第16話 狂乱
「あっ? 何だ……これ、うぁあっ……!?」
「んんっ? どうしたんだい?」
「身体が……あぁぁぁっ!」
「アストラ!?」
身体の奥底から熱い何かが湧き上がってくる。
視界が赤みがかり、目の前にあるものを全て壊してしまいたいという危険な衝動が襲い掛かってきた。
その感情は先ほど僕に怪我を負わせ、今また攻撃しようと近づいてくる灰色の塊へと向けられる。
「このぉ……! スライムのくせに、よくもやってくれたな!」
胸の中を占めていた恐怖は霧散したように何処かへ消えてしまい、傷を負わされた怒りが僕の心を埋め尽くし燃え上がらせる。
今までに抱いたことのない凶暴な感情が僕の中に渦巻いていた。
その情動の赴くままに、右手に握り締めていた剣を振り上げ叩き付ける。
「死ねぇっ!」
腰の乗った一撃が灰色スライムの身体を切り飛ばすが、先ほどと同じく中心を外されてしまった。
それがまた僕の怒りに火を付ける。
「避けるなっ!」
理不尽な言葉と共に、振り抜いた両刃の剣を左から右上へと切り上げる。
そのまま力任せにショートソードを振り下ろし、薙ぎ払い、切り上げて叩き付ける。
先ほどまでとは腰の入り具合が違う重い斬撃は、確実にダメージを与えている。
素早い動きで致命傷は避けられてしまっているけど、端を切り取られたグレイウーズの身体は徐々に小さくなっている。
痛覚は持っていないのか怯んでいる様子は無い。
「このっ、ちょこまかと!」
「へぇ……。なかなかいい殺気を出すじゃないか。見直したよ」
後ろから何か聞こえるが、そんなことより今は目の前のコイツだ。
イラ立ちのままに力を込めた斬撃を放つと、千切れた身体に構わずグレイウーズが決死の攻撃を仕掛けてくる。
間近に伸び上がったそれを先ほどのように左手で受け止めると、焼けるような痛みを感じて表情をしかめる。
だけど今度はその粘体を振り払うことなくニヤリと嗤う。
「捕まえたぁっ!」
振り切っていた剣を引き戻すと、地面と僕の腕の間にある本体へと全力の突きを放った。
ゾブリと入り込んだ剣先がスライムの粘体を突き抜ける。
そしてそのまま思い切り両腕を左右に開き、灰色の身体を引き千切ってやった。
致命傷を受けたグレイウーズは僕の腕から離れて地面を蠢く。
その上に剣を突き立て、引き抜いて振り下ろす。
僕は、灰色の粘体が地面に染み込んで形がなくなるまでそれを繰り返した。
「おいおい、それくらいにしときなよ」
「あぁぁ……? うぅうぅあぁあぁぁぁっ……!」
掛けられた声に振り向くと、そこにも敵がいることに気付く。
まだいたかぁっ!
グレイウーズに突き立てていた剣を地面から引き抜くと、そのままそいつに叩き付ける。
「おっと! なんだい、アストラ。あんた、錯乱してんのかい」
その一撃は強化魔法で速度も威力も上がっているはずなのに、斧の長い柄で受け止められてしまった。
グッと力を入れて押し込もうとしてもビクともしない。
「このっ、このぉおぉぉっ!」
「まったく、仕方のないヤツだねぇ」
苛立って二撃、三撃と剣を振るうが軽々と受け流される。
そして四度目に振り下ろした剣は身を捻って避けられ、同時に踏み込んできた相手に懐へと入り込まれてしまう。
「少し眠っときな!」
「ぐっ……!?」
斧の石突きがみぞおちへと叩き込まれ、息が詰まって痛苦に呻く。
強烈な一撃に耐え切れず、僕の意識は即座に刈り取られてしまった。
「……う? あ、あれ……?」
気付くと僕は平原の真ん中に寝転がっていた。
頭は固い地面ではなく、何か柔らかくも弾力のあるものに乗せられているような感触がある。
「やっとお目覚めかい?」
「はぇ……? あっ、えっ……?」
声に見上げると優しげに細められた黒い瞳に見つめられていた。
一瞬、黒髪黒目をした凛々しい少女の姿を幻視してしまったけれど、瞳以外の要素が目に入ってきてすぐに消えた。彼女ではない。
鮮やかな赤い髪と獣耳、吊り気味の大きな目、厚くもないが薄くもない形の良い唇。
「ペ、ペトラさん!?」
覗き込む彼女の顔がすごく近くて焦り、顔が火照るのを感じながら手をバタ付かせる。
その手が何か細長いものに触れ、思わずギュッと握り締めてしまう。
「ひゃあぁぁっ!?」
「うわっ!?」
可愛らしい悲鳴を上げてペトラさんが立ち上がり、僕の身体が草地の上に投げ出された。
手の中にあったものはスルリと抜けた。目で追うとそれは彼女のお尻に繋がっている。尻尾を掴んでしまったらしい。
そして位置的に考えて、頭の下にあった心地良い感触はペトラさんの膝だったようだ。
「うぅぅ……ったく、何するんだいっ!」
「ごっ、ごめんなさい! ごめんなさいっ」
普段とは違う声を出したのが恥ずかしかったのか、頬を赤く染めながらプンプンと怒っている。
獣耳も頭の上でピコピコとせわしなく動き回っている。
獣人族の尻尾はかなり敏感なようだ。猫も尻尾を触ると怒る事が多いし、触られると嫌な場所なのだろう。
わざとではなかったけれど、せっかく膝枕をしてくれたのに申し訳ないことをしてしまった。
こうなったらもう謝り倒すしかないと、ペコペコと何度も頭を下げて平謝りする。
「……はぁぁ、もう尻尾に触るんじゃないよ?」
五分ほど謝り続けた結果、何とかお許しを得ることが出来た。
「ごめんなさい……」
「いいさ。ちゃんと反省してるみたいだしね」
スッキリした性格のペトラさんは根に持たないタイプなようで、すぐに気持ちを切り替えてくれた。
「あの、それで……僕、どうしちゃったんでしょう?」
「そりゃあこっちが聞きたいよ。すごい暴れっぷりだったねぇ」
グレイウーズの攻撃を受けて狼狽していたのに、急に戦意を取り戻して無茶苦茶に攻撃して倒したらしい。
そこまでは良かったのに、錯乱した僕はそのままペトラさんにまで襲い掛かってしまったという。
そしてその攻撃をかいくぐった彼女に一撃を入れられ、気を失っていたのだそうだ。
「えぇぇぇぇっ!? 重ね重ね、その、ごっ、ごめんなさいっ!」
暴れたことは何となく記憶にある。
湧き上がる凶暴な衝動のままに戦い、無茶苦茶ではあったけどグレイウーズを倒したことを覚えている。
そのあとも暴れた気はするけれど、まさかペトラさんにまで攻撃してしまっていただなんて。
腕に張り付かれて負った傷は彼女がポーションを掛けて治してくれたそうだ。
「いいって。初めての狩りで強敵に出遭って興奮しちまったんだろう。新人にはよくあることさ」
「うぅぅ……すみません。一体、何だったんだろう……」
落ち着いた今から考えると何故あんなに興奮していたのかよく分からない。
まるで自分が自分ではなくなったような感じだったけど、誰かに精神を乗っ取られた感じではなかった。
その答えは頭の中の声が教えてくれる。
『魔法の影響だ』
マモルによると、狂化という魔法を僕に掛けたらしい。
狂化は身体能力を飛躍的に向上させると共に、戦闘の恐怖を完全に忘れさせて蛮勇と呼べるほど勇敢にしてくれるらしい。
その代わりに技も何もなく、防御を捨てて全力で武器を振るうだけになってしまう。
力任せの攻撃オンリーだから身体能力だけで何とかなる格下の相手ならともかく、強い魔物が相手だと逆に不利になってしまうこともあるらしい。
そして狂化には副作用があり、仲間がいても敵味方関係なく暴れてしまうのだという。
いやいや、そんな危険な魔法を誰かいるときに掛けちゃダメじゃん!
『彼女の実力ならすぐに止めてくれると思っていたからな。危なくなっても彼女を魔法で支援すればよかったしな』
なんて過激なことを……。
というか、補助魔法を他の人に掛けることも出来るのね。
面倒見の良いペトラさんが、止めるために僕を殺すというのは考えられないし、これでよかったのかなぁ……?
いやいや、よくないか。
次にもしまた僕が戦意喪失しちゃっても、黙って使ったりはしないでよ。
『もちろん。だが、そもそもそんな状況にならないようにしないとな』
心の中で大きく頷く。
狂化での身体能力向上は素の能力に掛かるので、今の僕には強化魔法ほどの恩恵はないらしい。
強化魔法の効果と比べると約三割くらいだとマモルが教えてくれた。
恐れずに戦えば灰色スライムなど狂化せずとも倒せたのだ。
思わぬ強敵との遭遇によって戦う意志を失い掛けてしまったけれど、ギリギリで踏み留まることが出来た。
倒していなかったらそのまま戦うことを恐れてしまっただろう。
だからマモルは危険と分かっていても狂化を使ったのだ。
ペトラさんには悪いことをしてしまったけれど、彼の判断は正しかったに違いない。
「……次からはパニくらないように頑張ります」
「そうしておくれよ」
さすがにそれを正直に彼女に言うことは出来ず、心の中でまた謝った。




