来なかった。泣いている女の子を置いて逃げてしまった。
落ち込んだ気持ちをマモルに慰めてもらい、やってきたシロに癒されながら眠りについたのだった。
翌日、治療院へお見舞にいってみたもののペトラさんはまだ目覚めていなかった。
傷はもう癒えているので、今は体力を回復させるために眠っているとのことで安心した。
そうなると気になるのはあの子のことだ。
マモルが二度の解呪を施してくれたものの、完全には操られた状態から解放することが出来なかった。
しかしあと一歩だという手応えはあったのだ。どうしても諦めきれない。
少女は黒い瞳を涙で揺らしながら、僕と傷付けてしまったペトラさんを済まなそうな目で見つめていた。
今も無事でいるだろうか。
じっとしていると彼女のことばかり考えてしまう。
一時間ほどペトラさんの眠るベッドの横で悶々としていたけれど、もうこれ以上はじっとしていられない。
治療院の人に彼女の事をお願いすると、一人で森へと駆け出したのだった。
平原を駆け抜けて森に入ると、マモルから注意して進むように戒められる。
今は一人なのだから、何かあっても助けてはもらえない。不注意で死んだらあの子を助けることも出来なくなるのだから、と。
その言葉を胸に刻み、焦る心を押さえ付けて慎重に進んでいく。
川沿いから森の拓けた場所の淵、そしてまた川沿いを上流へと辿っていく。
昨日ペトラさんと共に歩いた道のりだ。
たまに魔物と遭遇するけれど、討伐が目的ではないのでこちらからは仕掛けずにやり過ごした。
そうして一時間以上も森の中を歩き続けていたとき、見つけてしまった。
川縁で横たわる――血まみれの少女を。
「あっ……!?」
見間違えようもない、水に濡れた黒髪と白い振袖、スミレ色の袴。
昨日戦い、悲しげな瞳をしていたあの子だった。
「だっ、大丈……うわっ、あっ」
駆け寄って抱き上げると、胸元の深い傷から血が流れているのが見えて、心臓が止まりそうな衝撃を受ける。
明らかに致命傷だ。
慌てて持っていたポーションを振り掛けたのだけれど、傷が治らない。手持ちの三本を全て使っても流れ出る血が止まらないのだ。
効果が全然足りていない。お金がなくて下級のポーションしか買えなかったせいだ。
抱き締めている少女の体温が急激に下がっていく。
全力で走って連れ帰っても、町までもちそうもない。
ようやく会えたのに、まだ名前さえ教えてもらっていないのに、彼女が死んでしまう。
「助けて……! 誰か、彼女を助けてよぉっ!」
『大丈夫だ、明日虎。彼女を絶対に助ける。そう決めたんだろう?』
僕の悲痛な叫びに、いつにも増して優しいマモルの声が応えてくれた。
「うんっ。僕は……僕は彼女を助けたい」
『助けたい、じゃない。助ける、だろう?』
「そうだよ、この子を助けるんだ!」
マモルは言っていた。僕が望めばその力を得ることが出来るだろうと。
守って欲しいと補助の力を得たように、倒したいと攻撃の力を得たように。
彼女を癒したいと心の底から祈り、願った。
「絶対に死なせない!」
すると優しくも力強い何かが僕の中から湧き上がってくる。
それは温かな光となって溢れ出し、少女の身体へと降り注いだ。




