第12話 猫
女冒険者さんから解放されると、残りの料理を掻き込んで足早に食堂を後にした。
汗も掻いたし風呂に入りたいと思ったのだけど、この世界では湯を沸かすのも大変なので風呂は王侯貴族くらいしか入らないものらしい。
動いて汗もかいているので、このままの格好で寝るのは少し気持ち悪い。
どうしようかと思っていると、マモルが浄化の魔法を僕の全身に掛けてくれた。
スライムの粘液が鎧に張り付いたときにも掛けてくれたけど、この魔法は汚れを完全に除去してくれるらしい。
フワッと優しい風が身体を通り抜けると、汗も埃も綺麗に落ちてサッパリしていた。
鎧を脱いで剣帯を外す。
ベッドに腰掛けて人心地つくと、今まで慌ただしくて追いやられていた不安が湧き上がってくる。
魔物なんていう怪物が跳梁跋扈するこんな世界で、僕は生きて行けるんだろうか。
マモルが助言をしてくれるし魔法で守ってもくれるけれど、現代日本と掛け離れたファンタジー世界で冒険者なんてやっていけるとはとても思えない。
今日は何とかスライムを倒す事が出来たけれど、こんな殺伐とした毎日が続くとしたら心が荒んでしまいそうだ。
今から使うベッドだって硬くて寝心地が悪そうだし。スプリングの入った柔らかいベッドで寝たいなぁ。
異世界に来てまだ一日だというのにもう元の世界が恋しくなってしまっていた。
落ち込んでいると、ベッドの脇にある開いた窓に小さな影が差した。
猫だ。
窓枠に短毛種の白い猫がいて、長い尻尾を垂らして揺らしながらこちらを覗き込んでいた。
暗闇で瞳孔の広がった瞳は右側が緑、左側が青のオッドアイになっている。
立ち上がった一対の耳はこちらを向いて桃色の内耳を晒しながらピクピクと動いている。
一瞬、魔物かと思ったけれど、ヨーゼフさんが門を守っている町中に魔物が入り込んでいるとは思えない。
それにこの子はどこからどう見ても普通の猫だ。
ヤマネコではなくイエネコだろう。首輪をしていないから野良猫だろうけど。
この世界には猫耳だけじゃなく、ちゃんとした猫もいるんだなと変な感動をしてしまった。
実は僕は猫がとても好きなのだ。
実家では飼っていたけど一人暮らしのアパートでは飼えず、しばらく猫に触っていない。
とても触りたい。
手を伸ばしてこちらに誘おうとしてみるものの、警戒しているのか離れていきそうな気配がある。
逃げられては嫌なので手を戻す。無理に近づこうとしていないのが伝わったのか、その場に留まってくれた。
こういう時はエサで釣るに限る。
リュックサックの中を探り、目当てのものを取りだす。
ガサガサしている音に興味を惹かれたのかジッとこちらを見つめていた。
僕の手の中に出てきたものをみてピクリと耳が反応する。
取りだしたのは少し乾燥した動物の肉。干し肉的なもので、夜食用にと食堂で少しもらっておいたのだ。
ここの料理は薄味で塩分がかなり控えめだし、猫にあげても大丈夫だろう。
それを持ったまま手を猫のほうに伸ばし、ゆっくりと左右に振る。猫の顔視線がそれに合わせて動く。
完全に目が釘付けだ。
さっきは逃げられそうになった距離まで近づいても、干し肉の効果で猫はその場に留まっている。
ピンク色の鼻先にまで近づけてやるとクンクン匂いを嗅ぐ。
そのまま手を戻して干し肉を遠ざけると、白猫はそれを追いかけて窓枠からベッドの上に降り立った。
釣り餌引き込み大成功だ。
猫への対応ならばマモルの力を借りるまでもない。彼も憩いの一時を邪魔しないように気を使ってくれているのか黙ったままだ。
ベッドの真ん中辺りまで誘導すると、そこに干し肉を置いてやる。
猫は干し肉を見て、僕に視線を向け、また干し肉を見る。
ベッドの上に置かれた干し肉に近づき、匂いを嗅いでからまた僕の様子を伺う。
何もしなさそうだと安心したのか、猫はその場で干し肉をかじり始めた。
猫には大きめの干し肉をかじっては咀嚼していたけど、半分ほどに達したところで残りは一気に飲み込んでしまった。
「ニャァ」
こちらを見つめながら可愛い声で初めて鳴いた。
もっと頂戴ということだろう。
次の干し肉を取りだして猫の目の前に置いてやる。
先程と同じようにかじり、一分もしない内に飲み込む。なくなればまた次の干し肉を追加してやる。
それを数回繰り返して手持ちの干し肉がなくなったところで餌付けは終了した。
白猫は満足したのか食事の余韻を楽しむように、顔や手をペロペロと舐めて毛繕いしている。
それが一段落するのを待って、ゆっくりと驚かせないように手を伸ばす。
指先で猫の背に触れて軽く撫でる。
僕に敵意がないことを理解してくれたのか逃げようとはしなかった。
何日か掛けないと駄目かと思ったけど、意外に人間に慣れているのかもしれない。
でも首輪などはしていないし野良猫なのだろうか。
優しく毛を梳くように撫でてやると気持ち良さそうに目を細める。
こうしていると今日一日の疲れがほぐれ、心が癒されていくのが分かる。
決して、獣耳お姉さんの代替ではない。
やっぱり猫は良い。
見ているだけでも心穏やかになれるけど、触れると夢見心地になれるほどに気持ちがいい。
「白くて可愛いな~。尻尾長いなー」
一方的に話し掛けながら撫でる。返事が返ってこないのがまたいい。
人間のように会話が出来てしまったら気を使わないといけないからね。
「あれ? この子、足に布が巻いてあるな」
毛色と同じ布色だったのと暗くて気付かなかったけど、猫の右後ろ足に白い布が巻いてあった。
怪我でもしているのだろうか。そこは触らないように気を付ける。
僕もそっとベッドに上がって寝転び、横になりながら撫で続ける。
あまりしつこく触ると嫌がられるかなと思ったけど、白猫は目を閉じて撫でられるままになっている。
穏やかな猫の顔を見ていたからか、感じていた不安はいつの間にか霧散していた。
非日常的なこの世界で出会った日常の存在、猫。
何だかこの子に救われた気分だ。
心が軽くなると、途端に眠気に襲われる。
想像以上に疲れていたのか撫でている内に瞼が閉じて、そのまま意識を手放して眠ってしまった。
翌朝、起きたときにはもう白猫はいなくなっていた。




